030 枢木杏奈

「な、なんすか?」


 反射的にファイティングポーズをとる。

 そんな俺を見て自衛官たちは優しく微笑んだ。


「そう身構えなくても大丈夫だよ。別に危害を加えにきたわけじゃない」


 全く信用のならない言葉。

 詐欺師は「詐欺をしに来た」とは言わないものだ。

 しかし、俺はホッと胸をなで下ろして拳を下ろした。


「枢木杏奈さんを捜しているのだけど――」


「涼真ー、どうしたの?」


 自衛官の一人が話していると、ちょうど杏奈が戻ってきた。

 梨花も一緒だ。


「杏奈に用事があるみたいだよ」


「え、私?」


 杏奈が「なんで!?」とファイティングポーズをとる。

 先ほどの俺と全く同じ反応に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

 自衛官たちは声をあげて笑っている。

 だが、本題に入ると真剣な顔付きになった。


「枢木杏奈さん、静岡のご両親から捜索願が出ている。貨車で君を甲府まで送るから、我々と一緒に来てもらえるかな?」


「「「えっ」」」


 俺たち三人は固まった。


「おい杏奈、どういうことだ?」


「親に説明したんじゃなかったの?」


 俺たちは杏奈が親の許可を得て同行していると思っていたのだ。

 杏奈自身がそう言っていたので疑っていなかった。


「説明はしたよ。その、書き置きで……」


「じゃあ承諾してもらっていなかったんだ?」と梨花。


 杏奈はバツの悪そうな顔で頷いた。


「なんでそんなことを……」


「だって、言っても承諾しないのが目に見えているもん」


 俺たちに答え終えると、杏奈は自衛官に目を向けた。


「私、戻りません」


「それは認められない。捜索願が出ていて対象者を発見した以上、我々には君をご両親のもとへ送り届ける義務がある」


「そんなおかしいじゃないですか。私もう19ですよ。大人です。だから自分のことは自分で決めてもいいはずです。親の言いなりになんかなりたくない」


 杏奈は徹底抗戦の構えを見せた。

 目に涙を浮かべて、絶対に戻らないと言い張っている。


「残念ながら現在の規則ではそうもいかない。我々自衛隊は決められたルールを遵守する組織だ。個人的には君の気持ちも分からなくないけど、だからといって例外を認めることはできないんだ」


「そんなのって――」


 俺は言い返そうとする杏奈を手で制止した。


「すみません、少し杏奈と話す時間をください。逃げないので」


 自衛官が「分かった」と言う。


 俺たちは小屋から少し離れた場所に移動した。


「おかしいよあの人ら。なんで戻らないといけないわけ? 別にいいじゃん。書き置きしたんだし、私もう大人なんだし」


 頬を膨らませて喚き散らす杏奈。

 彼女が落ち着くまで黙って聞いた後、俺は言った。


「俺は戻ったほうがいいと思う。いや、戻るべきだ」


「え? なんで涼真まで……」


 信じられない、と言いたげな杏奈。


「自衛官と同じセリフになるが、俺も杏奈の気持ちは分かるよ。もう大人なんだから自分のことは自分で決めてもいいはずだ。だから書き置きだけ残して出てきたこと自体は悪いと思わない」


「だったら……」


「でもさ、それって親の気持ちは考えていないよな。例えば杏奈が魔物に殺されたらさ、親のショックは計り知れないと思うぞ」


「そんなの……私の……」


「逆の展開もありえる。杏奈の親が魔物に殺されるかもしれない。しかも、娘を捜そうとした結果そうなるかもしれない。そうなった時、杏奈は絶対に後悔すると思うよ」


「………………」


 杏奈は目をキュッと瞑って俯いた。


「だから一度戻って、しっかり話し合ったほうがいいと思う。杏奈自身が後悔しないためにもそうするべきだ」


「涼真……」


「私も涼真君と同意見だよ。親は心配性で色々と束縛してくるけど、それって愛があるからなんだよね」


 梨花の言葉は杏奈に向けてのものだったが、俺の心にも刺さった。

 俺の親は一切の心配をせず、束縛もしないので。


「……分かった。私、親と話し合うよ。でも、また絶対に戻ってくるから」


「分かっているさ」


「また三人で冒険しようね!」


「それまで死ぬなよー!」


 杏奈はニィと白い歯を見せて笑い、俺の胸を小突いた。

 いい顔をしている。


「たぶん大丈夫だとは思うが、護身用に持っていくといい」


 俺は【死の波動】が付いたダガーを召喚し、杏奈に渡した。


「それがあれば飛行タイプ以外のザコは怖くない」


「ありがとう! 空を飛ぶ魔物は銃で撃ち落とせばいいしね!」


「そういうことだ」


 俺たちは自衛官のもとに戻った。


「話はまとまったようだね」


 杏奈の顔を見て、自衛官たちは察したようだ。


「はい、ご迷惑をおかけしました」


 杏奈が深々と頭を下げる。


「それでは我々と一緒に――」


「その前に、もう少しだけ待ってもらえませんか? 正確な時間は分からないけど、貨車が発つのはすぐじゃないですよね?」


 杏奈の読みは当たっていた。


「ああ、約1時間後だ」


「なら30分ください。30分後、荷物をまとめて自分で駅まで向かいます」


「いいだろう」


 自衛官はあっさり承諾した。

 杏奈が約束を守ると確信しているのだろう。


「では30分後、美濃松山駅のホームまで来るように。多少の遅刻は問題ないが、だからといって遅れないようにね」


 自衛官の優しさを感じるセリフだ。


「ありがとうございます!」


 杏奈は再び頭を下げた。


 ◇


 杏奈は自衛官からもらった猶予で何をするのか。

 その答えは――。


「本当にいいのか? 梨花ともっと話したほうがいいんじゃ?」


「ううん。これでいいの」


 俺と杏奈は、二人でプレハブ小屋の一帯を歩いていた。

 杏奈が二人きりで過ごしたいと言ったからだ。


「手……繋いでもいい?」


 恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見る杏奈。


「別にいいけど……」


 俺はすっと左手を出す。

 その手に、杏奈は右手を絡めてきた。


「急だな、手を繋ぎたいだなんて」


「ずっと憧れていたんだよね」


「俺に?」


 杏奈がブホォと盛大に吹き出した。


「違うよ! 恋愛にだよ!」


「なんだ、俺じゃなくて恋愛か」と笑う。


 杏奈は「当たり前でしょー!」と、繋ぐ手に力を込めた。


「こうやって手を繋いで歩きたかったのよ


「俺じゃ荷が重すぎるな」


「荷が重い?」


「杏奈は恋人と手を繋ぎたかったんだろ? すると今の俺は恋人役なわけだが、杏奈の恋人としては明らかに不適格、見劣りするぜ」


 杏奈は学校でも屈指の美少女だ。

 いや、「学校でも」などという言葉は相応しくない。

 日本の中でも指折りと言えるだろう。

 彼女と梨花は全国レベル、有名なアイドルにだって負けない。


 一方、俺は只の軟弱なモヤシボーイだ。

 身長も172cmと平々凡々で、唯一の特徴は親がクレイジーなことのみ。

 明らかに釣り合わなかった。


「そんなことないよ。もしもっと選択肢がたくさんあって、色々な男の中から恋人役を選べるとしても、私は絶対に涼真を選ぶもん」


 冗談かと思いきや、杏奈の顔は真剣だった。

 だから俺も真顔で返す。


「マジで?」


「だって涼真は私たち枢木家の命の恩人だもん。涼真がいなかったら私も両親も初日に死んでいたよ」


 初日とは魔物が現れた日のこと。


「そう言ってもらえるならよかった」


 視界には未だにプレハブ小屋が広がっている。

 というのも、先ほどから同じ場所をグルグルしているのだ。

 この辺は誰も住んでおらず、食堂や浴場からも距離がある。

 そのため驚くほど閑散としていた。


「そろそろ戻るか? 時間が近づいてきた」


「そうだね。でも、その前に……」


 次の瞬間、杏奈は俺に抱きついてきた。

 そのままプレハブ小屋に背中を押し当てられる。


「あ、杏奈……・」


「今だけは恋人ってことで……いいよね?」


 杏奈の「いいよね?」が何を指しているのか分かる。


「う、うん、俺でよければ」


 俺は目を瞑り、杏奈の背中に手を回した。


「涼真だからいいの」


 杏奈がキスしてきた。

 その唇は想像していたよりも柔らかい。

 距離が近いことで、美女特有の甘い香りがする。


「私もしてほしい……」


 くるりとポジションを交代する杏奈。

 今度は彼女が小屋に背中をつけ、目を瞑った。


「杏奈……」


 指で杏奈の前髪をわけ、優しく唇を重ねる。

 今度のキスは、先ほどよりも長くて濃厚だった。

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