第三話 魔族の魔力の話
「魔族……は異種間戦争の時代が終わった時に、大陸から姿を消したはずです」
わたしが言うと、黒髪の女性は皮肉げな笑みに唇をゆがめた。
「じゃあ、今、お前の目の前にいる私はなんだ?」
からかうような問いに、わたしは口ごもる。
昨晩の光景や、目の前の美しい女性の笑みがぐるぐると頭の中を回る。
「そう不安そうな顔をするな」
わたしが言葉もなく女性を見詰めていると、やがて女性の方がつまらなさそうに顔をしかめて、テーブルに身を乗り出した。
「今、お前にも分かりやすく説明して、見せてやる。私が魔族たるゆえんを」
そう言って黒髪の女性はわたしの目の前に指を一本立てた。
「この世界には魔の力がある。私たちが普段暮らす空気の中、土の中、水の中、ありとあらゆる場所に、だ。それは普通、精霊種にしか感じ取ることができず、扱うこともできない」
「はい……」
「だが、魔族は違う」
そう言うと女性は指先からぽうっ、と影のような漆黒の丸い塊を出した。
「触れてみろ。害はないはずだ」
言われるがまま、わたしはその闇の塊に触れた。熱くも冷たくもない。指で押してみると、かすかに押し返してくるような弾力があった。
これと似たものを最近も感じたことがあると思って──思い出した。
空を舞う鳥になった時、わたしを包んでくれていた漆黒の闇。
「これが私の魔力だ。魔族である私、ジャンヌ・アスタルテの、他ならぬこの身に備わる人智を超えた魔の力だ」
その言葉に、わたしは何度も目を瞬いて黒髪の女性を見上げた。
「その身の内に魔力を宿し、それを自在に扱えるから私たちは『魔なる種族』、つまり魔族と呼ばれる。……まあそれ以外にも色々とあるが、根本的な他の種族との違いは、その一点であると言える」
女性──ジャンヌ・アスタルテと名乗った黒髪の女性は、わたしを見下ろした。
「理解できたか?」
念を押すように尋ねる言葉に、わたしは少し自分なりに考えてみた後、ゆっくりとうなずいた。
「はい……理解できたと思います。ジャンヌ様」
わたしの返事を聞いたジャンヌ様が、面食らったように顔をしかめた。
「……ジャンヌ、様?」
「えっと、あのジャンヌ様はわたしの命の恩人ですし、こんなお城を持った地位のあるお方、ですから……」
わたしはもごもごと口ごもりつつ、自分の手を見下ろした。
「あの……駄目、ですか?」
「駄目、というわけではないが……」
ジャンヌ様は椅子に座り直し、腕を組んで低く唸っていた。
「まあいい。お前の呼びやすいように呼んだらいい」
「はい、ジャンヌ様」
わたしがうなずくと、ジャンヌ様は何故か嫌そうな顔をして、頭をごりごりと無造作にかいた。
「小さいラクシャラ、お前には色々と言っておくことがある。だが……」
ジャンヌ様はちらりとわたしに
「それはまた今度だ。お前に部屋を用意してあるから、今日は大人しくしてろ」
ジャンヌ様はそう言って、中庭のテーブルから回廊に向かって振り返る。
「ゲルデ!ラクシャラの奴を案内してやれ」
ジャンヌ様のその声に、回廊の暗がりから小柄な影が進み出て膝を突いた。
わたしは思わず「あっ」と短く声を上げた。
「かしこまりました。部屋の用意は済んでおりますのですぐにご案内しましょう」
そう言ってうやうやしく頭を下げたのは、人ならざる種族──〈
それに──わたしには声で分かった。
この〈小鬼〉は昨晩、わたしを庇った、あの黒装束の〈小鬼〉だ。
〇
古城の回廊を、ゲルデと呼ばれた〈小鬼〉の男性の小柄な背中について歩く。
わたしは黙りこくったまま彼の背中に続いて、ゲルデさんの方も最初に「こちらです」とわたしを促すと、きびきびとした、それでいて急ぎ過ぎない洗練された足取りで、入り組んだ古城の中を案内する。
「この城は複雑な造りですので、一人で歩かれると迷ってしまうかもしれません」
不意にゲルデさんが振り返ってわたしに言うのに、はっと目を瞬く。
「ジャンヌ様のお父様──先代のカール様が戦に備えて、アスタルテ家の領内の各地にこういった城を築かれました。しかしここが実際に使われたことはありません」
「そうなん……ですか」
「客を迎える目的で造られた城ではありませんので、他にもご不便をおかけする事があるかもしれません。その時はご遠慮なくわたくしにお申し付けください」
そう言って穏やかに微笑むゲルデさんは、わたしの知識の中にある凶暴で邪悪な亜人の〈小鬼〉とは似ても似つかなかった。
そして、わたしは回廊の角を曲がった先の一室へ案内された。
扉を開くと、かすかに埃の臭いがするだけで、きれいに手の行き届いた部屋があらわれた。
「何か不都合がございましたら、どうぞご遠慮なく」
そう言って、手早く窓の覆いを外すゲルデさんの姿に、彼が準備してくれたのだと分かった。
「あの……」
わたしは、ゲルデさんにたまらず話しかけた。
「少し、話を……してくれませんか?」
わたしがおずおず問うと、ゲルデさんは一瞬、意表を突かれた様子だったが、すぐにうなずいた。
「そうですね。それでは、何か飲み物をお持ちしましょう。少々お待ちを」
そう言って、わたしを気遣うようにゲルデさんは微笑んだ。
〇
「城の周りで栽培しているハーブで淹れたお茶です。茶葉もありましたが、どうにも準備が間に合わなかったので、今回はこれでご容赦ください」
「あっ、いえ、はい……大丈夫、です」
わたしがおそるおそるうなずく前で、ゲルデさんは鮮やかな手付きでガラス製の戦災な飾りの付いた茶器で淹れたお茶をカップに注ぎ、盆に載せて給仕してくれる。
「カモマイルです。まだいささか気を張られているようですし、落ち着きますよ」
「はい、ありがとう」
お茶の香りは、神殿の宿坊で大きいラクシャラと過ごした時間を思い出す。
一口、飲んでみると本当に自分が張り詰めていたのが分かった。
なんとなく、ほぐれた気持ちでソファに座り直し、ゲルデさんと向き合う。
「……ありがとうございました」
「いえいえ、お気になさらず」
「違うんです。その……わたし、お茶のことだけじゃなく……」
わたしは目を伏せて、思わずゲルデさんの顔を見ていられなくなる。
「昨日の、こととか……謝らないとと、思って……」
それを聞くとゲルデさんは小さく目を見開いて、静かに微笑んだ。
「……少し、わたくし自身のことをお話しましょうか」
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