異聞 一

縫いつけの怪

【注意】

 本作には高港たかみなと基資もとすけホラー傑作選集『きょうほん 伍』収録エピソード『千人針』のネタバレが含まれております。読み進める方はご留意ください。

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「ありゃ、なんでコイツが?」


 カーペットにコロコロをかけていて、渡名喜となき充晴みつはるは白い縫い玉に気づいた。手縫いの際に、糸が抜けないよう結んで作るあれだ。

 引っ張ってみると本当に縫い付けられているらしく、ハサミの刃先が入らないほど固く結ばれている。渡名喜が借りているアパートの一室に、裁縫道具などない。

 カッターの刃先を使ってやっと取ったが、なんでこんなものがあるのか。


 渡名喜は毎朝、部屋全体にコロコロで軽く掃除している。

 特別キレイ好きというつもりはない。男子大学生の一人暮らしとしては片付いている方だろうが、掃除機は週に一回しかかけないのだ。


 縫い玉は、昨日コロコロをかけた時にはなかった。誰かが侵入して作ったなら、昨日、渡名喜が家を出てから今朝までの間ということになる。


(ううん、こいつはバカバカしいぞう)


 念のため貴重品をチェックしたが、金銭はおろか冷蔵庫の食料まで、減っているものはない。人の家に侵入して、縫い玉だけ作って帰るやつがいるとは思えなかった。

 単に自分の勘違いで、今まで見落としていただけだろう。渡名喜はごく合理的な結論をつけて、朝食にした。トースト、コーヒー、ゆで卵。


 食後のお楽しみは読書だ。サークルの籠ノ目かごのめという後輩から、電子書籍版をそろえたからと白草しらくさ米徳べいとくの書籍をまとめて譲り受けていた。

 白草米徳はミステリー作家で、ホラー小説や動画配信サイトで怪談なんかもやっている。心霊スポット探索配信では、実際に遺体を見つけて大騒ぎになったものだ。


「さてさて~、どれから読もうかな」


『卜塚正覚の不一致』は人気のミステリーシリーズ第一作、渡名喜も読んだが図書館で借りただけで手元になかった。単発ミステリーの『余り者の葬列』、『不賛成完全燃焼』も悪くない。手軽に短編集『五日間の聖図』から行くか、あるいはホラーの『呪殺アリス』……いや、それならガッツリ民俗ホラーの『九魚くなはら邪歌』。これだ。


 扉を開けば、たちまち本の世界に引きこまれる。好みの小説とコーヒーで過ごす休日に、渡名喜は縫い玉のことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 しかし、これは始まりにすぎなかったのだ。


 翌朝コロコロをかけていて、白い縫い目を見つけた渡名喜は、「おおっと」と声をもらした。縫い玉が二つに増えている。

 さすがにこれを見落としていたら、自分は相当ボケてきているのではないか。かと言って、誰かが侵入して一刺し二刺し縫うだけ、というのは妙すぎる。


「まさか、新種のカビかキノコじゃないよな?」


 これが単なる糸ではなく、それに似た生物でひっそりと自分の部屋で繁殖している――という仮説は、口にした渡名喜自身もまったく信じていなかった。

 またカッターで切り、引っこ抜くと木綿のように見える。昨日読んだ『九魚原邪歌』の凄惨で奇怪な内容がリフレインし、訳もなく不安になった。


(いやいや、さすがにフィクションと現実の区別はついているぞ。気のせいだろ)


 自分はこんなに神経質だっただろうか。いいや、白草米徳の小説に影響されたのだろう、と渡名喜は結論づけて朝食を取り、いつもより早く大学へ向かった。

 けれど、縫い目はなくならない。


 カーペットにコロコロをかけていて、ああもう無いじゃないか、と安心していたら、洗面所のタオルが縫われていた。

 十月も最後だから、カレンダーをめくるか……と思ったら、端が縫い付けられていて、盛大に破いてしまった。犬の写真が気に入っていたので、地味に悲しい。


 初めは一日一日縫い目が増えていったが、やがて一定の長さまで来ると二本、三本とばらけていく。測ってみたところ、長さは四センチから六センチ程度だ。

 これが毎日、ランダムに室内のどこかに出来る。靴下と靴下が縫い付けられていたり、小説のページとページが縫い付けられるのは本当に困った。


(たぶん、これ、人間の仕業じゃないよなあ……)


 確たる理由はないが、何となく渡名喜はそんな気がする。

 大家だとか勝手に合鍵を作った誰かとかなら、出入りは可能だ。しかし渡名喜が一日家に閉じこもっていた日も、縫い目は発生している。

 監視カメラでも購入して、すべての部屋を撮影するという手がないでもないが、そこまでカネをかけたくはない。しょせん大学生のフトコロだ。


 渡名喜に対する嫌がらせとしてはあまりにも些細で、目的が分からない。念のため貴重品はコインロッカーに移したが、家捜しした様子がそもそもなかった。

 もしやプライバシーが暴かれているのではないか……と不安になってインターネットをさらったが、個人情報が流出した様子もない。


 手段も、意味も、目的も分からないまま、今日も新しい縫い目が出来る。



「……なあ、紫藤しどう。幽霊かなんかがやってきて、家の中の物を縫いつけるとか、そんな感じの怪談って知らないか?」


 最初の縫い目から二週間。渡名喜はサークル棟の廊下で、紫藤恵生めぐみに話しかけた。ふんわりした天然のエアリーショートに、眼鏡の女性だ。

 サークルの後輩である彼女は、オカルトにやたらめったら詳しい。その彼女も「お裁縫する幽霊? うーん……」と考えこんでしまった。


 似たような事例がないかとネットで検索したが、それらしい物は引っかからなかった。そこで恵生に声をかけたが、まあダメ元である。

 渡名喜の落胆など知らぬげに、恵生は数分ほどで「ああ、あったあった!」と、場違いに大きな声を上げた。オカルト話になると、いつもこのテンションだ。

 普段は苦笑いしている所だが、渡名喜は「本当か!?」と食いついた。


「うん。先輩、千人針って知ってます?」

「出征の際に、千人の女性が一針ずつ、千個の縫い玉を作って、兵士が生きて帰れるよう願う、ってやつだったな」


 あれは縫い玉であって縫い目ではないが、参考まで拝聴することにする。


「そう、赤い糸を使ってね。で、なんだったかな……村八分にされて千針集められなかった女性がいて、その息子は戦死。彼女は無念の内に亡くなった」

「赤い糸か……」


 自分の周りに現れるのは白い糸だ。やはり、あてが外れたらしい。


「で、中には手酷い断り方をした人もいまして。女性はその人と血筋の者に怨みを抱いたみたいです。そしてある日、何も知らない子孫の体に刺すような痛み! 見れば自分の背中に、糸で縫い玉が出来ていた……」


 恵生は、「ひゃあ、我が身に降りかかったら怖い怖い」と、自分の体を抱いておおげさに身震いしてみせた。渡名喜はもどかしく先を促す。

 我が身に起きていることと関係があるかないか、判断はつかないが、その話の行く末は自分と重なる気がした。


「縫い玉は毎日出来て、数も増えていく。何針も刺される痛みに、引っこ抜く糸が傷口をこする痛み……辛い辛い! やがて彼女は、自分の身内で戦争体験者だった祖父を追及。事の因縁が明らかになると、祖父は顔を縫い閉じられて亡くなった……」

「それで、子孫の女性? は助かったのか」


 恵生の口ぶりからすると、その祖父が「手酷い断り方をした人」当人で、女性の怨みは晴れたのだろう。そう渡名喜は考えたが。


「いんや」恵生はつれなく首を振った。「その後、子孫さんも突然死して終わり」

「何も解決してないじゃないか!」

「そういう話なんですよー。あたしの記憶がちょっと自信ないけど」


 参考になるどころか、気分が落ちこむ話になってしまった。


「なあ、顔を縫い閉じられたってのは……?」

「そのまんまの意味ですよ。目も口も鼻も全部、縫い合わされていたんです」


 悪あがきで訊いてみたが、本当に悪いあがきにしかならない。

 部屋に出来る縫い目はランダムで、どこに出現するか予測がつかなかった。パソコンとかテレビとか、縫い針が通らなそうな硬い物にはさすがに出来ない。


 衣類、布団、足拭きマット、紙束や本、クッション、ソファ。ランダム……と言ったが、見方を変えれば、何かを探しているようでもある。


「そういえば、渡名喜先輩」


 恵生に声をかけられて、渡名喜は我に返った。自分から話しかけておいて、その存在を忘れて物思いに耽るとは、失礼な話だ。案外参っているのかもしれない。


「最近、カゴメからどっさり本をもらいまいたよね?」


 カゴメというのは籠ノ目宵路しょうじのことだ。


「ああ、白草米徳のをまとめて」

「前に見た怪談で、実話怪談本を枕元に山ほど積んでいたら、悪いものを呼び込んだって話がありましてー」

「いや、それで祟られたりするのは、紫藤が先じゃないか?」


 彼女の部屋が竹書房の怪談本や、稲川淳二の書籍でびっしり埋まっているのは、(少なくともサークル内では)有名な話だ。


「白草先生は半分以上がミステリーなんだぞ」

「まあそうですけど、何か変なことに悩まされている感じでしょ。何かあるんでしょ。ね、ね、ね」


 恵生の目は好奇心に爛々と燃えていた。

 人助けよりも、自分のオカルトに対する探究心を満たすため、肉食獣と化している。なんかあまり頼りたくないなあ、というのが渡名喜の心証だった。

 渡名喜はただ、読書とコーヒーと学業の、穏やかな日々を愛しているだけだ。お遊びの肝試しはともかく、怪異ハンターなんぞには巻きこまれたくない。

 適当なことを言って恵生の追及をかわし、渡名喜はその場を去った。


(しかし、紫藤の言うことも一理あるかもしれんなあ)


 最初に縫い玉を見つけたのは、籠ノ目から白草米徳の書籍を譲り受けた直後だった。かの作家は、心霊スポット配信で遺体を見つけた件の他にも、「雑誌連載中に突然支離滅裂な内容を仕上げてきた」「その原稿を読んだ編集者が失踪した」とか、当人自身が怪奇なエピソードに事欠かない。尾ひれなどはあるだろうが……。


 あの縫い目は、結局誰が、何の目的でつけているのだろう。恵生の話のように、いつか渡名喜の体にも糸が縫い付けられてしまうのではないか。

 これまでは、縫い目は室内の物に発生することで、自分の体が標的になるという発想はなかった。だが彼女の話を聞いた今では、楽観的すぎると思う。


 その日、渡名喜はサークルに顔を出すのは諦め、手近な神社に転がりこんだ。急な申し出を快く引き受けてくれて、お祓いをやってくれたのはありがたい限りだ。

 神社の拝殿内に上がるのは初めてだった。祝詞を聞いて、大幣おおぬさが振られ、御神酒を頂いて。それで少し、気持ちに区切りがついた気がする。


 帰宅すると、渡名喜は白草米徳の書籍を玄関先に移動させた。寝ている間に何か起きては困るので、暫定的に原因と目されるものを遠ざけるのは理にかなっている。

 これを所持していた籠ノ目は、無事だったのか。それとも自分に厄介払いしたのか。一度あいつも問い詰めなければなるまい。


「なんか、疲れちまったなあ」


 今日も部屋に縫い目ができる、それを切って糸を引っこ抜く。タオルや洗濯物は、縫い付けられていないか確かめてからでないと、ハンガーから外すこともできない。

 お祓いを受けるなんて慣れないことをしたから、余計に気疲れした。

 今日は早く寝よう――そう思った矢先、事件が起きた。


いてぇッ」


 何かがぷつりと肌を破り、肉まで食いこむ痛みに目を覚ます。深夜三時頃だろうか。スマホの明かりで確かめると、手首の辺りに縫い玉が出来ていた。

 ゾッとする。とうとう、自分の体にもこいつが出来た。ではあの話のように、これから目や口が縫われて、何も分からないまま人生が終わるのか。


 お祓いを受けたのはきっと逆効果だったのだ。もったいないと言っている場合ではない、白草米徳の書籍はぜんぶ処分すべきだったのだろう。

 枕や布団が縫い付けられていたこともあったから、いつしか糸切りバサミも備えていた。ぷつっと切って糸を引きずりだしている時だ。


『……なんぢならざりき……』


 男とも女とも、老人とも若者ともつかぬ不明瞭な声が、ふと耳をなでた。あとは血を吸った木綿糸と、穴が開けられた手首。

 古めかしい言い方だが、素直に解釈すれば意味する所は一つ。


「人違いってことかよ!!」


 脱力と怒りが両方来ると、相殺されて心が凪ぐものらしい。改めて腹が立ってきたのは、翌日のことだ。

 振り返って怖気に身震いしたが、結局、なぜこの事態が始まり、突如終わったのか。渡名喜がそれを知るのはもう少し先のことだった。



 縫い目の怪が終わって一ヶ月後、十二月二十三日。

 サークル仲間でクリスマス会をやり、なし崩しに渡名喜の家で二次会に突入した。チューハイにビール、チータラ、ミックスナッツ、おつまみカルパスetc.

 夜通し飲んで騒いで、最後にインスタントのしじみ汁を飲んで、渡名喜は二日酔いもなく早朝に目が覚めた。サークルメンバーは男も女もコタツに足を突っこんでいる。その中に、籠ノ目だけがいない。


 おかしいなと思って探してみると、彼は渡名喜の寝室でちゃっかり布団を使っていた。思ったよりイイ根性をしていやがる。

 このまま寝かせてやろうかなあと迷っていると、朝の静かな空気に、「ぷつっ」と不自然な音が響いた。細く鋭いものが、突き刺さった時の独特の音。


 掛け布団をめくると、籠ノ目が着ているパーカーの袖に縫い玉が出来ていた。糸はするするとまだ動いて、もうひと縫いと続けるつもりだ。

 針は見えず、ただ糸だけが勝手に動いている。つかんで引っ張れば、これ以上刺されることはないかもしれない。そう思った矢先だ。


「え?」


 ぶちっと音がして、縫い玉が内側から崩壊した。

 引っ張るまでもなく、糸が穴からこぼれ落ち、繊維のクズになってはらはらと散っていく。籠ノ目は何も知らない様子で、すやすやと寝息を立てていた。


(もしかしてコイツ、めちゃくちゃ強い守護霊とかいるのか?)


 待て、待て、待て。頭の中で色々な物事がつながり、一つの推論を組み立てようとしている。その速度についていけなくて、渡名喜は冷静さを保とうとした。

 完成した結論はこうだ。


 自分は籠ノ目から十数冊の蔵書を譲り受けた。それに、おそらく彼の気配が濃厚にひっついていたのだ。

 そして籠ノ目当人は、今見た通り何か強いものに守られている。縫い目を作る謎の犯人は、そっちには手を出せないから、同じ気配がする自分の方にやって来た。

「なんじならざりき」という言葉は、体を刺してみてやっと気づいた……ということなのだろう。そして、結局は籠ノ目に敵わなかった。


「いや、何に呪われて、何に守られていたら、そうなるんだよ」


 縫い目のヤツは、目や口を閉じたかったのだろうか。どういう怨みや因縁があれば、そんなことが起こるのか、かいもく検討がつかない。

 ともかく、渡名喜が謎の縫い目を見たのは、それが最後となった。終わってなお、なぜ、なんのためにそれが起きたのかは分からない。




 九ヶ月後、渡名喜充晴がその人生を閉じるまで、何一つとして。

 真実は、彼の生の外にある。

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