大嵐レイの受難。

 こんなはずじゃなかった!

大嵐レイは心中でそう叫んだ。大抵の場合、彼の思う通りにことが進むなんてまず無いのでそれは定型句に近い泣き言だったけど。それでも、確かにこんなはずじゃなかったのだ。こんな。そう、訳の解らないロボットに追い回されるはずじゃ。そう呟いて、溜め息を吐いて、力を抜いた背中が、背後の板に触れてぎしっと鳴った。

彼はひゅっと吸い込んだ息を止めて、慌てて扉の隙間から外を覗き見る。

黴っぽい金属ロッカーの中に新鮮な空気が流れ込んだ。

その瞬間を狙ったのかもしれない。ヤツが通り過ぎた。いや、普通に考えればそんなことはありえないのだけど(それは彼を無視して通り過ぎていったのだから)兎も角そう思われて。

彼はティンパニのように細かく鼓動する己の心臓を押さえないわけにはいかなかった。勿論それで止まる心臓ではないが(止まっても困る)、押さえないわけにも行かなかった。服の皺をぎゅっと寄せて、少し強めに押さえた。人間誰しもという程ではないが、恐怖している人間はあまり意味のない行動に出るものだ。それに、お陰で少し落ち着きはしたから完全に無意味という訳でもなかったのだろう。

 レイは息のすっかり上がった体を震わせて(おそらく武者震いだった、完全にそうと断言できる訳では無いが)何か、例えば勇気のようなものを収集しようと試みた。それから、ついでに姿勢をもう少し正そうと身じろぎしたとき、ヤツが戻ってきた。

ヤツだった。ヤツとしか呼べないものだった。

さっきから彼を追っているものでもあった。

不味いぞこれは、と彼は思う。


 がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。それが歩く度に音が鳴る。大方乱雑に取り付けられたカスタマイズパーツが外れかけているのだろう。コードの巻き付いた足の辺りが異様に肥大して雪男のようになっている。がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。時折喋る。

「どこ?どこどこ此処瞳孔?ここココナッツの殻貝殻空からっぽカラン欄干ガガガ」

恐らく意味は無い。何故そんなことを呟くのかまでは解らないが、少なくとも会話は通じないだろう。寧ろ会話を試みようとしたらあぁなる。

レイは壁に掛けられた干物のような物を見た。勿論干物なんかではない。

サイボーグだ。球体関節を砕かれて壁のフックにぶら下げられている、という注釈が必要にはなるが。

 レイがここに来たときにはまだ無かったから、おそらくはさっきあれにやられたのだろう。彼は「あれ」と呼んだものを正視する。本当は視界に入れたくもなかったけど正視する。

さっきからこの工場の中をうろついている身長三メートル程の黒い塊、巨体。

そしてそれを覆うように、幾重にも巻き付いた長いケーブル、コード、電線etcエトセトラ。絡みついた線は足元まで垂れていて、巨体はそれを引き摺って歩いている。無骨で頑強そうなボディパーツから推察するに、元々は作業員か何かの義体だったのかもしれない。しかし、頭部が完全に破壊されていて、中から溢れたタールのような液体が固まってグロテスクな造形を描いている今では見る影もない。それに、そもそもあれは本当に一体なのか、、、、、

彼は考える。


 僕が今までこの世界に侵入しはいってから見たサイボーグの中で一番大きい。もしかするとサイボーグですら無いかもしれない。そういうロボットなのかもしれない。けれど、だとしたらあれにどういう説明を付けようか。


 彼が見ているのはパッケージ、或いはボックスなんて呼ばれる脳のゆりかごだ。

それは卵のようなつるりとした表面から根っこのようにコードが繋がっている、謂わば芽の出た種子のような形をしている。

というのも、サイボーグというのは義手、義足の延長である以上、そのベースは生身になる。そして、いくら体を機械に置き換えたところで代替の利かない部位もある。

つまり、パッケージというのは脳のような交換できない物を守るための容器で、サイボーグに残された最後の人間性なのだ。言い換えれば通常のロボットには必要ないパーツ、ということでもある。

 そして、その巨体にはおそらく元々パッケージだったものの破片が、割れた卵の殻のようになっていくつかくっついている。

彼は目を細めて個数を数える。

大きいのが三個と、中ぐらいのが十個程、他にも小さいのが沢山。全部合わせて一個丁度になるだろうか。ならないんじゃないか。だとしたら。あれはもしかすると。

複数体の義体を組み合わせてできた何か、、、、、、、、、、、、、、、、、、

彼はその考えるだに悍ましい想像を取っ払おうと首を振る。その際、またフックに掛かったサイボーグの死体(この呼び方が適切かどうか彼には解らない)を見てひゃっと声をあげそうになった。幸い、息が多少乱れただけで済んだ。

 しかし、何を感じ取ったのかさっきからぐるぐる旋回していたヤツがこちらに無い顔を向ける。かちりと何かが回る。ライトが点灯する。

光が舐め回すように地面を這って、彼のいるロッカーの中に入り込む。

不味い不味い不味いマズいっ!

がちゃがちゃ、がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。

不気味な金属音。加えてコードやら何やらを引き摺る微かな音。

がちゃがちゃ、がちゃがちゃ。

どん、とロッカーを小突くような音がして。

不幸で哀れなレイ少年の頭の上から声がした。

酷く歪で聞き取りづらい機械音声だった。

「口腔コー口径ケコッコケコッ苔生し毛虫無視蟲師剥い無視するノ?喉殿ノウ?」

「あっ…どうも」

あっ…どうもじゃねーよ!と心の中で叫んだ彼は気づいた。気づかれちゃった。

開いた扉の上の方を向いた。目が合っちゃった。目、無かったけど。

待ってこんなの聞いて無い。マジで聞いてないって。

マジで殺られる三秒前。MY3だってば。なぁおいおいおい。

がちゃがちゃ。

「どどドウモ動画ドーナッツ散髪断髪暖冬ダダダ断頭?いっつ何時イツ出雲?」

その言葉が終わったか否か、正常な判断力を取り戻した彼はロッカーの扉をぶち破って脱出する。こんなこともあろうかとさっき入念に壊しといてよかった扉さん。

天上ぇだったら片手どころか指一本で破れただろうけど、非力な彼にはこれが限界だ。精々肩を壊さず脱出できたことを喜ぼう。

そして振られる剛腕。危機一髪の回避。転がり出た後すぐ受け身を取る。

次の瞬間、彼の背後で金属塊とも言い換えのきく拳に押し潰されてくしゃっとなるロッカー。

ぐわぁあああん、と銅鑼を鳴らしたような音が廊下まで響く。

 レイは振り返らずに走り出す。その際、ついでに目に入った缶詰タワーを蹴倒して撹乱、というか足止めを試みる。がらららららと音を立ててヤツに転がっていく缶詰。全く意に介さない様子のまま、重量級の足でぐしゃっと、愚者っと踏み潰した。缶詰の中身が撒き散らされた。

合成肉製の大和煮。

レイはその光景に己の末路を幻視する。

ひっ!と声に出した後すぐ、我に返って走り出した。

がちゃちゃちゃちゃっ、どがっしゃぁあああああん!!!

今やヤツの行く手を阻むものは何もない。眼前には狩るべき獲物。

 廊下を全力疾走するレイはやっぱり心中で叫ぶ。息切れして声は出ない。

どうしてこうなった!!…どうしてこうなったっっっ!!!

がだだんっ、がちゃちゃっががががっがっずがぁああっっどごんっ!!!

「赤描か歩かざるは解体飼いたい鯛台痛い痛いタイタイステイッ!!!」

てかあいつ言葉解ってるだろと、絶対意味は解ってて発してるだろと、そんなことを毒づきながらレイは走る。今この状況をなんとかするために、せめて今を生きようと、生存戦略しましょうと全力で狭い廊下を走り抜ける。

全力で廊下を蹴って、ヤツから最大限距離を取る。

勿論、時折障害物を用意するのも忘れない。

引っ張り出して、蹴倒して、時には直接ぶち当てて、それでも足を止めないで彼は走った。

走った。走って、足を止めずに。

そうして辿り着いたのが廊下の突き当りで、これ以上先には進めず、つまり一般的に言うところの詰みで、彼は振り返ってこちらに向けて突っ込んでくるヤツに苦笑い(恐怖八割)しながら若干走馬灯的に回想を始める。

がちゃがちゃと、どうみても噛み合わせの悪いパーツを揺らしながら走ってくるヤツがひゃひゃひゃと笑う。それがドップラー効果を添付して廊下に気持ち悪く響く。どどどどどと迫ってくる足音が地面を揺らす。

レイは背中を硬いコンクリートの壁に預けて、現状をどう打開するか高速回転している頭脳を酷使しつつ。

いやホントなんでこんなことになったんだっけと、思い出そうとした。



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