第32話 透明な男

「王子様ー!」


“西軍”本陣。


周囲を不安そうに見渡すアレクロッドに駆け寄ってきた女子生徒は同級生のモモカだ。


「モモカさん。敵はいましたか?」

「一人だけね〜。今は気絶しちゃってるかな」

「そうですか。それは何よりです」

「全裸で」

「全裸で」


それを聞いた瞬間アレクロッドは遠い目をしたが、頭をふるふると振って仕切り直した。


「にしてもずっと消えないねー、この煙。もうそろそろ風で飛ばされてても良いと思うけど」

「この作戦を実行したのは皇女様だって話だろ?天気次第で失敗するような策なんて、あの人は採用しなさそうだぜ」


アレクロッドの横に立つジルクスは先が見通せない中でも周囲に気を配り、いつでも敵に対処できるように構えている。


「はい。なんらかの細工をしてしばらくは視界不明瞭の状態を維持していると考えていいです。例えば、演習場の隅に風を送り込む竜器を設置しておくとか」

「なるほど〜……じゃあそれを壊しちゃえば煙は消えるのかな?」

「かもしれませんが、待ち伏せが怖いですね。竜器を使っているという確信もありません」

「んじゃ、俺たちはここに籠って防御に徹するしかないって事か」

「そうなります」

「え〜!じゃあ全っ然目立てないじゃん!!せっかくのアピールチャンスなのに〜!」

「アピールって、誰にだよ?」

「お兄様とか、お母様とか。私が活躍してるってとこ見せたいんだよね〜」

「へぇ……意外だな。お前が家のこと気にするような奴だったとは」

「当たり前じゃん。ここで活躍しておけば、あとの学園生活は遊んでても怒られないでしょ?」

「そういうこったろうと思ったよ……」

「あはは……」


あっけらかんと言い放ったモモカに、ジルクスは呆れ顔で、アレクロッドは苦笑で応じた。


「そういえばさ、王子様」


そんなアレクロッドに、モモカは僅かばかりの“違和感”を感じて言った。


「はい?」

「なんか口調、変わったね?」

「……」


アレクロッドが驚いたように目を見開いた。


「……前からこんな感じですよ?」

「うーん、確かにみんなの前ではそうだけど……ジル君がいる時は結構砕けた口調だったからさ」

「……」

「そうだったか? 全然気づいてねぇわ」

「ジル君は鳥頭だからね〜」

「お?わかるか。このトサカヘアーの良さがよ」


髪を撫で付けるジルクスと冷めた目をしたモモカのやり取りを、ロッドは笑顔で見つめていた。


「じゃ、私持ち場戻るね!二人とも“旗”守っといてよ〜?」

「わぁってらぁ!殺されんなよ〜!」

「お気をつけて」


モモカが手をぶんぶんと振りながら去っていき、その場にはロッドとジルクスの二人だけが残された。


「んじゃ、ロッドよ。煙ん中から敵が出てこないか、交代で見張りを……」


ぱすっ


という、軽い音が響いた。

まるで……小さな刃物を柔らかいものに刺したような。


「……ぉ」

「口調が違うってんならさぁ」

「が、はぁっ……!?」

「早めに言ってよぉ?ジルくぅん?」


ジルクスの脇腹に……深く突き立てられていた小ぶりなナイフ。深々と突き刺さったそれは、確実にジルクスの内臓を傷つけていた。


「てンめぇ……!」

「おかげで怪しまれちゃったじゃん」


ナイフが引き抜かれると、ドッと溢れ出す赤黒い濁流。

ガクガクとジルクスの足が震え、地面に倒れ伏す。


「“麻痺毒”ね。大変だったんだよぉ?ここに持ち込むの。警備が厳しいのなんのって。でもその警備のトップの人がボクを招き入れてくれたんだぁ。どんなに堅牢な要塞も、鍵が開いてたら意味ないよね〜」


ずるずるとジルクスの体が引きずられ、木の根本にできた窪みの死界に隠される。


「さてと……まずは一人目。殺すのはダメって言ってたけど、事故で死んじゃうなら仕方ないよね?そもそもボクに仕事が来る時点で生死問わずでしょ。うん、やっちゃお〜。新鮮で若いお肉大好き〜♡」


姿だけはアレクロッドのソレは懐にナイフを忍ばせ、唇を弧の形に歪めた。そして次の獲物をさっきまでいた女子生徒に狙いを定め……。


「動くな」


次の瞬間、その首筋に刃物が添えられた。


「……」

「あぁ、懐ン武器に手ぇ伸ばしたらその瞬間殺すからな。喋っても殺す。妙な動きしたらその瞬間殺す。今から言う質問に答えなくても殺す」


ジク、と僅かに刃が食い込んだ肉から血が垂れる。


「てめぇは誰だ?何が目的だ。んで俺の弟をどこにやった」

「……酷いなぁ、ここにいるでしょ?兄さん」

「酷ぇのはてめぇのブス面だろうが。ハリボテ野郎」


僅かに冷や汗をかいたアレクロッドに扮した何者かに対し……“戦鬼”と呼ばれた男、カルヴァンが鬼のような形相で吐き捨て……その首を切り落とした。



「……そろそろかしら」


戦場を空から見下ろす皇女、エレオノーアは未だ視界不良状態の戦場の中で起きていることをほぼ正確に把握していた。

エレオノーアは殺意や敵意に対して人並み以上に敏感だった。それは、全てを喪ったあの日以降、彼女に備わっていた一種の才覚だった。


これを手にしたエレオノーアは政界で無敵だった。人は必ず、嘘をついたり相手を欺く瞬間に“敵意”が漏れ出す。どんなペテン師であっても、自身の内面までコントロールすることはできない。何重にも重ねられた虚偽と欺瞞に満ちた政治という世界で、彼女は自分にとっての敵を正確に知ることが出来た。

故に“稀代の天才”とも“氷帝”とも呼ばれる彼女だったが、そうした他者からの評価に興味はない。この才能を活かして、どこまで登り詰められるか……そしてどこまで竜を狩れるのか。彼女の関心は結局その一点だ。


戦場には敵意が渦巻いている。こうした場において、エレオノーアの天武の才は遺憾無く発揮された。


彼女の駆る騎竜が“急降下”し、戦場へと降り立っていく。


「──」

「大丈夫よ、落ち着いて」


一寸先は闇……もとい煙の状態で、気流が読めず不安がる騎竜の首筋を撫で、落ち着かせる。騎竜を落ち着かせるには、まず主たる自分が最も落ち着いていることだ。


「あなたなら出来る」


竜の耳元で、エレオノーアは優しく囁いた。


「……なぁっ!?」


そして気づけば……目の前には“南軍”の布陣を防衛する要となっていた生徒がいた。


「ちょっ、待っ!」

「ふっ!」

「ぶげぇ!」


彼は突如頭上から現れたエレオノーアに驚き、武器を構える間もなく槍で打ち据えられ、地面に転がった。


エレオノーアは素早く竜から降り、彼の喉元に槍を突きつける。


「投降しなさい」

「ぐっ……!ん、んなことしたら姫さんに殺されちまうよ……!?」

「あらそう?私は殺しはしないけど……あなたをしばらく病床送りには出来るけど」

「……こっちの姫さんもおっかねぇ……」


その男は、自分をまるで人間とすら思っていないような冷め切った目をしたエレオノーアにガックリと項垂れ……両手を挙げた。


「良い選択ね。あなたみたいな人は長生きできるわ」

「そりゃどうも……」


ガリガリと頭を掻きながら横を通り過ぎる男子生徒から目を離す。


「……ふッ!!」


その瞬間、エレオノーアの首筋目掛けて男が振り抜きざまに振り抜いた短剣が迫り──。


「……うん、知ってた」

「──」

「敵は一人じゃない。当然でしょう?」


エレオノーアの“騎竜”に足を掬われ転倒した。


「無様ついでに教えてちょうだい。“旗”はどこ?」

「はっ、教えるかっての……!」

「パトリオット」

「ご案内します」


去勢を張った男子生徒は、騎竜がその太足で自分を踏みつけようとしたのを察して即座に対応を改めた。


“やっぱり早死にするかも”と、自身の評価を下方修正しようとしたエレオノーアは……。


「……」


不意に、顔を上げて西の方角を見つめた。


「? え?な、なに?」

「……この気配」


エレオノーアが感じ取ったのは、とても──とても濃厚で、ハッキリとした“殺意”だった。


対抗戦という不殺の場で殺意を露わにする。それ自体が異常。その上エレオノーアはこの殺意に覚えがあった。それもつい最近……。


そう、あれは……学園に火を放った“聖竜教”の狂人と同じ。


「パトリオット、飛ぶわよ」

「──」


エレオノーアの判断は早かった。


即座に騎竜に跨り、殺意を感じた方角へと竜を飛び立たせる……。


「うおぉっ!?な、なんだ!?」

「……」


それを、不意に上がった悲鳴が打ち消した。


「……あなたは、誰?」


そこに立っていたのは……正体不明の“何か”だった。

輪郭は不確かで、存在があやふやで、果たしてそこにいるのかどうかもわからない存在。


それはまるで。


「透明な、男」


──透明な男に気をつけろ。


どこかで聞いた言葉がエレオノーアの脳裏で反芻する。


その男は、片手に持つ“燃える長剣”を高々と掲げ……振り下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る