2 炎の狩人

母親の胎内から地上へと産み落された赤ん坊は、みんな掌に小さな種を持っている。

種は本人の成長と共に色や形を変え、成人した頃には、本人の性格や信念を象徴した武器になる。

人々はそれを『器』と呼ぶ。

例えば心のまっすぐな優しい人間ならば、人を守るための立派な、大きな『器』になる。

また、自己中心的な、底意地の悪い人間ならば、邪悪な形をした、闇の様に黒い『器』となる、といわれている。


 アルは庭の中で、身を小さくして座っている。両手に分厚い書物がはみだしている。

あくびをかみ殺す。

 左耳のイヤリングに触れてみる。しっとりと冷たい感触だ。これはアルを産んで亡くなった母の形見だった。なぜか左耳しかない。

 風が茶色い髪を揺らす。前髪が左向きに曲がっているのも、後ろ髪が首筋のあたりで外側を向いているのも、今は亡き母の思かげだ。


 何やら外で犬の鳴き声がし始めた。子供の声も混じる。少しずつ近づいてくるようだ。妙に思った。

「誰だろう、父さんはいないのに」

本を閉じ、草の上に置く。くすくす、と笑う声に何か残酷なものを感じとってアルの体は震える。まずい、そう思った時には獰猛な犬が前に踊りでていた。凄まじい勢いで突進してくる。

「うわああぁぁ!?」

何が何だかわからないまま、アルは一目散に逃げだした。


炎の村の地面は黒い。空はガスが溜まっているみたいに濁っていて、白いもやがそこら中に溜まっている。時々、赤い火の粉が吹きだしている。


アルは汗を飛ばしながら必死で駆け続ける。市場を走っている間、人々は唖然とした表情でアルと狂犬を見ていた。だが、誰も助けてくれる者はいない。人々はアルの顔に気づくと、関わりたくなさそうに目を逸らしてしまう。

「助けてえええ!」

早くもばててきたアルの背中目がけて猛獣が飛びかかる。

 その時、すらりとした男が犬の真後ろに立った。彼は右手に大きな剣を持っている。

剣身が夕焼けのような炎に覆われている、とびきり美しい剣だった。

「は!」

彼が剣を一振りすると、犬は「きゃん」と鳴いて動かなくなる。

心配そうな目をした少年と少女が犬に駆け寄る。兄妹らしき二人は言い争いを始めた。

「だから止めようって言ったのに」

「うるさい!」

見物人がぞろぞろ集まってくる。アルは顔を真っ赤にした。そしてその背を、男がやさしくなでた。

「お前達、私の息子に何をしてくれたのかな?」

アルの父、アステルが、少年たちに微笑みかける。目は全く笑っていなかった。

 アステルは炎の村では有名すぎるほどの人物だった。トレードマークの口髭と、厳しそうな目は今日も自信ありげに輝いている。

 少年少女はそのアステルの剣幕に震え上がって押し黙ってしまう。

アルはアステルのそでを引いて言った。

「良いんだ、父さん。僕が悪いんだもの」

自分に言い聞かせる。

「僕が悪いんだ」

 その時、地鳴りが響いた。それは轟々とはげしい音をたて、連なる店に振動を伝えだした。人々が怯え、ざわめきだす。地面がぼこぼこと小さく隆起し始め、赤いマグマがうっすらと透けてみえ始める。

アルはアステルを見上げる。父は、全てわかっているというように大きく頷いて、右手で剣をキュッと握りしめた。

「みんな、離れていてくれ」

アステルは、自然と道を開ける人々に安心するよう告げながら、数歩歩いた。そこには、一層膨らんでいる地面があった。赤いマグマが透けていて、はちきれそうなほどだ。

「みんな下がったな」

アステルは剣を顔の前に掲げた。

静かに瞼を閉じる。すると剣の炎がだんだんと柔らかい色に変わっていく。


 次の瞬間炎がぼっと燃え上がった。それは激しく強く、それでいて世の中の全てをやさしく守っているかのような赤だった。

アステルはゆっくりと息を吐ききると剣を地面へと向ける。その切先を、そっと地面につけた。

「あなたを受け入れます。大地の恵みに感謝して」

炎が大地へと入りこんでいくと、膨れあがっていた地面が緩やかに落ちついていく。

人々は歓喜した。


アステルは、人々を天災から守る誇らしき『天災の狩人』の一人だ。この世には様々な災害がある。それは時として自然を、人を、生き物の生活を無邪気に壊していく。その恐れを取り除くために『天災の狩人』はいる。

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