第3話 新たな職場
ミヤグニ国トキノ地方は、商工を中心として発展した、商業都市である。人口はミヤグニ国の中で5番目の約100万人だが、そのほとんどは海辺の開発された街に住んでいる。少数ではあるが、ミヤグニ国で最も険しいトキノ山脈の麓や山岳部にいくつかの集落があるのと、広大な畑が広がる平野部にも農業を営む人たちがいた。有名な観光地は少ないが、ミヤグニ国の海の玄関として、大変に立派で整備された港があり、ミヤグニ国随一の貿易街として名を馳せている。人口や仕事が多いということは、当然、その分だけ、トキノ地方所の仕事は膨大かつ多岐にわたる。
暇である。
選挙管理委員会への異動初日から何となく感じていたことではあったが、さすがに1か月以上、状況が変わらないことに、リンは戸惑いを隠せなかった。
「ええっと、朝礼を始めます。連絡事項はありますか?」
始業とともに始まった朝礼には、12人の職員のうち、たった半分しか出席していない。
「何もないですかね?なければ、朝礼を終わります」
当番のユーリがそう言うと、皆、思い思いに行動を始める。お茶を入れる者、それほど溜まっているとは思えない書類を丁寧にチェックする者、隣の席の者と談笑する者。前の部署では考えられないほどに、のんびりとした空気が流れている。
「リンはさあ、休まないの?4月ももう終わりだよ、休まなくていいの?」
同期のユーリが不思議そうにリンに尋ねた。リンは、選挙管理委員会に異動になるまでユーリとは面識が無かったが、ユーリの業務の後釜がリンであることに加え、同い年で同期だったこともあり、すっかりユーリとも打ち解けていた。
「え、だって、仕事とか、勉強とかあるじゃない」
「休めるときに思いっきり休んどくんだよ。ひとたび選挙が始まったら、家に帰れないからねえ。私は去年、休みすぎで今年は控えないといけないんだけど」
「それが分からないのよ。だって、こんなにのんびりしているのに、そんなに忙しくなるなんて……」
リンは正直な感想を口にした。
「うんうん、分かるよお。私も最初にここ来た時は天国じゃないかって思ったもん。ま、選管はね、選挙始まらないと何もできないところだから。しょうがないんだけどね」
「仕事が無いのは私だけなのかな?」
リンの素朴な疑問に、ユーリは首を横に振る。
「みんなそうだよ」
ユーリは机から仕事の割り振り表を引っ張り出した。表には選挙管理委員会のメンバーの氏名と、聞きなじみのない業務名が羅列している。
「ここに書いている業務で、選挙以外でやる仕事は、常時啓発っていう業務だけだね」
「選挙以外の啓発活動ってこと?」
「そうそう、皆さん投票に来てください、って宣伝する仕事。今度、小学校に模擬投票の授業をしに行くでしょ。それの準備とかがまさにそうだよね。担当は……トリトンさんだね」
トリトンと呼ばれた小太りの中年の男性は、机の上の書類をじっくりと凝視していた。何か考え事をしているようだった。
「トリトンさんって、すごく物静かだよね。私まだ、あんまり話してないから、どんな人なんだろ」
リンがそう言うと、ユーリも首を縦にふる。
「私もそんなに話す機会は無かったけど、根は良い人だよ。ただただ寡黙なだけ」
「なるほど……で、それ以外の仕事は?」
「今の選挙管理委員会のメインの仕事はそれだけよ」
「……これだけ?小学校に行って、いくつか道具を持って行って、1時間の授業して……終わり?」
ユーリの言葉に、リンは拍子抜けした。
「そういうところなんだって、ここは」
にかっとユーリは笑みを浮かべた。
「今はね、この静かで穏やかな時間を楽しむんだよ。じゃないと、もったいないよ?」
「そうなの……私はまだ、前の部署の忙しさが抜け切れてないみたいで、何となく休み難いんだけれど」
「税務管理課だっけ?確かにあそこは忙しそうだよね。あと、その中でもリンちゃんは一生懸命だったって、有名だったみたいよ? まあまあ、だからと言う訳じゃないけど、今年は予定された選挙もないし、長めの休みと思ってのんびりしたらいいんじゃないかな」
「そうなのかなあ……」
「そうよ、まあ、突然、大衆議員解散総選挙があれば話は変わってくるけど、去年、大衆議員総選挙はやったばかりだし、今の首相は支持率もそこそこだから、今年は安泰よ、きっと!」
何が安泰か、リンにはいまいち実感することが出来なかったが、ユーリの弾けるような笑顔を見て、リンは、大した仕事もせず、お給金を一人前にもらっていることへの罪悪感をぐっと胸の奥に押し込み、ここの仕事はそういうものなのだ、と自分に言い聞かせるのだった。
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