第九話 変革の芽
砦の内側の奥まった建物に、わたしたちは通された。
砦の外ではゲルデさんたちが、砦の内にいた亜人たちの武装解除を進めている。
ジャンヌ様は獣の革を張ったソファに腰かけ、険しい表情を浮かべている。
その前で彼らの長であるらしいあの〈
「……タルレスの奴はもうとっくに自分の領土に帰ったはずだ」
ジャンヌ様が腕を組み、きつい口調で尋問をした。
「なんでその眷属であるお前らだけが残って、こんな所に砦を造っている?ただで済む筈がないと分かり切っているだろうが」
その部隊の長らしい〈野猪鬼〉は、うなだれたまま静かに口を開いた。
「おレたちは……タルレス様ニ工兵とシテ仕込マれた部隊だっタ」
初めて口を開いたその声は、いささかたどたどしいものではあったけど、はっきりと聞き取ることができた。
「人間ノ戦ノ真似事……のハズだっタ、最初ハ。オレは工兵長を任サれ、部隊の指揮ヲしてイタが……」
「お前らが造った投石器や石弓だったのか、私を迎え撃った草原にあったのは」
「ソウだ……。タルレス様ハ、通用すルはずがナイと考えテいたガナ」
形ばかりの戦の道具を、工兵隊であるこの人たちは造らされていたらしい。
「もう……タルレス様の所領ニもどルつもりはナイ。仲間とモ、相談しテ決メた」
「は?」
うなだれたまま工兵長の〈野猪鬼〉が告白するのに、ジャンヌ様が目を丸くした。
「戻ッても……またすグ壊さレル戦の道具ヲ造らサレルだけダ。タルレス様に、それ以外ニ興味はナイ」
「それがお前らの役割だろうが。わざわざ主と
話の流れが予想だにしなかった展開になったようで、ジャンヌ様は困惑して眉をひそめながら工兵長に尋ねた。
その質問に、工兵長の〈野猪鬼〉は顔を上げ、訴えかけるように口を開いた。
「オレたチは……永ク形に残る物ヲ……造リたくなっタ」
〇
思いも寄らないその言葉に、ジャンヌ様が言葉を失うのが分かった。
「……永く形に残る物、だと?」
「そうダ。戦の道具ヤ、こんナ砦でナク……」
そう言ってどこか切なげに工兵長は問いでの建物を見上げた。
「許しテもらエルのなら……こんな砦はいくラ壊しテくれても構ワナい。だが、それ以外ニ何カ……おレたち二何カ造らセテもらえないだろうカ?」
懇願するような工兵長の口調に、ジャンヌ様が顔をしかめる。
さすがに、内心ジャンヌ様が頭を抱えているのが分かった。
「……それを、元は敵同士だった私に言うのか?」
大きく息を吐いた後、ジャンヌ様は眉間に指を当てて唸った。
「タルレス様ヲ裏切っテ……形振リ構ウ余裕などなイ」
「…………」
ジャンヌ様は本当に悩んでいる様子だった。
多分、本来であれば敵だった相手の、こんな頼み事など即座に拒絶して、斬り捨ててもいいのだろうけど。
──ジャンヌ様は、それができない人なのだ。
わたしは悩ましい表情を浮かべるジャンヌ様を後ろから見ながら、考える。
工兵長が望む、できるだけ永く形に残るような物。
ジャンヌ様の領土に無理なく、建てられるような物。
ふと──子供のような思いつきだったけれど、思い当たるものがあった。
「あの……」
わたしが思わずおずおずと言葉を挟むと、ジャンヌ様と工兵長の二人の視線が同時に私に向けられた。
工兵長はわたしを見ると、一瞬うつむいて目をそらした。彼もわたしにした仕打ちを覚えていて、それを後ろ暗く思っていることが分かった。
それで、決心が固まった。
わたしなりに、この人たちの力になれることがないか、知恵をしぼろう。
「町……とか、どうでしょうか?」
わたしが提案したその言葉に、ジャンヌ様と工兵長が同時に目を瞬いた。
「最初は無理なく、小さな町から造ればいいんです。それで、代を重ねるごとに少しずつ少しずつ発展させて、そういう形で……永くこの土地に残る物を造っていくのは、どうですか?」
わたしの提案に、ジャンヌ様も工兵長も唖然としていた。
だが、すぐにわたしの言ったことを二人が考え始めるのが分かった。
〇
黒馬の背に乗り古城へと帰る道すがら、雲の隙間から茜色の夕陽が差していた。
「……お前は、急に横から口を挟むな」
馬の手綱を握るジャンヌ様が、わたしの頭の上で吐息交じりにぼやいた。
「でも、お互い考える余地のある案、でしたよね」
ともかく、タルレス様から離れた工兵隊の人たちは武装解除と砦の解体に応じた。
ジャンヌ様も彼らの身柄をひとまずゲルデさんに預け、手荒に扱うことのないよう確約した。
──お互いに血を流すことのない状況に、ひとまずは落ち着いた。
「……案外、小賢しいことを考えるんだな、お前」
ジャンヌ様が呆れ顔でつぶやくのに、わたしは小さく肩をすくめる。
「でも、ジャンヌ様だって、どうにかあの人たちを傷つけないで、望みを叶えたかったんじゃないですか?」
「…………」
古城へ続く、暮れなずむ道。ジャンヌ様は少しばかり沈黙した。
だが、やがて諦めたようにわたしの顔を見下ろした。
「……お前、どこから気付いてた?」
「あの工兵隊の人たちが……ジャンヌ様の眷属になりかかっていた事にですか?」
わたしが答えると、ジャンヌ様はがっくりと肩を落とした。
それを見て、わたしも自分の気付いていた事を正直に話すことにした。
「あんまりに、タルレス様と一緒にいた時と、あの人たちの様子が違ってましたから。あの工兵長の人は、わたしをさらった張本人ですけど、前は獣みたいに何も思う事がない様子だったのに……」
「お前を見て、罪悪感を覚えていたな」
わたしがうなずくと、ジャンヌ様はじっと何事か考えている様子だった。
やがて、行く手に西の海に突き出た岬が見えてくる。
いつのまにかすっかり見慣れた古城の影も。
「……そういう事があるのだとは知っていたが、実際に自分が目の当たりにするとは思わなかった。私がアスタルテ家の所領を継いで十年──ずっと何も変わらぬ日が続いていくと思っていたが」
古城の門が見えてきて、黒馬が足を緩める。
ジャンヌ様の感慨深げな言葉が、わたしの頭の上で夕闇の風に流れていく。
「……お前が来て、何か変わろうとしているのかもしれんな」
その言葉はわたしの実感からは遠いものだった。
でも──ジャンヌ様の満足げな声の響きは、これからも聞いていたいと思った。
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