第六話 遠き約束
わたしを胸に抱えたまま、夜空へ飛び立ったジャンヌ様は、瞬く間に夜空を横切っていく。本当にあっという間にわたしが元いた古城が見えてきた。
ジャンヌ様が外套を鳥の羽のように畳んで城のバルコニーへ降下し、着地する。
「ご無事のようでなによりです。……ラクシャラ様もお怪我は?」
バルコニーにはゲルデさんが控えて待っていた。
多分、ずっとわたしたちが戻るのをこうして待っていてくれていたのだ。
途端に、自分が危険な目に遭ったこと、ジャンヌ様たちにひどい迷惑をかけたことに対する実感が込み上げてきた。
「平気、です。あの……ゲルデ、さん、ジャンヌ様……わたし……」
バルコニーの床に足が着くと、急に涙がにじんできた。
「さすがに疲れた。……私は部屋に戻って休んでいるから、後は頼んだ」
ジャンヌ様が淡々と言い置いて足早にバルコニーから去っていく。
「あっ」わたしは思わずその背中を追いかけて、ジャンヌ様がこちらに
──わたしのしでかした事を考えたら、そして、その解決の為にどれだけジャンヌ様が労力を割いたか考えれば、当然の態度だった。
わたしも、もう自分の部屋でおとなしく寝ていた方がいいのだろう。
そう思ってわたしも城内へ足を向けた。
「お待ちください、ラクシャラ様」
すると、不意にゲルデさんが穏やかに呼び止める声がして、わたしは振り返った。
ゲルデさんはわたしを見上げて、優しい笑みを浮かべた。
〇
「ジャンヌ様、お休み中の所、失礼をいたします」
本当に大丈夫なのだろうか、とわたしが見ている前でゲルデさんがジャンヌ様の寝室の扉を叩いた。
朝、わたしが寝かされていた尖塔の上の部屋だ。
「……どうした?」
扉越しにジャンヌ様が応じる声が聞こえた。いつも通り不機嫌な声だが、特別怒っている風でもない、淡々とした声だった。
「ラクシャラ様が、ご用意した部屋で眠るのは怖い、とおっしゃられまして……」
いかにも困り果てて、対処に窮しているといった態度を装ってゲルデさんが言う。
「今から新しく部屋を用意するのでは明け方までかかってしまいます。今夜だけでも、ジャンヌ様と共寝をさせていただくわけには参りませんか?」
「……お前がそばについていれば済む話だろうが」
ジャンヌ様が苦々しげに言うが、ゲルデさんは大して動揺もしていなかった。
「他でもないあの部屋で、ラクシャラ様はわたくしと同じ種族の者に誘い出されたのです。あの方の内心も慮ってあげてください」
扉の向こうで沈黙が落ちた。かなり、長い間。
やがて、ぎいっ、と扉が開いて寝間着姿のジャンヌ様の渋い顔が出てきた。
ジャンヌ様はゲルデさんのカンテラの灯火越しにわたしを見て、目を細めた。
「……寝るんだろ?さっさと入ってこい」
不満げに息を吐きながら、それでもわたしに言った。
〇
「寝るんじゃないのか」
ジャンヌ様が後ろ手に扉を閉めて、むすっと問う声にわたしは部屋に一つあるきりの豪奢な寝台に目を向ける。
「あ、あの……他に寝られる所は……」
「あるように見えるか?」
ジャンヌ様がすたすたと寝所を横切って、ベッドの上に腰かける。
わたしを振り向く彼女の長い髪が寝巻の上で紗のように揺れた。
「……今更、部屋に戻るとか言い出すつもりか?」
「いえ、その……」
わたしはぎこちなくジャンヌ様の寝台に近づいていく。
その傍に立つと、ジャンヌ様の方がじれたように、わたしの手を引いてベッドの端に座らせた。
ジャンヌ様はさっさと毛布に潜り込んで、こちらから背中を向けて横になる。
わたしもそれにならって毛布の端にちょこんと毛布を体に巻いだが、途端に力強く引き寄せられた。
「暖炉に火は入れてあるが、夜は冷えるぞ。そばに寄れ」
「はい、あの……失礼します」
ジャンヌ様の体温がベッドを伝って感じられる近さだった。
なんとなくどぎまぎしていると、先ほど、ジャンヌ様がタルレスの軍を単身で崩壊させた様がありありと頭の中に蘇ってきて、わたしは口を開いた。
「先ほど……は、その……」
「普段あの馬鹿が私の領土に来たら、私の魔力に感知されてすぐに対処ができる。奴だって魔力を発している魔族だからな」
ジャンヌ様の静かな声が聞こえてきて振り向くと、クッションの上に肘を突いて、こちらに背中を向けたまま放していた。
「……だが、今回はどうやら、私の不在を狙って入り込み、自身は息を潜めて眷属どもを動かしていたらしい。そういう小賢しい知恵だけは働くんだ」
そして、静かに息を吐いて、ジャンヌ様はこちらを向いた。
「だから……お前に落ち度はない。非があるとすれば、城の中に置いておけば安全だと思って目を放した私の方だ。……だから、その、なんだ……」
ジャンヌ様は何事か、もごもごと口ごもった後で、静かに告げた。
「……酷い目に遭わせて、すまなかった」
謝罪の静かな声が、ジャンヌ様が言ったことだと信じられなかった。
だって──わたしの軽率な行動が原因であんな目に遭って、ジャンヌ様はそれを自ら体を張ってわたしを助けにきてくれただけて──
──色々な思いが込み上げてくるのに、全て言葉にならなくて
「……ふっ、ぐっ……」
気が付くと、とめどなく両目からこぼれ落ちる涙に視界がにじんでいた。
「おい、泣くな……」
ジャンヌ様の慌てた声が聞こえた。心底困らせていることが分かって、どうにか涙を押し留めようとするのに、少しも止められそうになかった。
「……泣かないでくれ。頼むから……」
ジャンヌ様が困り果てた様子で、おずおずとわたしの肩に手を回すのが分かった。
そのまま抱き寄せられるのに、わたしはすがりつくようにその胸に顔をうずめた。
「……心細い思いをさせているのは分かっている。ここは、人間のお前がいるべき場所じゃないってことも……」
ジャンヌ様はわたしの背中に両腕を回して、幼子をあやすように頭をなでた。
わたしが泣き続けるのをただ抱き締めて、ジャンヌ様は静かに告げた。
「約束する。……いつか必ず、ラクシャラ、お前が心から安心して暮らせる場所へ送り届けてやる」
その静かな声に、わたしは泣きながら胸に顔をうずめたまま、小さくうなずいた。
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