洞窟

 ヤヒロの隣を見ると、弥子やこも不思議そうな顔で、首を傾げていた。

「何か、体の感覚が、おかしいんだ」

「どういうことじゃ?」

「何か絶たれたみたいな、アバウトなんだけど、そんな感じがするの」

 弥子も自分の体を確認している。彼女の言う、絶たれるという感覚が、どういうものなのかは分からないが、二人の様子を見る限り、自分から何かがなくなったような感じなのだろう。

 ぬらりひょんは、目を凝らせた。

「でも、おぬしらの胆力は、絶たれていなそうじゃぞ」

「そうなのか」

 今、絶たれるとしたら胆力だと、ヤヒロは思っていたのだろう。そうでないことが不思議という顔をしていた。

「先輩!」

「わ! びっくりした!」

 突然、隣で叫ばれ、ヤヒロは飛び上がった。

「お前は、いつも近くで、突然叫ぶよな。勘弁してくれよ」

「それより、見てくださいよ!」

 ヤヒロの言葉など、微塵も気にすることなく、弥子が話を続ける。

「石が光りません!」

「え?」

 弥子の手に握られている餓鬼の石が光っていない。

 ヤヒロも餓鬼の石を取り出し、集中してみる。

「光らない」

 慌てて、小豆はかりの石を取り出して、集中する。

「ダメだ、光らない」

 胆力の使い方を覚えてから、大して経っていないというのに、もう、自分の体は、そのやり方を忘れてしまったのか。やはり自分には才能がないのだと、ヤヒロは落胆した。

「先輩!」

 再び弥子が叫ぶ。しかし、今度は近くからではなく、距離を取った所から聞こえた。弥子が距離を離したことに疑問を感じ、ヤヒロは声のした方に目を向けた。

「光りましたよ!」

 弥子は洞窟内にいた。

「ほう、これは面白い…」

 ぬらりひょんが、口元を歪め、目を輝かせる。

「ちょっと待て、そういう感じなのか…?」

 ヤヒロは小豆はかりの石を手に持ち、胆力を石に流すイメージをしながら、洞窟内に向かって歩く。

 皆がヤヒロに注目する。

「光った…」

 洞窟に入り、少し歩くと、石が光り始めた。近くの石を拾ってみる。

「重さが分かる」

「なるほどのう。その石は、洞窟内でしか使えぬわけじゃな」

「そんな局地的な力なのかよ…」

 ヤヒロは肩を落とした。

「これじゃあ、洞窟内の妖怪が出て来ても戦えないじゃないかよ」

 言って、自分で気付いた。何故、一度も、その可能性に気付かなかったのだろう。

「洞窟内の妖怪が出てきたら、ヤバくないか?」

 中の妖怪は好戦的だ。無差別に人を襲う可能性は、十分に有り得る。

「その点は問題ないぞ」

 ぬらりひょんが、あっけらかんと答える。

「わしに捜索隊の守りを頼んだから、てっきり知っているのかと思ったぞ」

「何だ? 何の話だ?」

「この洞窟に出る妖怪は、洞窟から出られないんスよ」

「何だって!?」

 驚愕の事実だった。

「見た方が、分かり易いじゃろう。全員、洞窟から出るんじゃ」

 言われた通り洞窟から出て、ぬらりひょんの後ろに並ぶ。

「なおれ」

 静かに言った。ヤヒロたちは何のことか分からない。しかし、下衆助げすすけは知っているようで、ヤヒロたちの方をチラチラ見て、ニヤついている。

 しばらくすると、洞窟内から雄叫びが聞こえてきた、その叫びは大きくなり、奥から何かが走ってきているのが分かってきた。

「餓鬼だ!」

 下衆助がビクリとする。

 そうだった、下衆助も餓鬼だったと、ヤヒロは軽率に叫んでしまったことを反省した。

「ねえ…ねえ先輩、ヤバくないですか!?」

 弥子に袖を引っ張られ、洞窟内に目を凝らす。

「げっ」

 そして驚愕する。餓鬼の人数は一人ではなかった。五、六、いや、もっといる。後ろからどんどん増えてくる。

「おいおいおいおい」

「せ、先輩」

 弥子が怯えて、ヤヒロに抱き着く。ヤヒロも恐怖で、気が気ではなかった。

 一方で、ぬらりひょんと下衆助は、涼しい顔をしている。ヤヒロは、妖怪だから、あの程度の餓鬼なんて、敵でもないから余裕なのだろうと、そう考えていた。

 だが、次の瞬間、まるで見えない壁でもあるように、餓鬼たちが何かにぶつかった。

「え!?」

「何!?」

 ヤヒロと弥子は、同時に声を上げた。

 餓鬼たちは、前に進めなくても、まだ進もうとする。後ろから来る餓鬼に押され、ガラスに押し付けられるように、一番前の餓鬼が、貼り付け状態になってしまっている。

「どういうこと?」

 安全だと分かり、弥子がぬらりひょんに質問する。

「見ての通り、何故か洞窟から出られないんじゃよ」

 ぬらりひょんは、肩を竦めた。

「どういうことなんだ…」

 弥子が既に言ったことを、ヤヒロは呟いてしまった。それだけ、衝撃が大きかったのだ。

「何故なのか分かんのじゃよ。今までのことを総合すると、この洞窟が、本当に摩訶不思議なものだということが分かる」

 ぬらりひょんは、懐から煙管を出して、ふかし始めた。妖怪が摩訶不思議というのだから、本当に不思議な現象なのだろう。そう思って、妖怪がという所に、偏見があることに気付き、ヤヒロは頭を振った。

 しかし、事実、人知を超えた力を使える妖怪が、不思議と言っているのだ、人間から見れば、よりおかしな現象となってくる。

「情報が多すぎる…」

 ヤヒロは頭を抱えた。情報とは、今の現象の話ではない。今日一日で起きたこと全てだ。

 今まで空想の存在だと思っていた、妖怪との出会い。

 洞窟の妖怪は、現実世界で生きている妖怪とは、似て非なるということ。

 洞窟内の妖怪は、倒すと黒い塵となり、その姿の妖怪の力を秘めた石になるということ。

 その石は、人間の胆力で扱うことができ、妖怪の能力を発動させることができるということ。

 その石の力は、洞窟の外では使えないということ。

 洞窟内の妖怪は、洞窟から出られないということ。

 今までヤヒロが過ごしてきた生活では、全てが常識外だった。

「全部、現実なのか?」

 呆然とした。

「ホント、今日は色々なことがあって、夢だと思っちゃいますよね」

 弥子がヤヒロにくっ付く。

「もし、夢だと思ったら、私に確認してください。その時に夢じゃないことを確認し合いましょう。もし、私が夢かと疑ったら、話を聞いてください。それで、トントンです」

 弥子がヤヒロを見上げて微笑む。ヤヒロは再確認する。この弥子の笑顔に、何度救われたことだろう。

「おぬしら人間にとっては、わしら妖怪自体が空想上のものだろうが、この洞窟に関しては、わしらにとってもファンタジーじゃ。不思議な現象じゃよ」

 困り顔で笑う。妖怪の力をもってしても、その存在が謎である洞窟。もう笑うしかないのだろう。

「この洞窟は、人間社会での、ゲームに出てくるダンジョンのようじゃな」

 洞窟から出られないモンスター。洞窟でしか使えないアイテム。まさに的を得た言葉だった。

「妖怪…というかモンスターを作り出す。ドロップしたアイテムを、特定範囲でのみ使えるようにする。そんな力を持った妖怪を、オイラは知らないっスよ」

 下衆助も、ぬらりひょんの心情に乗っかる。

 何よりヤヒロが思うのは、この洞窟全域に作用する力が、非常識すぎるということだ。本人は妖怪総大将ではないと否定をしているが、そんな凄いぬらりひょんですら、洞窟全域に力を使うのは厳しいと言っていたのだ。それをやってのける妖怪だとしたら、とんでもない存在だ。

「まあ、とにかく、この洞窟のことを考えても答えは出んじゃろう」

 ぬらりひょんは、再び肩を竦めた。

「考えても答えが出ないことを考えても仕方がない。取り敢えず、ヤヒロたちは帰りなさい」

「あ…ああ、そうだな」

 今晩起きたことは、本当に、夢のような出来事で終わるかもしれない。この後、何も起きなければ、そうなる。本当は、それがいいのだ。何も起きないのが、平和でいい。

「あ、弥子姐さん」

「どうしたの? ゲスリン」

「連絡先を…いだだだだ」

 下衆助の耳を、ぬらりひょんが思い切り引っ張った。

「ダメじゃよ」

「な、何でっスか!?」

 下衆助としては、命の次に大事なウィッグがかかっているのだ、引き下がれないのだろう。

「また、近いうちに、会うじゃろうて」

「そんなー! 姐さーん!」

 ぬらりひょんに耳を引っ張られながら引きずられる、下衆助の悲痛な叫びが、富士の樹海に響き渡った。

「行っちゃいましたね」

「そうだな。何か、別れ際がスッキリしなかったな」

 ヤヒロから、乾いた笑いが出る。一方の弥子は、その場にへたり込んだ。

「弥子? 疲れたのか?」

 ヤヒロの袖を引っ張ったまま、弥子は動かない。心配になって、顔を近づける。

「弥子?」

「怖かったんです」

 震える声が返ってきた。

 ヤヒロが顔を近づけて、初めて気付いた。涙を溢れさせて泣いてる。

「何だ? どうした?」

 予想していなかった状況に、ヤヒロは狼狽えた。

「怖かったんですよ」

 弥子が、ヤヒロの首に手を回し、むせび泣いた。

「どうしたんだ…あんなに楽しそうに話してたじゃないか」

 弥子が抱き付いてきて、身動きが取れないので、ヤヒロも身を屈めた。

「楽しかったですよ。でも、相手は、私たちの知らない力を使う妖怪です。怖くないわけ、ないじゃないですかぁ~……」

 最後はもう、泣き声と混じっていた。

 ヤヒロは気付いてあげられなかったことに、自責の念を抱いた。一人の女の子が、あの状況で恐怖心を抱かないわけがない。

 コミュニケーションに長けた人間だと思っていたが、当の弥子は、気丈に振舞っていただけだったのだ。自分は、そこを見誤り、全ての舵を、弥子に任せきりにしてしまっていた。恥ずべきことだと、ヤヒロは心から反省した。

「ごめんな。俺は、弥子に甘えてしまってたみたいだ。怖かったよな。ごめん、本当にゴメン」

 思い返してみたら、話すのに詰まっても、弥子がきちんと話を繋げてくれていた。

「頼りっきりで、ゴメンな」

 ヤヒロは、泣く弥子を抱きしめた。そして、自分がしっかりしなくてはと、改めて思った。過去を思い出して、固まってしまった時も、弥子が優しく声をかけてくれたから、復活することができた、どれもこれも、感謝しかない。

「帰ろう。帰って落ち着こう」

 引っ張っても、弥子は動かない。腰が抜けているのかもしれない。

 今こそ、恩を返す時だと、ヤヒロは弥子を抱え上げた。お姫様抱っこというやつだ。

「え? 先輩?」

 突然の行動に、弥子は顔を赤らめて狼狽える。

「五十点二キロって、軽いな」

「……ばか」

 弥子が笑った。少し落ち着いたようだ。

「今日は、先輩のうちに泊めてください。一人になるのが怖いです」

 弥子は、お姫様抱っこをされながら、ヤヒロに抱き着いた。

「わかった」

 弥子がヤヒロの家に泊りに来るのは久しぶりだった。ヤヒロが仕事に行けなくなって、様子を見に来てくれていた時は、時々、様子を見に泊ってくれていた。そう考えると、今まで弥子には、本当に世話になっていたと痛感した。

 ヤヒロは、弥子を抱えて車に向かう。

 途中から、静かな寝息が聞こえてきた。あんなに怖がっていたのに、安心して寝てくれたことが、素直に嬉しかった。同時に、洞窟内で、それだけ緊張状態だったことに、胸を痛めた。

「家まで、起こさないように、気を付けよう」

 ヤヒロは、助手席に弥子を静かに乗せ、運転席に回った。

「今日は色々とあったな」

 つい声に出てしまった。脇の弥子に目をやる。起きる気配はない。

「負担かけちゃってごめんな」

 ヤヒロは、弥子にシートベルトをかける。

「って言っても、お前はかけられてないって言うんだろうな」

 優しく、弥子の頭を撫でた。本当に、かけがえのない存在だ。

「さて、家まで安全運転で行こう」

 時間が時間。そして、様々な出来事からの疲労から、ヤヒロも眠かったが、いち早く弥子を安心した場所で寝かせてやりたいという気持ちから、気合いを入れて、ハンドルを握った。

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