第十二話 アスタルテ家の家臣たち
ジャンヌは普段いる古城から北の方角へと一息に空を飛んだ。
そこは〈魔族領〉のある半島の付け根にあたる、南北に荒々しく波の打ち寄せる海が迫る断崖絶壁に挟まれた陸橋だった。
そこに、ジャンヌの父、カールが建てた古城がある。
大陸と唯一陸続きとなるこの土地を守護する為に建てた堅牢な城だ。
見上げる程に高い城壁を飛び越え、城のバルコニーへと外套を畳んで降り立つと、ジャンヌはそこに控えていた二人の人影に視線を下ろした。
「ノートルクア、イングリド」
そこに控えていたのは対照的な二人の眷属だ。
「はい、ジャンヌ様。境界守備隊隊長ノートルクア、ここに」
そう低い女性の声で応じたのは、甲冑を身に着けた、鋼色の鱗に覆われた蜥蜴の獣人だった。うやうやしくひざまずいて頭を垂れるが、それでもなおジャンヌと目線が変わらぬほどの巨体だった。
「イングリド、戻りました。こたびの成果、満足いただけるものと思いますよ」
その横で、小柄で
イングリドの取り出した古書を、ジャンヌは目を細めて受け取り、その分厚い古びた革表紙に視線を落とした。
「……確かにこいつは私が求めていたものだ。しかし……」
ジャンヌはふっと息を吐いて、〈小鬼〉の青年、イングリドを見下ろした。
「この成果はお前一人の力で成したものじゃないだろ」
ジャンヌが見透かすように目を細めると、イングリドはかしこまった態度で身を縮める。
「はあ……しかし……」
「いいから、相棒を呼んで来い。あれも大事な私の家臣だ」
ジャンヌが腕を組んでそう告げると、イングリドが呼ぶまでもなく、バルコニーに続く扉からぬっと巨大な白い影が現れた。
悠然と近づき、親愛と敬慕を示すように鼻面を擦りつける巨大な白狼に、ジャンヌは満足げにうなずいた。
「ほらな、ルガーの奴だって私に会いたがってた」
そう言って、ほのかに口角を持ち上げるジャンヌに、ノートルクアとイングリド、二人の彼女の家臣は顔を見合わせ、ふっと笑みをこぼした。
〇
「ガルディノ領の動きは、相変わらず不穏でしたね」
薄暗い議場へと場所を移し、ジャンヌは長机の奥で肘を突き、両手を顔の前に組んで、ガルディノ領に送り込んだ密偵であるイングリドの報告に耳を傾けた。
「新しい領主のロクトを中心に若い世代の家臣や兵が派閥をつくって内政、外政共に改革を進めているが、その急進さに派閥以外の古くからの家臣や貴族が全くついていってない」
そして、イングリドは傍らに彫像のように悠然と座り込むルガーを横目に見た。
「民もそうです。特に、女神ラクシャラの信仰を民の手から取り上げ、ガルディノ王家の管理する形に先祖返りしたのが、激しい反発を招いている」
「……女神ラクシャラはそもそも、ガルディノ王家の祀り崇める戦神だった、とかいう主張か」
ジャンヌはイングリドの持ってきた、ガルディノ王家の建国の経緯を記した書物に目を落とした。
これも後々、自ら目を通す必要がありそうだった。
ジャンヌはそうして、イングリドの隣で甲冑を着込んだ曲の蜥蜴の獣人種──ノートルクアを振り向いた。
「この城の付近の哨戒では、ガルディノ側の不穏な動きは見られなかったか?」
「はい。緩衝地帯の哨戒は抜かりなく行っていますが、目だって不穏な動きは見られません」
ノートルクアは、この大陸から〈魔族領〉へ唯一陸続きとなる要所である、この古城を長年守備する軍人だ。
丸太のような腕を組んで、鋼色の鱗を輝かせるノートルクアは首をひねる。
「つい先日の、ラクシャラ様の奪取の件があったばかりです。もう少し、こちらへ探りを入れてくるものと思っていましたが……」
「確かに、な」
ジャンヌは自ら城にかくまう巫女の幼い少女の姿をまぶたに浮かべ、思案する。
(ガルディノはラクシャラ自身の安否にはこだわっていないのか?)
だとすればわざわざ〈魔族領〉の──自らの手の内に留め置くことにこだわる必要はないのかも──
「ジャンヌ様?」
ノートルクアの不審そうな声に、ジャンヌははっとして目を開いた。
「悪かった。続けてくれ」
「……ええ。緩衝地帯である東の荒野の警戒は今後も続けます。『隣国』であるガルディノの動きはやはり、気になりますから」
「そうだな。この城は、大陸から〈魔族領〉へ押し寄せる波の防波堤だ。……備えるにこしたことはない」
忠実な家臣二人の報告を受けたジャンヌは、息を吐いて立ち上がった。
「ご苦労だった、二人とも。……ガルディノの状況は予断を許さないようだ。引き続き、イングリドとルガーはその内情を探り、ノートルクアは警戒を続けてくれ」
二人と一匹に改めてそう命じると、ジャンヌは議場の長机から席を立った。
「……私の方でも、何かやるべき事を見つけるべきだな」
ジャンヌは目を瞬き、自分の手に渡された黒い表紙の書物へと視線を落とした。
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