好きてし止まむ

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

口ひびく




「恋に破れた奴が負けヒロインになるんじゃない! 行くぞ、オー!!」




 第百二十四回目の『あの人』攻略会議は、お嬢のその宣言と共に開始された。


「オー!!」


 掛け声への返事は俺の野太い声が一つ。


 時はお昼休み開始直後、旧校舎二階の空き教室には俺達二人きり。

 されど俺達は意気軒昂、二人分の声でコンクリの壁とフローリングがビリビリと震えていた。


「さて」


 会議の主催者は大きな瞳に細い鼻、小さい桜色の唇……可憐な顔付きをクソ真面目にして、濃紺ネイビーのブレザーを上品に着こなしている。

 教卓の前、黒板を背に、彼女はコホンと咳を一つしてから口を開いた。


「私と、どちらがの心を射止めるかというシンプルな構図で始まったこの恋愛模様は、すぐに第三・第四、数々のライバルが現れて混乱を極め、対立や協力を繰り返しつつ中一から高二の今日までやってきました。ですが、現状は思わしくありません」


 と、首を振り、飾りのない白いカチューシャの下、栗色のセミロングが揺れる。


「今年の諏高よりこうさいフィナーレでの敗北――あの人のダンスの相手に選ばれなかった――に端を発し、夏祭り・湖周マラソン大会・修学旅行、私は連戦連敗。どのイベントでも選ばれたのは他の娘達ヒロイン。そして」


 カクンと肩を落とし、彼女は苦しげに言葉を続けた。


「そして、遂に先日あの子が単独でのデートに成功。大勢は決しました。今の私は正しくラブコメで言う所の負けヒロイン……」


「違う!!」


 そこですかさず俺が机を拳で叩き、口を挟む。


「恋に破れた奴が負けヒロインになるんじゃねえ!! 恋を諦めた奴が負けヒロインになるんだ、そうだろ、お嬢!?」


「ッ!? ……私はまだ負けてない!」


 彼女はハッと顔を上げ、高らかに右手を掲げた。


「行くぞ、オー!!」


「オー!!」


 ビリビリと震える教室、静止する俺達。


 その内、お嬢の細い右手首からブレザーの袖がずり落ちる頃、俺はおもむろに動き出して近場の机を二つ、くっつけた。

 二人で向かい合って席に着き、彼女はさらけ出したおデコを少し赤く染めつつ口を開く。


「えー、はい。じゃあ、今日の活動です」


 彼女は傍らのリュックから紙と筆記用具を取り出し、机の上に載せた。


「決戦兵器、だな」


 俺が声を潜めて問うと、お嬢も意味深に頷く。


「ええ、決戦兵器――ラブレター」


 机の上の紙は便箋で、したためられているのはへの愛。お嬢は睫毛まつげの長い目を伏せ、愛おしげに文面を撫でながら言う。


「この手紙をあの人の下駄箱に忍ばせれば、盤面は必ずやひっくり返るでしょう」


 驚くべきことにこの数年であいつに告白したヒロインは一人もいない。それは王手をかけたあの子でさえ、だ。これは確かな情報。何故なら俺が本人に毎週のように確認してきたからだ。


 お嬢じゃないがラブコメで言うなら俺は『主人公の親友』役に当たる。ただし、お話の中とは違い、俺が恋のサポートをしてきたのはあいつではなく、中学の頃からずっとお嬢だ。


「ああ、もちろんラブレター一発でお嬢の恋が叶うことはない。だがこれまで『俺ら楽しいから一緒にいるだけだし?』、『男女の間にも友情はあるよね?』的な欺瞞でやってきたあいつとお嬢達の関係は一変する。特にあいつは『もしこの内の誰かと付き合ったらその後自分の交友関係はどうなるのか』とか見ないふりしてるからな。急接近していたあの子との仲も膠着させられるはずだ」


 俺達の作戦は完璧。


「そ、そのはずですよね!?」


 ……完璧。


「お、おう!」


 ……完璧と思い込もうと、もう何度もこうやってお互い作戦概要を口に出しては勇気を奮い起こしている。


「行くぞ、オー!!」


「オー!!」


 また勢いよく拳を挙げる俺達。

 それと同時に戸が開く。


「あの、すまんけど、ここで忘れ物見てへん? ノートとか紙」


 現れた女子生徒は俺達をジロジロ見ながら聞いてきた。

 お嬢は挙手したまま室内を見回して、答える。


「見てません!」


「どうも……」


 答えを得た女子は俺達から目を反らし、そそくさと退散した。

 他人から見ればさぞ俺達は滑稽だろう。


 だが、お嬢は少しも気にしない。

 お嬢は素敵な女の子だが、ちょっとズレている。


 俺も少しも気にしない。

 あいつ以外の男が彼女の傍にいるにはこうするしかなかったのだ。



 俺もまたお嬢と同じく、長く苦しい恋をしている。



「さて」


「おう」


 復帰するなり、二人で便箋に向き合った。


「先週から今日までで、ここまで書けました」




 拝啓


  ・タテのカギ

  1 私達が初めて会った場所

  2 私の好きな食べ物

  3 去年の夏に行った海水浴場

  5 

  6 

  8 中二の学校登山で一緒に登った山

  10 


  ・ヨコのカギ

  1 日本標準時子午線が通る兵庫県の都市

  4 今年のバレンタインに私が送ったチョコのブランド

  5 

  7 

  9 

  11 


  (以下、方眼紙)




 お嬢はちょっと、凄くズレている。



「何度も言ってるけどクロスワードパズルにするの、止めない?」


「何度も言うけど止めません」


 彼女は手を合わせ、夢見がちな乙女の表情を浮かべた。


「ラブレターに大切なのは心揺さぶる体験です。パズルのカギを一つ一つ埋める度、私との思い出があの人の頭の中に蘇り、最後に浮かび上がる答えは『ア・イ・シ・テ・ル』。ね、素敵じゃありません?」


 いや、実はこれでも大分マシになっている。

 一番尖っていた時は『~による福音書第何章何節』とか聖書の出典だけで愛を伝えようとしていたのを必死に説得してここに落ち着いたのだ。

 それでも。


「さっきも確認した通り、この作戦の目的はお嬢の好意を伝えて状況を停滞させることだ。だからなるべく早くしないといけない。お嬢が書けないなら俺がやったって」


 彼女は静かに首を振り俺を制す。


「確かに『恋と戦争にはあらゆる戦術が許される』と言われています」


 両手を膝の上に重ね、俺をまっすぐ見つめる眼は曇り一つない。


「ですが、戦うのは私。何をするか決めるのも、どんな思いを心に抱き、伝えるのかも、全部私がすべきこと。君にはずっと助けてきてもらったけど、これだけは譲れません」


 どんなにマヌケでズレていても、お嬢の恋は本物だ。


「この恋は私にとって一世一代の勝負なんです。もし負けたら、私は二度と誰も好きになることはないでしょう」


 本物で、高潔。

 こうまで言われたら引き下がるしかない。

 俺は肩をすくめる。


「でも、わけわかんねーよ、こんなん貰っても……」


「わかります、あの人なら!」


 そう断言し、お嬢は手紙、いやパズル作成を始めた。

 こうなるとネタに詰まるまで俺の出番はない。


 俺は窓の外に目を遣りつつ思案にふける。






●コラム【教えて、ラブコメ博士!】


凡下ぼんげ:これ程あいつに夢中なお嬢に俺君が近寄っても無駄では?


博士:俺君は一つの可能性に賭けているんじゃよ


(解説)確かにお嬢の恋は本物。だが、彼女は恋をよく『戦い』や『勝負』と表現するし、作戦と称して今みたいに変に凝って失敗ばっかしてきたぞい。しかも、具体的にあいつのどこが好きとか一度も聞いたことがない。つまり、お嬢は恋に恋しているだけ。本当はあいつが好きというより、恋に勝つこと自体が目的の可能性がある。それなら、負けヒロインになって本当に恋愛を止めてしまうより、一度勝たせて次の男になることを目指しているんじゃ。


俺:なるほど。ありがとうございます、ラブコメ博士






 妄想上の人物に感謝をしつつ、俺は窓の向こうの新校舎を眺めていた。

 お昼時。どいつこいつも食べたりお喋りしたり、ぼんやり過ごしているように見えてイライラする。俺は昼飯抜きでひたすら好きな人の俺じゃない相手の恋に協力し続けているのに、という逆恨み。


 本当にどいつも、こいつも。

 食べたり、お喋りしたり、告白しようとしていたり。



 ……ん?



 一瞬見間違いかと思ったが、普段人気ひとけの無い四階の廊下に二人。

 至近距離で向かい合う男女、神妙な表情。


 あいつと、あの子。


「お嬢、あ、あれ!」


「え……嘘!?」


 俺はすぐに自分のリュックから双眼鏡を取り出し、二人の唇の動きを読んだ。


「『何だよ、急に呼び出して』、『ごめん、実はね、今日は大事な話がしたくて』……間違いない、告白だ!」


 俺達は思わず机が倒れる勢いで立ち上がって、顔を見合わせる。



「ど、どうする!!??」


「ど、どうしましょう!!??」



 今日一番デカい声、ドガシャーンと机の出す騒音。


「うるせーぞバカ共!!」


 と、怒鳴り込んでくる隣の地学の先生。


 状況が混迷を極める内にも二人は接近していく。



 本当にどうする!?



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