大嵐レイの回想。
「でんでんさん?何ですそれ」
会話の相手は首周りの関節部をギギッと鳴らして答える。
「オレも最近聞いた話なんだが、噂話とか都市伝説の一種らしい」
「ほう、噂話ですか。まさしく僕の専門ですね」
レイは身を乗り出して若干食い気味に言う。そろそろ貯金も無くなりかける寸前というところで、彼は新しい仕事を探していた。
新しい仕事、というか新しい怪異を探していた。
彼の所属する組織、百鬼夜行は(何というか捻りのない名前だ)都市伝説の収集の進捗に応じて支援物資の量が増減する。
最近、このサイバーな雰囲気の世界にやってきてからというもの、彼はノルマをまるで達成できずに困っていた。
というのも、流石オーバーテクノロジーといったところか(彼が元いた世界の基準だが)都市伝説の類が少ない。あるのはどこそこに行けばアッパー系のコードを無料配布してるらしいとか、装着すれば絶対にカジノで勝てるカスタマイズパーツがあるとか、そんな「あー、すごくSFだね」という反応を返してしまうような、この世界じゃちょっと現実にありそうな噂なのだ。
そうでなくて、彼が探しているのは主に怪異と呼ばれる案件で。
例えば、
「データ上にしか存在しない都市があるらしい」とか
「バーチャルに完全移行(*4)した友人が歩いているのを見かけた」とか
「廃棄済みの中古パーツから作られたロボットが人格を宿したらしい」とか
こういうのはまだ、怪異である可能性がある。
しかし、彼が実際に出向いてみたところ全てデマだった。全てである。
流石に一個ぐらいは本物が無いかと調べてみたが全然そんなこと無かった。
その時はさしものレイも、なんてこったと頭を抱えたものだ。
ここいらで少し読者諸兄の脳内を解りやすくするために、ある解説をしておこう。
つまり、何故レイ少年がサイバー世界にいて、そんな場所で怪異を集めているかということである。勿論無意味にそうしている訳でなく、そこには明確な理由があった。
諸君らはどこかでレッドオーシャン、ブルーオーシャンというビジネス用語を聞いたことがあるだろうか?ご存じの方は読み飛ばしてもらいたいが、レッドオーシャンというのは競争相手が多く競合が盛んな市場のことを言う、ニュアンスだけ汲み取るとつまりは人気の狩り場ってな具合だ。その逆でブルーオーシャンというのは競争相手が少なく、競合が発生しにくい市場ということだ。
そして、彼の属する百鬼夜行という組織は様々な世界線に送り込んで都市伝説、中でも怪異を重点的に収集している。つまり、世界という単位で市場を見ている訳だ。中でも現在レイがいるような文明が過度に発達した世界は、その大半において怪異の生息域が極めて限定されており、これが怪異業界におけるブルーオーシャンということになっている。
こういった世界には同業者が少ないため、運良く良い狩り場を見つければ、つまり文明が発達しているのに怪異が駆逐されていない世界を発見すればとんでもなく好条件の稼ぎ場になる訳だ。この辺りは通常の商売とあまり変わらない。
だが、かと言ってそれだけの理由で渡るには些かこの手の世界は怪異収集に向いていない。つまり、他にもメリットがある。
実は、百鬼夜行では収集する怪異の種類に応じてポイントが設定されており、中でも新種の怪異は需要が高いため、ポイントが高めに設定されている。
その怪異の能力次第では追加のボーナスも見込めるため、まぁ何というか夢のある商売なのだ。そして、その手の新種の怪異はこういう、怪異がガラパゴス化しやすい生息域の狭まった世界に多い。だから、わざわざこの手のサイバー世界なんかで怪異を収集する人間もいる。
しかし、そんなにメリットばかりだったらもっと注目されるわけで、当然ながらデメリットもある。
というのも、特殊な変異を遂げていない既存の怪異の場合、倒し方がテンプレートとして確立されている事が多い。稀にデータが殆どない怪異もいるがそちらはマイノリティの側に属するから深掘りはやめておこう。
一方、サイバー世界の怪異などは完全な新種であることが多いため、データが無い。つまり、周知された明確な倒し方がない。
勿論、既存の怪異と類似した要素を探して無力化の手段を推測することはできるが、あくまで類似点であるため、あまり過信しすぎるとそれが命取りになる場合すらある。
問題と言えばそれだけではない。
怪異とは伝承、所謂フォークロアなどから発生するものであり、現代怪異(こちらは諸君らの世界においても発生し得る物を指す)などは主に殺人事件など衝撃的な物事から発生する。勿論、過去発生した怪異の中にもそういう類はいるのだが、大抵の場合は時間経過で多少尾ひれが着いて持ち得るキャラクター性が多様化するため、攻撃性が薄まる。
例えばジャック・ザ・リッパーと云う殺人鬼が様々な
その時間経過が無いのが現代怪異然り、サイバー怪異である。
つまり、攻撃性が高い。尾ひれとして付けられた対抗策なんかも数が少ないし、何より致死性の怪異なんてのがざらにいる。
致死性の怪異。何だか危なそうな響きだが、説明すれば単純な話だ。
「人が殺された事件」から生まれた怪異は「人を殺す怪異」という特性を持つ。
文明が発達すれば、さりげない日常の違和感等は「何だかよく分からないけどそういう現象」として処理されるため、そもそも怪異として発生すらしない。そんな世界で発生するサイバー怪異などはそれなりのインパクト、つまり危険性を伴う事が多い。
それが先述したような「人が殺された事件」から生まれた怪異である。
つまり、もっと解りやすく言うと「出会ったら死ぬ」系の怪異が多いのだ。
当然死んでしまっては元も子もないので、レイが今いる世界に生息するタイプの怪異はあまり人気が無いのである。と、ここで現実の話に戻ろう。
「そう、お前の欲しがってたやつだ」と会話相手が言った。
レイは「ありがとうございますっ!!!」
と、大声で言って、額の少し上辺りでぱしんと手を合わせた。
「こんなことで良ければいつでも調べるさ、だから」
「いや、ホンットまじで助かりましたっ!!!」
会話相手の彼(?)は現在の同居人のサイボーグである。
レイは初めてこの世界にやってきたとき、飢え死にしかけていた。
そんなとき、家まで彼を運んで、ハンバーガー(合成食なので食感と味のギャップが少し気持ち悪かったが、文句を言うわけにもいかず頑張って食べた)を食べさせてくれたのがこのサイボーグだった。
彼の家にレイはずっと居候させて貰っている。因みに、飢え死にしかけた理由は、人間用の食べ物が無かったからで、所持金が無かった訳では無いというのはレイの沽券を保つためにも説明しておこう。
しっかり交渉した末に家賃も払っているし、決してヒモではないのである。
「あぁ、うん。…ところでお前、話は変わるが…そろそろ腹減ってないか?」
「ご飯ですか?良いですねっ!」
食事の面では彼に頼り切りだが。
キッチンから何かを煮ているような音がする。
だけど、今日も肉料理なんだろうなとレイは思った。
レイがここに住むようになってから殆どの食事は肉料理だ。もしかすると同居人のサイボーグは肉が好きなのかも知れない。実際、不足している栄養は直接注射するらしいから無理に摂る必要もないらしいが、それを聞いて少し不安を覚えたレイはランニングの習慣をつけようと思った。……次の日から。
因みに、今調理されている肉も例に漏れず合成肉だった。前にふと興味を持ったレイが商品説明を見せてもらったところ「A5ランク和牛の食感を再現!」した物とのことだったが、肝心の彼自身が本物のA5ランク和牛を食べた事が無いのでその真相は定かでない。
まぁ実際不味くは無かった。美味かったか聞かれると「味は良かったよ」と若干煮えきらない返答になってしまうのは避けられないが。
十分くらい経って、サイボーグの彼が大きめの皿を二枚運んできた。
皿というか、おそらくあれは病院(*6)で貰ってきた合成樹脂プレートだろうが。
「待たせたな」
指付近の間接部が小刻みに駆動して、サイボークがテーブル上にごとっと皿を置く。
さっきまで見えなかった皿の中身が見えるようになって、レイは目を輝かせる。
「いえいえ、いつも感謝してます!……おやおや、わぁ!今日はビーフシチューなんですね!長い間食べてなかったので懐かしいです!!!」
置かれた皿の中で赤茶の、とろみの付いたスープ状の液体が湯気をあげていた。
皿の中では几帳面に薄くカットされた素材が色味のバランスを整えている。
肉の匂いとは少し違うがそれでも美味しそうな匂い。
それと合わせて温かい蒸気を顔いっぱいに浴びたレイは歓声を上げた。
が、サイボーグが言うには違うらしい。
「あぁいや、ちょっと違う。これはビーフストロガノフだ」
「ストロガノフ?何が違うんです??」
「言うほどは変わらん。よし、それじゃ食うか…っと悪りぃ」
そう呟いたサイボーグがキッチンに一旦引き返した後、取ってきたスプーンをレイの前に置いて向かい側に座る。それから同じタイミングでスプーンをかちゃっ(サイボークの手にある金属パーツとスプーンが触れた音)と手に持って、サイボーグとレイはそのまま手を合わせ「「いただきます」」と言った。
「はぁ〜!沢山食べたぁ!!!」
「おう、美味かったな」
ビーフストロガノフを食べ終えて、横になっていたレイが呟いたのにサイボーグが答える。それを聞いたレイは撥条のように勢い良く起き上がって言う。
「僕の故郷にはもっと美味しいものありますよ!いつか食べさせてあげます!」
ところで件のビーフストロガノフは素材の食感がどれも似通っていたことを除けば大方完璧だった。
「ははっ、そりゃ良いな。いつか連れてってくれ」
子供の戯言と思ったんだろう。サイボーグはにやっと(表情は見えないので単なるレトリックだ)笑うように言った。
それからゆっくりと、言い聞かせるように言葉を続ける。
「でも、まずは稼がなきゃいけないんだろ?お前はその為に来たんだから」
「おっと、そうでした。稼いで、稼いで、稼がないとですね!」
「だがあんまり危ないことはするなよ?」
「おや、心配してくれるんですか?」
「少しでも関わったやつが危ない目に遭うってのは嫌なもんだ、当然心配ぐらいならいくらでもするさ。それにこの辺りは最近危ないって聞くからな」
「危ない?」
そう聞き返すとサイボーグは難しそうな顔をして(これも単なるレトリックだ)腕を組み、どことなく悲しげな声色で言った。
「あぁ、最近ここいらで殺しが多発してる。…だが、上の奴らはオレらなんていくらでも代わりがいると思ってるからな。警察だって形の上でしか動いちゃあくれない。オレの同居人もそれで死んじまった」
そう呟いた後、己の失言を訂正するように手をぶんぶん振って言った。
「あ、いや。別に前の同居人が死んだからお前を拾ってやった訳じゃないからな。あいつがいたってお前ぐらいなら何人だって住まわせてやっていた」
結構慌てているようで、自動調整されるはずのサイボーグの重心が左右にぐらぐら振れていた。レイは「気にしないで」というジェスチャーをする。
「いえいえ、見つけてもらえただけでもめっけもんってとこです。あ、お茶ありがとうございます」
それから、気を利かせた(或いは罪悪感を紛らわすために)手際良く用意してくれた麦茶を飲んだ。(流石にその場で淹れたということはなく市販品だった)
「おう。それでな、お前にさっき言ったでんでんさんって噂の話なんだが」
サイボーグの彼は氷売りが透明な氷を傷つけないよう切り出すように、極めて厳粛そうに話題を切り出した。
「あ、はい。何でしょう」
「実はでんでんさんってのがその、オレの同居人が死んだ事件の犯人ってことになってるらしい」
「へぇ、そうだったんですか。つまり、そういうタイプの都市伝説なんですね…って、すみません。あんまり空気読めない言い方しちゃって。殺人事件を都市伝説なんかに例えられるなんてあまりいい気分では無いですもんね」
それも友人が殺された事件なのに。
とも思ったが、それを口にするのは些か礼儀を欠いているように思えたのでレイはそれ以上言わなかった。親しき仲にもと言うし、それにこのサイボーグ氏はまだ友人と呼べる程の仲でもないのだ。
サイボーグは首を振って彼の言葉を訂正する。
「いや、もう過ぎたことだ。過度に気にすることはない、ただ、オレが言いたいのはその噂が事件に関係していて、深入りすると危ないってことで」
つまり、調べるにしたって直接現場に出向いたりするのはやめて欲しい、と続けた。
レイは「嘘を吐くのも心苦しいな」と思いながら、肯定とも否定とも取れないくらいの曖昧な笑いを浮かべる。
それを見たサイボーグは何かを察してか、はぁと溜め息を吐いて言った。
「何もオレだってあんな荒唐無稽な噂話を信じてるわけじゃねぇんだが、しかし人が死んでるってのも事実だ。面白半分でお前みたいな子供が行って良い場所じゃねぇ」
だからな、と。彼は少し前に言いかけて言えなかった言葉の続きを口にした。
「図書館(*7)で情報収集するくらいにしとけ。若いうちからそんなんだと命がいくつあっても足りん。……それにお前は生身だから、並のサイボーグにだって負けるだろう?」
おそらく彼自身も「命がいくつあっても足りない」部類の人種だったのだろう。
だいぶ実感の籠った言葉だった。
が、それはそれとしてだ。怪異を収集するためには現場に赴く必要が当然ある。
情報収集もするけれど、捕まえようとする以上現地調査は大前提だ。
勿論、そんなことを直接言う訳もないレイ少年はこう切り出す。
「であれば、まずあなたの話を聞いておきたいです。何せインタビューを始めるとかそれ以前に僕はその噂を知らないので」
「あー、あぁ。…絶対行くんじゃないぞ?冗談じゃ済まないからな?」
そう言って、再度深い溜め息を吐いてサイボーグは話し始める。
にしても、随分気が重そうで。
もしかするとさっき、急に食事をしようなんて言い出したのは話をしたくなかった、或いは話をする前に一旦気分転換したかったのかもしれないな。と、レイは思った。
*4 そもそもバーチャル世界では脳接(*5)することでかなり実感の伴った仮想現実を体験することができる。が、それだけでは満足できない(主に)若者が体を捨てて電脳空間に留まること。九割以上が現実への復帰を望まないが、若者は定期収入が無いと栄養補給を断たれて死んでしまう場合がある。
*5 脳にコードを繋いで特定の電気信号を流すことにより、バーチャル空間における五感を再現すること。
*6 病院。サイボーグだって病気はする。最も、生身、肉だった頃でいう病気にかかるのは脳(或いは他に残している内臓がある場合は別だが)の病気くらいのものだけど。主には故障したパーツがないか診断して貰うための機関だ。
ちなみに、同居人のサイボーグは消化器系を丸ごと残しているため、おそらくその診断に行ったときのものだろう。
*7 図書館。この世界の日本では一時期流行っていた横文字の大半が使われなくなり、現物が無くなってしまったアナログ物体の名称で最新のものを呼ぶのが流行っている。
ウェブ上のデータ保管庫であり、どこからでもアクセスできるが、同じく「図書館」と呼ばれる端末から検索をかけないと引き出せない情報もある。データの持ち出しは基本的に認められていない。
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