第8話 辻お世話竜

ホーンブレイブ士官学校。

長く続く歴史と、将来有望な竜騎士を多数輩出してきた名門校。


「……わぁ」


噂には聞いていたけど、こうして当たり前のように頭上を竜が飛んでいく光景を見て初めて実感した。本当に入学したのだと。


「何ボサっと突っ立ってんだよ、ロッド」

「兄さん……ごめん。感動しちゃって」

「んなもんいちいち感動してたらキリねぇぞ。お前はこれからアレになるんだからな」

「うん。そうだよね」


僕……アレクロッドは、呆れたように肩をすくめるカルヴァン兄さんの背中を憧れと共に眺めていた。


「兄さん、大丈夫?持とうか?」

「いーっつの。これくらい。女じゃああるまいし」

「でも、片腕だけじゃ……」

「いいっつってんだろ。お前はむしろ自分の心配をしろ」


兄さんは右腕に大量の教本を抱えていた。左腕は簡素なシャツの袖がだらんと垂れ下がり、風に揺られている。右目には眼帯を嵌め、残った左目だけが鬱陶しげに細められている。


兄さんは5年前左腕と右目を喪った。僕を逃すために。


「……」


今でも思い出す。突如として城を襲った黒竜と、瞬時に武器を取って戦った兄の勇姿。足がすくんで動けなかった僕とは何もかも次元の異なる所にいた兄が、あの日を境に戦場から身を引いた……“戦鬼”と称えられ英雄は5年前に一度死んだ。


殺したのは竜か?……違う、僕だ。


僕が弱かったからカルヴァン兄さんは……。


「お前、まさかまた俺の怪我のこと考えてんじゃねぇだろうな」

「!? い、いや……」

「何度も言ったはずだ。俺が負傷したのも、お前を逃すことしかできなかったのも、結局黒竜を仕留め損なったのも……全部俺が弱かったからだってな」

「ち、違う!兄さんは弱くない!僕が……足手纏いだったから……」

「ロッド。お前があの場にいようがいなかろうが、俺はあの怪物に勝てなかった。結果は同じだ」


……カルヴァン兄さんは口調こそ荒々しいが、誰よりも優しい人だ。


だからこそ、兄さんに気を遣わせてしまう自分が情けない。


「お前にうじうじ悩まれるたび、俺が惨めになるんだ。俺に恥かかせんじゃねぇよ。バカ弟」

「……うん、ごめん」

「大体お前なぁ。聞いたぞ入学試験の結果」


兄さんは振り向いて、苛立たしげに口の端を歪めて言った。


「次席合格。99点だと?てめぇそのナリでちゃっかり結果出してんじゃねぇか」

「ま、まぁ……でも勉強すれば誰でもこのくらい……」

「言っとくが俺の入学試験の結果は最高だったぞ。なんせ“見習い”クラスに補欠合格だからな。すげぇだろ」

「うん。流石だよ、兄さん」

「……」


そう言った瞬間、カルヴァン兄さんが顔を手で覆ってしまった。


……どうしたんだろう?


「はぁ……ともかくだ。お前は俺が守るだけの価値があった男で、実際お前は生き延びた。それで充分だろうが」

「……うん。それはそうだね」

「生き延びた理由もまた“竜”ってのが、気に入らねぇがな」


兄さんがそう言って、険しい顔つきになった。


「“翡翠の竜”……本当に会ったんだよね?兄さん」

「あぁ、間違いねぇ。あいつでしかあり得ねぇ」


普段は達観していて、感情を表に出すことは少ない兄さんだけど……“翡翠の竜”。その単語にだけは強く反応して、怒りの感情を露わにする。


「あん時に殺していれば……」


“翡翠の竜”。


それは、世界中に存在するありとあらゆる竜の中でも最も危険とされる“五天災”の竜達に数えられる一匹だ。


非常に凶暴な性質を持っていることで知られており、出没頻度もほぼ伝説と化している他四匹に比べて最も高い。人里に竜が出没するとどこからともなく現れ、まず竜を殺してからその場の人間や動物をも皆殺しにするという見境いのない虐殺。“翡翠の竜”が降り立った土地は建物も自然も壊滅的な被害に晒され、後には何も残らないという。


「兄さんはすごいね。あの“翡翠の竜”に会って生き延びるなんて……」

「気まぐれだかなんだか知らねぇが、あの時は俺たちを襲って来なかったからな……ここ5年の被害を思えば、あの時俺が命を引き換えにしてでも刺し違えるべきだった」

「やめてよ。縁起でもない……」


“翡翠の竜”がなぜ兄さんを襲わなかったかはわからないけど、きっとそれは神様が兄さんを生かしてくれた結果だと僕は思う。

もしその場で戦いになっていれば、兄さんは間違いなく今より酷い怪我を負っていた……いや、それどころか……。


「おい見ろ。“氷帝”だ……」

「うお、すっげぇ美人……」


思考の沼に沈みそうになった僕の耳に、聞き馴染み深い単語が飛び込んできて思わず顔を上げた。

見ると、数名の男子生徒達がテラス席に座っている一人の女子生徒を遠巻きに眺めて盛り上がっているようだ。


「……エレオノーア様」


そこに座っていたのは、陽の光を受けて煌めく銀髪を背中に流し、空色の瞳は物憂げに空へと向けられ、その所作一つ一つがまるで絵画の中の女神様のように優雅さと気品に満ちた女性。

ヴェルドラ帝国第一皇女。今回の入学試験の主席合格者にして稀代の天才と称され、そして大が付くほどの“毒舌家”としても知られる“氷帝”。エレオノーア様だった。


「……いやお前。他国の姫さんを“様”付けすんなよ」

「え、あ、ごめん。つい……」

「まぁ、確かにあの傲慢な振る舞いは“様”付けで呼びたくなるのもわかるけどな」


それを兄さんが言うのか……とか思っちゃいけないんだと思う。


だって、実際エレオノーアさ……エレオノーア、さんがとても我が強い人だとわかる光景が目の前に繰り広げられていたのだから。


「良い紅茶ですね。これはベルモンドでしょうか。僕も好きなんですよ」

「エレオノーア様。俺ならここよりもっといい景色を知ってますよ?」

「ふん、おもしれー女だな。おい、おれが結婚してやるよ。ありがたく思いな」


「退いてくださる?あなた達を視界に入れるくらいなら地面でも眺めていた方がマシだわ」


テラス席に座って紅茶を飲むエレオノーア様に詰め寄るのは、実に綺麗に着飾った各強国の王子たち。しかし本来丁寧に対応しなければならない彼らをエレオノーアさんは一刀両断していた。


「なるほど。確かに“氷帝”……!」

「いやあれは男共がバカなだけだろ」


兄さんの鋭い指摘が飛び、王子達はトボトボと肩を落として帰っていく……あっ、違う。別の女の人を口説き始めた。すごいなぁ、折れないなぁ。僕も見習いたい。


……と、その時。


──。


「……あれ、兄さん。今なんか、風吹かなかった?」

「あぁ?風?そりゃ吹くだろ。普通」

「いや、そういうことじゃなくて……うーん」


僕は首を捻った。

おかしいな。突風に近いものが、今吹いた気がしたんだけど……。


──ついでに、見間違いじゃなければ三角頭巾を被って床を箒で掃き掃除する人の残像が見えた気がしたんだけど。


……気のせいか、流石に。


「馬鹿なこと言ってねぇで、行くぞロッド。試験が終わったからって気ぃぬくな。ここからが本番なんだからよ」

「あ、待って!兄さん!」


僕は歩き出した兄さんを負って慌てて走り出した。


正体不明の風のことは、そのまますぐに忘れてしまった。



「うわぁ!!」

「え?何?」

「いや、なんか今……すげぇ勢いで風が……!!」

「風……?全然吹いてないよ?」

「い、いや。ただの風じゃなくて……なんかめちゃくちゃ床をブラシで擦ってたような……」

「はぁ?何言って……って、何これ!?眩しい!」

「ゆ、床が……光ってる……!?」

「うぎゃあ!失明する〜!?」

「おい!こっちは床がツルツルすぎてコケそうだ!!」

「ウワーッ!!剣の切れ味が鋭すぎて鞘が切れた!!」

「餌係誰だ!?騎乗竜が元気すぎて創作ダンス踊ってるぞ!!」

「おい誰だよ通りすがりに俺のムダ毛処理した奴!!」

「え!?今校舎に向かって正座して祈ってた人誰!?」

「あの、すいません!白髪で赤い目をした男の子見ませんでした!?掃除中に急にいなくなって……!!」

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