異聞 二

あきちゃんの可愛いお人形(前編)

見鬼けんきくん、見鬼くん、いっしょに来てほしいの」


 分校の帰り道、一年生の宇蛇うだ亜紀奈あきなは途方に暮れていた。ほし集落は山間の小さな共同体で、人の手が入っていない獣道や林道が数多くある。

 亜紀奈が通る家への近道は、鬱蒼と茂った森の中を一五分ぐらい抜けるのだが、これが一人だとなんとも心細いのだ。


 昼間だというのに大きな葉っぱと、高く伸びた樹林に遮られてなんとも薄暗い。遠くで農作業している人々の声も、農業機械の音もほとんど届かなかった。

 小学校に上がったばかりの亜紀奈には、なかなか厳しい。普段なら一学年上のじろくんがいっしょなのだが、今日は風邪で早引けしてしまった。


 じろくんはいつも元気いっぱいだから、こんなことは珍しい。秋の放課後は早々に日が傾いて、よけいに今朝とのギャップを浮き彫りにしていた。

 暗く、重く、かげっている――そのことが以前の姿とは異質なものに感じられて、本当にここはまた安全に通れるのかと、不安で不安で仕方がない。


「ここを、いっしょに通ればいいんだね?」


 亜紀奈は三年生の彼の、正確な名前を知らない。ただ〝ケンキくん〟とみんな呼ぶ。漢字だって知っている、『見鬼』。時々集落にいる、特別なひと。

 七歳の亜紀奈には、八歳だか九歳だかの見鬼くんはとても大人びて見えた。賢そうだし、とても落ち着いている。


「何もいないといいね」

「なんか、いるの」


 マムシとか、スズメバチとか。もっとこわいのとか。見鬼くんはふうん、とうなずいて、さっさと森へ進んでしまった。置いて行かれては大変だと、亜紀奈はあわてて後を追う。ちょうど転がっていた棒を拾って、武器代わりに構えた。


 木々の梢は堅く厚い葉に覆われて、他の林道より暗い。それは椎の木やヒサカキ、アラカシといった照葉樹が多く繁茂するためだ。

 亜紀奈は気がつくと、見鬼くんのシャツの裾を握りしめ、おっかなびっくり後をついていた。もうお姉さんだから、そんな真似はしたくなかったのだが。


 ちょっと盛り上がった木の根に足を取られた拍子に、見鬼くんにしがみついたら、もう離れられなくなってしまった。だから仕方ない、仕方ない。

 それでもこの道は、小学生が通れるぐらいには整えられてはいた。むき出しの黒い土はかび臭く、菌類やシダに覆われ、切り株などでデコボコしている。


 舗装こそされていないが、そうした邪魔物を取り除いて、一応はならされた道があった。それを一〇分ほど進んだ二人は、ピタリ、同時に足を止める。

 亜紀奈に至っては「あ」と声に出したので、見鬼くんが意外そうに振り返った。


「見えるんだ」


 と言われたので、ああ、これが集落のおじいさんやおばあさんたちが言う、「見てもさわっても話してもいけないモノ」だと気づいたのだが、もう遅い。

 なら、ここぞとばかりに訊いてしまおう。


「この子、なに?」


 それはじろくんと通った時にも、たまに見かけるものだった。背丈は亜紀奈より少し低くて、姿がなくとも何となく「いるな」と感じられる。

 炭みたいに真っ黒な、ガサガサした何かでできた、赤ん坊のような存在だ。ただハイハイはしていなくて、ちゃんと立っているけれど、指しゃぶりはやめられない。


「この、か……。あきちゃんには、人に見える?」

「ニンゲンじゃないの?」

「前はそうだったんだと思う」


 見鬼くんは話を終えて、スタスタと先を行こうとした。特に興味の無い、虫かカエルでも見たような感じだ。しかし亜紀奈はそうはいかなかった。

 これはきっと、オバケだ。こんな子がおトイレから出てきたり、わっと飛び出してきたら、さぞかし怖いだろうと思う。


 頭には髪の毛なんてないし、顔にはたぶん目だろうという二つの穴と、たぶん口だろうという大きな穴だかヒビ割れだかがあるだけだ。

 口にはちょっとだけ色が薄い、まあそれでも灰色の歯がいくつか生えている。図工室で誰かが作った油粘土の人形に、こんなのがあったかもしれない。


 じろくんと歩いていた時には、見えないオバケにビクビクしていた。けれど、実際に顔を合わせて見ると、思ったより怖くない。

 不細工と言えば不細工だが、少し可哀想な気もした。小さな子供みたいなのに、お洋服も靴もない。夜になっても、この暗い森に暮らしているのかな。


「ねえ、あなた、行くとこないの? あきのおうちに来る?」

「つれて帰っちゃうの?」


 少し先で待っていた見鬼くんが、ビックリしたような声を上げた。オバケと話すため腰をかがめていた亜紀奈は、一回立ち上がって返事する。


「だって、かわいそう」


 ふと、水を触ったように手が冷たくなった。どうしたんだろうと見れば、オバケが亜紀奈の手を握っている。これはおうちに行く、ということだろう。

 炭の塊のように見えた黒い体は、よく見ると少しゆらゆらと動いて、空気中にとても細かな黒い粉を残しては消える。どうやら、この体は煙みたいなものらしい。


 亜紀奈が気を遣って小さめに一歩を踏み出すと、オバケも一歩動いた。ちゃんと着いてくる。見鬼くんは少し困ったような顔をした。


「あぶなかったら、お寺さんに言うんだよ」

「あぶないの?」

「もしかしたらね」


 オバケとは怖いものだから、そういうこともあるだろう。でも犬だって、みんな人を噛むわけじゃないし。

 亜紀奈は森を抜けると見鬼くんと別れ、オバケを連れ帰った。途中で大人たちとすれ違ったが、誰も亜紀奈の新しい家族に気づいていない。

 やっぱり見えないのだ、オバケだから。それが面白くて、亜紀奈はワクワクした。



 しゃくしゃくと美容ハサミが歯を鳴らせば、切られた黒髪がするすると新聞紙の上に積もった。娘の亜紀奈は、毛がこぼれ落ちないよう、新聞紙を支えている。

 子供の成長はあっという間だ、小学校にも上がって、こうして家で散髪出来るのはあと何年だろう。宇蛇うだ比佐子ひさこは我が子の成長を噛みしめながら、ちゃきちゃきとハサミを動かして、毛先を整えていった。


「ねえ、ママ。このかみの毛もらっていい?」


 散髪を終え、切った髪を新聞紙に包んでいると、不意に亜紀奈が言い出す。


「そんなもの、何に使うの?」

「こうさく!」


 比佐子は首をひねった。髪の毛を使う工作、人形にでもするのだろうか? 一年生の亜紀奈に、こんな短い髪の毛をよって糸を作るのは、そうとう難しいだろう。


「あきちゃん、悪いこととか、イタズラとかじゃないよね?」

「うん!」


 レジ袋に髪の毛を集め、亜紀奈はご満悦だった。入学と同時に与えられた自分の部屋へ、足取り軽く入っていく。ふすまを閉める前、母が遠く台所にいるのを確認した。

 押し入れを開けると、段ボール箱にオバケが入っている。


「かみの毛もってきたよー、マキちゃん」


 マキちゃんと名付けられたオバケは、あいがとう、と不器用に返事した。亜紀奈にしか聞こえない、隙間風みたいな声だ。

 亜紀奈はレジ袋を持って学習机に座った。机の上には、寝るときいつもいっしょだったシロクマのぬいぐるみがある。


 裸のマキちゃんに服を着せたくて、亜紀奈は自分の古着を引っ張り出してうんうん悩んだ。どれが良いか本人に聞いて、「これ」と言ったのがシロクマさんだ。

 でも着るには、亜紀奈が髪の毛とか、爪とか、炊いていないお米なんかをシロクマさんに入れておかないといけないらしい。


 オバケが世の中で生活するには、おまじないがとても大事だ。髪とか爪とかはおまじないでよく使うものだ、とマキちゃんはぴゅうぴゅう言った。

 おまじないは魔法のようなもの、という知識が亜紀奈にもあったが、本物の魔法はヘンテコだなあと思う。服を着るにもこんなに大変だなんて。


 シロクマさんのお腹を切るのは悲しかったけど、これもマキちゃんのためだ。多少苦戦しながらハサミを突き立て、レジ袋の中身をぜんぶ突っこむ。

 毛がこぼれ落ちないよう、ワタを取り出したり、混ぜたりしながら、亜紀奈は肝心なことに気がついた。一度開いたシロクマさんのお腹を、どうやって閉じよう?


「どうしよっか、マキちゃん」


 マキちゃんはひゅーひゅるりらー、と何だか悲しそうに笑った。



 見鬼くんが通う本庄ほんじょう分校は皨集落唯一の教育機関で、小学生も中学生も子供はひとしくここへ放りこまれる。生徒も二十人いるかいないかなので、学年が上がってもあまり実感というものはない。


 木造校舎というものは絶滅危惧種らしいが、見鬼くんはよその学校を知らないので実感はなかった。家だって、どこもぜんぶ木で出来ているのが普通だ。

 山を下りてふもとの妙見みょうけんちょうまで出れば、そうではない家がたくさん見れる。お父さんとお母さんが生きていたころは、集落の外で暮らしていたから。


 でも大きくなるにつれ、ここへ来る前のことを忘れることが増えた。それは嫌だなあとは思うけど、みんなは忘れて欲しそうだ。だから忘れたふりをする。

 校舎二階。そろそろ最終下校時間だな、と見鬼くんは読んでいた本を閉じた。図書係は自分なので、さっさと貸し出し処理をして図書室を出ようとする。


 書架を通りがかった時、妙なものが見えた。オバケを見る子供だから見鬼くんと呼ばれているのだが、何だかそれとも違う。

 可愛らしいシロクマのぬいぐるみだ。

 なぜか、お腹のあたりが縦一直線に切られてホッチキスで閉じられている。そのせいでボロの印象だが、女の子が普通に好きそうな。


 ぬいぐるみはぺた、ぺた、ぺた、とおぼつかない足取りで、本棚の間を行ったり来たりしていた。こんなのが居たのに、自分は気づかず本を読んでいたのか。

 見鬼くんが戦慄していると最終下校のチャイムが鳴り、カウンター奥の書庫から「あきのかち!」と大きな声がした。亜紀奈だ。


「あっ、見鬼くん。いつもとしょしつにいるねー」

「本、好きだからね。そんな所で、なにしてたの?」


 カウンターから出ながら、亜紀奈は「かくれんぼだよ」とニコニコして言った。見鬼くんが目を離していた間に、ぬいぐるみは力を失って、床に落ちている。


「あれ? マキちゃん、へやのすみっこにおいたのに」

「さっき歩いていたよ」


 言ってから、見鬼くんはしまったと思うが、亜紀奈が「ホント!?」と目を輝かせたので、もう遅かった。


「マキちゃんがね、おようふくはシロクマさんがいいってゆうから、あげたの。なのに、シロクマさんきたら、えっと、ぜんぜんうごかなくなっちゃって」

「いつもは、動かないの?」

「うん、ちっとも。おしゃべりはするの。あと、オニごっことかトランプもすき」


 それは、大丈夫なのだろうか。

 なぜ心配な気持ちになるのか、見鬼くんは自分でもよく分からなかった。彼は見えるとは言っても、経験と知識が圧倒的に少なかったから。

 当の亜紀奈は、とても嬉しそうに「マキちゃん」のことばかり話している。シロクマのぬいぐるみを捨てろとか、今すぐお寺に持って行けと言っても聞かないだろう。


 見鬼くんをこの名前で呼ぶ大人たちに告げ口すれば、潜在的怪異であろうシロクマのぬいぐるみは、たちまち没取されるはずだ。

 しかし、子供には子供の仁義がある。立場上、分校の子供たちから遠巻きにされているとはいえ、見鬼くんは決して嫌われているわけではない。


 いつまで経ってもお客さま扱いされている、というのが近いだろう。さておき、子供同士の問題を大人に持ちこむ理由にはならなかった。

 少なくとも、この時はそう思っていたのだ。

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