第43話 翡翠・紅玉
「回り込むわよ!」
騎竜が嘶き、大きく弧を描くようにして空を飛ぶ。
エレオノーアは、瑠璃の竜の体周を旋回して瑠璃の竜に向かって右方面……左側面側へと回った。ルゼフィールは右側面側である。
『よいか、エレオノーアよ。彼奴は水流の操作を除いて、直接的な攻撃をしてこない。胴体を切断されてもそうなのだから、これ以上の負傷を与えても反応は変わらんじゃろう』
降り頻る雨の中、エレオノーアは先ほどルゼフィールと交わした会話を反芻する。
『そうでしょうね。彼には“意思”がないもの。さっき見せた反撃ですら、反射的な反応でしかないはず。あれには根本的に“敵意”というものがないのよ』
『……随分知った風な口を利くのう。確かか?あれが“人間”というのは』
騎竜が速度を上げ、瑠璃の竜の体に沿うように飛行する。
動きはゆったりとしているように感じられる瑠璃の竜だが、その巨体ゆえに速度自体は相応に早い。僅かな距離を詰めるのも数分かかる。
「皇女さまぁ!!いつまでかかるんですかぁ!?」
エレオノーアにしがみついて後ろに乗っている少女が抗議の声を上げる。
「もう少し我慢しなさい。この“作戦”はあなたの発案でしょう」
「作戦なんて大層なものじゃないですよー!単純に……目を覚ましてあげないと、可哀想だなってだけですから!」
速度を上げ続け、風を切る。
やがて、巨大な“竜角”がもう目の前にまで来ていた。
瑠璃の竜の頭部。
大きく見開れた目にはやはり意思は感じられず、その姿はいっそ身に余る力を与えられ、それに飲み込まれた哀れな被害者に見えた。
「王子様がさ……」
モモカは幼少期から“彼”のことを知っていた。
家柄と金、親しか誇るものがないつまらない男たちに「一緒に茶でもどうか」言い寄られた際、彼はこう言って自分と男たちの間に割って入った。
『お、お茶なら……僕が入れましょうか?』
そうして、その後本当にティーセット一式を持ってきて何故か私以外のその場の男全員で茶会をしていたあまりに不器用な人。
フロイア王国第二王子、アレクロッド。
対抗戦が始まる直前に、何者かによって拉致され……そして行方知れずとなっていた青年。
その変わり果てた姿が空を悠々と飛んでいた。
「飛ぶわよ」
立ち上がったエレオノーアが騎竜を蹴り、空へと飛び立つ。
そして僅かに空中を降下した彼女は、すぐに足元は確かな足場を手に入れた。
竜の体という足場を。
「手筈通りに行くわよ。貴女も持ち場に付きなさい」
「はい!こっちの子は私が……って、わわっ!?」
「パトリオットは気性が荒いわ。頑張って乗りこなしなさい」
「そ、ん、なこと言ったってぇぇぇぇぇ〜〜〜!!?」
徐々に遠くなっていくモモカの悲鳴を聞き流しながら、エレオノーアは眼科の竜を見下ろした。
空から落ちる雨は、まるで彼が流す涙のようだ。
◆
透明な膜に覆われた男が、腕をだらんと伸ばして立っている。そこに先ほどまで感じたような暴力性は存在していなかった。
見れば、どうやら膜と思っていたものは厚い空気の層で、光が屈折することによって透明に見えたらしい。随分と器用なことをする。
「ありがとね、ナカラン。信じてくれて」
背後からかかった声に、ナカランは嘆息した。
「別に信じたわけじゃない」
「そう?“悪だと思った方を撃ち抜いて”って事前の取り決め通りだとすれば、僕が正義だって思ってくれたと思うんだけど」
「あなたが正義だとも思わない。胡散臭いし」
「ひどっ」
「だけど……」
力なく立つ“透明の男”を、スッと細めた目で見る。
脳裏に浮かぶのは、執拗なまでにレイヴリーを痛めつけるまさに“悪鬼”としか言いようがない男の光景だった。
「こいつは“悪”。だから攻撃した」
「悪か……まぁ確かに、おかげで僕の顔もボコボコだからね。悪以外の何物でも」
「それはどうでもいい」
「えっ」
レイヴリーもまた悪人であるということに、ナカランはレイヴリーの発言から薄々気がついていた。だから彼が暴力を受けるような事態になったとてそれ自体は問題ない。当然の報い。むしろもっとやれという気持ちもあったのは否定しない。
だが、平然と“私刑”を実行する者を放置していれば、いつか必ず……私たちにとって大きな“脅威”となる。本能的にそれを理解した。
レイヴリーと透明な男。どちらにより正義があるのかを見極め、その結果、少しだけレイヴリーに天秤が傾いた。ただそれだけのことだった。
「あなたは、こいつの正体を知っているんじゃないの」
「……そうだね」
わからないのは、これほどの力と、執念と、悪意を持った存在が一体なんなのかということだ。レイヴリーは“竜”の力と言っていたが……確か、学園を襲った襲撃者は“竜人”という竜と人間が同化した存在だという話があったはず。それと似たようなものだろうか。
「……これは謂わば、世界の犠牲になった、復讐者の成れの果てってところかな」
……その返答を聞いて、答える気がないと悟ったナカランは息を吐いて弓を下ろした。
「君は先に“瑠璃の竜”の方に行っててよ。そろそろ決着がつきそうだからさ」
「それなら私が行く必要はないでしょ。誰もいない間にこの死体をどこかに持っていくつもりじゃないの」
「信用ないなぁ。まぁその通りなんだけど」
けらけらと軽薄に笑うレイヴリーは、動かなくなった“透明の男”に近いた。
「……ねぇ」
「なんだい?」
「ひとつだけ聞いていい?」
レイヴリーが首を傾げると、ナカランは目を細めて言った。
「そいつ、本当に死んでるの?」
「……そのはずだよ」
レイヴリーは答えつつも、その言葉に自分自身が疑問を抱いていることに気づいた。
何故ならそれは、レイヴリー自身も疑問に思っていたことだったからだ。
意識外からの奇襲。防御を突破する手段を整え、確かに有効な一打を加えたはずだ。その感触は確かにある。
だが、言ってしまえば……呆気ない。
圧倒的な力を持つゆえの慢心と切り捨ててしまえばそれまでだが、実際の所レイヴリーはもっと苦戦を強いられるものと考えていた。
だからこそ、沈黙する無色の異様が不気味にも感じられる……。
「……無色?」
……そういえば。
何故この男は、死んだはずなのに未だに“透明”なのか。
そう思い至った瞬間。
“紅”の光が瞬いた。
「“土塁”!!」
地面が盛り上がり、一瞬にしてレイヴリーの眼前に展開される。
──!!
その壁は、しかし次の瞬間崩れ去った。
「……ぐっ」
全身に激痛が走っている。
視界には、空を泳ぐ瑠璃の竜が映る。すなわち上空だ。
レイヴリーはどういうわけか、地面に仰向けに倒れていた。何が起こったのかまるでわからない。
「こ、れは……」
そして体を起き上がらせようとしても、力が入ることはなかった」
首だけを起こして周囲の様子を確認する。
「……は、は」
地獄。
その光景を一言で要約するならそうだ。
周囲には轟々と炎が燃え広がり、もはや無事な場所を探す方が難しいという有り様。瑠璃の竜の雨が降り注いでいるというのに、炎は収まる気配がないどころかどんどんとその勢いを増していく。
その中心に、ゆらゆらと立つ、無色の……否。
“炎”に包まれた人影が立っていた。
貫かれたはずのその心臓には、炎の剣が突き立っている。
炎に包まれながら、胸から剣を生やしたその姿はまさに地獄から這い上がってきた悪鬼の様相。
「……これは、無理だな」
諦念と共に息を吐き、力なくレイヴリーは笑った。
その姿もまた、一瞬で炎に包まれた。
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