昭和五十九年春

 まだ冬の寒さが抜けきらぬ、この年三月、ある大学で卒業式が行われていた。長い四年間と感じた学生もいれば、あっという間の四年間と感じた学生もいただろう。

 講堂では、式典が執り行われており、偉い人の話が延々と繰り返されていた。

 講堂を出て、少しだけ日差しを感じる中庭に、二人の学生が顔を合わせている。本人たちは、春を感じているのだが、周りからは、寒さが抜け切らない二人にみえたことであろう。大学の卒業式に、ライダージャケットという出で立ちは、些か目を引く存在といってもいい。

 「今日で終わりか…。式とか、柄に合わないよな、俺たち。それにしても早かったよな。四年間って、あっという間だったよ。君のおかげで、楽しく過ごすことができた。ありがとう。」

 そう語った、少し影を感じさせるこの男は、柳沢武夫。身よりもなく、友人と呼べるものは一緒にいる藤崎昇ただ一人である。大学は広く、目立たない柳沢のことを知っているものは、ほとんどいないであろう。

 「そうだな…。俺のおかげと感謝しろよ。まだ寒いが、ひとっ走りするか…?結局、四年間、お前のCBに勝てずじまいか…。大学出て、その後どうするんだ?柳沢。」

 「身よりもない気楽な身だから、暫く旅行にでもでるさ。先のことは、それから考えるよ…。で、お前はどうするんだ?藤崎。」

 「親父との約束もあって、広島に帰ろうと思っている。Z乗り回せるのも、今のうちだけだなあ。いずれ、四輪に乗るときがくるって想像できないよな。」

 この二人には、あまり友人と呼べるような仲間がいない。成績は、トップクラスであるが、目立つ存在ではない。同じくバイクに乗る学生もいて、ツーリングに誘われたりしたが、この二人のペースに誰もついていけず、次第に元通り、二人て走ることになっていった。速すぎるやつとのツーリングは、誰だって面白くないものだ。

 「なあ藤崎、これからはバイクも水冷になり、俺たちのデカい空冷は、少数派になっていくんだろうな…。さみしいが、高性能になった未来のCBにも乗ってみたいよ。根っからのバイク好きなんだよなあ、俺は。お前はどう思う?」

 「俺は…そうだな、四輪でチューンドというやつに乗ってみたいよ。今は、ターボがでてきて、五百馬力なんてのがあるらしいからな。二輪でお前にかなわなかった分、四輪で楽しませてもらうよ。取り敢えず、親父のハコスカ乗り回すつもりだよ。L型メカチューン、一万回転で三百馬力ってところか…。イカれた車だよ。」

 「親父さん、そんな車に乗ってるのか?街乗り用にもう一台もってるのか?」

 「街乗りも全部ハコスカだよ。でも新車買ったんだよ。スカイラインRS。出たとこのターボ。俺のバイク馬鹿、車馬鹿は親父譲りだよ。」

 「時間が合えば、また、走ろうな。こっちにはまだいるんだろ?飯くらいは行こうぜ。」

 「ああ、明日の夜でも行くか…。いつもの居酒屋でどうだ?」

 「じゃあ、八時に集合ってことで。遅れるなよ藤崎。」


 外はまだ明るいが、厚手のジャケットを着ていても寒い。柳沢は、今月中に引き払う予定のボロアパートに帰った。駐車場には、見慣れない車が一台停められている。

 「藤崎がいればなあ。あいつならこの車のこと知っているんだろうな。」

 いつものように階段を上がり、自室のドアノブに手をかけると、簡単にドアが開いた。

 「あれ?俺、鍵掛けずに出たのかな?」

 そのまま部屋に上がり、電灯のスイッチを入れたとき、柳沢は、後頭部に鈍い衝撃を受け、そのまま倒れ込み、意識を失った。


 どのくらい時間が経過したのか、ようやく柳沢が意識を取り戻した。彼は、全身を縛り付けられていることに気がついた。

 「おい、どういうつもりだ?俺の部屋にどうやって入った?」

 柳沢の目の前に、一人の男がいる。

 「ようやくお目覚めのようだな。柳沢さん。随分待たせてもらったよ。そう怖い顔で睨むなよ。俺は、あんたの弟だと家主さんに自己紹介をして、あんたが引っ越すのを手伝いにきたと言ったんだよ。そしたら、家主さんが親切に鍵を開けてくれたってわけだ。まあ、俺は、あんたの弟じゃないが、明日から俺は、あんたとして生きていくことに決めたんだよ。悪く思うなよ。」

 「俺をどうする気だ?」

 「柳沢武夫が、二人いちゃ具合が悪いよな。つまり、そういうことだよ。引っ越しの荷物と一緒に、どこかの山に埋めてやるよ。心配するな。」

 「俺になりすまして、一体どうする気だ?」

 「真っ当な人間として、生きていくんだよ。今のままじゃ、俺は、前科者だ。誰からも白い目で見られる。あんたなら大丈夫だ。身よりもないから、誰からも怪しまれない。最高の身分が手に入るってわけだ。あんたには、感謝するよ。できるだけ苦しまずにあの世へ行かせてやる。俺にも感謝しろよ。」

 「そうか…。一つだけ教えておいてやるよ。俺は、恐ろしく執念深くてね。お前を、まともな死に方だけはさせない。何十年もかけて、お前をいたぶってやるよ。」

 「ほざけ…。今、楽にしてやるよ。おい!」

 どこにいたのか、もう一人の男が現れた。やせ形で、髪の毛は長く、艶がない。

 「やっと私の出番か…。私はプロだよ。心配しなくていい。先週も、新潟で一家を仲良くあの世に送ってやったところだよ。私は、この瞬間のために生きているようなもんだよ。暴れるなよ。リラックスしろ。」

 先週?テレビのニュースでやってた、一家皆殺し事件の犯人?単独犯って言ってたんじゃなかったか?

 「お前が、指名手配犯の加藤か?とんでもないのに目をつけられたもんだな…。」

 「しっていてくれたのか…。光栄だよ。ここにいる先生に整形手術もやってもらった。誰がどう見ても、殺人犯の加藤とは分からんだろう。」

 柳沢は、左腕に駐車針が刺さるのを感じた。これが、彼の最後の記憶である。


 翌朝、柳沢の荷物は、ワンボックスカーに乗せられた。大きな衣装ケースと共に…。柳沢の弟を自称する男が、このアパートの大家に愛想よく話しかける。

 「兄貴がお世話になりました。こっちの友人に挨拶しなきゃって、引っ越しは、俺任せ。兄貴は、人使いが荒いんですよ。じゃあ、俺はこれで。失礼します。」

 「では、お元気でとお兄さんにもお伝えください。気をつけて!」

 大家も普通の挨拶を返す。何事もなかったようにワンボックスカーが走り出す。この車には、大手の運送会社のロゴが入っている。ごくありふれた車だ。広い通りに出ると、近くの空き地に止まっていた黒いメルセデスが、ワンボックスカーと合流する。高速道路に入ると、二台の車は、それぞれ違う方向へと進む。

 十分程走った頃、黒いメルセデスが、高速の追い越し車線上で、突然爆発し炎上した。それでも車は走り続け、一度中央分離帯に衝突したあと、左側の防音壁に激しくぶつかりながら、ようやく止まった。


 「さよなら。先生。あんたには世話になったな。もう、あの世に行ってる頃か?これで、俺のことを知る人間は一人もいなくなったな…。これから俺は、柳沢武夫として生きていくさ。その前に、この荷物を片付けないとな。」

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