4 黒い仮面


こうしてアルは同じ様な1日を過ごした。学校へ行く子供達を窓の外から眺め、家の中、もしくは庭で分厚い冒険小説を読む。ひとりぼっちで食事をする。味気のない生活。もう慣れたとはいえ、時々思わざるをえなかった。自分はどうして生まれてきたのだろうと。


 その時不意に、何か硬いものが床に落ちた音がした。目を向けると、祭りの前に人々に配られる黒い仮面があった。顔をあげて、昨夜閉め忘れた窓を見る。誰かが、誤ってアルの部屋に投げてしまったのだろうか。その状況はよくわからなかった。

 不思議な衝動に駆られる。まるで運命に突き動かされているかのような、強い強い衝動だった。自分の欲しいものが仮面に秘められているような気がした。気づくと仮面を手に取っていた。心臓がうるさい、震える手でゆっくりと顔に付けた。仮面はちょうどぴったりだった。黒が妖しくぎらりと光る。初めてアルの胸を掠めた感覚、それは企みだった。



 小鳥が繊細に歌う。ウメの木がその重みでゆらりと揺れた。人々は森の中を昇っていく。木漏れ日が優しく彼らの肩に降りかかった。

 洞窟の中では儀式が執り行われようとしていた。赤毛と白毛の2頭の馬が祭壇の左右に立っている。洞窟の中に立ちこめる緊迫が、馬の髭を乾かす。村長のシュラが、祭壇の前に立った。祭壇の後ろで座る人々が、固唾を飲んで見守っている。シュラは体の小さな老人で、皆から信頼されていた。懐の深さに奢らないところも、人気が高い理由の一つだ。


両馬の外側の灯籠が、空間を仄かに照らしている。シュラは目を閉じ、息を吐いた。その背中には何十年も生を重ねてきた人間の威厳がたしかに見える。

すると彼の周囲を、小さな風が舞い始める。人々から驚きと感嘆の声が上がる。風はシュラの腕に乗ったり、空を自由に飛び回る。シュラが親友を見るような目で微笑むと、風はどこか楽しげに祭壇の中に入りこんでいく。風と仲良く遊べるのは、シュラの魔法の一つだ。



儀式が終了し、アルは素性がバレないうちに家に帰る、はずだった。

無事に神への祈りを終えたシュラが、急に振り向いたのだ。その顔はひどく青白く、冷や汗が浮かんでいた。

「ここに来てはならぬ」

シュラはぽつりと呟いた。仮面の少年はその時気づいた。シュラが恐怖の目で見ているのは自分だと。

「ここに、あなたが来てはならぬのだ」

シュラが震えながら身を引いた。そのことが人々を驚愕させ、それは恐れに変わり伝染していった。ざわめきは、じわじわと大きくなっていった。

その時、少年の右足が強く疼いた。あざのところだ。

何か、すごく嫌な予感がする。何かに、呑みこまれるかのような。

徐々に息ができなくなってきて、苦しさに、呻きが漏れた。側にいた女性が悲鳴を上げた。みんなが自分を見ている。黒いもやのような影がじわじわと少年を包み始めていた。


どうしても息ができなくて仮面に手をかける。今ここで仮面を外せばこの村の異形だと気付かれてしまう。しかし、一瞬の躊躇より体が限界を迎える方が早かった。少年は震える指先で仮面を払った。黒が少年をぐわっと包み込んだ。その様を見た人々はとうとう理由の知れない恐怖に支配され、我先にと洞窟の外へと逃げ始めた。

「アル?」

闇が少年の髪の先まで包み込むその直前、洞窟の隅で控えていたアステルは、少年のくるりと曲がった癖毛に気づいて、息子の名を呟く。

深い深い闇の大気が洞窟内に充満し始めていた。

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