吾は忘れじ
「あ、パニくったら逆に落ち着いてきた。とりあえず任せてくれお嬢」
「え、そんな急に!?」
まず俺は地学の先生に頭を下げた。
「すいません気を付けます!!!!」
「その声もうるせーよ!!」
先生は受験生の担任で仕事の多い中年男性なのですぐ帰る。
その次にスマホを取り出し、あいつに電話した。
「もしもし」
『何。なんか今凄い大事な感じなんだけど』
「こっちも大事。お前、放送委員だろ。今日の当番、忘れてないか」
『あ! ヤバ、行くわ! ありがとな!』
うちの放送委員会は生徒から希望を募って音楽を流す企画をしている。
お嬢の為、あいつのことならどんな小さな情報でも集めてきた。
あいつはあの子に詫びを入れ、階段へと向かう。
しかし企画は精々二十分程だし、あの子もその場に留まったまま。
「やはり解散にはならないか。だが当座の時間稼ぎはできた。お嬢、もう時間が無い。あいつがあの子の元に戻る前に直接告白するんだ」
「や、無理」
「え!?」
彼女は顔を青くしてもきっぱり答える。
「直接言って断られたら辛いです」
「そんな場合じゃないんだって!」
「せめてラブレターを差し出す形に」
「まだ完成してないだろ!」
「か、完成させます!」
お嬢は倒れた机を直し、ペンを握り、改めて便箋に向き合った。
そして、すぐに頭を抱える。
「無理ー」
参ったぞ。お嬢のことだ、本当に完成しないと告白しないだろう。何か手を打たなければと思った時、不意に彼女が床を見た。
「あれ、これ何かしら?」
お嬢の足元に散らばっているのは、折り畳まれた紙が何枚か、それからノートが一冊。
俺はノートを拾い上げて適当な
「『あんな難しいの、わけわからないんだから』」
「だからあの人ならわかります!」
「いやそうじゃなくて、ノートに」
「ええ?」
と、言いつつ彼女も古びた紙を一枚拾い、開く。
「『愛しい貴方へ』、あら」
宛名を読み上げるトーンが一段高い。
「『紙幅に余裕がありませんので、早速本題に入らせてください。貴方に私の想いを伝えたいのです。』……あらあら」
「もしかしてそれ、ラブレターか?」
お嬢の手元を覗き込むと、黄ばんだ便箋に美々しく並ぶ藍色の文字が見えた。
「あらあらあら……」
彼女はその便箋をしげしげと眺めていたが、不意に動き出す。リュックから新しい便箋を取り出して机に置き、クロスワードパズルをペイッと下に捨てた。
それで、白紙の便箋の傍に古い便箋を据え、ペンを握る。
「よし」
……。
「えっ、盗作すんの!?」
顔を上げた彼女の眼は曇り一つない。
「『恋と戦争にはあらゆる戦術が許される』と言われています」
「さ、さっきと言ってることが違う!」
「私が良いと思って書くんだから私の言葉です!」
お嬢はちょっとズルい所もある。
「まあいいや。でも早く書いてくれよ」
「もちろん!」
威勢のいい返事通り、ラブレターは書き進められた。
「『貴方に私の想いを……』」
壁のスピーカーから軽快な流行歌が流れ出し、お嬢の筆も乗ってくる。
「『お慕い申し上げています。私は今この時も貴方のことを愛おしくてしょうがないのです。』、熱烈ですね! 『
筆が止まった。
「この人、全然知らない人に告白しているのかしら」
言われて続きを読むと、どうもそうらしい。
「それどころか『遠い戦地の貴方』とか『銃後の私』とか書いてある。これ、戦時中のものじゃないか?」
お嬢はおデコに左手を当て考え込む。
「ロマンチックだけど、今使うには不適切ですね」
「今更しょうがねえ、都合のいい所だけ切り貼りするんだ」
「ではどうすれば」
「『貴方の姿も』云々はカット。その次の『遠い戦地の』云々もカット。で、この『一刻も早く帰ってきた貴方の雄姿に手を振りたい』は、うーん」
彼女の小さな唇が涼やかに開かれた。
「『一刻も早く』から後は私達の思い出を。初めて会った思い出の場所でお会いしたいというのは、どうですか」
俺は頷く。
「それで行こう」
調子が出てきたな。
俺達の会話はずっとこんな風。
阿吽の呼吸、以心伝心。
「初めて会った場所か」
俺は思い出す。
中一の春。お嬢が桜並木に隠れ、下校するあいつとあの子を追うのを見つけた。俺は更にその後ろから追いかけ、桜の花弁を乗せた彼女の肩に手を遣り、振り向いた花の
「中学の近くの公園だな」
「ええ! 入学式の前、ブランコで私とあの人は一緒に遊んだんです!」
筆が進み、俺は唇を少し強く噛んだ。
これでいい、そう思いつつ窓の方に首を向ける。
新校舎の廊下を爆速で走るあいつの姿が目に入った。
「あれえ!?」
お嬢も気付いて叫ぶ。
「マズい! あいつ、都合つけて放送委員の当番を片付けやがったんだ!!!!」
「どうしましょう!!??」
「うるせーぞ!」
また地学の先生が怒鳴り込んできた。
「すいません!!!!」
とりあえず謝って帰っていただく。
その次にスマホを取り出し。
「もしもし」
『何? 今、人待たしてんだけど』
「でもお前、進路指導の先生が。ほら、蛇使いの、お前の志望業界の資料渡したいって探してたぞ」
『マジ!? 行かなきゃ! ありがとな!』
あいつのことならどんな小さな情報でも集めてきた。
「え……あの人って将来蛇使いになりたいんですか?」
「うん」
「そう……」
とにかくこれでまた時間が稼げる。
お嬢は作業を再開したがすぐに手が止まった。
「ダメです。この先はどうしてもすぐ戦争の話になっちゃいます」
「一から考えるのは無しとして……そう言えば他の紙は何なんだ?」
俺に言われ彼女は足元の紙を拾い上げると、机上にそれぞれ広げた。
怪訝な顔をするお嬢。
「便箋がもう二枚、どっちもラブレター。後は太平洋戦争中の新聞や文書のコピー。ノートは?」
俺はさっき適当に開いたまま放っていたノートを改めて読み上げる。
「『どうもこうも無いわよ。お昼にいきなり村長のラジオの前にみんな並ばされて。でも全然何言ってるかわかんない。あんな難しいの、わけわからないんだから。子どもはみんなポカーンとしてて、でも意味が分かる大人は泣いてたわね、何人か。』……インタビューの書き起こしみたいだ」
そうしていると戸が開き、女子生徒が現れた。
「あ!!」
「あ」
小柄で髪を二つ結びにして幼い感じで……さっき忘れ物を聞いてきた子。
「それウチのノートやんけ! 泥棒!」
と、エセ関西弁で捲し立て、こちらに詰め寄ってくる。
「ち、違う!」
「すいません! これって何なんですか?」
「う、うん? あれや、ウチ、総合の授業の課題で戦中の暮らしについて調べてるねんな。近所のお
お嬢に詰め寄り返され、女子は目を白黒させながらも答えた。
「じゃあ、このラブレターもそのお婆さんの?」
彼女は首を傾げてみせる。
「いや、それはラブレターやないけど」
「え!?」
驚く俺達を前に、その子は何でもない様に答えた。
「これは
初めて知ることに目を丸くしていると、お嬢が納得したように呟く。
「変だと思ったんです。三枚とも一字一句同じだから」
「そうそう。何十枚も書いたんやって」
すると、お嬢は急に天を仰いだ。
「ラブレターじゃないなら、もうダメかも」
「はあ!?」
「だって量産品じゃ愛が無いです」
「いいだろ別に!」
ヤバい。お嬢は机にもたれていじけてしまった。
手を
「あの、君らは何してるん?」
「こっちの彼女が好きな人にラブレターを送りたいんだが、スランプなんだ」
「明日にすればいいやん」
「相手は今別の子に告白される寸前なんだ」
「どんな状況?」
と、混乱しつつも彼女も恋の話に興味が沸いたらしい。
「慰問文がダメならこんなんどう? 戦争から恋への戦術転用や!」
女子はお嬢の便箋を奪い取り、何事か書き殴る。
『無条件交際。イエスか、ノーか』
「元は大金星の後に陸軍の司令官が相手方に言い放った名言やね。強気でシンプル、何時の時代もグイグイ来る女に男は弱いもんや!」
俺達は首を振った。
「シンプルなのはいいけど強気過ぎだ!」
「あと品が無いです」
「そうなん? じゃあ、もう少しお淑やかに」
『好きてし止まむ』
「元は戦中のスローガン、『
「やっぱり強気過ぎ!」
そう言うと彼女は憤慨する。
「そんな弱気じゃ勝てる戦も勝てへんよ!」
「強気で行っても負けただろあの戦争には!」
「ぐ、痛い所を! でも最初は本当にイケイケドンドンやったんやで? 動員された国民だって戦況を聞いては大喜び。負けが込んできてからも一億火の玉、本土決戦やってメラメラ燃えてたんや!」
「国に騙されてただけだ! 属国から物資を奪っても貧窮して散々だったって授業で」
「もういいです!」
ヒートアップする俺と女子をお嬢が止めた。
「もう間に合いません……」
机にもたれたまま、その声にはいつもの覇気が消えている。
「お、おい、諦めるのか!?」
「やっぱり最初から無謀だったんです、この恋は」
すげない返事。
「お嬢、頼む、何でもいいんだ! あいつに告白してくれ!」
俺は彼女の傍で跪いて懇願するが答えは無し。
必死に頼み続けていると、女子が不思議そうに聞いてくる。
「あの、君はどういう立場なん? さっきから頑張ってるのは君だけや」
お嬢がつと首を上げ、細目でこちらを見やった。
「その人は私のことが好きなんです。だから私の恋路に協力してくれていたんです」
数秒の沈黙を、スピーカーから流れる大音量の流行歌が埋めた。
「は?」
女子は目をパチクリさせて俺達を交互に見た。
「昔、あの人が言っていました。『あいつのスマホの写真はお嬢ばっかだから、絶対好きだ』って。だからこんなに頑張ってくれてきたんでしょう?」
お嬢はちょっと、凄くズルい所もある。
「え、じゃあ彼の気持ちに気付いてたのに騙してきたん!? 酷いやん!」
「そうです私は酷い女なんです、だからもういいでしょう!」
何か言い合いになりそうな二人の前で、俺は深呼吸してから口を開いた。
「よくない!!」
急に怒鳴られ鼻白む彼女の目をまっすぐ見つめながら、俺は喋る。
「酷くもない。俺も打算があって今日までずっとお嬢を応援してきたんだ。お嬢はこの恋を自分の戦いだと思っているが、これは俺の戦いでもあるんだ。だから
俺は机の便箋を一枚取り、お嬢に渡した。
「もう何でもいい。『好きてし止まむ』、勝つまで止まれない。それだけでいいんだ」
「わ、私は」
気圧されるばかりの彼女の耳元で囁く。
「恋に破れた奴が負けヒロインになるんじゃねえ。どうしても嫌なら俺があの場に殴り込んで、全部メチャクチャにしたっていい」
そう言いつつ窓の方を見ると――あいつがまた廊下を走っていた。
「クソ!」
俺はすぐに電話を掛ける。
「待て!」
『は?』
「行くな! そこで止まれ!」
真っ白な頭からは考え無しの言葉しか出ない。
『お前さ』
あいつは困惑した様子で息を吐いてから、口を開く。
『もうよせよ、それが未練って言うんだぞ』
「ダメだ! 行くな!」
『悪いけど、オレは行くぜ』
「行くなあっ!!」
電話は切れた。
俺はすぐに向き直る。
「お嬢……」
「……わかりました」
いつの間にかお嬢は背筋を伸ばし、毅然とした表情を作っていた。
「お嬢!」
「私が……私が決着を付けます!」
そして、彼女は机の上の紙を一枚掴み、教室を飛び出していく。
一人呆然としていると、女子が能天気に聞いてきた。
「あの、今から追っても間に合わないやろ?」
「大丈夫だ。お嬢はちょっとズレててズルいけど、凄い子なんだ。何か考えが」
「でも、ほら」
「あ」
彼女が指差す先、新校舎四階の渡り廊下で二人の男女が向き合っている。
俺は双眼鏡を取り出し、二人の唇を読んだ。
「あの子はどんな言葉で告白したんや?」
「何も言ってない、でも……」
「でも?」
「キスをした……二回……」
その時、突然スピーカーからノイズが流れる。
『わ、や、止めてください!』
次いで放送委員達の戸惑う声。
すぐに止み、誰かが咳き込んで声を整える音。
間違いない。
「お嬢だ、放送室から想いを伝えるつもりなんだ……」
「んん?」
しかし、机に目を遣った女子が不審げに唸った。
「でも、便箋はここに置いたままやけど?」
お嬢は息を深く吸い、口を開く――。
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