016 朱里と理子

 朱里の味噌ラーメンは濃厚で美味かった。

 麺の量もさることながら野菜がたっぷりで嬉しい。

 ただし、ご時世的な都合でチャーシューは入っていなかった。

 代わりに肉厚のメンマが多めに添えられている。


「いやぁ素晴らしい食べっぷりだね涼真! 理子君も見習いたまえ!」


「見習えもなにも、私、城ヶ崎さんの10倍くらい食べさせられましたよ!」


 食事中、朱里たちとの会話を楽しんだ。


 二人のフルネームは北条ほうじよう朱里と東雲しののめ理子という。

 どちらも大学生で、先輩・後輩の間柄らしい。

 年齢は朱里が俺の2つ上、理子が1つ上とのこと。

 つまり20歳と21歳になる。


 今は二人で日本中を放浪しているそうだ。

 天真爛漫らんまんの朱里が理子を引っ張り回している模様。


 もちろん海の家は二人の所有物件ではない。

 インフラが生きているのをいいことに朱里が勝手に使っている。

 調理器具や食材もわざわざ持ち込んだらしい。


「へぇ、三人は山梨に行くのかー。首都を見るのも青春の一興ぞ!」


「青春の一興かは分からないけどね。二人はどこに向かっているの?」


「我々は気の赴くままさ! そうだろ? 理子君!」


「私はお家に帰りたいですぅ」


「馬鹿者! 若人わこうどがそんな軟弱な姿勢でどうする!?」


「そりゃ朱里先輩は楽しいと思いますけど、私は荷物持ちから運転までさせられて大変なんですよぉ!」


 理子は俺たちに向かって「見てくださいよこれ」と足下を指した。

 パンパンに膨らんだ大きなリュックサックが置いてある。

 彼女が運ばされている荷物の一部らしい。


「ええい! 甘ったれたことを!」


 朱里は厨房を出てこちらに近づいてきた。

 エアコンのない場所で調理していたからか汗だくである。

 顔の至るところに汗が浮かび、シャツが地肌に張り付いていた。


「こんなもの!」


 先ほど理子の指したリュックに蹴りをお見舞いする朱里。

 しかし、よほど重いようでリュックはピクりとも動かなかった。

 それどころか朱里のほうが「うぎゃああああ」と悲鳴を上げている。


「おいおい……」


 俺たちは苦笑いを浮かべた。


「理子君のことはさておき……」


 朱里は何事もなかったかのように俺たちの後ろに立った。

 厳密には杏奈と梨花の背後を行ったり来たりしている。


「決めた! キミにしよう!」


「え、私?」


 朱里がロックオンしたのは梨花だ。


「そうだ、立ちたまえ梨花君!」


「は、はい!」


 梨花は言われたとおりに立ち上がり、体を朱里に向けた。


「何をするつもりだ……?」


「分かりません……先輩はちょっとおかしな人なので……」


 俺たちが固唾を飲んで見守る中、朱里は手を伸ばした。

 優しい手つきで、梨花の着ているブレザージャケットのボタンを外す。

 そして――。


「ふんがー!」


 なんと、梨花の胸に顔面をうずめた。


「ふぇぇ!?」


 思わず素っ頓狂な声を出す梨花。


『うおおおおおおおおおおおお!』

『やべぇええええええええええ!』


 盛り上がるコメント欄。


「んふぅうううううう!」


 朱里は顔をブルブル振って梨花の胸を堪能。

 梨花が逃げないよう、がっちり背中に腕を回している。


「ちょっと朱里さん……!」


「ぷはー! やっぱり顔の汗は大きなおっぱいで拭くに限る!」


 しこたま楽しんでご満悦の朱里。

 梨花は恥ずかしそうに頬を紅潮させていた。


「なんという……なんという羨ましいことを……!」


「おーい、涼真ー、心の声が漏れているぞー」


 と、呆れる杏奈。


『朱里たんサイコー!』

『いいぞもっとやれ!』


 朱里のセクハラ行為によってスパチャが加速。

 いよいよ15万ptを超えた。


「いやぁ悪いね! ま、ラーメン代だと思って許してくれたまえ!」


 朱里は「がはは」と豪快に笑い、梨花の隣に腰を下ろす。

 梨花はまた何かされるのではないかと身構えていた。


 ◇


 食事が終わり、移動を再開する時がやってきた。

 海の家の前で朱里たちと別れの挨拶をする。


「本当にいいのかい? リヤカーなら空いているぜ?」


 朱里がリヤカーで山梨まで送ってやると言い出した。


「いやいや、お三方まで載せたら壊れちゃいますよ朱里先輩!」


「そこは理子君、キミがどうにかしたまえ!」


「そんなぁ……!」


「理子さん安心してくれ。俺たちは自力で山梨を目指すよ。自転車をここに置いていくわけにはいかないしね」


 ホッと胸をなで下ろす理子。

 一方、朱里は「ちぇ」と残念がった。


「では俺たちはこれで。ラーメンごちそうさま!」


 杏奈と梨花が「お世話になりました!」とお辞儀する。


「いいってことよ! また食べたくなったらいつでも来たまえ!」


「何言ってるんですか! 来ても私たちいないですよ!」


「おっと、そうだった!」


 二人も支度を済ませたら発つそうだ。


「旅の出会いは一期一会だ! またどこかで会おう!」


(一期一会じゃねぇのかよ!)


 心の中でツッコミを入れながら、苦笑いで自転車に乗った。


 ◇


 移動を再開した俺たちは、寄り道することなく志下を出た。

 地図アプリや標識を確認しながらアスファルトの道を進む。

 当然のように車道を並走していた。


「この辺はすっかり都会だなぁ」


「ねー!」


 今いるのは静岡県の沼津ぬまづ市。

 ホテルが乱立し、背の高い建物が至る所にある。


「都会と田舎の違いって建物の高さだよねー」


 梨花の言葉に、「分かる分かる!」と杏奈が相槌を打つ。


「伊豆にはビルやマンションって全然ないもんね」


 その後も色々な話をした。

 自転車を漕ぎながらの会話は楽しいものだ。


『地球って灰色が多いよなー』

『田舎の方は緑が豊かだったけどな』

『アスファルトってどんな素材なんだろう?』

『こっちは石造りが主流だから新鮮だよなぁ』


 異世界リスナーは都会の風景を満喫していた。

 新鮮味を感じているようだが、残念ながらスパチャは降ってこない。

 ただ、視聴者数はグングン上がっていた。


「さっきから視聴者の数が急増しているんだけどどうしてなんだ?」


 リスナーに尋ねながら、俺は左手で鉄扇を振るう。

 俺たちを襲おうとするザコに雷が降り注ぐ。

 ローニン以外は左手をフリフリしているだけで勝手に死ぬから楽だ。


『他所の風景は人気があるんだ。配信を見る醍醐味の一つだからね』


 ルーベンスが教えてくれた。


『主の配信には美女がたくさん出るから、ディープなオタクの間じゃちょっとした話題になっているんだよ』


 他のリスナーが別の回答をする。


「風景+美女パワーってことか」


「美女ってウチらのことー?」と杏奈。


「もちろん」


「ついに私らの魅力が異世界に知られてしまったかぁ! やったね梨花!」


「うん!」


 梨花は嬉しそうに「あはは」と笑った。


『質問なんだけど、この世界の乗り物って自転車しかないの?』

『理子ちゃんの乗り物は別のやつじゃなかった? ペダルのない自転車』


「ペダルのない自転車……ああ、バイクのことか」


 リスナーたちが「なにそれ」と驚いている。


「地球には自転車の他に自動車という乗り物もあって、バイクは自動二輪車。つまり……」


 俺の言葉はそこで止まった。


「どうしたの? 涼真君」


「ふと思ったんだけど、車やバイクを全く見かけないな」


「日中は魔物が出るから安全な場所しか走らないよー」


「そうじゃなくて放置車両のことさ」


 ここに至るまでの間に、乗り捨てられた車を全く見ていない。

 バイクについても同様だ。


 それを当たり前に思っていたが、よくよく考えたらおかしい。

 本来ならそこらに放置されていて然るべき。


 また、電柱が無事なのも気になった。

 ベコベコに凹んだガードレールは散見されるのに、どの電柱も無傷だ。

 魔物が現れた時、パニックに陥った車が突っ込まなかったのだろうか。


 これが映画の世界なら、街はもっと荒廃しているはず。

 建物の窓ガラスは割れまくりで、電柱には車が突っ込み、そこらに乗り物が捨ててある。


「車やバイクは回収されたんだと思うよ」


 杏奈が答えた。


「回収?」


「問題ない車はそのまま使うとして、壊れている車もパーツを取れば他の車に回せるじゃん? そんな感じで何かと使い道があるから、誰かが回収したんじゃないかなー」


「なるほど」


 そう言われると納得できた。


「知らないところで世界は回っているんだなぁ」


「〈月下〉だって定期的に誰かが掃除しているくらいだしね」


 快適に移動できているのは、生き残っている人々のおかげなのだろう。

 心の中で感謝しておいた。


「さて、御殿場に着いたぜ!」


 16時過ぎ、俺たちは御殿場にやってきた。

 といっても、大きな御殿場市の南端である。

 大半の人が連想するであろう御殿場駅までは約1時間の距離だ。

 まだまだ休むわけにはいかない。


「魔物が消えるまで時間があるし、御殿場駅周辺まで行こう」


 杏奈が「異議なし!」と右手を掲げる。


「私も異議なーし!」


「でも注意しなよー涼真」


「ん?」


「御殿場って魔物がかなり多いらしいよ!」


「そうなのか?」


「聞いた話だとゲートが10個くらいあるとか」


「マジかよ!」


 今のところは閑散としている。

 とても魔物が跋扈する危険都市には見えない。


 だが、そんな状況が続いたのは最初の間だけだった。

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