三、見えてしまった
木々は思い思いにかしぎ、曲がりくねって、真っ直ぐなものはほとんどなかった。材木を取るために植えられた杉とは違う、まさに
午前二時。人家も少ないこのあたりに、わざわざ数台の車やバイクで五、六名の大学生が集まっていた。パンパンと手を叩き、
「小学生の時に別れて以来、大学で感動の再会を果たしたあたしとりん……。せめてもの歓迎に、肝試しで心胆寒からしめてやろうというイキな計らいでーす!」
「おっす、貴様の挑戦は受けた、りんちゃんです! 握力は高校時代で左45キロ、右42キロ。スポーツは特にしてませんが、我流殺法ならまかせとけ!」
その場の誰よりも背が高い黒鳥りんがシャドーボクシングすると、拳が空を切る音は堂に入ったものがあった。足も高々と上がり、とても素人とは思えない。
「45キロ!? 僕より強いじゃん」「やっべ、俺首へし折られるわ」と、男子の
女子の
目配せされた
この雑木林でこんな事件があったらしい、あんな事件があったらしい。信じるか信じないかはあなた次第……そして事件の後はこんな怪異の目撃談が……と。
マジかよ~と半信半疑な者、そんな所にこれから行くのか……と腰が引ける者。十人十色の反応をしつつ、最初の取り決め通りペアを作って、林の中へ歩み出す。
それから三〇分が経っても、一時間が経っても誰も戻らず、最後のペアである宵路とりんは首を傾げた。
「これは、目的地でみんなに待ち構えられているのかな」
「上等上等、アタシのレバーの強さ、見せてやんよ」
オラッ出発! と踏み出すりんに逆らわず、宵路は胸中(肝試しは試食の意じゃないと思うな)とツッコミを入れた。
鬱蒼とした、という言葉にはほど遠い雑木林も、奥まで行けば外界から切り離される。雑草を踏んで作られた道は、懐中電灯で照らすと虫が逃げていくのが見えた。
草の青臭さと土の匂いが混ざった闇は、風もなくよどんで、手元が明るければ明るいほど、重たげな体を押しつけるように存在感を増していく。
やがて開けた場に出ると、まばらな木立から月明かりが差しこんでいた。地面には懐中電灯が転がって、てんでばらばらに光点を灯している。
肝試しの折り返し地点には、誰も立っていない。
ただ、視界の上半分には縦に長い影が四つ揺れている。
ぎぃ……と軋む音を聞きながら、宵路は先に行ったはずの四人はどこへ行ったのだろう、と現実逃避した。
(もし、肝試しが本当に味見という意味だったなら)
宵路とりん、どちらからともなく、吊り下げられた物を照らす。
(気に入られてしまうと、その人は食べられてしまうんじゃないか)
光に反応したように、ぐるん、とそれは回転した。何に気に入られるのだ、何に食べられるのだ。支離滅裂な宵路の思考は現実に追いつかない。
照らし出されたのは、紫藤恵生の死に顔だった。
見知ったはずのそれが、ぱたりと呼吸を止めて、二度とそれを行うことはないのだと、なぜか確信できる表情。人間が無意識に持っている緊張というものが解けて、筋肉や神経を統率する意志が失われた、ただの肉と骨と皮のひとかたまりだ。
悲鳴も叫び声もなく、雑草が作ったクッションの上に懐中電灯が投げ出される。
まだらな闇の中で、宵路は取り落とした明かりを探した。直感的に、これは恵生が仕掛けた逆ドッキリなどでは決してないと断定している。
彼女が死んでいる。なら他の三人は。あえて直視しないでいた、吊り下がっていた物はいくつだった。誰がこんなことを? 殺人鬼がいるのか?
懐中電灯はどこだ。機械より少し柔らかい、だが似たような太く長い何かに触れる。つかんだ物を無我夢中で引き寄せると、それは顔の大きさほどの輪っかだった。きつく結んだ荒縄でできている。なぜ、こんな物があるのだろう。
輪っかから伸びる縄を目で追うと、闇に慣れた目は、それが太く頑丈そうな枝に結ばれているのを確認した。なるほど、と何かが宵路の腑に落ちた。
がたん! と思ったよりも近くで音がし、続いて大きな軋みとさざ波のような葉ずれが響く。りんが木箱を蹴飛ばし、首を吊っていた。
背が高いから、つま先は地面に届くギリギリだ。失敗しなくて良かったと、初対面の彼女のことを嬉しく思う。嬉しいのだろうか。
平板になった宵路の心は、しかし何を一番としているか、今ははっきりと見据えていた。ありがたく彼女が使った木箱をもらい、自分の足場にする。
首吊りの輪に頭を通そうとすると、白くちらつく物があった。
幼児がクレヨンで一生懸命に描いたような、小さな子供の姿をした絵だ。それがなぜか現実にまぎれ込んで、宵路の目の前に現れている。
ぽっかりと空いた二つの目と一つの口は、笑っているのだと、そう思った。
◆
それも代を経ていくと「一見さんお断り」になり、家業として受けているのは、定期的な祈祷や祭りの契約だけで、今や副業のようになっていた。
りんと恵生の件は、ヒョウが個人的な友だちづきあいから受けている。
(昼間の兄さん、一通り見たけど妙な感じやったなあ。あれ以上何も出えへんかったけど、出なさすぎて逆に怪しいわ)
夕食後、デザートの水饅頭をつつきながら、ヒョウは首を傾げていた。籠ノ目宵路は、何かに憑かれているとか呪われているとか、祟られている風ではない。
霊的には、親しい者に不幸があったという喪の気配以外、平穏なものだ。しかし、不自然に左手が「何もない」を主張してくる。
墨の中に一点の白を落としたような、だまし絵を見せられているような。
観るともなしにテレビのバラエティ番組を流しながら、ヒョウはそんなこと考えていた。これが自分の能力不足なのか、別の要因なのか判断がつかない。
両手を使う作業でも、慣れた義手なら何とかなるものだ。ヒョウが水饅頭を食べ終えて皿を洗っていると、祖母が居間にやって来た。
「今日は大変そうやったねえ。ばっちゃん、ちーと手伝おか」
「無理しんでええよ、もう歳なんやし」
居間に戻りつつ、麦茶を入れる。祖母は彼女の両親のこと、腕のこと、様々に難しい事情のある孫をよく面倒をみてくれていた。
入交家が受けている祈祷や祭祀の大半は親族に任せつつあるが、いくつかのどうしても外せない案件だけは祖母が担当している。
「年寄り扱いしなさんな。りんちゃんのお友達のことなら、放っておけへんって。籠ノ目の兄さん、ちょっとご祈祷しておくからな」
「ご祈祷って、なんの?」
着席しかけて、ヒョウは中腰で止まった。祈祷は神さまに対してするものだから、その目的は常にハッキリしているものだ。
行う時は、七日間の精進潔斎と水垢離を行うため、親族から助手を呼ぶことになる。軽い言い方に反して、大がかりなものだ。
だが孫の問いにハッキリと答えることはせず、老婆は「念のためや、念のため」としか言わなかった。ヒョウが宵路に対して感じた奇妙な何かを、祖母はもっと明確に認識しているのだろう。ただ、その詳細を伝えようとはしていない。
「ばっちゃん、なんで」
「良いから良いから」祖母はきちんと着席するよう、手でうながす。「それに、恵生ちゃんの仇取りたいやろ」
紫藤恵生を死なせたもの。一歩間違えれば、おそらく黒鳥りんも、あの籠ノ目宵路という青年も犠牲になっていた何か。
それが何かの呪いや怪異のためなら、入交家の者として、一矢報いたい。二度と同じことが起こらぬよう、晴らしてしまいたい。
「……うん」
祖母の態度に釈然しないものを覚えながら、ヒョウは麦茶に口をつけた。
◆
体の上を流れる水の感触は、川辺にいたらこんな感じだと思う。だが手足に当たるのは砂利ではなく、つるつるした人工的な何かだ。どういうことだろう?
宵路がまぶたを持ち上げると、見慣れたアパートの浴室が目に入った。バスタブの中、スーツを着たまますっぽり身を収めて、シャワーを流しっぱなしにしている。
栓もされていないらしく、体の下をちょろちょろと水が這い回って、流れ出していった。そういえば、自分は帰宅して湯を張ろうとしていたのではないか。
スマホはジャケットといっしょに、脱衣所に置いてあるから無事だろう。服は下着の中までずぶ濡れだ。レンタルの喪服ではなく、自前の品で助かった。
浴槽のへりにかけ、枕代わりにしていた腕がしびれて感覚がない。何とか動く方の腕でシャワーを止め、体勢を変えて体に血を巡らせようとした。
目に映った手は、死体のような肌色をしている。何時間水を浴びながら、肝試しの夜を夢に見ていたのだろう。今だって続きを鮮明に思い出せた。
(バスタブから起き上がるのは、おっくうだな……)
だが、あの時ほどではない。
――小石や小枝が転がる地面に仰向けで寝転がって、月を見上げていた。喉が尋常ではなく痛んで、咳きこむと胃の中身ごと逆流しそうなほどだ。
頭がぼやけているくせに、ガンガンと割れ鐘を叩くような痛みが走って、立っているのか起きているのかも検討がつかない。
それでもどうにか身を起こし、重たげに首からぶら下がっている何かを外した。時間をかけて息を整えるが、立ち上がろうとするとふらつき、倒れかけてしまう。
仕方なく四つん這いになって、そろそろと動き出すと、自分の首にかかっていたものが首吊りの縄だったと気がついた。
(そうだ、私たちは首を吊って……みんな……)
すぐに見つかったのは、近くで倒れているりんだ。ロープの先には折れた枝があって、彼女の体格に耐えきれなかったのだろうと察せられる。
まだぶら下がっているのは四人。途端に、宵路は自分がこれから一分一秒の間に下す判断と思考が、五つの生命を左右すると気づいて慄然とした。
最初に取る最適の行動は何だ。
りんに声をかけるか? 自分より先に落ちたならまだ動けるはずだ。二人がかりでみんなを下ろそう。とにかく下ろせ、下ろせ、下ろせ。一組目の益子と花菱、渡名喜と恵生、どちらから行く? 立ち止まるな。木箱に乗れ。乗った。とにかくロープをたぐれ。結び目は硬い。ほどけない。枝は折れない。ロープの先には益子。
(益子くんなら、サバイバルナイフを持ち歩いているはずだ)
彼はナイフのコレクションが好きだった。こういうイベントなら、きっと一本ぐらい持ってきているだろう。だが益子のロープを支えながら、懐は探れない。
木箱から降りて、位置を変えて上り直す。じれったい。懐には狙い通り、サバイバルナイフがあった。鞘を取り払い、益子を吊しているロープをのこ引きに切る。
金色に染めた益子の髪が数本舞ったが、縄はまったく千切れる気配がしない。どうにか出来た切れ目に切っ先を突き入れ、何とか抉れないかと動かす。
腕がしびれる。益子の体を抱え上げる方が先ではないのか。だが四人もいるのだから、そんな時間稼ぎのような真似はできない。自分がひどく馬鹿になった気がした。
バランスを崩してひっくり返り、ナイフで手を切る。起きてもう一度。ぎこぎこ、ぎこぎこと、同じようにロープを切り続ける。
ぶちん! とゴムが跳ねるような手応えがあって、ついにロープが切れた。益子といっしょに落下し、胸を石で打ちながらも休む暇はない。
(あと三人)
順番など考えていられない。動けるのは自分だけ。人の生き死にが今、己一人の手にかかっている。助けはない。もう死んでいるかもしれない。
自分は死体を下ろすために、こんなにあたふたしているのか? 荷物を上から下へ動かす、そんな単純作業に手こずっているのか。
「ハハッ……」
クスクスと笑いながら続ける。友人たちの体はどれも重かった。同じサイズのマネキンだって、もっと軽いのではないだろうか。
完全に脱力した人体は、生きている者にしがみつこうとするような、他の物体にはない独特の重量を宿しているように思えた。
ナイフで手や指を切り、ロープを握りしめた手のひらは皮がめくれる。血と泥にまみれながら、一心不乱に作業を続けると、それもついに終わりを迎えた。
全員降ろして確認すると、やはり生きているのはりん一人だ。彼女の体だけが、ひとりでに活動しており、生きているものの温かな活力に満ちていた。
なら用はない。用? 何の?
咳きこみながら119番して、義務を果たした。用事、今この場でしか果たせない。本物の、新鮮な死体を見られるチャンスだ。
宵路は最後に下ろした死体、渡名喜の顔を覗きこむ。
まぶたを指でくっと開いて見ると、そこに自分の顔が映っていた。
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