第2話 弦音



「おじゃま‥‥します‥」



『おじゃましますって‥‥

 ごめんな‥‥ここ暑いだろ?

 道場はエアコンないから

 扇風機のそばに座ってて。』



「あ‥‥うん、ありがとうございます。」



あの後通された道場は言うほど暑くもなく、

風通しがここもいいのか

床はひんやりとしていて気持ちいいし、

なんだかとても神聖な場所な気がした。



ほんとに佐藤君一人なんだね‥‥‥。



見学して帰る予定が、

着いてきてしまって良かったのかな‥‥



邪魔にならないように

言われた場所に正座させてもらい

辺りをキョロキョロ見渡した。



佐藤くんが立て掛けられた

背丈よりも大きい弓を手に持ち

移動して大きく深呼吸をし始めると、

なんだか私にまで緊張が伝わった。



初めてこんな間近で弓道というものを

見るけれど、この緊張感は

きっとそれだけじゃない‥‥



感じたことないワクワク感もだけど、

目の前の佐藤君の一つひとつの美しい所作から

全く目が離せないのだ。





とても‥‥‥‥

とても綺麗だって思ってしまうほどに。




初めて目にした所作と

弓を引くその姿が綺麗すぎて、

異性なのに初めて美しいって

素直にそう思えた。




パァン!!



ドクン




矢が放たれた時に聞こえた音に

心臓が震え瞳がグッと開く‥‥



放たれた音に感動する間も無く

遠くにある小さな的にパンっと

気持ちいい音が響くのと同時に

真っ直ぐ綺麗に矢が刺さっているのが

分かった。



広い弓道場なのに、耳にいつまでも残る音に

体温でさえ上がった気がする



弓道って‥‥‥

こんなに素敵な世界だったんだ‥‥




放たれた矢と耳に残る音、

力強くも美しい佐藤くんの姿から

目が離せず感動すらしてしまう。




『どうかした?』




あまりの感動で見惚れていた私は、

いつのまにか弓を置いて目の前に

座り込んだ佐藤くんに驚いてしまう





一気に現実に戻された私は、

息を止めていたのか分からないけど

ふぅーっと深く呼吸した。




「‥‥‥綺麗だった。

 すごく一瞬で引き込まれて時間が

 止まったみたいで‥‥‥すごかった。」



『ハハッ‥‥まだまだだよ、俺なんか。

 でも朔にいいとこ見せたくて

 ちょっといつもより緊張した‥。

 片付けて着替えてくるから待ってて。』



何処か照れくさそうに綺麗な顔が笑ったので、

私もなんだか嬉しくなって微笑んだ。



あんな小さな的を目掛けて

真っ直ぐに矢が飛んでいくことに

心臓が跳ねるほどドクンと鳴り響いた。



それに‥‥‥‥



矢を放つときに耳に届いた

カァーンというあの音はなんだろう?



あの音もとても綺麗で

思い出すだけでもまた心が震える‥‥



昨日まで家で閉じこもっていたのに、

あの音で何かが割れるように壊れて

頭の中がクリアになるみたいな

不思議な気持ちにさせられる。



ガラッ



『お待たせ‥‥はい、これ。』



「えっ?あ、ありがとう‥‥お金払うよ。」



『‥いいよ、暑いから飲んで。それに、

 走り回して連れてきたの俺だから。』




大きな彼の手が私の頭を

くしゃっと撫でると、

優しく微笑んだ。



「ありがとう‥じゃあいただきます。」



『ん、じゃあ部室の鍵返した後

 校内案内するよ』



キャップをはずして飲むと、

冷たい飲み物が体に行き渡り

初めてそこで喉が

とても渇いていたことに気づいた。



弓道というものが凄過ぎて

そんなことすら忘れてしまうほどに‥‥




帰りは来た時とは違い

ゆっくりと歩きながら職員室へ向かい、

横に並びながら一緒に歩いている。



佐藤君‥‥袴姿も素敵だったけど、

制服だとまた全然印象変わる‥‥



ここの女子の制服はカッターシャツに

細い水色のリボン

スカートは明るめのグレーのプリーツだ。



冬になると男子も女子も

同じグレーのブレザーがある。



男子は、カッターシャツに

同じ明るめのグレーのスラックスと、

とてもシンプルだけど、

スタイルのいい佐藤君が着ると

それだけでカッコよく見える



「あの‥‥‥聞いてもいい?」


『ん‥‥なに?』



「さっき弓から矢が離れた時に

 聞こえたカァーンって音はなに?」



美しい弓を引く佐藤くんの姿が

さっきから何度も脳裏に蘇る



男の人のスポーツをする姿を見て

綺麗って思ったのも初めてだから、

知識のない私は弓道のことを

少しだけ知りたくなっていた。



『‥ああ、弦音のことかな‥

 綺麗に弓がひけた時に聞こえる音は

 特別綺麗なんだよな‥‥

 それが‥どうかした?』



「弦音‥‥。素敵な名前だね。

 なんかピストルとは全く違うんだけど、

 スタートを切るときのような緊張感がして

 なんか震えた‥‥。」



怖いような嬉しいような

なんとも言えない感情だけど、

今は何度も聞きたいなって思える




『失礼しました』



職員室に彼が鍵を返し終えた後、

明日からお世話になる教室棟へ

佐藤くんと歩いていた。



先生から二年三組と聞いていたから

そのことを伝えたら、

驚くことに佐藤くんと同じで

驚いて二人で笑ってしまう。



案内してもらえて良かったかも‥‥。



広すぎて一人だったら諦めて

帰ってたかもしれないし、

明日きっと迷子になってた可能性も高そう。




『いきなりだったけど、弓道見て

 喜んでもらえたなら良かった。』



「うん‥楽しかったし、

 佐藤くんの弓引く姿が素敵だったから

 見れて嬉しかったよ‥ありがとう。」



『佐藤君って‥‥俺、勝手に許可なく

 朔って呼んでるから、俺も葵でいいよ。』



「ん‥‥じゃあ‥葵君ありがとう。

 ‥葵くんのおかげで、今日沢山笑えた。

 明日から緊張するけど、

 ほんとに頑張れそうだよ。」



階段を二人で登り切ると、

歩いていた彼が急に立ち止まったので、

気になり横からそっと見上げる



『それ反則‥』


えっ?



整った葵君の顔が急に近づいて

驚いた私は、咄嗟に両手で肩を押した



ドクンドクンと鳴り響く音が

私の脳にまで届き、

触れた肩にまで一気に緊張が走る





『‥クス‥‥明日から危ないな‥‥』


「‥な、何が?」



『‥‥俺が‥かな。

 朔のことここに閉じ込めたくなった。』



ドキン



さっきよりも、もっともっと

心臓の音が速くなるなか、

更に近づく顔に俯くと

クスクスと笑い声が聞こえて来たので

慌てて顔を上げた。




『‥‥意地悪した‥‥朔の反応が可愛くて。

 行こっか、三組はここを左ね。』



「えっ?‥う、うん、左ね。」



ビックリした‥‥‥



そんな意識を全くしてなかったのに、

流石にあんな顔が触れそうな距離には

恥ずかしくなってしまう‥




『じゃあまた明日な。

 これから用事あって送れなくて悪い。』



「ううん、案内してくれて

 ほんとにありがとう。

 明日からよろしくお願いします。」



あんなことの後でも

何事もなかったかのように葵君は

教室やよく使う場所を

丁寧に案内してくれた。



‥‥夕方でも暑い八月末。

日差しの暑さだけじゃない‥



耳に鳴り響く弦音が

何度も心を震わせる



今日‥‥ほんとに楽しかったな‥‥‥



少しぬるくなったポカリを頬に寄せてから

ゆっくりと私も家に帰った。

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