第37話 雪解け皇女

「“地ならし”」


落とし穴にハマった私に間を置かず襲いかかってくるのは、局所的な地震だ。これはゼフィ様の“魔法”かな。ロリには魔女っ娘属性を付けなさいと昔から言うからね。

そして落とし穴が掘ってあるところに地震が来れば何が起きるのか。はい、生き埋め直行コースですね。どんどんと土砂が流れ込んできております。


このままゼフィ様に生き埋めにされて大地の養分となり、慎ましやかな愛の花畑を地上に築く礎と化す。そんな人生の終焉もまぁ悪くはないが、ここは一応生存しておこう。生きてればやり直せるけど死んだらそこで終わり。ここがゲーム原作の世界だからってそれは変わらんのだ。


ドッ──!!


足を曲げ、大きく蹴り上げて一気に穴から脱出する。足元で土砂により穴が埋め立てられていくが、すでに私はその上に位置取っている。

さっきまでも見下ろされていた立場から一転、私が見下すような体勢になってしまったことは非常に不本意だがゼフィ様とノアたそ相手に舐めプなんて……うん??


ノアたそどこ行った?


……その時。


『!!』


私は珍しく、明確な“危機”を感じた。


その危機を回避しなければ、無事では済まないという確信。


選んだのは回避──いや、違うな。


飽和攻撃だわ、これ。


瞬間。


空間が歪む。


「おぉ」


私を中心とした円形の空間が歪み、景色が収束していく。

例えるならそれは、小さなブラックホール。円形の中心に向かって途轍もない圧力がかかり、存在するもの全てを圧縮する。


「“戦術竜器”『唐紅』」


気づけば、エレオノーアは私の背後に立って、その手に小さな竜器を握っていた。



「この竜器は、母器一体と子器四体からなる複数体で一つの機能を持っているわ」


天変地異にも思えるこの現象を発生させているのが、この小さな竜器らしいということだけがルゼフィールにはわかった。


「子器は演習場の隅に配置して、母器は私が持っている。これによって指定された範囲でのみ……この竜器は“重力“を操作する」


対抗戦の序盤、煙幕による作戦を展開したエレオノーアが、その補助に使ったのがこれだ。


だが、それは大気の操作とは少し違う。


重力……ひいては“空間そのもの”を歪めるという、常識外れの代物。


「本当はこの後の作戦で使うつもりだったのだけど……持っておいて正解だったわ」


エレオノーアの額には、玉のような汗が浮かんでいた。


「ほ〜、随分便利じゃのう。妾に寄越せ」

「帝国の国宝よ。欲しいなら戦争になるわ」

「はっ、そんなものを皇帝はよく貸し出したなぁ?ただの学園内行事に」

「父の跡を継ぐに相応しい王になるためと言えば、快く貸してくれたわ」

「あー、嫌じゃ嫌じゃ。権力者の特権自慢など、耳が腐れ落ちるかと思うたわ」

「あなたに言われたくないわね。それに……」


エレオノーアは鋭い目を宙に浮かんだ瓦礫の塊へ向けた。


「ここまでの力を解放することになるのは、私も予想外だった」


強い竜器には、相応の高い制御能力が求められる。暴走させれば使用者本人も巻き込まれかねない諸刃の剣。


有無を言わさぬ必殺の力が欲しい時にだけ使う切り札だ。


「そんなにマズイのか、あの透明人間は。もう圧死して跡形もないが」

「透明になる。炎の剣を扱う。どちらも聞いたことがない異能。警戒を重ねるに越したことはないわ。竜器によるものだとしたら、回収するより壊してから解析する方が手っ取り早いでしょう」

「ふむぅ。少々呆気ないが、まぁ確実ではあるか……よし、では外部に連絡を……」


ルゼフィールが踵を返し、一歩踏み出す。


「……馬鹿な」

「……」


振り返って、ルゼフィールはその両目を大きく開いた。遅れて異常に気づいたエレオノーアも、驚愕の表情を浮かべている。


───。


そこには、蜃気楼のように揺らめく不可視の人型が確かに立っていた。


その手に、轟々と燃える炎の剣を携えて。


「……エレオノーア。その竜器、あと何回使える」

「……」


エレオノーアが、後ろ手で透明の男に見えないように指で輪っかを作った。


0回。


「そうか……」


ここに来て、ルゼフィールの額にも冷や汗が流れた。


先刻の一撃。ほぼ奇襲に近い形で決まった攻撃……その尽くを、目の前にいる存在は躱すか、あるいは防御して立っている。


流星。地割れ。重力操作。初手で勝負を決めようと手札を切ったのが裏目に出た。


だが一つわかったことがある。


(こやつ、妾たちに攻撃してこない)


最初の攻防。そして今でも、透明の男は射程を自在に伸ばせるというその手に持った剣で、二人を容易に攻撃することが出来たはずだ。

だがゆらゆらと立っている男は、こちらを攻撃してこないどころか一切の敵意を感じさせない。


無害な存在……とは考えづらい。生徒の犠牲という実害と、その手に持った炎の剣が何よりもの敵の証明。だが、何らかの事情でエレオノーアとルゼフィールの二人には攻撃しない、いや“出来ない”としたら?


「エレオノーア。一旦退却するぞ、体勢を立て直す。恐らく奴は追ってはこない」

「……なんですって?」

「あの態度を見れば明らかじゃろう。彼奴め、まるで妾たちがこの場から消えるのを心底願っているようではないか。腹立たしいことこの上ないが、ここはその思惑に乗ってやるとしよう。それに……」


お主の体調の件もある。という続く言葉をルゼフィールは飲み込んだ。


「……」


エレオノーアは、荒く息を吐きながら真っ直ぐに透明の男を見つめていた。


混濁する視界が、竜器の反動が予想以上に大きかったことを言葉よりも明確にエレオノーアに示している。形勢は不利。ここは仲間を呼んで、体勢を立て直して再び対峙するのが正解。頭ではわかっている。


だがそれは、この男から目を離している間に新たな犠牲が生まれることを許容した場合の話だ。


『……ノア』


脳裏に浮かぶのは、優しい笑みを自分に向ける少年の顔。


……なぜ私は、目の前のあの男に。危険を伴う力を最初に使って葬り去ろうとしたのか。


それは、彼に会った瞬間から、何故か私の心臓の鼓動がどうしようもなく早くなって、落ち着かなくて、身体中が沸騰したように熱くなってしまっているからだ。

何故そんなことが起きているのか理解できない。皇女として、皆を導くべき立場にある自分をあれが根底から壊してしまうのだ。


怖い。途轍もない恐怖だ。だけどそんな恐怖の存在に、私は今この場で組み伏せられて襲われてみたいなどという意味不明な欲求さえ抱いている。


なんで、なんで、なんで……。


なんで竜器を使った瞬間、あの男を覆う透明な膜が、一瞬だけ途切れて……。


その瞬間に見えた“白”に、こんなに頭の中をめちゃくちゃにされているのか。


「……ハァ、ハッ、は……!!」

「……エレオノーア?」


ガタガタガタ……と武器を握る手が震え始める。


殺さなきゃ。殺して、私を守らなきゃ。私が壊れちゃう。私が壊れたら、彼に……彼に立てた誓いが果たせなくなる。それは私の柱だ。柱が折れたら、皇女エレオノーアは死ぬ。死んじゃう。


どんな辛いことがあっても、苦しいことがあっても、それだけは絶対に折れなかったから耐えられた。だけど、もし……もし、“そんなこと”が現実に起きたらきっと私はどうにかなってしまう。


あり得ない。あり得ない。だって、だって、あの時──!!


「ケ、イ?」

『……』


男は、答えなかった。


「あっ」


そして、瞬きする間にその場から消え去ってしまった。


「……」


……エレオノーアはその場に膝から崩れ落ち、愕然とうなだれた。


視界がぐるぐると回り続けて、まるで世界が逆さまになっているかのようだ。


私の魂が、彼を求めてしまっている。


「あ、あぁぁぁあああぁ……!!!!」


その日、“氷帝”と呼ばれた皇女はただの少女に戻り、空に向かって泣き続けた。

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