第五話 魔族の争い
「あなた、は……」
かがり火の光をにぶく反射する二本の角を生やした魔族を、わたしは見上げた。
陣の中央に腰を据えた甲冑姿の魔族は、たくましい体躯の上から、わたしを見た。
「お前、人間の……何かの神に仕える巫女、か?まだ子供らしいが……」
精悍な顔つきをしたその魔族は腑に落ちない様子で、わたしを見た。
「急にこんな人間の子供一人つれてきて、ジャンヌは一体何を考えている?」
「それは……」
私の方こそ、聞きたい話だ。
「……あなたの方こそ、誰なんですか?」
わたしはわたしを取り囲む物々しい〈亜人〉の軍と、目の前の見上げるような巨体の魔族を見比べて、唇をしめらせてから口を開いた。
「ふうん、存外、キモの据わったガキだな。それとも単に危機感が足りないのか」
牛のような角の生えた魔族は、静かに笑う。
「まあいい。お前にはこの戦の証人になってもらわねばならんからな。人間になど興味はないが、名乗ってやろう」
「戦の証人……?」
わたしが首をひねる目の前で、魔族は悠然と立ち上がった。
そうすると、見上げるような曲の威圧感がいやました。
「覚えておけ、我が名はタルレス・アルデバラン。アスタルテ家と隣り合う所領の持ち主で、ジャンヌの好敵手だ」
そして、タルレスと名乗った魔族は、わたしの頭上を振り向き目を細めた。
彼の視線をたどってわたしも背後を振り返り、はっとなる。
かがり火の光のとどく先──
赤々と燃える火の光と夜の闇のはざまに、黒い外套をたなびかせる剣士がいた。
「……ジャンヌ様」
わたしば呆然とつぶやく視線の先で、ジャンヌ様が険しい顔を向けていた。
〇
「タルレス・アルデバラン」
ジャンヌ様はすっとしなやかな腕を持ち上げると、挑みかかるようにタルレスに向けて指を突きつけた。
「その子を置いて今すぐ私の領内から立ち去るならそれでいい」
ジャンヌ様の声は静かなのに、陣の中央まではっきりと聞こえてきた。
「それならいつもと同じしつけのなってない犬が噛みついてきたのだと思って、追い払うだけで済ませてやる」
「随分とムキになるんだな?お前のそういう顔は初めて見たぞ、ジャンヌ」
タルレスが、腰から鈍い黄金色に輝く大剣を抜き放つ。
「黙れ。……今回は大仰に軍など率いてきやがって、それで私が止められるなど、みじんも思っていないくせに」
「無論、そうだ。お前がこの程度でやられるとしたら、こうして何度も顔を突き合わせていない」
不穏なやりとりを重ねるのに、タルレスが笑い声を上げる。
「だが、そういう遊び心というのは大事だろ。人間にならってやってみた」
「……道化が」
ジャンヌ様が呆れた風に吐き捨て手を翻すと、ジャンヌ様の内から湧き出た漆黒の闇が凝って細身の長剣が現れた。
タルレスがそれを見て、目を細める。
「このガキをそちらまで連れていってやるほど俺は親切じゃない」
そして、黄金の大剣の切っ先をジャンヌ様へと向けた。
「連れ戻したきゃ、自分で来い。ジャンヌ・アスタルテ」
タルレスの言葉に、ジャンヌ様はかすかに眉をひそめた後わずかに身を沈めた。
「言われなくとも行ってやるさ」
次の瞬間、わたしのすぐ耳元を一陣の闇が通り過ぎていった。
わたしとジャンヌ様の間にいた亜人の軍は一瞬の内に駆け抜けた闇に、根こそぎ薙ぎ倒されていたのだった。
「……ジャンヌ、様?」
そして、わたしの体はいつのまにか、ジャンヌ様の細くしなやかな腕に抱え上げられていた。
振りあおぐと、こちらを見ているジャンヌ様と目が合った。
わたしの体に怪我がないのを確かめるように目を細めた後、ジャンヌ様は素顔を漆黒の闇の仮面で覆った。
「ジャンヌ!これがこの十年で五六三回目の決闘だ!」
タルレスが歓喜の声を上げて黄金の大剣を振り上げた。
「存分に、楽しませてもらうぞ!」
〇
敵陣のまっただなかにいるわたしとジャンヌ様めがけて、投石器と石弓が一斉に向けられた。
四方八方から降りそそぐ投石と矢の雨に、わたしはジャンヌ様の体にしがみつく。
「ジャンヌ様!」
だが、ジャンヌ様は特に動じた風もなく身をひるがえした。
その周りで漆黒の外套がジャンヌ様の動きに合わせてひるがえり、周囲を覆う巨大な闇の霧へと化した。
わたしたちに放たれた矢や石は、全てその闇に呑まれて消える。
再びジャンヌ様が身をひるがえすと、わたしたちを覆い守った闇は元の外套へと戻った。
そして、ジャンヌ様はわたしの体を抱え上げたまま、地面を踏み締めた。
「ラクシャラ、目を閉じてろ」
片手で長剣を握り締め、亜人の軍団と向き合うジャンヌ様がわたしに低く命じた。
わたしはジャンヌ様の顔を見上げて、小さくかぶりを振った。
「……無理です」
こんな風にわたしを守ってくれる人のことを──
強く、りりしく、美しいこの人のことを──
──どうして、見ないでいられるだろう。
「じゃあ、私だけを見ていろ」
ジャンヌ様の言葉に、わたしはうなずき彼女の体にしがみついた。
わたしを片腕に抱えたまま、ジャンヌ様は周囲の亜人の兵士たちを薙ぎ倒し、斬り伏せていく。
時に、漆黒の闇を放ち、絡め取り、振るって、次々に亜人の軍を崩していくジャンヌ様は、確かに、そしてこの上なく魔族だった。
かつて、異種族同士の争いの時代、大陸中を恐怖と混沌に突き落とした強大な種族、そのままの姿。
そして──
──「ジャアアアアアアアアンヌウウウウッ‼」
黄金の大剣を振るって、タルレスが突進してくる。
ジャンヌ様はそれをひらりと軽くいなして、蹴り飛ばした。
だが、タルレスも振り返りざまに大剣をなぎ払う。それを、ジャンヌ様は長剣で何度も受けた。
まともに受けてはそのまま剣ごと吹き飛ばされるような、タルレスの巨躯から放たれる強烈な斬撃を、片手で、受け流し、いなしてさばき切る。
「……五六三回目の敗北の味だ。タルレス」
「っ!?」
ジャンヌ様の手から長剣がふっとかき消える。
そのままジャンヌ様は自らの腕に闇をまとわせ、巨大な獣の腕へと自らの腕をつくりかえた。
「よく味わっておけ」
そして、タルレスを頭から叩き潰し、その巨躯を地面へとめり込ませたのだった。
〇
ジャンヌ様が腕にまとった闇を振り払うと、その下から地面に頭からめり込んだタルレスの姿が現れた。
「……毎度のことだが、道化の相手は疲れる」
それを見下ろし、呆れ果てた表情でジャンヌ様が息を吐いた。
「いつまでもそこで寝てるなよ。でなきゃ、今度はお前の不在を狙ってお前の領地を別の魔族がかすめ取りにくるからな」
ジャンヌ様はそう言い捨てて、わたしを抱え上げたまま悠然と歩き始めた。
もう周りには亜人の軍もほとんど残っていなかった。
かろうじて立っている者たちも、既に戦意を失って遠巻きに見ているだけだ。
ジャンヌ様は堂々とわたしを抱え上げたまま、その場を離れていく。
「ジャンヌ様、あの……」
わたしは、この騒動の発端となった自分の軽率な行いを思い出した。
ジャンヌ様に咎められても、なにも言い訳できない。
口ごもっていると、おもむろにジャンヌ様が前を向いたまま口を開いた。
「城に帰るぞ。ちいさいラクシャラ」
「……はい」
わたしは、他にどうしようもなく小さくうなずいた。
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