第2話 皇女エレオノーア

私はエレオノーア。ヴェルドラ帝国の皇女。


その日、私は従者を従えて城下町へと繰り出していた。


街を散策している時、私は不意に大通りから逸れた裏路地のどこか怪しくて探究心を探る魅力に当てられ、引き寄せられるようにそこに向かった。


「おっ、なんだやけに身なりがいいガキじゃねぇか。貴族か?」


そして、あっけなく捕まり、本物の恐怖というものを体験した。


腕と足を縛られ、口は塞がれ、恐怖のあまり身体中がガタガタと震えて何も考えられなくなった。城内で蝶よ花よと愛でられて育った私は、外の世界についてあまりにも無知だった。

お父様にもお母様にも、口をすっぱくして「外は危ない場所」と教わって来たのに、私には“危ない場所”というものがどんな意味なのかまるでわかっていなかった。

せいぜいが道が悪くて転びやすく、迷子になってしまいやすい場所……という程度の考えしか持っていなかった。


本来、子供がか多くの経験と知識により学んでいくはずのその事実を知る前に、私は最初の一歩で最悪の事態に陥ってしまったのだ。


怖い。痛い。苦しい。死にたくない。恐い。


運ばれる中、絶望に支配されていた私は……あの日、馬車の中で。


ケイという少年に出会った。


彼は最初、私の顔を見た瞬間心底驚いたような顔をして……その次に、くしゃりと今にも泣き出しそうな笑顔になって言った。


「初めまして」と。


……思えば彼はあの時、なぜあんな顔をしたのかしら?


ケイは最初に、自分の名前の由来を教えてくれた。最初は“エー”という名前の少女から始まって、11番目だから“ケイ”なのだそう。


なんの11番目なのか。そしてそのエーという少女はどうなったのか?私は彼に聞いたけど、詳しくは教えてくれなかった。ただ一言「もうここにはいない」と、そう言ったのだった。


そうしてケイは、懐に隠し持っていたナイフと針金であっという間に私と自分との拘束を解いて、二人で脱出した。

ケイに手を引かれ、高速で走る馬車の上から飛び降りたあの瞬間……ケイの心底楽しそうな横顔を見て、私は胸が大きく高鳴って、そして自覚した。



これが恋なのだと。



そうして逃げ出した私たちだけど、結局大人というのは賢いもので、またすぐに捕まって引き戻されてしまった。


「失敗しちゃった〜」と落ち込むケイの横顔が、とても可愛い。


だけど意外なことに、私たちを引き戻した大人たちは今度は私たちを乱暴に扱うようなことはしなくなった。

ケイがその場に現れた黒ローブの怪しい大人に何かを言うと、その人が私たちを捕らえた野蛮そうな人たちに命令して彼らはへこへこと頭を下げながら撤退していったのだ。


すごいわ。ケイは私と同じくらいの歳に見えるのに、大人と会話できるくらい頭がいいみたい。


そして黒ローブの大人は私に対して「大変な粗相をいたしました」と謝ってくると、揺れの少ない高級な馬車で本来移送させられるはずだった場所とは違う場所に連れていかれてしまった。


「家には帰れないの?」と聞いたら「少々面倒な段取りが必要でして」と言ってしばらく家には帰れないことを告げられた。

残念だけど、この人は物腰丁寧であまり悪い人じゃなさそうだし、ケイもいてくれるからきっと大丈夫だわ。


辿り着いたのは、小さな教会だった。


どの宗派のものなのかと聞くと「過去の遺物」だと言われた。よくわからないけど、寂れた街の片隅の、今はあまり人もいない教会みたい。

だけど寂しい外観に反して中は綺麗だった。それなりの数の信徒が出入りしていて、祈りを捧げている。だけどどの神を信仰しているのかは相変わらずわからなかった。


私とケイは、しばらくその教会の一室で過ごすことになった。



ケイは私に様々なことを教えてくれた。


家事に数学。買い物の仕方や料理まで。


私と同じか、少し年下くらいに見えるのに、ケイは本当にたくさんのことを知っていた。私はケイに習った様々なことを実践して暮らしていく。

部屋に家庭教師を呼んでする座学とは違ってものすごく楽しい。自分の出来ることが日に日に増えていく感覚がたまらない。ケイの教え方もわかりやすくて、すごく親切。


ケイは男の子だけど、他の男の子と違って乱暴なことはしないし、とても大人っぽいし、かっこいいし、頭もいいし、なにより……とっても優しい。

まるで本の中から出てきた英雄と呼ばれる竜騎士様みたい。きっとケイが竜騎士になれば、世界一かっこいい竜騎士になると思う。


そして私は皇女だから、悪い人たちに攫われてしまった私を竜騎士になったケイが助けてくれたりして……そのまま、結婚してしまうようなこともあるのかも……結婚となれば、お父様とお母様が毎日夜になったらやっているようなこともすることに……!?


(や、やだっ。私、上手くできるのかしら……。でもケイは優しそうだから、そんなに痛くはないのかも……?そもそもケイは私の体で満足してくれるのかしら……うぅ……)


「ノア?どうしたの?」

「ひゃっ!?」


考え事をしていたら、目の前にケイの不思議そうな顔が迫っていて、私は思わず飛び上がってしまった。


「……顔、真っ赤だよ?」


ケイに指摘されて、尚更顔が耳まで真っ赤になる。


「し、知らない!」


私はぷいっとそっぽを向いてケイの顔を見ないようにした。

そうしないと、自分が考えていたことが全てケイに見透かされてしまうような気がした。


私は本が好きだった。座学は嫌いだけど、自主的に好きな本を読んで過ごしているのはケイと出会う前までの一番の娯楽だった。

そしてそんな中で出会った一冊の本は、最近街で流行っているという竜騎士と姫の恋愛物語だった。

しかもその内容は少々過激で、子供のエレオノーアが見るには刺激が強い内容となっていた。しかし逆にそれがエレオノーアの知的好奇心を刺激して、物語にのめり込むようになって行った。


結果、エレオノーアはこの年齢の割にはマセた子供に成長していた。


(……私、淫らな子だわ)


エレオノーアはその時、初めてて劣等感を抱いた。


座学も習い事も、楽しくはなかったけどそつなくこなせたエレオノーアは皇女の模範として幼くして高く評価されていた。それこそ周りに自分に並び立つ子供がいなかった程に。


自分は天才だと周囲に言われて育ち、自身もそう信じて生きてきた。だけど現実にはもっとすごいケイのような人がいた。なのに私はそれに追いつこうと努力するどころか、彼に対して劣情を抱くような浅ましい人間だった。


ケイはきっとこんな私に幻滅するだろう。いつも彼の前では強気に振る舞っている自分が、煩悩に満ちた妄想に耽ってしまうような残念な子供だと知られたら。


(ケイに……嫌われてしまうわ……)


そんなこと、絶対に嫌だった。


こんなんじゃダメだ。ケイの隣に並び立てるような女にならなきゃいけない。そのためには沢山勉強をして、ケイに抱いてしまう邪な気持ちも封印しないと……。


「……」


チラリとケイを覗き見ると、普段の優しそうな顔とは一転して非常に真面目な顔で部屋に置いてあった難しそうな本を読んでいた。


(う、うぅ……かっこいいよぉ……)


ケイに不純な思いを抱かない。と決めたはいいものの……それを成し遂げるには多くの時間が必要となりそうだった。



そんなある日のこと。


私は厨房で、我ながら会心の出来と評価できるケイから教わった「ニクジャガ」なる料理を作っていると……。


───!!!


「……え?」


びりびりびり、と空間全体が震えるような衝撃。

お膳立てしてあったケイとお揃いのお皿がパリンと割れる。身を寄せ合って二人で読んだ竜騎士物語が棚から落ちて、白い破片が表紙に傷をつける。


「なんなの、この、声……?」


最初は衝撃だと感じたそれが、ただの音の衝撃ではなく“声”だと気づいたのはそれが何度も繰り返されたからだ。

声だとすれば、一体どれほど凶暴な獣の鳴き声なのだろうか。南西から聞こえる咆哮は、果たしてケイにも聞こえているのだろうか……。


「……待って」


南西?


そこにあったのは確か、ケイがたびたび訪れる石の塔で、今日もケイはあそこに向かったはず──。


「ッ!!」


そのことに思い至った瞬間、私は家を飛び出した。


「……あれは」


まず目に映ったのは、南西に建つ塔……いや、かつては塔だったそれはすでに半壊し、本来の高さの半分ほどまで全長を縮めている。そして……。


「竜……!?」


崩れた塔の天辺に、大きく翼を広げて咆哮するその存在……“竜”が立っていたのを見た。

エレオノーアが竜を見たのはこれが初めてのことだ。だがそれでも一目見た瞬間それが竜であるとわかる程にその存在感は異質で、かつ圧倒的だった。


だけど今は、初めて目にして竜すら些事に感じるほどエレオノーアは切羽詰まっていた。


「……ケイ!?ケイ!どこ!!」


家から飛び出て、崩れた塔に近づいて声をめいっぱい張り上げる。

今はとにかく彼の声を聞いて安心したかった。ニクジャガは冷めてしまうかもしれないけど、また別の料理を作って、それを二人で食べて、美味しいって言ってくれるケイの笑顔を見れば私はなんでも出来て──。


だから。


「……ケイ?」


白い布切れが、私の目に入った。


「これ、ケイの……」


ケイはいつも、白い服を着ていた。その布切れは、ケイが着ていた服に入っていた模様と同じものに見えて。


だけど、何故か赤く濡れていて。


「……」


視線を、赤い液体が流れ出るその先にへと、ゆっくりと向けていく。


「嘘……」


そうして、赤に導かれた先にあったのは。


そこにあったのは……


「ケ、イ」


真っ二つに裂けた、ケイの亡骸だった。


光が灯っていないケイの目と、私の目が合った。


「……ぁ」


ケイが死んだ。


竜に、殺された。


「嫌……」


視界がぐるぐると回る。

足元がぐらつき、奈落の底へと落ちていく。


何も見えなくなって、聞こえなくなって。


「……あああぁぁっ!?あああああぁぁぁ───!!」


世界は闇に閉ざされた。


……


…………。


そこから何があったのか、私はよく覚えていない。


だけど私はその後、ヴェルドラ帝国の皇城内にある庭の草地の上で気絶していた所を保護されたらしい。

誰がなんのために私をそこまで運んだのかはわからない。だけどその日の前日、住民たちは空に小さな影が飛んでいるのを目撃したと言う。


城に戻ってから数日間、私は一言も喋らず、顔は脳面のように表情が抜け落ちていた。


何も考えたくなかった。周囲から寄せられる慰めの声が、全ては的外れなものだった。


「よく帰って来てくれた」「お前はすごい」「次期皇帝として相応しい」「二度と危険な目には遭わせない」「平和に過ごしてほしい」


何を言っているのかさっぱりわからなかった。


私はこの世界で最低最悪のクズだ。畜生にも劣る役立たずだ。あの時、ケイが死んだあの場で死んでしまっていた方がずっとマシだった。

しばらくは死ぬことばかり考えていた。出来るだけケイの亡骸の側で死にたいと思っても、城の者は誰も外に出してはくれない。


愚図な私に出来るのは、あの日何があったのかを調べさせることだけだった。


そうして集めた情報で、一つの仮説が成り立った。


私を連れ去った黒ローブの彼らは“聖竜教”というかつて栄えた宗教団体の残党で、度々世界の各地に現れてはテロ行為を働く犯罪者集団であること。

そして聖竜教は、私とケイが連れて行かれたあの場所で“人体実験”を行っていたこと。


実験の具体的な内容はほとんどが消失していたが、その中に“人間を餌に竜を意図的に呼び寄せる”という実験の報告書があった。

唾棄すべき悪辣なその内容は、一人の子供をビーコンとして意図的に竜を呼び寄せるもので、これは実際に実用化されている段階にあるとのことだ。


……問題は、この実験に使われている人間を竜の“撒き餌”とする薬の製造法の一部が、竜騎士団が竜を使役する際に使用する薬品の製造法を模倣しているという記述。


竜騎士団はその薬品の製造法を秘匿しており、外に漏れ出たことなど歴史上一度もないことが調べがついた。


だというのに、聖竜教という犯罪組織にそれが漏れている。


ここから導き出されたある結論。


“竜騎士団”は“聖竜教”を極秘に支援しており、教会が行っている非人道的な研究の犠牲に、ケイが選ばれたという最悪の仮説。


(……思えばケイは、服で隠していたけど右腕に小さな注射痕が幾つもあったわ。そしてそれが日に日に増えていた)


今になって気づく、あの幸せな日々に隠されていた陰謀と真実。

気づかなかったが故に起きた惨劇。


……やっぱり私は、生きる価値のないクズだ。


だけどクズなりに、今の私にもやるべきことが見つかった。


「……ケイ。見ててね」


あの日から10年。


17歳となった私は今日、ホーンブレイブ士官学校に入学する。


表向きは竜騎士を志す一人の若者として、その裏で、聖竜教と竜騎士との繋がりを探る密偵として。


全てはあの日喪われた最愛の人への手向け。


私とケイが一緒にいた年月は、たった1年にも満たない短いものだった。

だけど、その僅か一年で起きた出来事の決着のために、私は残りの人生全てを捧げると決めた。


「あなたを殺した奴らを、私が皆殺しにしてあげるから」


この世界からケイを奪った竜も、竜騎士も、聖竜教も一匹残らず駆逐する。


私がこの手で。

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