妖怪総大将ぬらりひょん

「おじいちゃん。頭の長い、おじいちゃん」

 ぬらりひょんであろう人物を見るなり、弥子が言った。

 その言葉に、ヤヒロの血の気が引く。

「お、おい、バカ!」

「かっかっかっか、面白い感想じゃの」

 逆鱗に触れるかと思ったら、彼は可笑しそうに笑った。

「怪我はないかの?」

 老人は訊いてきた。怪我の心配をしてくるということは、助けてくれたということなのだろうか。

「大丈夫です。ところで、ぬ、ぬらりひょんさん…ですよね?」

 恐怖から、変な所で噛んでしまった。

「そうじゃよ」

 ヤヒロの読みは当たっていた。

「襲ってこないんですか?」

「おぬしは、何もしてこない相手を問答無用で殴るのか?」

「うっ」

 常識的なことを言われて、ヤヒロは一瞬怯んだ。

「何事も暴力でことを進めてはいかんぞ」

 ごもっともな意見だった。しかし、妖怪に言われる筋合いはない。

「同じ妖怪の、そいつらは襲ってきましたよ」

 ヤヒロは餓鬼がきを指す。

「ふむ」

 ぬらりひょんは餓鬼を見て、少し考える素振りをしてから、ヤヒロを見据えた。

「おぬしの意見ももっともだ。同じ妖怪のわしが好戦的かもしれないと思われても仕方のないことじゃな。だがの、人間にも好戦的な輩と、そうでない輩がおるように、妖怪にもそれぞれの性格がある。わしは、好戦的ではないのじゃよ」

 やや理屈っぽかったが、例えは非常に分かりやすく、その言い分は正論だった。

「まあ、それはいいとして、何故、人間がこんなところに居る? 見たところ、始めから何かと戦うことを前提で来ているようじゃが」

 ヤヒロの持つ竹刀と、弥子の持つ木刀を交互に見る。

 ヤヒロは、本当のことを言おうか迷った。しかし、ここで嘘を吐いたところで、話がややこしくなるだけだ。それに、伝承では、ぬらりひょんは読心の力を持っているとは書いていなかったが、小豆はかりの様子を見た後では、記述にない力を持っている可能性も考えられた。

 結果、正直に言うことにした。

「Vtuberの兎月うづき猫彌ねこみの配信で、餓鬼が映ったから、実物を見ようと思ってきました」

「なんじゃと!」

 ヤヒロの言葉に、ぬらりひょんの目が輝く。

「おぬし、あやか!」

 興奮気味に身を乗り出してくる。

 妖っ人とは、兎月猫彌のファンのことを言う。昔はヤヒロもそうだったが、今は配信のあまり見ないほど冷めてしまっていたので、今、妖っ人と名乗ることは出来ない。

「今は違いますけど、前はそうでした」

「昔の話でもよい。いやあ、同じ妖っ人に会えたのは感激じゃ」

 ヤヒロは、情報量の多さに、頭がパンクしそうだった。

 ぬらりひょんが、人間社会の動画配信を観ていて、Vtuber文化を知っていて、人気Vtuberのファンで、しかも食いつき方から、かなりのファンであり、同じファンに会うと鼻息荒くなるということだ。

「同志よ! 同じ妖っ人なんじゃ、かしこまらなくてよいぞ!」

 ぬらりひょんは、ヤヒロの手を掴むと、上下に激しく振った。

「もしや、そっちの女子おなごもそうなのか?」

「まあ、一応」

 昔ファンだったヤヒロの状態で妖っ人でよいというのならば、時々配信を観ている弥子も含まれても良いと思い、そう返答した。実際は、ファンでも何でもない。

「おお! 二人もの妖っ人に会えるとは、今日は良い日じゃな!」

 ぬらりひょんは、喜々として弥子の手を握ると、先程と同じように上下に激しく振った。その様子は、最早、ただのお爺ちゃんだ。

「改めて、わしは、ぬらりひょん。おぬしらの名前も教えて欲しい」

「俺は渋谷しぶたにヤヒロです」

「私は姫氏原きしはら弥子。よろしくね、おじいちゃん」

「その、おじいちゃんは、止めろ!」

「ええんじゃ、ええんじゃ」

 弥子の極端な距離の縮め方に、ヤヒロの心臓が縮こまる。

「ヤヒロは、今まで、妖怪に会ったことがなかったのか?」

「ああ、一度もない」

「そうかそうか。じゃから、餓鬼を見たかったんじゃな。しかし、普通は恐れる妖怪に、自ら会いたいとは、変わった奴じゃの」

 ぬらりひょんは、かっかっかと笑った。

「先輩は、妖怪マニアなのよ。ね、先輩!」

 ヤヒロの首に後ろから抱き着き、弥子が言った。

「妖っ人な上に、妖怪に好意を持ってくれているとは、最高の人間に会えたものじゃ」

 再び、かっかっかと嬉しそうに笑う。

「さっきもそうじゃったが、二人共仲がよいの。恋人同士かの?」

「違う。大切な友人だ」

 間髪入れずに、ヤヒロが答えた。

 違うという言葉に沈み、大切という言葉に浮かれ、友人という言葉に沈み、弥子の心は一瞬でかき乱された。そのことに、頬を膨らませる。

「だ、そうですよ!」

「にゃ、にゃにほするふんは、やほ…」

 丁度良い位置だったので、そのままヤヒロの口を左右に引っ張る。結果、ヤヒロの喋り方が、変な風になった。確かに恋人同士ではない。しかし弥子は、ヤヒロの即答と、迷いのない回答に頭に来て、つい手が出てしまった。

「ふふ、今回はこれで許してあげましょう」

 ヤヒロの間抜けな姿に、気持ちがほぐれた弥子は、小さく笑った。

「かっかっかっか、仲が良いのう。尊い尊い」

 ヤヒロは思い返して、気付いた。ぬらりひょんが、初めて顔を見せた時に尊いという言葉を使っていたことに、違和感があったが、人間のコンテンツに触れていることが判明した今ならば、その言葉選びにも納得がいった。

「あー!」

「うわっ、ビックリした」

 突然耳元で叫ばれ、ヤヒロは心臓が飛び出しそうになった。

「先輩、嘘じゃないですか!」

 弥子が跪いている餓鬼を指さし、ヤヒロに寄りかかりながら抗議する。

「妖怪は能力を持っているわけじゃないって言ってたのに、おじいちゃんは、凄い能力を持っているじゃないですか!」

「おじいちゃんって…ホント、ぬらりひょんさんが許してくれたからいいものの、弥子お前、妖怪総大将に向けて、その物言いはどうなんだよ」

 寄りかかってくる弥子を押し返す。

「その情報は、間違っておるな」

 ぬらりひょんが口を挟んできた。

「わしは妖怪総大将などという大層なもんではない。ただの百鬼夜行の一員なだけじゃ」

 確かに、百鬼夜行に加わっているという伝承はあった。

「それに、わしの力は、他人の家に入り込み、そこの主人だと誤認させるという、錯覚させるだけの力じゃよ。言うほど凄い力ではない」

 十分恐ろしい能力なのではないかと、ヤヒロは改めて背筋が寒くなった。妖怪の感覚がずれているのか、ぬらりひょんが謙遜して言っているだけなのかは、分からない。

 それは言い換えれば、いつでもその場の支配者になれるということだ。今だって、その気になれば、ヤヒロたちを支配下に置くことができると暗に言っている。

「さすがに、この洞窟全部となると範囲が広くて難しいからの。今は、この周辺の得体の知れないもののみに作用するようにした」

「得体の知れないもの?」

 今固まっているのは餓鬼だ。つまり、ぬらりひょんは、餓鬼のことを自分と同じ妖怪と言いつつ、得体の知れないものと言っている。これにはヤヒロも意味が分からなかった。

「この洞窟に出現する妖怪は、妖怪の姿と力を持ってはいるが、我々と同じ妖怪ではない。根本が違うんじゃよ」

 やはり、何を言っているのか分からない。ヤヒロと弥子は顔を見合わせた。

「そうじゃのう。人間で例えるならば、アンドロイドかの。アンドロイドは見た目が人間で、人間と同じ能力を持っているが、人間ではないじゃろ?」

 確かに、アンドロイドは人間ではなくロボットになる。

「なら、この洞窟に現れる妖怪は何なんだ?」

「ん~、どう話したものか…お、丁度良い奴が戻ってきたようじゃの」

 言うと振り向いた。

 ヤヒロと弥子は、ぬらりひょんの見た方向に目を凝らしてみたが、何も見えなかった。

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