第2話
70年後の世界は私が思っていた以上に変わり果てていた。
メガネ、コンタクト、BMIによる視覚的情報通信技術の繁栄。
生体認証に基づくパスワードの解除・電子通貨の入出金の確立。
街や家での生活をサポートするヒューマノイドの登場。
どれもこれも新鮮で、日々戸惑うことばかりであった。
それでも、少しずつ私はこの世界の生活に慣れていった。
人間の適応能力は凄まじいものだと、経験を通して思い知らされた。
****
新しい年度を迎え、私は高校に進学することとなった。
高校といっても、私の通う学校は『冷凍睡眠(コールドスリープ)』をしていた未成年が通う支援学校だ。そのため、学年が全く違う生徒たちが各々勉強をして暮らす事になる。
私たちの年齢は出生から現在までの期間から冷凍睡眠期間を差し引いて算出される。そのため私は今年で16歳となる。
私のクラスには同い年の女子が一人いた。
名前は安藤 理沙(あんどう りさ)。彼女は私よりも遅く生まれており、約20年間冷凍睡眠をしていたらしい。ちなみに冷凍睡眠期間は学校の中で私が一番長かった。
「こんなん習ってないよーー」
入学初日に受けた学力検査テストの答え合わせを二人で行っていると理沙が不意にそんなことを嘆いた。数学の『図形の相似』の問題だった。
「中学3年の時にやったじゃん」
「えーー、うそーー。やってない、やってない。全然記憶にないもん。賭けてもいい」
「んーーー、カリキュラムから一度消えてまた戻ったのかな。あ、でもこの問題『中学2年レベル』って書いてある。やっぱりちょっと変わってるね」
「いやいや、中学2年でもやってないって」
同い年とはいえ、生きてきた時代が違うため、タイムカルチャーギャップによる会話のずれが起こることが多々あった。私のいた時代とは全く異なっているものもあれば、以前と全く変わらないものもある。それを探るのがなんだか面白かった。
昔はこうして友達と気軽にはしゃべれなかった。みんな私の体を気遣い、下手なことは言わないと言葉を選んでいた。だから会話がうまく弾まなかった。
でも今は違う。互いに冗談を言い合える。寄り道して遊んだり、旅行で遠出したりできる友達がいる。
私はようやく夢のスクールライフを送れるようになったのだ。
****
「これ美味しい」
私は理沙と自販機で買った『コオロギせんべい』を食べながら商店街を歩いていた。
私の時代にもコオロギせんべいはあった。だが、コオロギなんて美味しいわけがないと思って毛嫌いしていたため食べたことはなかった。
リサに勧められ、いやいや食べさせられたが案外美味しい。普通のせんべいの形をしているため口に入れるのを憚れないのもポイントが高い。一枚食べたら、もう一枚食べたくなるというお菓子のあるあるにちゃんと則っていた。
理沙のいる時代では昆虫食は当たり前になっていたらしい。ただ、見た目が昆虫の形をしている食べ物ではなく、昆虫の栄養素を取った食品らしい。それなら私も食べられるかもしれないと思った。美味しいと分かっていても、流石に昆虫の形をした食べ物を口には入れられない。
「コラッ! 待て、ガキんちょ!」
商店街を二人して歩いていると、不意に前方で男の人の怒鳴り声が聞こえた。反射的にそちらを見ると、店から出てきた一人の少年の姿があった。まだ少し肌寒いにもかかわらず、袖のないシャツに短パンを着ていた。服はところどころ破れており、見える肌は荒れている。
少年は袋を抱えて私たちの方へと勢いよく走ってくる。少し経って、男の人が店から出てくる。エプロン姿の彼はおそらくこの店の店員に違いない。彼は何かを探すように首を左右に回すと、私たちへと顔を向ける。
「誰か! そのガキんちょを止めてくれ!」
大声で叫ぶ彼に心臓が跳ねるのを感じた。なんだか自分が怒られたような気がしたのだ。でも、彼が怒っていたのは私たちの元を過ぎ去った小さな少年に対してだった。
私はそれに気づいて後ろを振り返る。すると少年は別の店の店員に捕まっていた。店員は店の商品と思われるお菓子袋を必死に取り返そうとする。少年もまた必死な表情でお菓子を取られまいと抵抗していた。
二人のやりとりに先ほどの男の人が割り入ってくる。すかさず少年をグーで殴ると少年は袋から手を離し、あえなく地面に倒れた。男の人は別の店の店員からお菓子の袋を受け取る。それから少年の腹を数回蹴った。
「てめぇ、二度とうちに来るな!」
そう言って、最後に唾を吐くとこちらに戻ってきた。
怖い形相の男の人に私は恐怖と憤怒を感じた。いくら店のものを盗んだからって、あんな貧弱な少年に暴力を振るうのは間違っていると思ったのだ。
気づけば私は男の人に向けて足を一歩前に出していた。でもそれを私の肩に乗った手が牽制する。見ると、理沙が私を見ていた。彼女と目が合うと、理沙は首を左右に振り、「行こう」と私を引き戻そうとした。
私は少年をもう一度見る。殴られた箇所が痛むのかお腹を押さえながらゆっくり立ち上がろうとしていた。放っておくわけにはいかない気持ちは山々だが、私が行っても何もしてはあげられない。仕方なく、理沙の言う通り前を向いて歩き始めた。
「私のいた時代にもちょくちょく居たんだ。時代が進んで捨て猫のように子供を捨てる家庭がでてきたの」
「身内の特定はできないの」
「できないらしい。こんな言い方をするのは嫌だけれど、大貧民が産んだ子供だよ。私が冷凍睡眠する少し前に制定された『出生規制』によって大貧民は子供を産むことを禁じられたんだ」
「そんな……」
なんて可哀想なことをするのだろう。私はぎゅっと胸が締め付けられるような感覚に陥った。
こんな進んだ時代なのに、私のいた時代にはなかった差別がこの国では生まれていた。
****
「難しい話だよ。こうなってしまった根本の原因は『技術が進歩しすぎた』になるからね」
その夜、私は日向に今日あった出来事について話した。日向は長話になるかもしれないと思ったのか、2人分の紅茶を注いでくれると私の前に置き、向かい側の席に座った。
「技術が進歩しすぎた?」
「30年くらい前になるかな。世界で技術革新が起きたんだ。それで巨万の富を手に入れたこの国で非常に大きな格差が発生し、『超々格差社会』になってしまったんだ」
「超々格差社会……」
確かに私がいた頃にもそんな話がニュースで取り扱われていた。その時は『超格差社会』なんて言われていたが、その差がさらに広まってしまったらしい。
「格差により大貧民なるものが生まれた。それで一時期『餓死』が流行してしまったこともある。政府はそれを防ぐために一定所得以下のものに対して『出生規制』を行うことにしたんだ。でも人間、欲望には逆らえない。大貧民たちは秘密裏に子供を産んでいた」
「その子供は政府にバレなかったの?」
「政府は住民登録しているものしか管理できないからね。秘密裏に生まれてしまった子供まで管理はできない。だからこそ、今この国には多くの非住民の孤児が存在する」
なんてことだろうか。私が冷凍睡眠している間にそんな恐ろしいことが起こっていたなんて。きっと孤児は私のように普通の生活が送れず、寂しい思いをしている子たちが多いはずだ。彼らは私たちの姿を見て、そう思っているに違いない。
「何か彼らにしてあげられないかな」
「……姉さん。父さんや母さんから言われたことはまだ覚えている?」
「うん、もちろん。今でも手紙は大切に持っているから」
「そっか。僕も父さんと母さんと同意見だ。小さいながらも姉さんが苦しんでいたのは知っているからね。僕も老人だ。寿命も残りわずかだろう。でも、その間は姉さんがやりたいことを全力でアシストさせてもらうよ」
「日向……ありがとう」
私は弟の目を見て、微笑みかける。体がどれだけ変わっても、心はあの頃のまま少しも変わってなかった。私だけじゃない。私に恩地を授けてくれた家族のためにも自分のやりたいことをしよう。
弟が注いだ紅茶は時間が経っても冷めることはなく、温かかった。
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