11.売るのは体じゃなくて
【工房の服飾師シトー】
本来なら辿り着くはずだった未来の話である。
シトーは今年三十になる職人だ。
どちらかと言えば気弱で自己主張の少ない彼は、十二歳の頃からリッカの父の下で働き続けており、マジメな勤務態度を評価されていた。
修繕はお手の物、決められたデザインから型紙を起こす際も寸分の狂いなく、なにより針仕事の正確さは工房でも一、二を争う。
ただしシトーは技術に優れるが発想力に乏しく、デザインセンスも平凡。
マジメで技術が高くとも、独り立ちして自らの工房を営むような才覚がなかった。
他人の下で使われるなら有能だが、一個の職人としては名声を得られない。
その性質をシトーは悔やみ、それでも必死に足搔いていた。
そして今回努力を認められたのか、工房主より服飾店ルッカトミのコンペに出さないかと打診された。
大人でも子供でもない、狭間の世代の少女を美しく彩る服。
それが求められたデザインだった。
『き、きっと。これが、僕にとっての最後のチャンスだ……』
だけど才能というのは無惨だ。
気合を入れて作業を進めるシトーは見てしまう。
工房主の娘、リッカ。
まだ14歳の少女が父親に提示したデザインは、自分のものよりもよほど優れていた。
断っておくが、技術や針の正確さでは圧倒的にシトーが上。実際に服を作らせれば彼の方が良いものを作るだろう。
しかしただ一点、デザインセンスだけはリッカが遥かに上。
まだ彼女はセンスに技術が追い付いていない。
逆に言えば、経験さえ積めばシトーを超える職人になると確定している。
十八年だ。
リッカが生まれる前からの研鑽は全くの無意味だったと思い知らされた。
……その劣等感を向上心に変えられるほどシトーは強くなかった。
かといって幼い女の子に危害を加えられるような強い意志も持てなかった。
彼にできたことと言えば、“何もせず見ないふり”くらいのものだろう。
タイミングが悪かったと言えばそうだ。
服飾店のコンペとは全く関係ないところで一つの事件があった。
迷宮信仰者の集団『破滅の信徒』。
その中でも過激派と呼ばれる者達が一つの事件を起こした。
“迷宮の魔物の地上での家畜化”研究計画。
ダンジョンの恩恵をもっと幅広く効率的に得られる手段の確立が彼らのお題目だった。
結果だけを言えばそれは失敗。
魔物は暴走し、一部は都市部に逃げ出してしまった。
事件自体は迷宮探索者であるゲルガという男が、”怪我を負いながら”も解決した。いっしょに戦う誰かがいたなら無傷で済んだだろう。
ともかく計画は潰れ、しかし過激派は活動を控えようとしない。
ゲルガは探索者の中でも反迷宮信仰の代表格。
つまり敵に計画を潰された形だ。むしろかかわった破滅の信徒はヒートアップしていた。
そして迷宮の悪魔を尊いものと考える過激派の中には、倫理観を逸脱したゲスもいる。
その一部は自身らの計画を潰した男に身勝手な復讐心を抱いた。
ゲルガには息子がいた。
息子は都市にある学問所に通っていた。
だから息子を殺し、破滅の信徒に敵対した罰を与えてやろう。
そんな、およそマトモではない発想を、本気で実行しようとした者がいたのだ。
ある日ルアノの学問所で火事が起こった。
昼間の、子供たちが集まっている時間帯を狙って放火されたのだ。
もしもそこに『水魔法』や『治癒魔法』を覚えた誰かが通っていれば自体は簡単に収束した。
けれどいなかったとすればゼダの息子は、同じく学問所にいたリッカも、逃げられず焼死することになる。
シトーは事前にその放火計画を知っていた。
彼自身は関わっていないが、偶然にも工房の職人の一人が、外部の破滅の信徒と話しているところを聞いてしまったからだ。
その時点で何かアクションを起こしていれば、簡単に事件は解決していた。
けれどシトーは動かなかった。
その勇気がなかった。……そして、ほんの少しの嫉妬があった。
リッカの才能を妬む心が、助けるという選択を躊躇わせた。
彼の弱さは、火に包まれ焼けただれた少女の死骸という結果を作る。
ほんのわずかな悪意と臆病さの末路。
誰の干渉もなければ起こり得た未来の一つである。
【語り部】
さて、出会いが広がって予言されたリッカの死にシトーが関わっていることが明らかとなった。
つまりどこかで彼をどうにかしないといけない。
シトーを倒すのか、リッカを守るのか。
悩むナイアに、遠いところにいる人が助言をくれた。
「“魅力レベルも高いしシトーさんと話したら何とか誑かせないかな”。……えぇ?」
そう、オウマが実力でどうにかしようと考えているところに、まさかの女の子パワーでの解決法である。
しかし不可能ではないかも、と思ってしまう。
髪型マニッシュショートボブ、師匠からの贈り物のバレッタ。リッカのモデルをすることで振る舞いの女性らしさも向上している。
「……本当に行けるんじゃないかな、これ」
思わずオウマは呟く。
さらに異界からの助言が届く。
「“娼館で教えて貰う、というのは如何でしょう”、“運良ければ、娼館で働く女性と縁が持てると思います”。……魅力を自覚し、それを効率よく使えるようになったナイアかぁ」
もしかしたらテネスに怒られるかもしれない。
いや、どちらかというとリオールの方か?
そう思いつつも、わりと面白そうだと笑うオウマだった。
◆
そうしてオウマはナイアを連れて娼館街へと向かった。
都市の南側に位置するその場所は、言葉のイメージとは違い清潔で明るい。
かつてのトランジリオドは外に出れば怪死を遂げる呪われた都市国家だった。そのため風俗関連は必要な娯楽として国の手が入って健全な運営がなされていた。
もちろん性と金が関わるのだから、タチの悪い輩というのは一定数いる。
しかし健全とまではいわないが優良な、息抜きの場としての娼館も存在している。
娼館ヴィ・ト・ラーズもそういう優良店の一つだった。
「……お嬢ちゃん? うちはね、まっとうなお店だからね? 基本十八歳未満のキャストは雇わないんだよ」
なので当然、受付の黒服の男はナイアをやんわりと帰宅させようとしていた。
「いえ、キャスト? ではなく。雑用でも構わないので、プロの女性の姿を見させてください。ボクは、男の人を落とす手管を身につけないといけません」
「うん。君はかわいいし、普通にやるのが一番なんじゃないかなぁ。というかその年齢でそんなテクニック身につけられると困るというかなんというか。あれかい? 同年代の男の子の精神を破壊したいタイプの美少女なの君は?」
超がんばる受付。
なのに結局押しに負ける辺り、娼館にまったく向いていない男である。
やる気を見せるナイアを断り切れなかった受付の男は申し訳なさそうに娼館の主の元まで案内した。
「いやダメに決まってるだろ?」
でっぷりと太った四十代の女館主はきっぱりと断った。
「で、ですがボクは」
「いいかい、アタシらは娼婦って仕事に誇りを持ってる。だからこそ、半端な子を受け入れる訳にはいかないのさ。アンタは娼婦になりたいんじゃないだろ? だいたい、おぼこい娘がプロの技を身に着けてどうしたいってんだい」
事実だけに反論しにくいナイア。
しかし天啓が黒猫型の使い魔オウマによって与えられる。
少女はそれをそのまま口にした。
「ボクっ娘にバブみ感じるシトーさんをみたいんです」
「うん?」
「やはりバブみを感じさせたい」
「お、おう」
女館主が戸惑っている。
どうやらこれは少し違ったようだ。
なので再度オウマがにゃふにゃふ助言する。
「えと。ある程度以上の娼館なら手解きも仕事の内だから、お客としていけば教えて貰え、ますか? あとは、研修か体験入店のような形は?」
「へえ? ちょっと、こっちの隙を突いてきたね? ただねぇ、そういうのが通じない娼館もある。金と性が絡むと、たちの悪い輩はタカってくるもんさ。まずアンタが学ぶべきは、そういう危機管理だと思うけどね」
少し揺れたがそれでも仕事は認めてもらえないようだ。
「まあ、お金を払うってんならお客だ。だいたい、魔法使い様がこんな店に来るんだ。なにか裏はあるんだろ?」
どうしてか女館主はナイアが魔法使いであると看破しており、今までの言動も本来の目的を隠すためのモノと勘違いしてくれたようだ。
何故魔法使いだと分かったのか気になって聞いてみると、女館主が大きく笑った。
「そりゃあそうさ。娼婦ってのは世界最古の職業で、時代によっては神聖なる巫女であり、また忌まれる魔女でもあった。女ってのは神にも魔にも通ずる者。なにより、アタシらはそもそもあらゆる者の隣でむき出しの真実に触れる者なのさ」
「……あの、つまり?」
「……娼婦ってのは、もともと神官や聖女、魔女とも歴史的には関係が深い。また色んな奴らと寝るから、寝物語っていう情報源を持っている。なおかつ娼婦同士で独自の情報網を構築している上に、裏からアタシらに味方する人も多いってこと。あんたのことも表面的には知ってるよ、ナイア・ニル」
再度説明してもらいナイアは納得して頷く。
その様子に女館主はやれやれと肩をすくめていた。
「あんたはまず、言葉の裏を考える必要があるね。まあ、今日は客として女の技を学んでいきな。ああ、当然金は払ってもらうよ」
ただし、と声が大きくなる。
「アタシがいる時だけ、女の子はこちらで選ぶ。これは絶対だ」
「……館主さんが責任をとれて、ボクの相手をしてもらっても問題ない方にお任せする? あとは、面倒を起こさないように?」
「おっと、すぐさま実践とはやるじゃないか」
スキルでは表せないもの。
日常的なやりとりから相手の真意を探るという行いを、ナイアは娼婦たちの元締めから学んだ。
「ってことだ、ルメニラに相手をさせな」
そうして選ばれた娼婦はルメニラ。
髪はピンクのロングウェーブ、少し垂れた目が色っぽい、穏やかそうな二十代半ばの女性だった。
「あなたが、ナイアちゃんですかぁ?」
優しそうな笑顔とちょっと間延びした喋り方にその印象はさらに強くなった。
「はい。ボクは、ナイアです。今日はプロの技を学びに来ました」
「うふふ、女の子ですねぇ。いいですよ、お姉さんとちょっとお勉強をしましょうねぇ」
にこにこと受けてくれる辺り既に説明は済んでいたのだろう。
手を引かれ個室に案内される。
そこでルメニラは、柔和な雰囲気のままに語り始めた。
「いいですか、ナイアちゃん。これも手管の一つです。触れ合う、という行為はごくごく単純ながら好感を高めます。ですけど、親しい相手ならスキンシップは精神的な安心感をもたらします。初対面の人の場合は逆に不信感をあおるかもしれません。こういったお店では、最初からアレな目的があるから成立するのであって、女を前面に押しだした行動に男性のすべてが魅了されるわけではありません。だからこそ効く効かないの判別をしなければいけない。つまり、まず娼婦に必要なのは技よりも目、なんですよぉ」
客というよりは完全に生徒扱いだった。
しかしそれをこそ望んでいたナイアは、しっかりと耳を傾ける。
「ナイアちゃんは男の人を甘やかしたい。そのためにはまず相手の話を聞くこと。優しくしたり甘えていいと伝えたり、触れ合いを増やすだけではまだ足らない。甘えの一番の好例は親子。無条件で頼れる、本音を打ち明けてもいいと思える相手には自然と甘えてしまう。でもね、親であってもそれだけで関係が良好になるわけではないですよぉ。だから何度も相手を訪ねて、話を聞いて。積み重ねで得られる信頼には、どんなテクニックも叶わないと思っています」
ルメニラはぴん、と人差し指を立てる。
「そして、忘れてはいけません。甘えさせると自分が上の立場になったように思いますよね。でも、ホントは違うんです。相手に甘えてもらうことは、自分が甘えていること。人とのふれあいで得られる心地良さは双方向でこそ健全。相手が気持ちいいから私も気持ちいい。その考えを忘れたら、もう娼婦ではありません」
最後に静かな笑顔で彼女は言う。
「私たちは体を売るんじゃないんです。お互いに心を寄せ合う快さ、そういう一夜の夢に値段をつけてもらうのです」
そこには娼婦という職業に対する誇りというものがあった。
けれどすぐにルメニラはぺろりと舌を出す。
「なぁんて、館主さんの受け売りなんですけどね。……こうやって、自分を強く見せ過ぎないのも、手管の一つですよ」
こうしてルメニラ先生によるバブみ講座はしばらく続いた。
「あ、わりと重要なんですが、あんまり男の人だけに特別扱いしたらダメですよ。男女が同じ場所にいる時はちょっとだけ女性を優先するのが軋轢を作らないコツです」
おまけの女性に敵視されない立ち振る舞い講座もあった。
いろいろためになったようだ。
◆
シトー陥落計画、というか歓楽計画と同時進行している案があった。
「“とりあえず、管理機構に人脈を作りたいですね”。“リオール師匠と聖女ユノを伴って、探索者ギルドに向かって、治癒の効率アップのための仮設治癒院を造るのもいいと思います”。あとは、“おまけで治療魔法をかける魔物肉料理の屋台でもやりますかね。仕入先と顧客両方の方面で、管理機構の構成員に顔を売れる”」
彼方の意見では、管理機構と接触して繋がりを持つべきというものが多かった。
それ自体は問題ない。オウマも納得し、ナイアに当面の方針を伝える。
「あ、オウマ。それなら、ちょっとミランダさんと、あとクラインくんに相談していい?」
ナイアは自分で考えることが増えてきたようだ。
簡単で受けのいい肉料理を、食料品店のおかみと飯屋の息子に聞こうというのだろう。
ただ、娼館で散財してしまった。肉の屋台は資金的にすぐには難しい。
ひとまずは仮設治療院を設置する方向で話がまとまる。
とはいえこちらもやり過ぎると治療を職業としている方々に打撃を与え、余計な恨みを買う可能性がある。その辺りは管理機構に相談してからだろう。
管理機構は表現こそ大げさだが結局は探索者ギルドだ。
治療の手は必要とされているので値段設定に口出しをされるくらいで問題なく設置できる。そのようにオウマも判断していた。
この時点で黒猫型の使い魔は気付いていなかった。
順番が前後した結果、男に甘えさせる手管を学んだ少女が癒し手として全力で活動することの意味を……。
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