第二話 魔を司る種族

 雲の中にいるような、柔らかく弾むような感触の中でわたしはまどろんでいた。

 だとしたら、わたしはまだあの大きな鳥の羽に包まれているんだろうか。


 弾むような感触の上で寝返りを打つと、そのまま落っこちてしまった。


 「ふえっ」

 思わず変な声が出た。

 衝撃に身構えたけど、落ちた先もなんだかふわふわした物の上だった。


 目を見開いて体を起こすと、毛足の長いじゅうたんの上だった。

 わたしの体には分厚い毛布がかけられて、顔を上げると見た事もないような豪華な寝台から転げ落ちた痕跡が続いていた。


 状況がつかめなくて、わたしはぱちぱちと目を瞬いた。


 「何が……起こったんだろう」

 部屋の中に、私以外に誰かいる気配はない。

 窓の外に目を向けると、岩だらけの断崖の向こうに白波の打ち寄せる鉛色の海と、分厚い雲に覆われた、陽射しのない空が見えた。


 寒そうな風の音が聞こえてきたけど、部屋には暖炉の火が入って暖かかった。

 わたしはだぼっとした明らかにサイズの合ってない寝巻姿だった。

 探してみると、ベッドの枕元に巫女の衣装と、腕飾り、髪飾りがあったので急いでそれに着替える。


 追放された以上、わたしはもうラクシャラ様の巫女ではないのだけど、それでも着慣れた衣装に袖を通すと、なんだかほっとした。


 それから改めて部屋の中を見て回ると、華やかではないけど小奇麗な調度品や書き物机、部屋の隅に化粧台と姿見が置かれていた。

 ──高貴な女の人の部屋、なのだ。多分だけど。


 「カアッ」

 「ふわっ!?」


 そうしていると、不意に扉の方から甲高い鴉の鳴き声が聞こえて、びくりとした。


 振り向くと、開け放された扉の前で、鴉が一羽、つぶらな眼でわたしを見ていた。

 鴉はそのまま、とんとんと跳ねるように部屋を出ていく。

 部屋の外は石造りの暗い廊下と螺旋階段が続いていた。鴉は弾むような足取りで螺旋階段の手前まで進んだ後、もう一度わたしを振り返って鳴いた。


 「……ついてこい、って言ってるの?」

 わたしがおそるおそる尋ねると、鴉はぴょんと階段を一段降りた。


 他にどうしようもなく、わたしは鴉の後に続いて部屋を出た。


 部屋の外に出て見て分かったけれど、わたしが今いるのは、ごつごつとした岩だら断崖に三方を囲まれた岬の古城だった。

 古い戦で使われた場所なのだろうか。薄暗い尖塔の中をぐるぐると、鴉と共に降りていくと、殺風景な回廊に出た。


 中庭にはどんよりとした日の光が差し込んでいる。

 でも、中庭の一角は庭園になっていて、そこだけは綺麗な花の咲く──綺麗なだけでなく丁寧に手入れのなされた花園になっていた。


 「あっ」

 不意に鴉が羽を鳴らして飛び立ち、その庭園へと向けて飛んでいった。


 わたしが視線を向けるその先に──漆黒のドレスを身に纏った女性がいた。

 彼女の肩の上に、鴉は無造作にとんっ、と留まった。


 ──「ようやく起きたか。……もう昼間だぞ」


 低い、不機嫌そうな女性の声が聞こえた。

 黒いドレスの女性が喋っているのだとわたしは最初、分からなかった。


 細身のしなやかな体付きに、鴉の濡れた羽のような艶やかな黒い髪。

 

 「こっちに来い。腹が減ってるんだろ?」

 わたしの方を振り返らないままぶっきらぼうな口調で告げる声が、今まで見た事のないような、そんな美しい女性の声だとは信じられなかったから。


 「なにをしている?」

 ようやく、わたしの方を女性が振り返った。白く透き通るような肌に、整った顔立ち、鮮やかな赤い瞳。綺麗だけど、冷ややかな表情。


 でも──分かった。

 彼女は昨晩、わたしを救ってくれた剣士だ。

 その肩の上で、わたしをここまで導いた鴉が光に照らされた影のように消えた。


 〇


 中庭の四阿あずまやに通されたわたしは、黒髪の女性とテーブルを挟んで向かい合って椅子に座った。


 テーブルの上には既に食事が出されていて、パンと、ぶどうやベリー、ざくろといった果物と、深皿に濃厚そうな白いミルクが注がれていた。

 わたしでも安心して食べられるような物が見繕われている、のだと思うけど──


 「あ、あなたは……食べないん、ですか?」

 「腹が減ってない」

 「見られてる、と食べにくいん、です、けど……」

 「気にするな」


 向かいに座った女性は静かに腕を組んだまま、わたしをじっと見詰めている。

 すごく綺麗な人なのに、とにかく不愛想で目付きも鋭くて──こわい。

 他にどうしようもなくてもそもそと食事を口に運ぶ。美味しい──のだと思うけど、やっぱり喉につっかえて味がよく分からなかった。


 それでも、気が付くと出された分はたいらげていた。


 「腹は満たされたか?」

 「はい……多分」

 「ま、不足だと言われたら、お前が食えそうなのを用意するのに、またゲルデを使いに出さないといけなくなったんだがな」

 「はあ……」


 よく分からないなりにうなずいていると、黒髪の女性は組んでいた腕を解いて、わたしを見詰めた。


 「……お前、自分の置かれている状況を理解しているか?」

 わたしは首を左右に振りかけて、でもそれはやめて、ほんの心ばかりうなずく。

 「あなた……が、わたしを、助けてくれた……」

 「ふん」


 女性はわたしがおそるおそる言うと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 「のん気なもんだな。自分を助けた相手が誰かも知らないで」


 わたしは黒髪の女性を上目遣いに見た。

 もちろん──昨日見た光景で覚えているのはそれだけじゃない。

 わたしを殺そうとした兵士が次々と、〈小鬼ゴブリン〉や巨大な白い狼や〈ドラゴン〉のような蜥蜴に襲われて殺された。


 そんな怪物たちが、うやうやしく出迎えた黒い剣士。

 わたしの目の前で鋭く目を細めて見ている女性。


 「あなた、は……怪物たちの、王様?」

 女性が皮肉そうに笑みを浮かべてわたしを見下ろす。

 「お前ら人間はそういう連中をなんと呼んでいる?」


 女性の言葉に、わたしはごくりと唾を呑み込んだ。

 この大陸には四つの種族が住んでいる、と言われている。

 わたしのような人間、獣の特長をあわせもった獣人種、魔法を扱える精霊種──

 そして──


 「ま……魔族」


 女性はわたしの答えにうなずき、頬杖を突いて不敵な笑みを浮かべた。

 「よく分かっているじゃないか」

 初めて見る女性の笑顔の口元から、鋭く白い歯がのぞいた。

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