第十一話 工兵隊監督官ラクシャラ

 相変わらず弱々しい陽射しが窓から差し込むのに、わたしは目を覚ました。


 「……ジャンヌ様?」


 まぶたを擦りながら起き上がると、豪奢な寝台の上に、普段共寝をしているはずのジャンヌ様の姿はなかった。

 もうすっかりジャンヌ様の部屋で寝起きするのが普通になっていて、朝はどちらからともなく起き出すのが普通になっていたのだけど。


 今日はすでにジャンヌ様の姿は部屋のどこにもなかった。


 仕方なしに身支度を整え、姿見の前でさっと髪を整え部屋を出た。


 わたしが匿われている古城の内部も、もう一人でも迷うことはない。

 食堂を覗き込んでみたがそこにも誰の姿もない。

 ただ、パンの盛られた器が長机の中央に置かれていたので、そこから一つだけパンを持って、中庭へ出てみた。


 「今日は少しだけ、天気がいい、のかな……」


 普段、分厚い雲に覆われている空が、今日は所々、隙間から陽が射しているようにも見える。とはいえ〈魔族領〉の気候は常に肌寒くて、土地も枯れているので作物が育ちにくいのだとジャンヌ様はこぼしていた。


 異種間戦争の時代が終わり、大陸中に恐怖と混乱をまき散らした魔族は人の通わぬ辺境の地に封じ込められ、表向きはその存在を秘匿されている。


 わたしは、色々と事情があってその魔族の一人──ジャンヌ・アスタルテ様に〈魔族領〉へと連れられ、彼女の治めるこの土地にある古城に匿われている身の上、なのだけど。


 パンを少しずつちぎって頬張りながら、なんとなく、中庭の庭園──ジャンヌ様が手ずから世話をしている種々、色とりどりの薔薇を眺めていた。


 パンを食べきって、改めて耳をすませていると回廊のどこか一室から、話し声が聞こえた。


 そちらへ足を向けると、書庫や議場のある一角で人の気配がした。


 「ジャンヌ様……ゲルデさん……?」


 わたしが扉をそっと押し開け、中を覗き込んでみると──


 ──議場の長机を挟んで、重々しい空気を漂わせるジャンヌ様とゲルデさん、そして、先日の工兵隊の工兵長さんの姿があった。


 〇


 「ど、どうしたんですか……?」


 その重苦しい雰囲気に耐えかね、思わず声を上げるとその場の全員が、わたしを振り返った。


 「ラクシャラ様」

 「……今日くらいはぐっすり眠っていてもらった方が助かったんだがな」


 ゲルデさんと、色々と途方に暮れた様子で疲れきった表情を浮かべるジャンヌ様がわたしを見詰める。


 その向かいには、工兵隊の工兵長である〈野猪鬼オーク〉がしかつめらしい顔で机の上に並べられた石と何かの図面を腕組みして睨んでいた。


 「これは何か、話し合いをしていたんですか?」


 わたしが尋ねると、ジャンヌ様が背筋を伸ばしながら低く唸った。


 「例の町の計画の相談だ。……いくつか建てられそうな土地の候補を決めたり、建物に使う石の材質とか、色々相談してたんだがな……」

 「昔、ジャンヌ様のお父様──カール様が古城を建てるのに使った各地の石切り場の石を取り寄せたのですが」


 そう言って、二人は机の上に並べられた石をそれぞれ見比べた。

 わたしも長机に近づいて石の様子を確かめた。

 確かに、それぞれ硬さや重さが違うし──多分、種類が違うのだ。


 「……こノ石を、それぞれどういウ用途デ使ったものか、悩んデいるのだ」


 工兵長さんが、以前よりいくらか滑らかな口振りでそう答えた。


 「建物ノ基礎、壁や屋根、それとも装飾ニ使ったモノか……」


 工兵長は悩ましげに唸っている。この人もずいぶんと以前と変わったようだ。


 「ええと、工兵隊でそういう知識は、教えられなかったんですか?」

 「ほとんどガ、人間ノ真似事で、それモ戦に使う兵器だケだったかラな……」

 「わたくしも、城の建築には携わっていませんでしたから……」


 その場に居合わせた全員が、気まずそうに顔をしかめている。

 町の建築のことで相談していたのが行き詰ってしまったらしかった。

 わたしはジャンヌ様を振り返ってみたが、軽く肩をすくめただけだった。


 わたしも少し、机の上の石を手に取ってみた。


 「何カ、分かるノか?」


 工兵長さんがいぶかしそうに見上げるのに、わたしは神殿にいた頃の記憶を思い起こした。


 ──小さいラクシャラ、お前はよく物を覚えているし、機転が利く。


 ──神殿の中にある書物や、身の周りのことはよくよく覚えておきなさい。


 大きいラクシャラの優しげな声。

 わたしは一つ思い出したことがあって、顔を上げた。


 「……この黒っぽくて重い石が、多分、人間界で頑丈な建物や、基礎に使われる物なんだと思います。こっちの白っぽいのは逆に、装飾や調度品に使われるもので」


 わたしが言ったことに、工兵長さんが目を瞬き、ジャンヌ様が眉を上げるのが分かった。


 「ラクシャラ、お前、分かるのか?」

 「はい。わたしのいた……ラクシャラ様の神殿の造りを、一度、石工の人に見せて教えてもらったことがあります。その時に色々と、石の性質や、用途を教えてもらったことがあって……」


 それももう遠い記憶のように思えるけれど、でも大きいラクシャラの言葉に従って色々なことを覚えていたのだ。


 その時、ふとジャンヌ様が思案げにわたしを見詰めているのに気付いた。


 「ジャンヌ様……?」

 「一つ、思いついたんだが……」


 ジャンヌ様はわたしをじっと見詰めて、きっぱりと告げた。


 「ラクシャラ、お前、こいつらの監督官をしてみろ」


 **


 議場から出たジャンヌ・アスタルテは回廊を大股に歩き、古城の門へと向かった。


 そのかたわらに進み出たゲルデが、主の顔を気づかわしげに見上げた。


 「よろしいのですか?ラクシャラ様にあのような仕事を……」

 「いつまでも籠の鳥をやらせてるわけにもいかないだろう」


 そう言って、横目にゲルデに視線をやった。


 「私の方も、そろそろ動かなきゃならんようだ。ラクシャラのことはお前が補佐してやれ」

 「……ガルディノからの密偵が、戻りましたか」


 ゲルデが静かに問うのに、ジャンヌがうなずいた。

 そのまま古城の門へ向かうジャンヌだったが、ふと足を止めて〈小鬼ゴブリン〉の忠臣に言い置いた。


 「大丈夫だとは思うが、もし……ラクシャラの身に何かあった時は、すぐに私を呼べ。頼んだぞ」


 それだけ言い置くと、ジャンヌは手をひるがえし、そこから漆黒の外套を顕現させるとそれを身にまとい、地面を蹴って虚空へと飛び出していった。

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