第39話 瑠璃の竜

───!!!!


まるで世界の終末かのように響く獣の嬌声。


幾多にも重なった竜の咆哮が、あちこちから聞こえてきた。


全く、次から次に厄介事が舞い込んでくる。


「はぁ……はぁ……!」


差し当たっての問題は、目の前のフロナちゃんだな。


無理やり鎧に体を動かされてるせいか、呼吸が乱れて目の焦点も合ってきてない。あまり考えたくないけど、このまま動き続けたら気絶するかも。それならまだマシ。それよりだんだん衰弱していって最期には……という最悪のパターンも考えられる。


さて、どうしたもんかねー。私の攻撃方法はどれもこれも範囲攻撃染みたいなもんで、下手に使えばフロナちゃんが危険だ。なんとかしてあの鎧だけを壊すことが出来れば……。


……土、泥。そういうものに効くのは決まってる。水だ。けど当たりに水場はないし、あったとしてもフロナちゃんにぶっかけるのは至難の業だな。まさか都合よく雨が降り出すわけもないし。


「……あ」


──ポツ、ポツと雨が降り出した。


わぁ!都合良い〜〜。


いや待て待て、おかしいだろ。どうなってんだ。何これ思考盗聴された?神が気利かせてくれたん?まぁ、神がいるとしたら私をこの世界に転生されてくれたナイスガイだからこういうサプライズしてくれてもおかしくないけど。


……いや、違うな。


“アイツ”が原因か。


──!!!


空を悠々と飛ぶ、蛇のような長い体躯。その表皮は藍色に染まっており、濡れた鱗が光を反射してきらきらと輝いている。

その姿をあえて形容するなら、青龍。リヴァイアサン。そんな単語が思い浮かぶ。まぁ実際には青くないらしいけど。


“竜”と呼ばれるにはあまりに異形が多すぎるこの世界で、誰がどう見てもそれが“龍”だと一目でわかる。人智を越えた威容。抗うことすら叶わない“天災”。


“五天災”の一角、“瑠璃の竜”だ。



「何じゃあれは」


ルゼフィールは、突如として現れた巨大な竜に戦慄した。


空を飛ぶ巨大な蛇。言葉で表せばそういう外見だが、それが放つ巨大な存在感はきっと伝聞で伝えられる情報量を優に超えている。自然現象がそのまま生き物の形をしているような感覚。


「まさか……」


アレが現れたと同時に、隔離されている演習場に雨が降り始めた。


自然現象が生き物になった、というルゼフィールの抱いた印象はそれほど的外れでないのかもしれない。


「“五天災”か……!?」


伝説に語り継がれる五匹の竜。災害そのものと称される存在。


その中に記載される“瑠璃の竜”は、年中通して止まない豪雨を降らせ、洪水を起こし、山を崩して海を引き上げたとされている。その姿は巨大な蛇のようで、空を水中のように悠々と泳ぐのだと。


伝説でしかないその全てが、目の前に現実として展開されている。


「いや、豪雨と言うには程遠いか……?」


だが肝心の降雨は、せいぜいが涙雨と言った所。それが単純に“瑠璃の竜”がまだ全力を出していないのか。それともアレが伝説の存在とは違うのかはわからない。


どちらにせよ、すぐさま天災と化す暴威であるのは確かだ。


であれば、何よりも先に行動を起こすべきだ。


「いつまでそうしておるつもりじゃ。エレオノーア」


ルゼフィールは視線を下に下げ、地面に両膝をついた人影に言葉を投げかけた。


「……」


エレオノーアは、顔を伏せたまま微動だにしない。

そんな彼女の様子にルゼフィールは舌打ちを飛ばし、冷たく言い放った。


「なっさけないのー。こんな弱々しい皇帝がどこにおる?一国の主どころか、自分の面倒さえ見れん小娘だったとはな。心底見下げ果てたわ」

「……って」

「んー?なんじゃなんじゃ??聞こえんぞー。もっと大きい声で喋ってくれんかー?」

「黙って」

「嫌じゃ。妾は黙らんぞ〜?ほれほれ腰抜け皇女、その腑抜けた足ではようキリキリ動かんか。それとも立つことも出来んか?よちよちあんよが上手じゃのぉ〜??」

「……」


ぱんぱんと手を叩いて囃し立てるルゼフィールを、エレオノーアの鋭く研ぎ澄まされた瞳が射抜く。


「おぉ、怖い怖い。不満を口にして、睨みつけて。次は手が出るかのう?その後は先生にでも言いつけるのかのう?わらわこわい〜!!」


肩を抱いてぶるぶると震えるルゼフィールは、それでもエレオノーアが動かないのを見るとすんと顔から表情が抜け落ちた。


「よいか、“氷帝”」


エレオノーアを見下ろすその目にははっきりとした感情が灯っている。


怒りだ。


「貴様は何千、何万という人間の命をその身に預かることになる人間じゃ。その者たちの前で今のような情けない姿を晒すつもりか?途端に誰も貴様など相手にしなくなるぞ?」

「……あなたにそんなことを言われなくてもわかってる」

「いいや、理解しておらん。誰もが貴様に目を背けるのだ。友人だろうと、家族だろうと」


すぅっ、とルゼフィールの目が細められた。


「あの“透明な男”もな」

「!」


それを言って、初めてエレオノーアの顔に感情らしいものが戻ったのを見て舌打ちしそうになった。


エレオノーアが透明な男と何らかの関係を持っているのは明らかだ。その関係性を全て明らかにするだけの時間的猶予はもうない。

だが、彼女を腑抜けさせた要因と喝を入れる存在は同じであるらしい。あの男の存在は、エレオノーアにとって想像を遥かに超えて重要なものなのだ。


……それこそ、あの男だけを生きる理由としているような。


(薄ら寒い。やめじゃやめ)


そこまで到達した思考をルゼフィールは強引に打ち切った。


有り得ていいはずがないのだ。皇帝と呼ばれる者が……一人の男のためだけに全てを投げ捨ててしまえるなど。それも稀代の天才と呼ばれるような才女が。

エレオノーアは誰にも心を開かない氷の女だ。だからこそ“氷帝”と呼ばれている。その超然とした在り方は、冷たくはあるが人心を掴んで離さないカリスマに溢れていた。


エレオノーアは氷の女でなければならないのだ。もし、それを脅かす存在がいるのなら。


(妾自ら、葬ってくれる)


その目に確かな執念を燃やして、ルゼフィールは手に持つ杖を握りしめた。


「ディアーナ」


ルゼフィールが空に向かって呼びかけると、どこからともなく騎竜が舞い降りた。


「そこで一生這いつくばっておればいい。貴様無しで、妾が全てを片付けてこよう」


バサ、バサっ、と翼をはためかせて、ルゼフィールが空へと飛び立っていく。


「さらばじゃ。弱き皇帝」


ルゼフィールが空の彼方に消えていく。


「……」


雨は勢いを増してエレオノーアを打ち付けていた。


「──!!」


そんな彼女に、突如として空から竜が襲いかかる。


「……!」


かろうじて、武器を持って立ち上がり竜に対峙する。


ヒュンッッッ!!


「──!?」

「え……」


そんな彼女を、襲おうと飛びかかった竜が、横合いから殴りつけられて吹っ飛んだ。


“投擲された”斧によって。


「あれ?皇女様じゃないですかぁ。ここで何やってるんです??」

「……貴女は」


桃色の髪を下ろした彼女は、キョトンとした表情でたった今繰り広げられた虐殺を行った斧を竜の頭蓋から引き抜いた。


「えへへ♡ 手が滑っちゃった……みたいな?」


“西軍”のモモカは、そう言ってペロリと舌を出した。



「はぁ、はぁ……」


雨によって鎧の形が崩れて、ドロドロとフロナちゃんを解放していく。


良かったー。いや良かないけど。明らかにヤバいやつが空に浮いてるけど。でもとりあえずはこの子と戦わずに済んでよかった。


そんじゃま、私はあのデカブツをなんとかしに行くとしますかねぃ。どうせこれもアイツの差金なんだろうけど……。


「……待ちなさい」


……へっ。


鎧が崩れて、解放されたはずのフロナちゃんが再び私の武器を向けた。


「私と、戦いなさい」


私を見るその目に、まるで親を殺された仇を見るような憎悪を乗せて。


……。


レヴカス、お前またなんかやったんか??(疑心暗鬼)

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