021 ぬか喜び

 こんな世界になっても、マックの味は変わらなかった。

 もちろん完全に同じというわけにはいかないが。


 かつての味を再現するのに相当な努力をしているに違いない。

 中でも輸入に依存している食品――例えば牛肉などは大変なはず。

 国産牛で代用するのは難しそうだが、どうやりくりしているのだろう。

 そんなことを考えつつ、俺は今後の予定を詰めた。


「今日は適当なホテルに宿泊するとして、明日の夜にタクシーを拾って関西方面に向かうってことでいいかな?」


「私はそれでオッケー」と杏奈。


「同じく!」


 梨花は口の端についたソースをペロリと舐める。

 得も言えぬエロさが感じられた。


(チッ、配信を続けておくべきだった)


 食事の直前に配信を終了していた。


「明日の日中は自転車のメンテナンスとアレコレを購入するってことでOK?」


 杏奈が尋ねてくる。

 彼女の言う「アレコレ」が何を指しているのか分からない。

 きっと食糧のことだろう。


 訊くのも野暮なので「OK」と返しておいた。


 ◇


 食事を終えると近くのホテルにチェックイン。

 外資系の有名な高級ホテルで、昔なら一泊10万はしただろう。


 それが今では一泊1000円である。

 素泊まり限定で食事はないが、この価格なら文句はない。


「モフモフベッドに体をドーン!」


 部屋に入るなり杏奈がベッドに飛び込んだ。

 しかも窓際の一番いい場所である。


「子供だなぁ」


 俺は苦笑いでソファに座る。

 高級ホテルなだけあって革張りで座り心地がいい。


「私だって子供だよー、涼真君!」


 梨花は扉から最も近いベッドにダイブ。

 必然的に残っている真ん中のベッドが俺用になった。


「とりあえずお風呂だね! お風呂! 梨花、大浴場に行こー!」


「うん! 行こ行こっ!」


 杏奈と梨花は休む間もなく出ていった。


「俺も汗を流してから寝ないとな」


 その前にスマホを確認しておこう。

 匿名掲示板やSNSにアクセスして情報を集める。


 ここで言う情報とは集落のことだ。

 伊豆半島の人たちのように、都市部から離れて暮らしている者は多い。

 むしろ生存者の大半がそうだ。


 当然、中小規模の集落が多数点在している。

 それらの場所を把握しておけば役に立つかもしれない。

 ……と思ったが、調べていると眠くなってきた。

 自覚している以上に疲労が積もっているようだ。


「このままだと寝落ちしてしまうな」


 最後にポイントの確認だけしておく。

 25万くらいかなと思ったが、実際には30万を超えていた。

 配信を終えたことで広告収入が入ってきたおかげだ。


「10時間以上も配信すりゃそれなりに稼げるものだな」


 広告収入は総視聴時間で決まる。

 詳細なレートは不明だが、思ったよりも悪くない。


「ブラックドラゴン討伐までの道のりは長いな」


 目標金額は225万ポイント。

 1枠のBランク武器代125万とOPスフィア代100万の合計額だ。


 ブラックドラゴンはBランク以上の武器でしか倒せない。

 そのため、この225万というのが最低でも必要な額だ。


 もちろん枠なしでよければもっと安い。

 たったの50万だ。


 しかし、枠なしの武器で勝つのは不可能だろう。

 俺が戦闘のプロならともかく、現実には只の高校生だ。

 運動神経だって特筆するほどのものではない。


「ま、のんびりやればいいさ」


 時間制限があるわけではない。

 マイペースに取り組んでいくとしよう。

 俺はあくびを連発しながら大浴場に向かった。


 ◇


 入浴後、ホテル内にあるバーラウンジに行った。

 洒落たカクテルグラスでジュースを飲もうと思ったからだ。


 そういう行為に憧れているわけではない。

 ただ、魔物が現れる前ならできなかったことなので興味があった。


(なんだかすごい空間だな……)


 人生初のバーは、薄暗くてムーディーな雰囲気が漂っていた。

 謎のジャズが流れ、半個室のテーブル席には男女のコンビがちらほら。


「ノンアルコールのジュースを注文することはできるかい?」


 俺はカウンター席に座った。


「可能ですが……」


 20代後半と思しきバーテンダーが困惑したように俺を見る。


「何か?」


「いえ……」


 きっと彼は「ガキがどうしてウチに」と思っているのだろう。

 魔物が出現する前なら追い出されていたはずだ。


 それでも、流石は高級ホテルのバーラウンジである。

 バーテンは不可解な表情をしながらもサービスしてくれた。

 シェイカーをシャカシャカして飲み物を作ってくれたのだ。


「オレンジジュースになります」


 出てきたのは只のオレンジジュースである。

 紙パックからシェイカーに移しているのが見えていた。

 シャカシャカ鳴っていたのは氷の音だ。


「オレンジジュースもカクテルグラスに入れば様になるな」


 イメージ通りの体験ができたので満足する。

 さて、飽きたのでグラスを空にして部屋に戻ろう。

 ……と、思った時だった。


「やや! キミは城ヶ崎涼真!」


 青髪の女がやってきて、俺の隣に腰を下ろした。

 胸元の開いた白い半袖のシャツに深紅のショートパンツ。

 さらには太ももを強調する黒のストッキング。


「朱里さんじゃないか」


 昼に海の家で世話になった北条朱里だ。


「こんなところで会うとは奇遇! いや運命かな?」


 朱里がニィと笑う。


「お昼ぶりです、城ヶ崎さん」


 丁寧な口調でそう言ったのは、朱里の後輩・理子だ。

 彼女は俺とは反対側の朱里の隣に腰を下ろした。


「マスター、いつものやつ!」


「朱里先輩、私らここに来るの初めてですよ」


「んが!? じゃあ適当に何かお願い! 涼真が私を酔い潰せてお持ち帰りできるよう、アルコールはがっつり強めにしちゃって!」


 バーテンダーは「かしこまりました」と苦笑い。

 きっと「頭のおかしな奴が増えたぞ」と思っている。


「二人もこのホテルに泊まっていたのか」


「いえ、私たちは違います」と理子。


「こんな高い場所に泊まれるものか! ここには飲む為に来たのさ!」


 さっそく二人の飲み物が用意された。

 どちらもアルコールが入っている謎のカクテルだ。


「では理子君、今日の疲れを癒やすべく乾杯!」


 カクテルグラスを盛大に当てる朱里。

 逆三角形のグラス内で酒が揺れまくっている。


「俺はこの手の作法に詳しくないが、カクテルグラスを当てての乾杯はしないものじゃないか?」


「なんだっていいんだよそんなものは!」


 理子とバーテンが同時にため息をついた。


「見たところ涼真も来たばかりのようだし、我々と語ろうではないか!」


 そのセリフを皮切りに朱里たちとのトークが始まった。

 話を仕切るのは朱里で、何だかんだ盛り上がる。

 その間も酒は進み、朱里は30回くらいおかわりしていた。


「朱里先輩、さすがに飲み過ぎでは……?」


「たしかになぁ! いい感じに酔ってきたよ理子君!」


 朱里は空になったグラスに手の平で蓋をして「おしまい!」と宣言。

 薄暗い店内でも頬がポッと赤くなっているのが分かった。


「時間も時間だしこの辺でお開きにするか」


「ちょっと待ったぁ! 涼真、それはないだろぉ?」


 朱里が抱きついてくる。


「これからが本番だろぉ?」


「本番……?」


「お持ち帰りしないと! べろんべろんに酔ったこの私を!」


 そう言って俺の太ももに手を這わせる朱里。

 トロンとした目で俺を見つめながら、エロティックな舌なめずりをする。


「お持ち帰り……! 大人の階段……!」


 だんだん俺もその気になってきた。

 ムラムラして妄想も捗る。


「そぉだぁ、一緒に情熱の夜を過ごそうじぇ」


「それはいい……! とてもいい……!」


 こういう展開は大歓迎だ。


「ちょっと待ってください! 私がいますよ! 私!」


 突然、理子が水を差してきた。


「なんだい理子君も混ざりたいのかい?」


「三人で大人の階段をのぼる……だと……!?」


 そんな展開も悪くない。


「違ぁう! 違いますよ! 私もいるからダメって話です! 他人様にこれ以上のご迷惑をかけるまえに帰りますよ朱里先輩!」


 理子はカウンターに引換券を7枚置き、俺に絡みつく朱里を引っ剥がした。


「ちぇ、仕方ないなぁ」


 朱里はあっさり引き下がった。

 立ち上がってそのまま帰っていく……と、見せかけて。


「おっとぉ!?」


 などと言ってわざとらしく体勢を崩す。

 そうして俺に抱きつくと、耳元で囁いてきた。


「どうしてもムラムラするならこのあとこっそり誘ってね、待っているから」


 その口調はとてもハッキリしていた。


「ちょっと朱里先輩ー、何しているんですかぁ!」


「ごめんごめん理子君。ふぁー、酔った酔ったぁ」


「それでは城ヶ崎さん、お先に失礼します」


 理子は俺にお辞儀すると、朱里の腕を首に回して出ていった。


「……よし、消えたな!」


 俺はひたすら反芻していた。

 別れ際に朱里が囁いた甘美な言葉を。


(もうムラムラしてたまんねぇ!)


 ということで朱里を誘うことにした。

 ――が、チャットアプリを開いたところで気づく。


「しまった……! 連絡先を聞き忘れていた……!」


 これでは誘うに誘えない。

 その上、彼女らがどこに泊まってのいるかも分からない。


 俺は涙目で会計を済ませてバーをあとにした。

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