花のワルツ
増田朋美
花のワルツ
久しぶりに雨が降って、やっと涼しくなれたかなと思われる日であった。もしかしたら長らく暑さに耐えていたご褒美なのかもしれない。
そんな中、杉ちゃんと蘭は、ショッピングモールで買い物をしていた。二人が買い物をし終えて、カフェでお茶を飲んでいた所、
「皆さんこんにちは、わたしたちは、邦楽器と西洋楽器を融合させたバンド、緑の木です。今日は、このショッピングモールにて演奏させていただきありがとうございました。少ない曲ですが、心を込めて演奏させて頂きます。」
という女性の声が聞こえてきて、琴と十七弦、そしてバイオリンの音が聞こえてきた。それも一人で弾いているのではなくて、10人以上の団体で演奏しているのである。
「あらあ、こんな田舎で、琴の音がするとは珍しいことだ。よし、聞いてみよう。」
杉ちゃんの方は、車椅子をどんどんうごかして音のする方へ行ってしまった。蘭も、ちょっとまってと言いながら、カフェにお金を払い、それを追いかけた。
ショッピングモールに設けられているステージでその音はなっていた。10人くらいの同じ様な顔をした女性たちが、琴と十七絃、数人はバイオリンとチェロを弾いていたのであった。弾いている曲は聞いたことのないメロディであったが、演奏が終わると、
「只今の曲は、私達緑の木のオリジナル曲で、緑光という曲でございました。それでは続きまして、グリーンスリーブスという曲を演奏いたします。」
バンドリーダーと思われる女性の声がして、グリーン・スリーブスの演奏が開始された。今度は王が、恋人をなくしたときに歌われる悲しい曲だった。それでもバイオリンのピチカートや、琴のトレモロなどを使って美しく決まっている演奏でもあった。
「うーんなかなかうまいけど、琴で弾くのはちょっと。」
と、杉ちゃんが言うと、
「それでは、次の曲で最後の曲になります。最後の曲は、皆様にも参加していただきたく、この曲をお届けします。ヨハン・シュトラウス作曲、ラディッキー行進曲です。」
と、バンドリーダーが言って、今度は琴と弦楽器による、ラディッキー行進曲の演奏が開始された。確かに上手に演奏されているのは確かなのであるが、どうしても、バイオリンやチェロなどのほうが勝ってしまって、琴はあくまでも補助的なものであるという感じが否めなかった。お客さんは、本家のウイーンフィルがやっているように、手拍子をしている人も居るけれど、まったく新しい形態の音楽に、違和感を感じている人も少なくないようだった。
「ありがとうございました。これからも、アンサンブル緑の木をよろしくお願いします。」
と、バンドリーダーの声にあわせて、改めてメンバーさんたちは大きな拍手を受けた。でも何かちょっと変な気がしないわけでもなかった。
「どうも変なバンドだな。琴とバイオリンという全く違うものを無理やりあわせてるだけだぜ。」
帰り際のタクシーの中で、杉ちゃんは蘭に言った。
「そうだねえ。女性だけで、それも美しい容姿の女性ばかりで、それで無理やり音楽を作ろうっていうのが、不自然な気がするよ。」
蘭も、杉ちゃんの話に合わせた。
「あ、それって、緑の木のことですか?僕もディスクを持っていますよ。と言っても、買ってきたのは娘なんですが、どうも学校で面白いバンドが出たとして話題になっているようなんです。なんですか、そのコンサートでもいかれたんですか?」
不意にタクシーの運転手が、興味深そうに聞いてきた。
「ええ。たまたまショッピングモールで演奏していたのを聞いていただけだったんですが、結構上手でしたよ。」
と、蘭はすぐ答える。
「でもさ、美しい女ばかりのバンドでさ、もうびっくりしちゃった。何処からあんな美しい女を、10人集めてきたんだろう?」
「まあ、オーディションでもしたんだろうねえ。」
杉ちゃんの話に蘭はそう言ったが、
「うちの娘は、演奏もうまいし、容姿も抜群でどんな曲でもひきこなす、すごいバンドだと言っていましたが、あれだけきれいな人揃いでは、そりゃ、人は飛びつきますねえ。」
運転手がちょっと怪しいセリフを言った。
「だけどさあ、きれいな洋服着て、琴を演奏するってのはちょっと違和感あるね。琴は、着物で弾くもんだぜ。それはなんか嫌だなと思った。せめて、琴の奴らは着物で弾かせたら良いのにね。あんな、花嫁さんみたいな洋服じゃ、やりにくいだろうよ。」
と、杉ちゃんはでかい声でそう言うが、
「まあ、それも時代だし、今は多様性の時代ということで、それはそれで良いのではないの?杉ちゃん。」
と、蘭はそういった。でも、そのときは、杉ちゃんも蘭も、それ以上その変なバンドと関わりを持つことは無いだろうと思った。それに、そういうのをやっている女性なんて、すごい優秀過ぎて、自分たちには触れることでは無いと思っていたのであった。でも、、、。
その日は、また暑い日で、何だか外出するのも嫌になるなと思いたくなるほど暑い日だった。蘭は、今日はお客さんも来ないだろうと思っていた所、玄関のインターフォンを鳴らす音がした。アリスは、五時を過ぎなければ帰ってこないと言っていたから、まだ帰ってくるには早すぎるような気がした。早く仕事が終わったのかと思った蘭は、
「ああ、仕事が早く終わったの?」
と言って、玄関先に行ってみると、
「あの、刺青師の彫りたつ先生の家はこちらでしたでしょうか?」
と、中年の女性の声がする。あれ?今日は予約も何も無いと思った蘭であったが、
「はい。彫たつは僕の芸名ですが、何のようでしょうか?」
とりあえずそう言って見る。
「ええ。ちょっと刺青のことについてご相談がありまして。中に入れてもらえませんか?」
という声がするのである。
「わかりました。とりあえず今日は暑いので中に入ってください。なんでも他の県では、40度を越したところもあったようですし。」
蘭はそう言って、玄関のとをがちゃんと開けた。すると、そこに一人の女性が立っていた。身長は170センチ近くある、大柄な女性である。蘭はとりあえず、こちらにお入りくださいと言って、彼女を、仕事場へ招き入れた。
「あの、先生、こちら、奥様と一緒に召し上がってください。」
と、彼女は、紙袋に入っていたうなぎパイの箱を蘭に渡した。
「ああ、ありがとうございます。」
蘭がそれを受け取ると、
「これから、先生と私は長いお付き合いになるわけですから、そのまえに、なにかお渡ししたほうが良いと思いまして。」
と、彼女は言った。蘭はとりあえず、椅子に座るように彼女に言った。
「申し遅れました。私、綿貫と申します。綿貫善子です。」
「わたぬきよしこ?」
蘭は、その名前を始めてきいた名前とはどうしても思えなかった。それにその顔も何処かで見たことがあるような顔なのである。
「ええ、紛れもなく私の名前は綿貫善子です。芸名でもなんでもありません。私は、演奏活動するときも、本名で活動していますので。」
そう言われて蘭は、綿貫善子というその名前を思い出すのに働いてくれない頭を叩いてやりたいと思いながら、
「えーと、お仕事は何を?」
とだけ聞いた。
「はい。バイオリニストです。」
そう彼女は答える。
「ああ、そう、そうですか!それで何処かで見たことがあるような顔だなと思ったわけですね。確か、テレビでも、よく活躍されていましたよね。」
蘭はやっと思い出してそういった。
「ええ。でも最近、人気が急降下して、今はお琴の先生に拾ってもらって、それでそのバンドで一緒に活動させてもらっているんです。」
と、彼女は言った。
「そ、そうですか。しかし、なぜ、高名なバイオリニストとして、すごい有名人であるあなたが、なぜ地方の刺青師のところに来たんです?もし、なにか刺青が必要なら、都内の有名な刺青師に頼まなかったのですか?」
蘭がとても驚いた顔をしてそう言うと、
「ええ。先生に、背中を預けたくて。背中に、ガーベラを彫っていただきたくて。」
と、彼女は言った。
「そうですか。あいにく、僕は和彫りの専門で、洋花は彫ることができません。それなら、洋彫りのうまい彫師を紹介しましょうか?」
蘭が急いでそう言うと、
「いえ、先生は、車椅子で移動されているから、どうしても変えることができないけれど、それにあわせなければ行けない苦しさを知っているはずです。だから、そういう意味で先生に彫っていただきたいと思ったんですよ。東京の彫師さんは、うまい方も確かにいますけど、うまい方と私があっていたというのであれば、スキャンダラスな報道になっちゃうでしょ。」
彼女、綿貫善子さんは言った。
「そうですか、それで地方の刺青師を当たったわけですね。でもしかしです。なぜ、あなたのような高名なバイオリニストである方が、背中に刺青など入れなければならないのでしょうか?それとも、大きな痣でもあって、それを消したいとお考えですか?」
蘭が聞くと、
「いえ、そういうことじゃありません。私であることを忘れないようにしたいんです。」
と、綿貫善子さんはきっぱりと言った。なにかわけがあるのだろうか?その顔はとても真剣な顔だった。なんでそんなに、すごい顔をして、そんなに刺青を望むのだろうかと不思議になるほど彼女の顔は真剣だった。
「私であることを忘れないように?それはどういう意味でしょうか?できるだけわかるように説明を願いますが。」
蘭はそう彼女に聞いた。
「ええ。あたしは、長年バイオリニストとして、オーケストラとか、ピアニストとか、そういう人達と一緒にやってきました。でも、人気が急降下して、私はいろんなオーケストラから締め出されるようになり、結局、琴の先生が結成したバンドに加わらなければならなくなった。それは、本当に過酷な生活で、お琴の拍子の数え方も全然違うし、お琴の生徒さんたちが、先生に絶対的に従っているのに私達もあわせなければならないのがすごくつらいんです。バイオリニストは、ある程度自由が効いて、オーケストラに入るのも自由だし、演奏する曲だって自分で決められるはずなのに、バンドのメンバーさんたちは、皆先生の言うことの通りにしか動かない。私が、こうしたら良いのではないかと提案しても、先生に向かってなんて口きくのとか、そう叩かれてしまうんです。そういう人達の中で、ソリストとしてやっていくのは、本当につらくて。他のバイオリニストにも相談したんですけど、今はお琴の先生の傘下に居るのだから仕方ないって、諦めてしまっているみたいで。諦められない私は、やっぱりおかしいのかな。そう思って散々迷った挙げ句、私を捨てなければならないんだと思うことにしました。だから、もう昔には戻れないんだと言うことを示すためにも、背中にガーベラを彫ってほしいと思ったんです。」
と、彼女は、長々と話した。
「なぜ、人気が急降下したんですか?」
蘭がそう聞いてみると、
「ええ。音楽雑誌とか見てくれればわかると思うけど、最近、美人のバイオリニストが、国際コンクールで一位に輝いたのです。それでオーケストラとか、皆彼女をソリストにするから、あたしはもう用無しだって。」
と、綿貫善子さんは答えた。
「そうですか。確かに、憧れるピアニストとか、バイオリニストの座をつかめるのはたったの数人なんですよね。それを願って、何十人の人が押し寄せてくるから、そういうことがおきてしまうんでしょうね。まあそれはある意味仕方ないこととして受け止めるしか無いですよね。」
蘭は、静かに綿貫善子さんに言った。
「そうですよね。だけど私と来たら、本当にだめな女で、そのバイオリニストをしていたときのことを、忘れらないんですよ。ふとしたところで昔に戻りたいなとか、なんで自分だけがこんなお琴の先生と、一緒にやってるんだろうとか、そういう事を考えてしまうんですよ。だって、バイオリニストが、お琴と合体するなんて、あり得ない話ですから。お琴教室だって、私達洋楽のバイオリニストの事を嫌っているでしょうし、私もお琴教室のあの毒々しい雰囲気は好きじゃないし。」
綿貫さんはそういうのであるが、こればかりは、当事者でないとわからない事かもしれなかった。意外に邦楽の教室は毒々しい雰囲気も持っていないし、洋楽のほうがより強烈な教室であることもある。そのイメージを払拭するのは、まだまだ時間がかかるなと思われることでもあった。
「だから私、その毒々しい邦楽の車中の中で、ずっとやっていかなくちゃならないんです。いつ、洋楽の世界に戻れるかも分からないし。だから、それまで耐えていられるように、先生、私の背中、預かっていただけますか?」
「そうですねえ、、、。」
蘭は、それを聞いてちょっと考え直さなければならないなと思った。
「でも、源流は源流で同じ音楽でしょうし、本来お互いを嫌うようでは行けないと思うんですけどね。」
蘭はそういうのであるが、
「いえ、そんな事できるわけ無いじゃないですか。洋楽と邦楽は絶対一緒にやることはできませんよ。洋楽の世界でありえないことが、邦楽では当たり前になっていることだって結構ありますし。そんな世界に私は居たいとは思わない。でも今はそうしなくちゃいけないから、これからも我慢して邦楽の世界にいさせて貰わなきゃ。だから、先生、身を守るものを自分の体に描いたって良いじゃありませんか。お願いしますよ。先生。」
と、綿貫さんは蘭に言った。
「わかりました。それでは彫って差し上げます。でもその前に一つだけ訂正させて貰えないでしょうか。あなた、先程邦楽と洋楽は一緒にやることはできないと言いました。そこは訂正させて貰えないでしょうかね。」
「ええ、言いました。だってどんな事をしても絶対に、邦楽と洋楽は合わせることができませんから。」
そういう彼女に、
「そうですよね。それはそうかも知れない。」
と蘭はそれだけ言っておいた。そして、とりあえずガーベラの下絵を描いておくので、彼女に一週間したら、見てもらうように言った。彼女はとてもうれしそうな顔をして、ありがとうございましたと頭を下げて、蘭の家を出ていった。
蘭は彼女が帰っていくのを眺めながら、すぐになんとかしなければと思った。急いでスマートフォンを出し、連絡先から、花村義久さんの番号を出す。
「あの、花村先生でしょうか。僕は、刺青師の伊能蘭です。あの、杉ちゃんと一緒にやっている伊能蘭です。実はちょっと相談したいことがございまして。」
蘭は、急いで花村義久先生に今日綿貫善子さんが、言ったことを伝えた。花村さんは、それをちゃんと聞いてくれて、
「では、邦楽と洋楽器でコラボすれば良いのですね?」
と言った。
「ええ。お願いします。できれば身近な曲がわかりやすくていいでしょうね。そういう考えが偏っている人に、邦楽は決して偏屈な名匠がでしか演奏できないという偏見を払拭していただきたいんですよ。」
花村さんに蘭は、そういった。花村さんはわかりました、任せておいてくださいと言ってくれた。
それから、一週間後。彼女、綿貫善子さんがまた蘭の家にやってきた。
「今日は、下絵ができたんですよね。どんな絵を私の背中に入れてくれるのか、とても楽しみだわ。」
美子さんは嬉しそうに椅子に座った。
「その前に、これを見てくれませんか?」
と、蘭は、彼女にタブレットを手渡した。そのタブレットには、琴を弾いている花村義久さんが映っている。演奏している曲は、花のワルツであった。それを伴奏しているのは、磯野水穂さんであった。
「もう音楽に長けているあなたなら、この二人が誰であるのかもわかるのではないですか?二人がしていることは、本当に、邦楽と洋楽は合奏できないのでしょうか?」
蘭は、そう綿貫善子さんに語りかけた。
「これ、あの、お琴の世界では大物と言われる花村先生じゃない。」
「ええ、そうですよ。」
すぐに蘭は相槌を打つ。
「花村先生が、こんな花のワルツなんて弾くとは思わなかったわ。なんで花村先生もこういう事するんだろう。お琴で生活に困ってない様な人が、こういう事をするなんてある意味、わたしたちの事、バカにしているみたい!」
そう強い口調でいう綿貫善子さんに、
「そういうことではありません。音楽は同じドレミファじゃないですか。こういうことが可能だと言うことを知らせたかったんです。綿貫さん、あなたの、邦楽と洋楽とは合わせることができないというその主張を、僕はどうしても訂正したいと思いましてね。そうやって狭い世界にいたら、人間性さえなくなってしまうような気がするんです。確かに人気が急降下して、変なところに飛ばされたのは悔しいかもしれないですけど、それよりも、置かれた場所で新しいものを探すように生きなくちゃ。イヤダイヤダと否定ばかりしていたら、それこそ偏見ですよ。いくら美しい音楽を奏でることができたとしても、人間的に優れていなければ、演奏家とは言えませんから。」
と、蘭は、優しく言ったのだった。綿貫さんは、驚きを隠せない顔で、花のワルツが流れている映像を見ているが、次第にその顔も穏やかになった。
「それでは、私の負けです。もう少し、いろんな世界があるって、私は頭を柔らかくしなくちゃね。」
綿貫さんは静かに言った。
蘭は、やっと彼女に本当に伝えたいことが伝わったので、なんだか良かったと思ったのであるが、これからのほうが自分の本当の仕事だと思い、
「じゃあとりあえず、彫るための下絵はこれですが、、、。」
と和紙に描かれた下絵を綿貫さんに見せた。
タブレットの中の人物はとても楽しそうに琴とピアノで花のワルツを奏でていた。もう多様性の時代だから、琴で花のワルツを弾いていても、ピアノで花のワルツを弾いていてもおかしなことなど無いのだった。
外は少し暗くなり始めた。もう夏は終わりで、芸術の秋と言われる秋が、もうすぐやってくるのだなということを空は示しているようであった。
花のワルツ 増田朋美 @masubuchi4996
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