第3話
私は商店街周辺を散歩していた。
休日の商店街はたくさんの人で賑わっていた。大勢の客の中で目的の人物を探すのは難しいかと思われたが、案外簡単に見つけることができた。身だしなみが浮いていたのだ。
建物の一角を盾に身を潜める少年の後ろに回り込み、ゆっくりと近づく。
少年は前ばかり見ていてこちらの存在に気づくことはない。数日前にあんなことがあったと言うのに警戒心が無さすぎる。私はぎゅっと彼の肩を掴んだ。
「っ!」
驚いた顔でこちらを振り向く。体を一歩後退させる。だが、すぐにその足が止まった。
少年は私が手に持っている『お菓子の袋』に視線を向けていた。分かりやすい子だ。
「一緒に食べよ」
私はニッコリ微笑んで彼に言う。彼は私を警戒するもゆっくりと頷いた。
2人で建物に保たれて座る。お菓子の封を開け、少年に差し出した。彼は袋を持つとものすごい勢いでお菓子を食べる。よっぽどお腹が空いていたのだろう。
「名前は?」
「風馬(ふうま)」
「いい名前だね。ご両親は」
「いない。三年前に捨てられた」
少年はあっさりそう言った。私がこの世界に適応したように、少年も今の環境に適応してしまったのだろう。だから両親がいないという事実をすっかり受け入れてしまっている。
「そっか。辛かったね」
「うん、すごく。将来も不安だし。死んじゃった方が楽かななんて思ったりする」
目尻には涙が浮かんでいた。まるでお酒を飲んだかのようにお菓子を食べた少年は自分の気持ちを素直に吐露する。私は自然と少年の頭を撫でていた。頬に涙が伝う。私も泣いているみたいだ。
彼の想いが聴けただけで今日ここにきた甲斐があった。
すると、不意に視界に緊急通話が入った。相手は日向の妻。私はすぐに通話を入れた。
「由里香さん、主人が倒れました。今病院に向かっておりますのですぐに来ていただいていいですか?」
彼女の言葉に私は目を大きくした。いつか来ると思っていたが、その時はあまりにも早すぎた。私は立ち上がるとバッグに入った水筒を少年の横に置く。
そのまま少年の顔を見ることなく、病院の方へと走っていった。
****
「あと保って3ヶ月と言ったところでしょう」
医者から受けた宣告に私は頭の中が真っ白になった。
日向の妻は冷静に「そうですか」と答える。彼女の表情を見ると涙ながらも覚悟していたように感じた。それから医師から延命措置等の説明を受けることとなった。
「ねえ、おばさん」
病室を出るや否や、私は彼女に声を掛ける。他の誰かに聞こえないように小さな声でしゃべった。
「おばさんは日向が『末期のがん』だってこと知っていたの?」
「……ええ」
束の間、リアクションに困っていたものの観念したようにあっさりと肯定した。
「どうして治療しなかったんですか?」
「……これからする話は主人には内緒にしていただいていいですか?」
私は彼女の言葉にゆっくりと頷いた。
「がんが発見されたのは由里香さんが冷凍睡眠から冷める1ヶ月前のことでした。当初は治療を受ける予定だったのですが、由里香さんが目覚めたことで治療を受けるのをやめたんです」
「どうして?」
「あなたに未来を託したいと主人はおっしゃっていました。自分はもう満足するほど長く生きた。だから、これから楽しく生きる由里香さんのサポートをすることを最後にしようと思うとおっしゃっていました。自分のせいで由里香さんをまた不自由にはさせたくなかったのでしょう」
「そう……なんですね」
私はどうしてこんなタイミングで目覚めてしまったのだろう。もし、眠りから覚める前に知ることができたのなら、タイミングをもう少し遅らせてもらうよう頼んだのに。なんて絶対不可能であろうことを思ってしまう。
一瞬、ネガティブな気持ちが私を襲うが、日向に言われた言葉を思い出す。
きっと、私が今するべきことはこうやって悔いてしまうことではない。
「ねえ、おばさん。日向の最後まで一緒にいてあげてください。私は最後にやるべきことを思い出しました」
彼女は私の言葉に優しく微笑み、「はい、分かりました」と頷いた。
****
それから2ヶ月半が経過した。
ベンチで書籍を読んでいた私の視界に緊急通話が入った。
ついに来てしまったかと、戸惑い躊躇しながらもゆっくりと通話開始のボタンをタップした。最後の最後まで杞憂であってほしいと願ったが、そう現実は甘くない。
「由里香さん、すぐに病院に来てもらっていいですか?」
その言葉を最後まで聞く前に私は走っていた。通信機器で近くにある空席のライドシェア車と連絡を取る。ライドシェア車はすぐに現在地へと来た。
車に乗り、走らせること10分ほどで病院へと辿り着く。ドアを開けると、走って日向のいる病室へと向かった。
日向っ!
言葉は喉元でつっかかり、声となって出なかった。
たくさんの看護師、看護婦が日向のベッドのそばにいた。その中にはおばさんの姿もあった。彼女は私の存在に気づくが、すぐにベッドの方へと顔を向ける。
私はゆっくりと歩いていき、日向のいるベッドを見た。
余命宣告をされて最後まで日向に会うことはなかった。会ってしまえば、私はおばさんから言われたことを話してしまうだろうと思ったから。日向を失望させたくなかった。
久々に見た日向の姿は以前とすっかり変わってしまった。
痩せ細ってしまった体に、髪はすっかりと抜け落ちてしまっていた。私が近くに歩み寄ると重そうな瞼がゆっくりと小さく開く。
「日向……」
ようやく声が出た。日向は目だけで「姉さん」と私を呼んだ。
私は目尻に溜まった涙を抑えながら、日向と視線を合わせる。病室には日向が生きていることを証明する一定周期の音が流れる。
『あのね、日向。私、やりたいことが見つかったよ。
孤児たちのための施設を作ろうと思うの。きっと彼らは今、幼少期の私と同じように不自由な生活を送っている。生きるだけで精一杯の日々。そこから解放して、自由をあげるの。そうすれば世界はより平和になる。
そのために精一杯頑張ろうと思う。今は猛勉強中。70年も寝てたから覚えることが多くて大変。でも、少しも苦じゃないよ。すごく楽しい。
もし、天国に行ってお母さんとお父さんに会ったら伝えてあげて。
私を産んでくれてありがとう。不自由な私を自由にしてくれてありがとうって。
そして、日向。辛かったよね。ごめんなさい。そして、ありがとう。あなたがいてくれたからこの世界でもやっていけたと思う。家族みんなの意思を今度は私が引き受けるよ』
心の中で、日向に訴えかけるように伝えた。
日向に届いているかはわからない。でも、私が言い終わると日向の口元が少し柔らかくなったように感じた。
一定周期だった音は、時間間隔を忘れたかのように長い音を出し続けた。
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