第21話 強めの矢印
「──ノア」
心地よい微睡の中から、柔らかい声によって私は引き上げられた。
「起きなよ、ノア。竜騎士になるんでしょ?」
「……ケイ、今日はお休みの日よ……」
「普通に学校だよ」
私は唇を尖らせると、ぼふっと毛布の中に頭を突っ込んだ。
「あっ、コラ。早く起きなさ〜い」
「うぅ、いやぁ……」
「しがみついてる……」
そんな私を毛布ごと持ち上げる腕に、私はひしと抱きついた。
「このまま連れてってぇ」
「ダーメ。子供じゃないんだから」
「まだ子供よ、私は……」
私の不満もなんのその。彼は腕から優しく私を引き剥がした。その力があまりに優しいものだから、もっと強く掴んでしまおうかと思ったけどきっと彼が困ってしまうだけだから、私は大人しく腕を離した。
代わりに、彼の胸に頭を預ける。
「……ふぁ、おはよ、ケイ」
「うん。おはようノア」
ケイは私の頭を優しく撫でて、そのまま頬に手を添えた。
私とケイの唇が重なって、私はふわふわとした甘い朝を迎える。
……ケイがいると、私はつい甘えてしまう。次期皇帝として、私は厳格でいなきゃいけないのに……彼の前だと本来の自分に戻ってしまう。
「まったくもう……ノアはだらしないなぁ」
「あなたが私をこんなにしたのよ……?」
「責任取れってこと?」
「うーん……まだ大丈夫みたいよ?」
「お腹さすりながら言わないで」
若干焦ってる様子のケイがおかしくて、私は笑いながら彼の膝に頭を置いた。
「撫でなさい」
「はいはい。仰せの通りに。皇女様」
皇女なんて知らない。ここにいるのはただの女だ……あ、でも私が皇女じゃなくなったら他の女にケイが取られちゃうかもしれない。
「そうよ。私こそが第一皇女エレオノーア。崇めなさい」
「いやぁ、皇女様の頭を撫でるなんて畏れ多いですね」
「もう……そうやって、夜以外でも私をいじめるつもり?」
そう言うと、ケイは僅かに動揺したように視線を右往左往していた。
可愛い。普段はとっても頼りになるのに、こういう所がたまらなく愛おしくて、私はすぐに我慢できなくなってしまう。
「……ノア。あのねぇ……」
「ふふっ、冗談よ」
ケイはいつも、私を手玉に取るみたいに弄んでくる。やられてばかりでは癪だから、私もケイが困りそうなことを考えて、それを言った時の反応を見るのが一番の楽しみだ。
「ねぇ、ノア」
「なぁに?」
ケイは窓から外を眺めると、目を細めて言った。
「──、───」
───
─────。
……。
……目が覚めると、どこまでも白い天井が広がっていた。
ベッドから身を起こすと、そこには誰の姿もない広くて無駄に小綺麗な寝室と、冷たい空気だけが存在していた。
(……あのままずっと、目覚めなければよかったのに)
私は、ボフっと枕に頭を埋めて目を閉じた。
……また夢の中に戻れるかと思ったけれど、微塵も眠くなる気配はない。私を起こす人がいるわけでも、出なければいけない授業があるわけでもないのに。
現実には、積み重なった責務と責任。そしてどこまでも深い憎悪があるばかりだ。そしてそれを自覚した瞬間に、私に甘い眠りは許されなくなる。
「……」
どこまでも甘い、幸せな夢。
(……復讐を果たしたら、もう見ることも無くなってしまうのかしら)
……だとしたら。
「なんのために、私は戦っているの?」
私は、誰もいない部屋でそう呟いた。
◆
「おはようございます。エレオノーア様」
「おはよう。マレット」
「まだ朝も早い時間でございます。もう少しゆっくりなされても……」
「いいえ、平気よ。時間は有限だもの」
校内の廊下を歩きながら、私はわずかな髪の乱れを整えた。
皇女たるもの、いかなる隙も許されない。弱さを見せればあっという間につけ込まれ、毒を流し込まれて殺されるのだ。
常に完璧でいなくてはいけない。一切の隙を見せない“鉄の女”であることが私が自身に課した責だ。
(“氷帝”とは、言い得て妙ね)
そんなエレオノーアを、周囲が畏敬の眼差しで見ていることは知っている。それは望ましいことだ。私が冷徹だと周囲に喧伝されればされる程に……。
“聖竜教”に近づくチャンスが生まれる。
「……」
あの、校舎中に火を放ち“天災”と呼ばれる竜の一匹を従えていた男。
彼はエレオノーアの聖竜教の手のものとの呼びかけを否定しなかった。彼が教団と何らかの関わりを持っていた可能性は、非常に高い。
「あの時、捕らえられていれば……」
そんな重要人物を逃したことはエレオノーアにとっても、そして竜騎士団にとっても痛手だった。男も“紅玉の竜”も、全て持ち去られてしまったのだから。
「“翡翠の竜”……」
今でも、あの姿を思い浮かべるだけで普段は律している感情が乱れずにはいられない。
竜という畜生の存在でありながら、まるで人を助けるかのような立ち振る舞いを見せたあのふざけた竜。実際、エレオノーア自身はかの存在に命を救われた形となっているのが最も腹立たしいのだ。
竜に……ではない。自分の弱さにだ。
「もっと、追い込みをかけないと……」
エレオノーアは自身の“竜騎士”としての資質に少なからず自信を持っていた。成績は常にトップ。単身で竜を討伐した実績もあり、将来は優秀な竜騎士として活躍できるだけの実力を備えていると自他共に評価できていた。
だが、そんなものでは足りなかった。“将来は優秀な竜騎士”なんて低レベルで満足していては、あの怪物に太刀打ちすることもできない。
今。どんな化け物が相手でも立ち向かえる強さがなければ……。
「……」
エレオノーアは、首から下げたロケットを強く握りしめた。
どんなに辛い鍛錬でも、この存在を感じるだけで力が湧いてくるような気がする。物音しない静かな寝室で最高品質のベッドに横たわるより、余程エレオノーアの心を和らげてくれる。
何故ならこのロケットの中には、大切な彼の形見が残っているのだから。
「あれ、皇女様じゃん?何やってんのこんな所で」
エレオノーアの至福の時を邪魔する、軽薄な声が耳に飛び込んできて僅かに眉が吊り上がった。
「……お初にお目にかかります。ホーンブレイブ竜騎士団“副団長”。レイヴリー殿」
「ちょ、やめてよ〜。皇女様に頭なんか下げさせちゃったら、僕の頭なんか地面にめり込ませなきゃいけなくなるじゃん」
そこに立っていたのは、先日“遠征隊”を率いて帰還した男。副団長レイヴリーだった。
「でもちょーど良かった。皇女様に提案があったんだよね」
そう言うと、レイヴリーは徐にエレオノーアに近づき、肩に手をポンと置いた。
「……」
「僕、皇女様のこと気に入ってるんだよねー。是非お近づきになりたいなぁ……なーんて!」
軽薄な声。軟派な仕草。ひょこひょことした足取り。着崩した制服。そして何より無遠慮に体に触ってくる節操のなさ。この男はまるで猿のようだ。そもそもいくら副団長という身分であるとはいえ、皇族であるエレオノーアに対してあまりにも不遜な態度。
全てが気に入らない。このロケットの中に入っている布の繊維を一本でも飲ませてやれば、少しは素行も改まるだろうか。
(いえ、こんな男にケイの肩身をほんの少しでも分けてあげる義理はないわね)
「お戯れを。副団長殿。私はただの一生徒でしかありません」
「強くなりたいんでしょ?」
肩に置かれたレイヴリーの手を丁寧に、その上で強く握り締めて引き剥がすと、レイヴリーは耳元で囁くように言った。
「強くなりたいなら、僕と一緒に訓練してみない?」
見上げると、レイヴリーはにんまりと笑顔を浮かべていた。
(……最悪ね)
エレオノーアは、自分が面倒な男に目をつけられたことをここに至って理解した。
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