第18話 ディー
「ははは……」
ずるずるずる……と何かを引きずるような無機質な音だけが長い廊下を渡り歩く。
「なぁ……聞いてくれよ……」
そこに、嘲笑混じりの笑い声に乗った独白が乗って虚しく響く。
「俺はあの日、“塔”から出たんだ……そして見た。あの、閃光を。あの祭りを……」
男は“祭り師”と呼ばれていた。いや、あの日からそう呼ばれるようになったのだ。
「塔は……竜に襲われて倒壊した。その竜は今、行方不明になってる……わかるだろ?」
男は引きずられながら、閉ざされた真っ暗な視界の中で遠い日の記憶に消えた一人の少年に語りかけていた。
かつて、自身を“悪夢”から救い出してくれた一人の少年に。
「俺もあの時いたんだよ。あの塔に……あの、地獄に……」
祭り師にとって、その少年はもはや過去の記憶のはずだった。まだ色々なことに取り返しがついた頃の……美しい思い出なのだと。
「ははは……」
ずるずる、と祭り師を引きずるのは姿が見えない“透明な誰か”だった。
「確かに俺は死んだよ。だけど生き返ったんだ……皮肉にも実験が成功したおかげでな……」
男の脳裏に浮かぶのは、段々と痩せこけて髪が白く、目が赤く染まっていく“友人”の姿。だが彼が最期に共にいるのを選んだのは一人の少女だった。
あの、竜を深く恨む少女だ。
「“ディー”だ……覚えてるか……?」
『知らん』
返事を期待していなかった問いに“答え”が返ってきた。
「あぁ、そうか。あのフロナってガキも……お前の差し金だな?おかしいと思ったんだ……なんでこんなガキが俺の存在にたどり着くんだって」
“彼”は何も答えなかった。しかし彼がそうだとすれば全ての出来事に納得がいく。
この男が、全ての“黒幕”。
「いや……違うか……?」
そもそもこの物語に、諸悪の根源などいるのだろうか?
結局の所、人間の欲や業というのは果てしなく、際限がないものだ。もしかしたら“竜”でさえ、その犠牲なのでは……?
「……どうでもいいな」
祭り師は……ディーはあの日から、“聖竜教”の狗になった。
教祖が変わって、首輪が外れてからはあの日見た“祭り”の再現に命を費やしてきた。あるいは……あの光景を、亡き友に見せたかったのかもしれない。
しかし全ては無意味なことだった。ディーの為そうとしたことも、恨みも、手向けも、全部が全部から回ってディーは薄っぺらい悪党に堕ちた。
復讐も為せず、目標もなくなり、友人は自分のことなんか見ちゃいなかった。
最後に残った感情はたった一つだけ。
「なぁ……この世界が、憎いだろ……?」
やり場のない、空虚な憎悪だけだ。
「ケイ……」
……
…………。
この世界が憎いかどうか、か。
……まぁ。
『私の人生を狂わせた世界ではあるかな』
◆
「……火が収まったぞ」
西の空に見える火の手が消えていき、空は闇色に包まれていく。
「あぁ、きっと殿下がやってくださったんだ……」
「いやぁ……あの人は割と抜けてる所あるからなぁ」
「どっちでもいいさ。なんにせよ……」
カルヴァンに仕え、彼を送り届けた臣下達は今、地面の上に倒れ伏していた。
「我々が見る最期の景色にふさわしい」
その周囲を囲むのは無数の竜だ。
「俺、今だから言うんだけどさ……」
「おう。なんでも言え。今のうちにな」
「ぶっちゃけ、アレクロッド様より殿下の方を嫁にもらいたいんだよな」
「うお……マジか。確か嫁いただろお前」
「いやさ、別にあいつのことが嫌いってわけじゃないんだよ。ただ、あいつに話せないことも殿下になら話せたりするからさ。マジで嫁に欲しいんだよな」
「ははは。言え言え。どうせこの先待ってるのは墓だけだ」
「ユジン。学生の時、いきなり彼女に振られたって言ってただろ?あれ俺と寝たせいだわ」
「は?」
「あと財布盗まれたって言ってたろ?あれも俺」
「お前だけは殺す」
「もう死ぬっての」
「死ぬ前に俺が殺す」
死を前にして、地面の上で空を眺める彼らの間には和やかな会話が流れる。
友人に首を絞められながら、竜騎士である一人の男は空を眺め“星が綺麗だ”と感じた。
終わりが近づいているからこそ、その星の煌めきはまるでいつにも増して輝いているように感じて……。
「……ん?」
いや。
気のせいではなく、光っている。
「おい、あれ……」
仲間の一人が指差した先に……小さな影が浮かんでいる。竜ではない。それはもっと小さな影だ。そう、まるで人のような……。
「──なぁんだ君たち。全員生き残ってんの?」
その影から“声”が発せられた。
「すごいね。ぶっちゃけ戦闘員は全滅してるかなって予想してたけど……案外うちの竜騎士団は屈強らしい」
“影”は、空から迫り来る竜との間で静止すると、まるで夜の闇に溶けるようにその衣を脱ぎ去って、中から人影が現れた。
「──副団長殿!?」
「ごめんねー、遅れちゃって。“遠征隊”、戻ってきたよ」
影の中から現れた彼がその手に持っているのは、身の丈ほどもある巨大な“鋤”だった。西の国では“スコップ”とも呼ばれるそれを振り回わすと、刃先から黒い泥のようなものが溢れ出す。
「“泥々“」
泥は男が持つ鋤の動きに合わせて、まるで意思を持ったかのようにうねり、飛散した。
「──!!」
「───」
打ち出された泥は、まるで金属の光沢のような輝きを持って竜の体を貫いた。
何より驚異的なのは……。
「す、すごい……」
その泥が、悉く正確に“竜玉”を撃ち抜いていたことだ。
「これが……ホーンブレイブ竜騎士団“副団長”」
振り向いたその男は、肩にスコップを担いで地面に落ちていく竜を退屈そうに眺めていた。
「”黒塗り“レイブリー……!」
残った竜も、駆けつけた竜騎士団の“本隊”によって討ち取られていく。
「いやー、思ったより酷い事態にはなってないみたいで良かった良かった」
「なにが良かったんですか。だからもっとスケジュールに余裕を持つべきだとあれほど……!」
堕ちていく竜を眺めて、レイブリーは得心気に頷く。そんな彼に、頭上から凛とした叱り声が降り注いだ。
「おぉっと、面倒くさい奴に見つかった。んじゃな、君たち!治療は“彼ら”がやってくれるよ」
「あっ、待ちなさい!」
レイブリーが鋤を一振りし、その身に泥を纏う。すると次の瞬間泥は地面に溶け、その場には誰もいなくなっていた。
「あの男……っ!……はぁ。とりあえず皆さん。お疲れ様でした。私たちが到着するまでよく持ち堪えてくれましたね。今、救助隊を……って」
その場に降り立った総髪の女竜騎士が、怪訝な顔をして首を捻る。
「どういう状況ですか……?」
そこには、瀕死の重症を負いながら仲間割れする竜騎士達の姿があった。
◆
その後の顛末を語るなら、まずこの戦いにおいて学園側の死者数は結果的に0人に抑えられたことが、奇跡的な快挙として防衛戦に参加した全ての竜騎士に賞与が送られた。
また、突然学園内に出現した“祭り師”を名乗るテロリストを、学生の身分でありながら独自の判断で迎撃し、撤退させた二人の生徒……エレオノーアとアレクロッドには竜騎士団から正式に感謝状が出され、二人は“若き英雄”としてその名を知られることになる。
そしてその二人を守り、竜騎士としての使命を全うしたカルヴァン王子にも勲章が授与された。
竜騎士という身分でない学生が生徒に参加した事実や、独自の判断で防衛戦から離脱したカルヴァンの判断を責める声はあれど……それは大多数の賛美の声により掻き消される形となった。
「……」
だが、当の本人達はこの結果に何一つ納得していなかった。
彼らは目の前で行われた規格外の戦いを、ただ見ていることしかできなかったのだから。
「……“翡翠の竜”」
戦いが終わると、翡翠の竜は“紅玉の竜”の竜玉と祭り師を連れ去って空へと消えた。
翡翠の竜が何故カルヴァン達を救うような素振りを見せたのか。何故紅玉の竜と戦ったのか。どこから現れたのか。何故あれほどまでに強いのか。
全ては謎のままだった。
「兄さん。思うんだけど……」
「なんだ」
アレクロッドは、初めて見た“災厄”と称される存在に対する自分の率直な思いを兄に打ち明けた。
「本当に、あれって“竜”なのかな」
竜とは知性がなく、人を襲う化け物である。それはこの世界の誰もが知っている常識で……それでも。
「……そうに決まっているでしょう」
自分は竜という存在に対して、未だ何も知らないのではないかと思わずにはいられなかった。
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