第八話 アスタルテ家の領土

 城の門の前に、ゲルデさんが二頭の馬を手綱で引いて連れてきていた。


 すでに鞍を置いてある一頭の黒馬にジャンヌ様がひょいとまたがる。

 そのまま鞍の前を軽く叩くのでわたしが近づいていくと、これまた軽々とわたしの体を馬の背に引き上げた。


 「馬に乗ったことは?」

 「いえ、移動する時はいつも馬車か、輿の上だったので……」


 それを聞くとジャンヌ様は後ろからわたしの体を両脚と両腕で挟み込むように抱え込んで、しっかりと支えるようにした。


 「ここはどこに行くにも馬が必要になるから後々教えてやる。今は私が支えてるから、しっかりつかまってろ」

 そう言って、ジャンヌ様が言うのにうなずくが、わたしはふと気になって尋ねる。


 「ジャンヌ様は、空を飛べるのではないのですか?」


 わたし一人位なら軽々と抱えて空を飛べるのはこれまで十分見てきたことだ。

 だが、ジャンヌ様は少し眉をひそめた後、後ろを振り返った。


 「他の奴らと行動を合わせる必要というものがある」


 わたしも背後へ眼を向けると、ゲルデさんが馬に乗りついてきていた。


 「後、あんまり派手に魔力を使っていると、領土の隣り合う魔族同士──それこそ先日のタルレスのように察知されるという危険もある」


 ジャンヌ様は黒馬のたてがみをなでた。


 「人間からすれば不便な上に回りくどいことをやっているように見えるかもな。だが、こういうのも悪くはない」


 そう言って、馬の耳元に寄せて何事かジャンヌ様はささやく。

 すると、馬は自然と自分から古城の前の道を走り出していた。


 〇


 〈魔族領〉は、ジャンヌ様の治める土地は、寒々しい荒地の広がる寂しい地だ。


 丈の短い下草と棘だらけの低木が地を這う大地を弱々しい日の光が照らしている。

 最初は馬の背に揺られ、風を切るように走る速さに感動したのだけど、どこまで行っても似たような景色が続くのに、自然と気が抜けてしまっていた。


 「……〈魔族領〉の風景なんて、どこもこんなもんだ」


 わたしがつい退屈しているのに気付いていたのか、ジャンヌ様がつぶやく。


 「あ、その……ごめんなさい」

 「面白味のない景色ばかりで悪いが、辺境の実りのない土地に追い込むのでなければ、魔族の力をそぐなんてことはできないからな」


 ため息を吐くジャンヌ様の声には諦観の響きがあった。


 「これも一つの経験と思って見てくれ。人が住んでいないわけではないから」


 それだけ言ってジャンヌ様は口をつぐむ。後は、わたしたちの乗る馬と、ゲルデさんの馬の二頭の蹄が地を蹴る音と風の音だけが後は聞こえた。


 そして、しばらくすると幾つか小さな森と山が見えてきた。

 ジャンヌ様の言う通り、その周りに幾つか集落が見えた。


 遠く、人が畑で立ち働く姿も見えた。

 彼らもジャンヌ様の眷属であり、人間ではないのだろうけど。


 そういえば──

 「今日はなんの用事で城の外を出たんですか?」


 わたしはその事に思い至って、ジャンヌ様に尋ねてみた。

 単に領内の様子をわたしに見せる為だけなら、もう目的は果たしたような気もするけど。


 そう尋ねると、ジャンヌ様は前方を向いたまま一つ息を吐いた。


 「……お前にも関係のある事が、問題になっているらしくてな」

 「わたしに、ですか?」


 要領の得ないジャンヌ様の返答にわたしは首をかしげるしかなかった。


 〇


 山の近くの岩場で、ジャンヌ様の操る馬は足を緩めた。

 谷間の入り口に数人の武装した〈小鬼ゴブリン〉がいるのに、わたしは少しどきりとしたが、ゲルデさんが馬から降りて話しかけるのに、ジャンヌ様の眷属なのだと分かってほっとする。


 「何か動きはあったか?」


 ジャンヌ様が身をひるがえして馬から降りて、ゲルデさんたちに尋ねる。


 「いえ、特に動きはないようです」


 ゲルデさんはわたしには決して見せない鋭い目つきと口調で応じた。


 「ですが、このまま捨て置くわけにもいかないかと」

 「当然だ。何をやろうとしてるにしても、座視しているわけにはな……」

 ジャンヌ様が渋い顔で谷間の奥へ眼を向ける。


 すると──そこには明らかに、これまでの景色と場違いな、堅牢な構えの砦が姿を見せていた。


 〇


 岩陰に身を潜めながら砦へ近づいたジャンヌ様とゲルデさんの後ろで、わたしも砦の様子をうかがい見た。


 近くで見ると、いかにも急ごしらえではあったが、塹壕と尖った丸太の柵を周囲で囲んだ、物見台も備えた本格的な砦だった。

 中には〈小鬼〉や〈野猪鬼オーク〉の姿が見える。


 ジャンヌ様の眷属──ではないのだろう。


 「……タルレスの奴に付き従っていた連中か」


 ジャンヌ様が腕を組み、嘆息交じりに言うのに、わたしも驚いた。

 わたしをさらって、ジャンヌ様をおびき出し付け狙った隣り合う領土の魔族──タルレス・アルデバラン。


 その眷属である亜人たちが、ジャンヌ様の領内のこの土地で砦を築いている。

 無視できない、由々しい事態だというのはわたしでも分かった。


 「……わたくしの手の者で囲んでいますが、我々の方で探りを入れますか?」

 「いや。もうこの際、回りくどい手を取る必要もないだろう」


 ジャンヌ様がふうっと息を吐いて、岩場の上で身をひるがえした。

 そのまま無造作に砦の方へ歩を進めていくのに、わたしは思わず岩から身を乗り出した。


 「ジャンヌ様!」

 呼びかけると、ジャンヌ様は軽く肩越しに振り返っただけで、また砦へ近づく。


 砦の前に無造作に姿を現したジャンヌ様に、物見台の上にいた〈小鬼〉が、慌てた様子で角笛を吹いた。その音が谷間に反響して響き渡る。


 その響きが尾を引いて消えたその瞬間に、ジャンヌ様も口を開いた。


 「お前らが何の目的でこんな所にこんな物を造ったか知りたい」


 ジャンヌ様の声は、大きく張り上げている風でもないのに、谷間に響いた。


 「分かるよな?下手な対応をすれば、問答無用でこの砦を壊して、お前らを蹴散らす。……それができないと思うほど、馬鹿じゃないよな?主と違って」


 脅しそのもののジャンヌ様の言葉だが、それは確かに事実でもあった。

 ジャンヌ様はぱっと手を掲げて、魔力の闇の外套をひるがえし、身にまとった。


 砦はしばらく沈黙していた。


 だが、やがて重々しい両開きの門が開いて、そこから大柄な影が姿を現した。


 「あっ」


 わたしは思わず声を上げる。

 そこから姿を現した〈野猪鬼〉は、わたしを海岸からさらった奴に違いなかった。

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