二、見ているものは

見鬼けんきだ』

『見鬼の子だ』


 幼いころ、集落の老人はそう言って、宵路しょうじの姿を見ると合掌した。見る鬼、ではなく鬼を見る子、という意味だ。

 両親を亡くしてから、宵路には霊感が目覚めていた。少なくとも、鬼と総称される不思議を見る何かが。自分ではずっと、泣き通しだったことばかり覚えている。

 二〇〇〇年代の話とは思えないが、とっくにそこは限界集落で、数年前の土砂災害を機に廃村となってしまった。子供も、両手で数える程度だったか。


 祖父母以外は、誰もが宵路を腫れ物扱いだ。それが嫌で、見えたものをそのまま口にしないようにして、「見えて良い」ものか「見えて悪い」ものか区別を覚えた。


 嘘をつく青い影は見えない。

 手を振る赤い影は見えない。

 通り過ぎる黒い影は見えない。


 死んだひいおじいちゃんが、トイレの扉ごしに「お前はわしが守ってやるからな」と言うのは聞いてない。

 あきちゃんが、自分の髪とお米を詰めて作った人形は動かない。

 真実はいつだって、見ない聞かない言わないのが一番、それが一番。


『見鬼が抜けてきおった』


 努力の結果、長老の誰かがついに宣言した。それからは宵路を見鬼と呼ぶものはいなくなり、自身も可怪おかしなものが見えなくなっていったものだ。

 りんが言う〝詳しいヤツ〟は、目を逸らさない人間なのだろうか。自分と違って、真実を直視できる強い人物だとしたら、宵路にはまぶしすぎる。


「たぁんとお上がり。何かあったら呼んでや」


入交いりまじり』と表札をかかげた平屋の日本家屋、案内されたリビングで、三人分の親子丼と赤かぶ漬けが出された。遅めの昼食だ。


「冷蔵庫に水まんじゅうあるでな」


 と告げて、どんぶりを出した老婆は台所へ引っこむ。腰が曲がっているせいでとても小さく、可愛らしい感じの婦人だった。

 りんが言う詳しいヤツは老婆ではなく、二人を玄関先で出迎え、ここまで案内してきた少年だ。中学生か、せいぜい高校生。思った以上に若い。


 色白で、おかっぱに切りそろえた髪も体も、日に当たると消えてしまいそうに透けていた。ソプラノの声は、少年なのか少女なのかも区別しづらい。

 体格は細そうだが、それもサマーパーカーのゆったりとした線に隠されている。

 性別を訊くのもはばかられて、宵路はとりあえず「ヒョウ」と名乗った相手を少年と仮定した。この言葉自体は、実は性別を確定させるものではないのだし。


「話は食事の後でな。ばっちゃんの飯、冷ましたら殺すで」


 祖母に相対した時とは別人のように鋭い目つきが、宵路を射た。今しがた口にした殺意が本物である、と声高に言うような。それが子供っぽくもある。

 りんは勝手知ったるといった調子で「いただきまーっす」と手を合わせ、早速どんぶりに手をつけていた。卵と鶏肉、米を大口でいただく。


「うーん、出汁が効いてる……最高」

「やろー?」


 ヒョウは満面の笑み。祖母の料理を褒められて、見えない尻尾がぶんぶんと振られているようだ。仲のよろしいようで、結構なことだった。

 食べないことには話が進まないと諦めて、宵路も箸をつけた。実際、親子丼はそこらへんの食堂で出されてもおかしくはない味だ。


 丁寧に出汁を取った割り下を、絶妙な加減で卵とじにし、彩りには三つ葉ではなくグリーンピース。熱々の白米は間違いなく炊きたてだ。

 赤かぶ漬けは、正確には赤かぶの甘酢和え。残暑の暑気にやられた体に、クエン酸が優しく染みるありがたい小品だった。


 そういえば宵路自身、退院以来きちんと食事を取るのはこれが初めてかもしれない。座布団の上にすっかり体重をあずけて、無意識にくつろいでしまっている。

 これはいけないと思って、宵路はリビングの中をそれとなく見回した。

 年季が入った飴色の棚に置かれたやじろべえや、こけし。よく分からない昭和の飾り物。そこだけは時代に合わせた薄型のテレビ。片方だけ白い手袋をしたヒョウ。


 丼に添えられた手はほとんど動かず、そういう形をした置き物のようだった。

 食事を終え、宵路とりんの食器を片付ける間にも、ヒョウの片手は盆を支えるなど、最小限の動きだけで事を済ませていた。


「で、籠ノ目かごのめさんやっけ」


 冷たい麦茶が入れ直され、宵路もヒョウも居住まいを正す。りんだけ足を崩し、悠々とタバコに火をつけていた。テーブルにはメモ帳と筆記具。


「オレはホームズみたいに、人となりを見抜いたりできへん。ばっちゃんが食事の間に調べ上げて、さもここで心でも読んだみたいに、思わせたりもできへん」


 前者はコールドリーディング、後者はホットリーディングと呼ばれる手法だ。「何も知らんのや」と前置きするヒョウは、インチキではないと訴えているようだった。

 りんが訳知り顔にタバコを振って促す。


「百聞は一見にしかずってんだよ。いいから早くやっちまおうぜ」

「ん」


 ヒョウは素手にボールペンを取ると、手袋の手に指の一本一本を動かしてそれを握らせた。やはり義手のたぐいらしい。

 ペンを持った手を紙の上に立てて二秒、三秒。上から糸で引っ張られたような動きで、さらさらと左右に振れて何事か書き付ける。


 ヒョウが渡した一枚目には、宵路の名前から生年月日と血液型、携帯電話の番号、所属する学部と学生番号、アパートの住所まで事細かに記されていた。

 無言、無表情を貫いたまま二枚目を受け取る。今度は通っていた高校の名前、各学年の担任教師、名簿で前後に居たクラスメートの名前がひとそろい。


 昨今は個人情報保護の観点から、卒業アルバムには住所や電話番号は掲載できなくなっているものだ。せいぜい二時間程度で、どうやってここまで調べたのか。

 異常なコネを持っているにせよ、超常能力にせよ、初対面の相手にここまで身分がつまびらかにされるのは気分が悪い。頸動脈を指先でなぞられるようだ。


「まあ、そう怒らんとって。何書いているか、オレは見んようにしとるし」


 そう言ってヒョウが三枚目の紙を差し出した。トランプで確実にババと分かっているカードを引かされる思いで、それを受け取る。


『嘘をつく青い影は見えない。

 手を振る赤い影は見えない。

 通り過ぎる黒い影は見えない。』


 文字列の終わりに、大きく「見鬼」と書き殴られていた。温かな茶の間が、車窓から見る景色のように遠のき、背中にどんっと衝撃が来る。ふすまだ。

 宵路は思わず紙を放り捨て、座布団を蹴立てて後ずさろうとしていた。紙を差し出したままの腕を引っこめるヒョウも、タバコを吹かすりんも、平静そのもの。

 得意げですらない。彼らにとってはこの程度、前座でも何でもないのだ。


「どうだった。普通じゃ絶対分からないもの、書いとったやろ」

「じゃ、本番」りんは携帯灰皿でタバコをもみ消した。「あの土地について頼む」

「それやけどさ、ねえさん」


 ヒョウは視線を移し、困ったようにほほをかいた。


「電話の後すぐやってみたら、何も出へえへんの。不動産情報的ななんか退屈なあれこればっか。事件性ゼロ、因縁とかあらへんわ」

「……なら、土地じゃないってことか」


 りんは眉間のしわを深くし、二本目のタバコを取り出した。それから、こちらに向かって手招きし、ようやく宵路は自分が立ったままなのを思い出す。

 座布団を整えて座り直すと、りんがこちらにタバコの箱を差し出してきた。手を振ってそれを断ると、「何だよ、寂しいな」と笑う。

 ライターに火を灯す彼女を横に、宵路はヒョウへ問いかけた。この性別も定かでない、おそらく隻腕の少年に、初対面の時とはまるで違う畏敬の念が生まれている。


「私について分かるのは、本当にそれだけですか?」

「その気になりゃ、銀行口座からクレカの番号まで分かるけど。ええの?」


 視界の隅では、相も変わらず奇妙な何かが白くちらついていた。


「あなたは、自分が何を書いているのかは分からないんですか」

「書くのは手やからな。出来上がったもんを見るまで、分からんよ」

「そういうこと。どうよヨミチ、収穫あった?」


 紫煙を吐き出しながら、りんが割りこむ。


「〝何もない〟が分かった。という意味では一歩前進ですね」


 嫌味でなく宵路はそう返した。あの土地には何もない、集団自殺の原因は別にある。そして、自分に付きまとう白いちらつきも。

 これはきっと幽霊などという馬鹿らしいものではなく、事件のショックから来る幻覚か何かに違いない。医師に話したことはないが、おそらくは。

 もう自分は、見鬼でも何でもないのだから。



 入交家を辞して、宵路とりんは地下鉄へ乗りこんだ。途中までは帰路が同じなので、こうして公共交通機関を使うのが一番効率が良い。

 りんは恨めしそうに、車内の禁煙マークを見ていた。

 一日何本吸う気かは知らないが、宵路にはどうでも良いことだ。肺がんになっても吸い続ける彼女の姿が、何となく想像できた。

 それは今の、ぶしつけで強引なりんの姿より、いくぶん好ましい気がする。


「アンタ、こんど恵生の母さんと話すんだろ。何て言うのさ」

「今までと同じですよ。分かりきったことを言って、彼女は自殺するような人じゃない、とくり返すしか。貴女も同じじゃないですか」

「まあね。でもさ、それだけじゃー……何だろ」


 そう語るりんに、嫌な予感がした。ただの大学生に、探偵の真似事をしろと言うのだろうか。ヒョウのような特殊な人物と知り合いだから、それを自分の力のように思って、気が大きくなっているのかもしれない。


「先に言っておきますが、お断りいたします」

「嘘ついちゃいけねえな」


 りんは人差し指をぴんと立て、ちちちと振った。芝居がかった仕草が苛立たしい。


「アンタ、通報する前、何してた?」


 話が飛んで虚を突かれた宵路の脳裏に、それでもあの夜の記憶が広がった。今も強く焼きついている、地面の上から見上げた陰惨たる有り様。

 木々と、そこから吊り下がった人々に切り取られた夜空に、月が輝いていた。


「みんなを縄から下ろし終えて、アンタ何度も何度も様子見ていたよな。首筋で脈を取って、眼を覗きこんで、普通に考えたら救命措置だけどさ」

「救命措置ですよ。それ以外に何があると言うんですか」

「それが嘘だってんだ。一つ目のな」


 りんは宵路の反論を切り捨てる。彼女の中で、とっくに答えは決まっているのだろう。つまり、こちらが何をどう言おうと無駄なのだ。


「恵生にも言われただろうから、言うんだがな。あんたがそういう辛気くさいツラなのは、上辺だけじゃない。傍に居ればいるほど、『この寂しい人には、魂までいっしょになってあげないといけないの』って気にさせちまう、心中吸引機みたいなもんだ。好きなんだろ、そういう自分が」


 自分の性質に好悪を問われても困る。どうあれ、それは生涯付き合っていくものなのだし、折り合いの付け方に口を出される筋合いはない。


「好きなんだろ、死に近づいて、じっくり観察すんのが。だから、あの夜もそうだった、アンタはみんなの死体を見てたんだ。違うか?」


 やはり、というのが宵路の感想だった。

 ヒョウを透けるようだと評したのはもっと物理的な話で、他人から見れば自分の方がもっと、景色に溶けこんで、いまにも消えてしまいそうだという自覚がある。

 桜にさらわれそうなどと与太を言われると、苛立ちの一つもあるが、ようは誰もが宵路に儚さを見るのだ。


 りんは自分と真逆だった。よく食べよく寝てよく動き、声が大きく、動作も大きく、平均よりずっと大きな図体をこの世に占めて、全力で生きている。

 そんな生命力あふれる陽の人間は、宵路とは相容れないのだろう。


「はい、そうです」


 死体を見ていたのは嘘ではない。りん以外は、もう誰も助からぬとすぐに悟って、救急車が到着するまでみんなを、友人だったものたちを間近で確かめた。

 もしかしたら、彼らの魂が抜け出してくる所を、見つけられるかもしれないから。


〝見鬼〟というものは、精神疾患を集落特有の言い回しにした物ではないか、と考えたことがある。自分が見ていたのは幽霊などではなく、脳が見せる幻覚だったと。

 結局のところ、自分が見ている世界はどこからどこまでが正しいのだろう。この足が踏みしめている一歩目が正ならば、二歩目は誤か。三歩目は。


 今日の前が昨日で、明日の次が明後日で、世界が規則正しく回っているというのは大いなる多数決の結果でしかない。少数派はいつもはじかれる。

 はじかれた先が、たとえば曲がり角の先につながっていて、いつそこから脱落するか分からない。霊も呪いも神仏も、いてもいなくても同じだ。


「だったら最後まで付き合えよ。恵生から聞いたおまえは、単なる悪趣味な野郎なんかじゃない、もっと何か大事なことを探してんだろ。ハンパしたまま放っておくな。アタシといっしょに、恵生やアンタがあの夜首を吊った理由を探そう」


 ぱしんと音がして、りんが宵路の手首を握りしめていた。熱いくらいの体温に、物思いから強引に引き戻され、はっと彼女の顔を見てしまう。真正面から。

 反射的にまぶたを強く閉じたくなった。眼球がむずむずして、精神のまぶしさにやられてしまう。いったい、自分は何をやっているのか……


「おっと、アタシこの駅だから」


 いつの間にか車両は駅にすべりこみ、りんはさっさと降りていった。雑踏にまぎれようのない大きな上背が一度振り返って、「また連絡するからなー」と手を振る。

 急に疲れを自覚して、宵路は車内の壁に背をあずけて、深々と息を吐いた。

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