別れの時

「さて、楽しい時間じゃったが、そろそろ、お開きにするかのう」

 言われて、ヤヒロはスマホで時間を確認する。時刻は午前一時を回っていた。樹海に着いてから、三時間近く経過していたことになる。

「もう、こんな時間か」

「ホントだ。時間経つの早い」

 ヤヒロのスマホを覗き込みながら、弥子やこが呟いた。その声には、寂しさが混じっている。楽しい時間が終わりたくないという気持ちがあるのだろう。それだけ、妖怪たちとの会話は、新しいことの発見があったし、何よりも単純に面白かった。

「わしは、教えたいことは一通り話せた」

 穏やかな声色だった。やりきったという心持ちが伺えた。

「おそらく、明日から騒ぎになる」

「え?」

 突然の切り出しに、ヤヒロと弥子は戸惑った。

「人気Vtuberのライブ配信じゃ、全世界に向けた配信じゃからな、話題になることじゃろう」

 真剣な顔だった。

「コメント欄では、企画だと思っていたようじゃが、おそらく、猫彌ねこみたんは警察に行っていることだろう。普通の行方不明者ならば、警察は余程のことでない限り動かんじゃろう。しかも今回は化け物に襲われたという、悪戯とも取れる内容じゃ。じゃがな、いなくなった場所が、今回は洞窟内じゃ。発言内容がどうであれ、場所が場所だけに、遭難として捜索隊が組まれるじゃろうな」

 そうなると大事おおごとだ。騒ぎにあることは間違いない。

「それって、まずいんじゃないか?」

「まずいじゃろうな」

 ヤヒロもぬらりひょんも、事の重大さに気付いていた。

「先輩、どういうことです?」

 弥子はピンと来ていなかった。

「だってそうだろ? 捜索隊が洞窟に入るってことは、ここの化け物たちと対峙するってことだぜ?」

「あ…」

 洞窟内の妖怪は、容赦なく襲ってくる。それに、どれだけの数いるか分からない。加えて、どんな妖怪がいるかも、弥子たちは、まだ知らない。

「餓鬼の集団だけでも十分恐ろしいんだぜ。それにもし、好戦的なぬらりひょんが出てきたら、人間なんて何百人いても敵わないさ」

 考えただけで、ゾッとした。

ぬらりひょんは自らを認識させないことができる。それをヤヒロたちは、実際に体験した。あの力を使えば、人間を殺すことなぞ、容易いことだろう。

「買いかぶり過ぎじゃな。わしだって、何百人と相手にしたら、さすがに妖力切れで勝てんじゃろう。……だが、まあ、多分、可能ではあるじゃろうな」

 本人の口から、肯定の言葉が出て、背筋が寒くなる。今、目の前にいる、ぬらりひょんが、敵ではなくて、本当に良かったと、ヤヒロは改めて思った。

 いや、ぬらりひょんだけではない、下衆助げすすけもそうだ。彼だって本気を出せば、ヤヒロたちなど、ひとたまりもないだろう。

「わしもあやじゃ。猫彌たんのスタッフが亡くなるのは心苦しい。じゃから、これから探しに行くつもりじゃ」

「というより、ヤヒロさんと会う前に探してたんスけどね」

「え? もしかして、俺らって、ぬらりひょんさんたちを足止めしてた?」

 今になって明かされた新事実に驚愕する。もし、自分たちのせいで、捜索の腰を折っているのだとしたら、申し訳ない上に、居たたまれなかった。

「いや、大丈夫じゃよ。下衆助に会って、実際の餓鬼が関わっていないことを知って、この洞窟内の胆力の動きは、既に探り終わっておる」

「ちょっと待てくれ、それってつまり…」

 嫌な想像しか浮かばない。ヤヒロの額に汗が伝う。

「残念ながら、スタッフらしき胆力の流れは感じられなかった」

「そんな…」

 弥子が青ざめる。しかし、ライブ配信で観た状況を考えると、もう殺されていても、おかしくはない。

 洞窟内の妖怪と対峙したヤヒロと弥子には分かる。ここの妖怪は、出会った者を本気で殺しにかかってくるくらい、好戦的だ。しかも、力も非常に強い。二人掛かりで、更に運が味方して、やっと勝てたと言っても過言ではないだろう。

「それにのう。ヤヒロたちと出会うまでの間、既に二時間は探しておったからのう」

 洞窟に入ったばかりで出会ったと、ヤヒロは勝手に勘違いしていた。確かに、言われてみれば、そんなことは一言も言っていなかった。

「警察が来た時に、おぬしたちがいたら、犯人にされかねん。今日は、帰りなさい。わしらは、もう少し探してみる」

 ヤヒロたちも、騒動に巻き込まれるのは御免だった。

「入口まで送ろう。たとえ、その石を使えるようになったとはいえ、まだ覚えたてじゃ。おぬしたち二人だけでは、妖怪に襲われた時に、命を落としかねん」

 ごもっともだった。ヤヒロたちは、素直にぬらりひょんの申し入れを受け入れた。

「そういえば、ぬらりひょんさんの力を使って、捜索隊が洞窟内にいる間、妖怪たちを足留めすることは出来ないのか?」

 ヤヒロの考案に、ぬらりひょんは、ため息を吐いた。

「何時間いるか分からない上に、どれだけ広がって探しているかも分からない、捜索隊全員の範囲を守るということは、この洞窟全体を認識操作することに等しい。そんな範囲に力を使ったら、一瞬で妖力切れじゃ。そうしたら、わしの命が危ないわい」

 確か、出会った時、ぬらりひょんは、洞窟全体に力を使うのは厳しいと言っていたから、本当にそうなのだろう。

 それに、洞窟自体、どれだけ広いか分からない。そんな範囲に力を使うことが、どれだけ厳しいことか、胆力の存在を知ったヤヒロには、想像することができた。

「それにのう…」

 ぬらりひょんの声のトーンが下がる。

「ヤヒロと、弥子ちゃんならともかく、知らん人間を助ける義理はない」

 背筋の凍る気迫が、ぬらりひょんから発せられた。その迫力に、息を飲む。

 やはり、基本、妖怪は妖怪であり、人間ではない。人間を助ける必要はないのだ。当然だ。人間だって、見ず知らずの人を助けるかと言われれば、必ずしも、そうではないだろう。それを、別種族の者に期待するのは、お門違いである。

「気を悪くしたならゴメン」

「ええんじゃよ。だが覚えておいておくれ。妖怪は基本、当たらず触らずじゃ。これは、人間に対してだけではなく、妖怪同士でもそうなのじゃ。無用なトラブルを起こさないようにするための、知恵じゃな」

 妖怪の掟のようなものを知り、ヤヒロは感心した。どちらかというと、人間は色々なことに首を突っ込む習性がある。だから、真逆の考えだ。

 現に、人間同士での争いは絶えない。

「わしや下衆助のように、他に干渉するタイプは稀じゃ」

 ぬらりひょんと下衆助がお互いに頷く。

「それに思ったんで、言っちゃうっスけど、今回が珍しいパターンなだけで、基本、妖怪は友好的じゃないんスので、他の妖怪に会っても、オイラたちと接するように、近づいちゃダメっスよ」

 確かに下衆助は、ヤヒロたちとの初見の時は警戒していた。その態度が、彼の言葉に真実味を与えている。

 ぬらりひょんが、自らの力を使ってくれていたのかは分からないが、洞窟の入り口まで、他の妖怪に会うことはなかった。

「送ってくれて、ありがとう」

「ええんじゃよ」

 ぬらりひょんは笑顔だった。

「そうだ、ヤヒロさんたちに、これあげるっス」

 下衆助は、ヤヒロと弥子に一つずつ石を渡した。

「これって、餓鬼の石?」

「そうっス。良かったら使ってくださいっス。二人に餓鬼の力を使って貰えるなら、オイラも嬉しいっス」

「ありがとう、ゲスリン!」

 弥子が下衆助の手を握って、勢い良く振る。心なしか、下衆助は恥ずかしそうだ。

「下衆助、おぬしだけズルいのう。じゃあ、わしも二人にプレゼントじゃ」

 ぬらりひょんが、懐から布袋を取り出すと、手の平に広げた。そこには様々な色をした石があった。

「綺麗!」

「これって、全部妖怪から出た石か?」

「そうじゃ」

 色とりどりで、多種多様。その様子は、それだけの種類の妖怪が、この洞窟内にいることを示していた。加えてそれは、ここが危険であることを暗に語っていた。

「ヤヒロは、犬の気配がするな。じゃから、これをやろう」

 茶色い角ばった石を渡される。

 犬と言われ、ヤヒロは複雑な顔をして、石を受け取った。彼にとって、犬には嫌な思い出があるのかもしれない。

「弥子ちゃんからは、狸の気配がするから、これじゃな」

「狸! 狸顔で可愛いってこと!?」

「うーむ…」

「狸顔で可愛いってこと?!」

「そ、そうじゃな」

 弥子の圧力に、ぬらりひょんが負ける形になった。この子、強い。

 ヤヒロはその様子を見ながら、弥子は狸顔というよりも、猫顔だよな、性格も猫だし。なんてことを考えて、一人、静かに笑った。

 弥子が渡されたのは、黄土色をした丸い石だった。

 二人共、貰った石に胆力を込めようとするが、上手くいかず、石は全く反応をしなかった。

「何の妖怪か分からないと、イメージが固まらないんじゃろうな」

「じゃあ、教えてよ、おじいちゃん!」

 弥子が食い下がる。

「教えぬよ。何か分からないのも、楽しみの一つとは思わんか?」

「うー、いじわる!」

 頬を膨らませて、拗ねた。

「今日は楽しかったです。ありがとうございました」

「こちらこそじゃ。またいつか会おう」

 ヤヒロとぬらりひょんは、固く握手を交わした。そして、立ち去ろうとした時に、異変に気付く。

「あれ? 何だこれ」

「どうしたんじゃ?」

 自分の体の各所を確認しているヤヒロは、何かに焦っているようにも見えた。

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