洞窟内探索

「この懐中電灯、高いんだろうな」

 ヤヒロは、先程拾った懐中電灯で洞窟の中を照らす。

「私たちの持っている物より、明らかに光が強いですもんね」

 弥子やこも自分の懐中電灯で周りを照らす。

「配信では、それなりに歩いていた気がします」

「慎重に奥に進もう」

 ライトで照らすということは、自らの視界を良くする代わりに、相手に自分の居場所を示しているというデメリットが、付いて回る。仮に、妖怪が死角から様子を伺っているとなると、ヤヒロたちの居場所は丸分かりである。

「待て」

 突然、ヤヒロが手を伸ばして、弥子の歩みを制した。

「どうしたんですか、先輩?」

 ヤヒロは人差し指を自分の口に当て、言葉も制する。

 弥子に緊張が走る。

「その岩の影に、誰かいる」

 耳元で話す。その声色から、緊張していることが分かる。こんな姿のヤヒロを見たのは、空手の試合以来である。

 ライトで岩を照らしながら、ゆっくりと一歩ずつ近づく。

餓鬼がきかもしれない。弥子はこれを持って身を守るんだ」

 木刀袋から木刀を取り出し、弥子に渡す。

「先輩は?」

「心配無用、竹刀も持ってきた」

 同じ木刀袋から取り出す。何とも用意周到だ。お互いに剣道有段者、まさに鬼に金棒だ。

 ゆっくりと近づく。相手はこちらに気付いていないのか、全く反応がない。しかし、人影はある、そこに確かにいる。

「何か、音がしません?」

 弥子に言われて気付く。パラパラと何かを撒く音が聞こえてきた。その音は、次第に大きく激しくなってゆく。何より不思議なのは、その撒かれる音は、目の前の人影からではなく、ヤヒロたちの周りから聞こえて来ていた。四方八方から聞こえ、囲まれているのが分かる。

「先輩、囲まれましたよ、ヤバいです」

 しかし、そんな状況で、ヤヒロは至って冷静だった。周りの音には、一切気を向けず、岩陰にいるであろう人物に、集中している。

「周りの音は気にするな。その音は、岩陰の奴が発している音だ」

「え?」

 ヤヒロは、今起きている現象で、岩陰の存在が何なのか、分かってきていた。

「恐らく、この妖怪は。大丈夫、ポルターガイストのような音を出すだけで、危害は加えてこない妖怪だ」

 ヤヒロの説明を聞いて、弥子は安心した。確かに、先程のヤヒロの妖怪の説明からすると、人を食らう妖怪以外は、化かす程度の事しかやってこないと言っていた。

「いた」

 岩陰にいた者に、ライトを当てる。そこには、浅黒い肌をした、髪と髭が繋がった、目の大きな小柄な老人がいた。手には、小豆の入ったザルを持っている。

「おあああああああ!!」

 その老人は、ヤヒロたちを見るなり、襲い掛かってきた。

「先輩! 話が違うんですけど!!」

「あれー!?」

 小豆はかりは、ヤヒロに狙いを定めると、飛び掛かってきた。ヤヒロは、竹刀を振り下ろし応戦する。

 小豆はかりは、その一閃を横に飛び跳ねることで避けると、危険と察知したのか、飛び退いて距離を取った。

「面打ちを避けた。実力は俺以上かもしれない…」

 武道をやっていた自分なら、妖怪にも勝てるかもしれないと、驕っていたことに気付いた。

 その甘い考えに、今さらながら焦り、額に汗が滲む。

「逃げるぞ、弥子!」

「は、はい!」

 相手の実力が上なら、無益な戦いはしない。ヤヒロの判断は早かった。

「小豆はかりは、ポルターガイストを起こすだけの妖怪だ。人を化かすだけだから、人を襲うはずがない…なのに、何で」

 走りながら話す。

「伝承に書かれていないことがあるんじゃないですか?」

 弥子の言うことはごもっともだった。全てが記録されているとはかぎらない。

「え? は?」

 全力で走るヤヒロたちを追い越し、小豆はかりが道を塞いだ。ヤヒロたちは急いで足を止め、距離を取る。

「速い! これじゃ、熊と変わらないじゃないですか!」

「ホントだな。姿が人間と似ているから、人間と同じと錯覚してたけど、相手は妖怪、獣と同じと考えるべきだった」

 今さらながら、妖怪に会いに来たという、自分の軽率な行動に後悔した。

「ああああああああ!!!!」

 雄叫びを上げて、再びヤヒロに襲い掛かってくる。ヤヒロはその顔面目掛けて、竹刀を振り下ろした。見事な袈裟斬りだ。

 ヤヒロの手に衝撃が伝わり、自らが放った一撃が、相手に当たったことが確認できた。

「やった!……えぇ!?」

 当たったことは当たったのだが、小豆はかりは竹刀に噛み付いていた。いや、噛んで受け止められたと表現するのが、正解だろう。

 そして、噛んだ状態のまま、踏み込んでくる。

「ち…力が強い!」

 力負けしている。ここからの、逆転方法が思いつかない。

「めーん!」

 弥子が小豆はかりに面打ちを放つ。剣道のように抜けない、全体重を乗せた唐竹割りだ。木刀は鈍い音を放ち、見事、小豆はかりの頭部に当たる。

「ぎゃん!」

 小豆はかりは悲鳴を上げて飛び退いた。頭部から血を流して、息が上がっている。

「ナイスサポート!」

「畳み掛けます!」

 間髪入れずに、弥子は踏み込んだ。

「めーん!」

 再び、弥子の面が放たれる。その動きを見て、小豆はかりは横に跳んだ。傷を負って動きが鈍っているとはいえ、避けるには十分な速度だった。

「いける! 胴!」

 唐竹割りの軌道が変えられ、逆胴打ちの流れになる。見事な面胴の流れだ。しかし、剣道において、面からの逆胴の動きは珍しい。弥子は避けられることを読んだ上で、次の一撃に既に移行していたのだ。完全に一撃目はフェイントだ。

 木刀の軌道は逆胴打ちというよりも逆袈裟斬り。いや、斬撃というよりも、バッドのフルスイングの姿勢に近かった。弥子は、始めから、この渾身のフルスイングを狙っていたのだ。

「ぐぅえ!」

 全体重を乗せた一撃が、姿勢を低くした小豆はかりの胴にめり込む。その威力に、低い唸り声を上げた。

「思ったよりも軽い! このまま吹っ飛ばします!」

 弥子は木刀を振り切った。まるでボールのように、小豆はかりの体が、宙を舞う。その軌道は弧を描き、ゆっくりとしていた。

「とどめ! 突きー!」

 地面に落ちてくる小豆はかり目掛けて、全力の突きを放つ。

「があぁあ!!!」

 放った突きの先は、運良く、小豆はかりの口内に刺さった。

「おおおおおお!!!!」

 ヤヒロは小豆はかりを刺したまま、更に踏み込む。そしてそのまま、岩壁まで走った。

「ぎゃああああ!!!!」

 岩壁に付きたてられた小豆はかりは、断末魔の叫びを上げて、黒い塵となり爆散した。そして、何か硬質な物が落ちる音がした。

「消滅した…」

 まさか、消えるとは思わなかった。目の前の不思議な状況に、ヤヒロは放心状態で呟いた。

 肩で息をする。集中力も体力も相当使った。

「弥子、大丈夫か? 怪我はないか?」

 振り向き、弥子の様子を確認する。

「私は、大丈夫です。それより先輩、小豆はかりが消えた所に、何か落ちませんでしたか?」

「え?」

 戦いに必死で気付かなかった。

ヤヒロは、地面を確認する。そこには、光るものがあった。

 慎重に拾い上げてみる。

「何だこれ? 宝石?」

 落ちていたのは、光を反射して、綺麗に輝く半透明の石だった。

 倒したことに安堵したのか、急に力が抜けて、ヤヒロは、その場に座り込んだ。

「大丈夫ですか、先輩!」

 弥子が駆け寄った。

「あ…ああ、緊張の糸が切れたみたいだ」

 立ち上がろうとして、地面の土を掴む。


――三十八グラム。


「え?」

 突然、ヤヒロの頭にそんなデータが飛び込んできた。

「どうしたんですか、先輩?」

「いや、何か頭に…」

 そう言い、弥子の方に顔を向けて固まる。

「マジかよ…」

 自分に向けられて照らされた明かりの余光で、周りに何人か人影があることが分かった。咄嗟に、自分の懐中電灯で目の前を照らす。

「くそっ!」

 つい、汚い言葉が出てしまう。そこには十人以上の餓鬼の姿があった。

 伝承では好戦的ではない小豆はかりですら、あの強さ。人を喰らうと言われている餓鬼だったら、どれほど強いことか。

 ヤヒロの頬に冷たい汗が流れる。

「どうしたんですか、先輩……ひぃ!」

 ヤヒロの照らした方向を見て、弥子が小さく悲鳴を上げた。目の前の光景は、まさに地獄だった。

 ヤヒロが車の中で言っていた餓鬼道は、きっとこんな光景なのだろうと、弥子は思った。同時に、今が絶体絶命の状況だということは疑いようがなかった。

 仮に、幸運にも、餓鬼が人間と同じ強さだったとしても、二対多人数じゃ、勝てるはずがない。確実に殺される。

 ヤヒロは竹刀を構えた。両手は、先程の戦いで痺れている。竹刀を握る力が心許ない。加えて、体力もない。十人以上を相手にするのは難しいだろう。

 せめて、囮程度の役には立ちたいと、ヤヒロは思った。

「俺の思い付きの行動のせいで、怖い思いさせて、ごめん。弥子のことは、絶対に生きて帰らせるから、安心してくれ」

 ヤヒロのその言葉は、自らが生き残れないと言っていることと同じだった。

 弥子の目から、涙がこぼれ落ちる。

「嫌だ…先輩が一緒じゃなきゃ、嫌だ!」

 弥子が、ヤヒロにしがみ付く。

「ば、バカ! しがみ付いたら、戦えな……!」

 その一瞬の隙で、餓鬼が一斉に襲い掛かってくる。

「くそ! 大切な人、一人を守ることもできないのかよ!」

 弥子に攻撃の手が届かないよう、ヤヒロはしがみ付く弥子に覆い被さった。

「跪け」

 男性の声が響いた。途端に、周りの餓鬼がその場に跪く。

目を疑うことが起きたのだ。

「いやぁ、青春じゃの。尊い尊い。眼福じゃ」

 先程と同じ声がし、暗闇から人影が現れた。

 明らかに人間とは思えない頭の長い、和装をした老人が、そこにいた。

「死ぬ間際まで、女子おなごのことを守ろうとするとは、今時珍しい、男気のある青年じゃな」

 老人はゆっくりと近づいてくる。

 ヤヒロには、この人物に心当たりがあった。いや、餓鬼の態度を見る限り、その考えは正解だろう。

「先輩…助かったんですか?」

 震える声で訊く。ヤヒロからの回答はない。

その状態が不安になった弥子が、ヤヒロの腕を押しのけて顔を出した。

「ど、どういう状況ですか?」

 今まで殺意むき出しだった餓鬼が跪いているのだ、当然の反応だ。

「状況は、さっきよりも悪いかもしれない」

「え? どういうことですか…?」

 ヤヒロの切羽詰まった顔に、冗談でないことが分かる。

「妖怪総大将、のお出ましだ」

「ぬらりひょん…」

 ヤヒロから妖怪の話をされているので、その存在は知っていた。妖怪の頂点にして、妖怪の長。そう聞いている。

 そんな存在が現れたとヤヒロは言っているのだ。その状況が、先程よりも悪いことは、火を見るよりも明らかだった。

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