3 息子と炎の狩人
アステルは息子の肩をぎゅっと引き寄せた。
「大丈夫か、アル。かわいそうに、怖い思いをしただろう」
アルは家に帰るまでの道を、ずっと俯いていた。
母親の胎内から地上へと産み落された赤ん坊は、みんな掌に小さな種を持っている。しかしアルにはどういうわけか、その種がなかったのだ。アルは自分の『器』を見たことがなかった。
二人は家の前までたどり着くと、また獣の声を聞いた。今度は子犬がアルの右の足首を睨んでいた。そこには目の形のあざがある。
眉を下げたアステルがドアを開けた。
「気にするな。お前は悪くない」
リビングに入る。親子は細長いテーブルを挟んで椅子に腰掛ける。しばらく沈黙が続いた。
「誰のことも気にするな。お前は何も悪くないのだから堂々としていればいい」
アルは不意に犬のことを思いだした。
「あの犬、まさか父さん・・・」
聞きたいような、聞きたくないような。
アステルは、ふふと笑う。アルを愛しそうに見て答えた。
「お前は優しい子だな。あんな目にあったのに犬の心配をするとは」
「だって、あの子たちもびっくりしてたよ」
「私が動物を殺すわけなかろう。大丈夫だ、明日にはピンピンしているさ」
アルはホッとして椅子にもたれた。時計を見る。午後5時だ。立ち上がった。そろそろ洗濯物を取り込み、夕食の準備に取り掛からねばならない。するとアステルも立ち上がり、ニコッと笑った。
「今夜ぐらいは私がやろう」
嬉しかったし、久々に父と過ごす夜を楽しみだとは思ったが、あえて平然と言った。
「父さん、やり方わかるの?服の畳み方は?野菜の切り方やレシピは?」
言い終わった後で少し意地悪だったかと思ったが、アステルは豪快に笑った。
「そうだな、確かにその通りだ!ならば二人でやろう。色々と教えてくれ、アル」
こうして親子は共に洗濯物の干してある庭へと向かった。
二人は料理中も食事中も笑いあいながら、楽しい夜を過ごした。
夜が開けて、アルは仕事に向かう父と朝食をとっていた。
「今晩は家に帰れない。留守番を頼んだぞ」
「そういえば、『豊祭』は明日だったね」
春真っ盛りのこの時期に、炎の村の一大イベント『豊祭』(ホウサイ)は執り行われる。
炎の村は縦に長い。要するに高地になっていて、カワセミの横顔のような形をしている。
下の方は森になっていて、真ん中の辺りに住地や市場が広がっている。そこから上がっていくと森が広がり、村長シュラの住む洞窟がある。カワセミの目のように入り口が開いた洞窟の、奥には広いスペースがある。その場所の祭壇が、豊祭では使われる。
『豊祭』とは、あらゆる恵みを神に祈る祭りである。昨年に感謝し、今年も日々を送れるように願う人々の思いを伝える行事だ。
「お前の分まで、祈っておくよ。お前が今年も良い日々を送れるように」
アルは黙って素直に頷き、何事もなかったかのように食事を再開した。アステルはテーブル越しに手を伸ばして、アルの肩を撫でた。
「苦労をかけてすまない」
少し口籠もる。
「炎の狩人の父親が、息子のために何もできないのが口惜しい。お前が自然に外を歩けるような居場所にしてみせる」
アルの中で、苛立ちが弾けた。
「無理だよ、そんなことできるわけない。『器』を持っていない人間なんて、今までいたことないじゃないか」
そう声を荒げた後で、自分にゾッとした。恐る恐る顔をあげると、アステルが深く傷ついた顔をしていた。
アルは拳を握って、食器を流し台に乱暴に置くと、庭へと逃げた。
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