よって、方相のごとし

雨藤フラシ

喪の儀式

一、見つけた時には

【雑木林に倒れていた大学生グループ死亡 集団自殺か】地方紙 社会面

 14日午前4時20分ごろ、岐阜市在住の学生(21)の119番通報により、■■■■の雑木林で男女5人が倒れているのが発見された。

 5人と通報者は■■大学に通う学生で、同じゼミの仲間。近くの病院へ緊急搬送され、治療を受けたが、女性1名を除きまもなく全員が息を引き取った。

 羽島警察署によると近くに遺書はなく、着衣の乱れもなかったという。集団自殺と見られているが、通報者は非常にさく乱しており、「首をつった覚えなんてない」「きも試しのつもりだった」と警察の見解を否定している。


●厚生労働省は悩みを抱えている人の相談窓口の利用を呼びかけていて、岐阜でも「岐阜いのちの電話」で受け付けています。


◆ ◆


「このたびは、ご愁傷様でした」


 籠ノ目かごのめ宵路しょうじは、喪主を務める母親に頭を下げた。

 彼のほっそりした首には、真新しい包帯が巻かれている。相手も、参列者の多くも、その意味を知っているはずだった。視界の隅がちらつく。


紫藤しどう恵生めぐみ様 告別式会場』。鯨幕くじらまくを張られた式場に、花に囲まれた遺影や棺、弔辞のための演壇。背後事情がどうであれ、葬送の形式そのものは一様だ。


「恐れ入ります。生前は娘によくしていただいて……」


 残暑とは名ばかりの八月下旬、葬儀は粛々と進められている。

 式場は黒と白の彩りそのままに、終わってしまった無機質なものと、それにすがる人間の湿度が、交互に層を織りなしていた。

 頭を下げたまま宵路は続ける。


「焼香を終えましたから、もう帰ります」


 細身で寂しげな宵路のたたずまいは、いかにも弱々しい。しかし、それが何よりも危険なたぐいの男だった。

 顔を上げれば、その意味がはっきりする。悪いことには悪いことが重なるもので、生きあぐんだように陰鬱な面持ちは、目鼻立ちもめっぽう端正だ。


 情に流されたら最後、いっしょに心中でも遂げたくなってしまうのではないか。そんな、死人しびとも恋慕する死神のような青年だった。

 紫藤恵生の母は、それでも気丈だ。


「とんでもない、あなたにはお話を聞かせてもらわなくちゃ!」


 実際、心中どころではない。先だって記事にされた、大学生集団自殺事件。その〝肝試し〟に参加し、通報した当人が宵路だ。


 肝試しは、男女三組のペアに分かれ、一組ずつ雑木林に入って戻ってくるという手順で行われた。宵路と生き残った女性は、どちらも最後のペアだ。

 警察は当初、最後に首をくくった宵路と組んだ女性が、先に死んだ者たちを絞殺し、釣り上げていったのではと予測した。


 しかし現場にはそれらしい痕跡はなし。

 薬物検査も全員がシロ。

 八月が終わろうとしている現在も、遺書は未発見。生存した二人への殺人容疑は晴れているが、早晩、事件性のない自殺か事故と処置されていくのだろう。


 事実がどちらにせよ、紫藤恵生の母親にとっては、娘を死に追いやった張本人と言ってよい。彼がここにいるのは、当の母親が招待状を送ったからだ。

 死んだ彼らは、将来の展望や近い予定などを楽しげに話していて、次の朝もその次の朝も、当然のように人生を続けていくつもりだった。


 あの夜の予定には、決して集団自殺などという物はふくまれていない。宵路がそのことを伝えるのを、母親側は確かな義務と思っていた。

 いくつか言葉を交わした後、ゆっくり話すのは数日後と約束して別れる。


(私も、少しはそちらを覗いて見たかったな……)


 棺の小窓に小さく切り取られたものだけど、紫藤恵生の遺体は綺麗なものだった。ふにっと上がった口角も、自信ありげな鼻筋も、まるで変わっていない。

 縊死いしたい――首吊り死体――は生前の容姿から変わり果て、司法解剖のあまり良くない保存状態と相まって、酷いことになっているはずだ。


 業者は徹底して無惨な死の痕跡を消していく。血管に薬を注入し、皮膚を伸ばし、くぼんだ所はパテで埋め、顔には専用のファンデーション。

 死を直視する時、生ある者は大なり小なり傷つかずにはいられない。


 外から入った暑気がエアコンに処理され、乾いた冷気になって肺に入った。それを何往復かしながら、宵路は小さく失望を覚える。

 自分の中にとぷりと溜まる、底の見透かせない水たまり。五歳の時に見送った両親の葬儀が、どんな様子だったかまるで思い出せない。


 年齢を考えれば無理もないことだが、ことこの場に及んでも、当時の漠然とした様子は欠片さえ浮かんでこなかった。

 最初は母が病で、半年から一年ほどの間を置いて父が亡くなった。事故だったと聞いている。宵路は祖父母に引き取られ、高校に通うまでほし集落で暮らした。


(なぜ恵生くんが死んで、私は生き残ってしまったのだろう)


 生きているという汚点と、ぬぐう手はずも先行きも見えない人生だ。

――あの時、縄が劣化していたのか、宵路は地面にしたたかに体を打ちつけて我に返った。見上げた先は地獄絵図。

 必死でみんなを救助して、救急車を呼んで。医師の治療、警察の聴取、入院生活、ぶしつけな知人たちの見舞い、何度も同じ話をさせる警官……。


(貴女はいまごろ、あの世巡りを楽しまれているのでしょうか)


 視界の隅が白くちらつく。

 途方に暮れる暇を、葬儀の手続きが押し流すのは決して悪いことではない。「人が死んだ時はこうするものだ」という儀式が、とりあえず心の整理を手伝ってくれる。

 それでも、決定的に欠けてしまった人生は目の前に広がっているのだが。


「よう、。相変わらず、自分が葬式の主役みたいな顔しやがって」


 一通り式が終わり、霊柩車を待つ段になって背の高い女性が話しかけてきた。一七〇いかない宵路に対し、頭半分以上差があろうかという背丈。

 背中まである黒髪をまとめ、黒いパンツスーツ姿は知った顔だった。


黒鳥くろとりさん」


 肝試しに臨んだ六人のうち、生き残ったのは二人。そのもう一人が彼女だ。事件当日、紫藤恵生が奇数では数が足りないと自分の友人を連れてきた。

 それが黒鳥りんだ。

 健康で生命力にあふれ、心霊など縁がなさそうなタイプ。亡くなった先輩のように、風物詩としてオカルトを楽しむ人間だ、と思ったのを覚えている。


「前回と同じ黒鳥くんでいいって。あれからずっと、話す暇なかっただろ」


 りんの首には、宵路と同じく包帯が巻かれている。その下には、やはりどす黒く変色した縄の痕があるのだろう。互いにバタバタして、連絡する間もなかった。

 二人に気づいた周囲が、ぼそぼそと言葉を交わす。「生き残りの」「どの面下げて」「何を考えているのか」「不吉」……。互いに聞こえない振りをした。


 十月に夏休みが明けたら、大学には一つ怪談が広がっているだろう。二十歳そこそこの若者なんて、永遠に生きられると思っている歳だ。

 他人の不幸はいつだって愉快なものだし、怪談は悲劇のエンターテイメント化でしかない。それがミステリーであればあるほど、なおさら。


「アタシは火葬場までついていくけど、アンタは?」


 こちらは何の予定もないので、数時間後に落ち合う約束をつけた。

 宵路がカフェを指定すると、りんは「タバコ大丈夫? 喫煙席で頼む」と追加してくる。恵生とりんは、互いを親友と話していたはずだ。

 ニコチンとタールを摂取したくなっても無理はない。そのぐらいの娯楽は許されてしかるべきだし、何なら宵路は、そのまま逃避しても構わないとさえ思う。


 自分が今、視界の隅にちらつく物を無視しているのだと同じだ。


***


「カゴメやカゴメ」


 夏休み前の大学構内。わらべ歌のように自分を呼ばわる恵生に捕まって、宵路は噴水前に座った。猛暑日が続く中、水の色と音は涼を与えてくれる。

 こういう陽の下は、宵路のような陰鬱さはかき消されて、いない者のようにしてくれるから良い。


「そろそろアレの季節だと思わないかね」天然のエアリーヘアをショートにし、眼鏡をかけた恵生はにぃーっと口の端を釣り上げた。

益子ますこさんがみんなを巻きこんで心霊スポットへ突撃し、大爆発する季節ですね」


 四回生の益子はゼミの先輩で、イベントごとが好きだ。本気で幽霊を信じてはいないが、夏といえばオバケ、ぐらいのノリで肝試しを計画する。


「去年はヒドかったからなあ、あのお祭り男。でだ、キミはあたしが知る限り、なかなか知性的な人類だよ」びっと指さし。

「紫藤くんのお墨付きとは、嬉しいね」

「心霊スポット! それは危険と隣り合わせゆえ人々を魅了する! 住居不法侵入はもちろん、地元の方にご迷惑をかけたり、逆に怖~い人たちがひそんでいたり!」


 声を張り上げながらも、周囲の注目を惹かない程度に抑えている恵生に、宵路は「わー」と白々しい拍手で追従した。


「あと廃墟が崩れたりとか、心霊スポットの危険とは、九割が物理的ダメージなのだよ。いや、マジで」


 ニヤニヤ顔からスッと真剣な表情になった恵生を前に、宵路はふと思い出す。


「去年は床板が腐っていて、落ちた先が汚水の張った……」


 恵生は片手でこちら制し、もう片方の手でこめかみを揉んだ。


「待てカゴメ、アレは思い出したくない。絶対にだ。いいか?」


 大げさにため息をついて、彼女は話を戻した。ぐっと握りこぶしを作って。


「益子に学習能力がないならば、我々が同盟を組むほかない」

「すなわち?」

Ghost house allianceオバケ屋敷同盟!」


 すぐに、宵路はその言わんとすることを察することが出来た。


「私たちで怪談を創作して、それを安全な場所に紐づける。後は益子先輩をそこへご案内して、他のみんなにも存分に怖がって頂こう、ということですか?」

「ハハハ! さすが私が見込んだホモ・サピエンスだ。こっちは脅かし役、みんなは驚き役、しかも安全。いいね、こんな愉快なことはないぞ!」


 何事もオーバーアクションの彼女は、膝を叩いたり、こちらの背中や肩をバシバシ叩きながら笑った。生ける新耳袋と呼ばれるほどオカルト趣味の彼女なら、創作怪談のネタにもきっと事欠かないことだろう。


***


「ですから、あそこには何もないはずなんですよ。黒鳥くん」


 喫茶店、お望み通りの喫煙席。待ち合わせにやって来たりんは、『誰も首吊りする気なんてなかっただろう』と、分かりきったことを熱く語ってこう切り出した。


『だから、調べようぜ。あの土地に何のがあるのか』

『いわく?』


 宵路の所作は常に静かで、雪のように周囲の音さえ吸いこみそうだ。注文したアイスコーヒーをブラックでかき混ぜながら、しんと彼女に聞き返す。


『心霊スポットに行って、あり得ない事件が起きた。だったら、そこに居たヤバい何かに触れちまったんじゃないか、ってことだよ』

『意外と、スピリチュアルなのですね』


 見た感じ、りんの印象からはかけ離れた一面だが、喜ばしくはない。むしろ、早速嫌な部分を見てしまった、と宵路の心が冷える。


『本当に心霊案件なのかどうか、ということなら、ない話です』

『なんでだよ。あの雑木林の怪談、アンタと恵生が話しただろ』

『作り話ですよ、そんなもの』


 下ろされたロールカーテンの向こうで、ぽつりぽつりと雨が降る音が聞こえる。ゲリラ豪雨で済むと良いのだが。

 恵生といかに肝試しを仕込んだのか、宵路が説明し終えたころには、外は土砂降りになっている。りんは眉間にシワを寄せて、自分のアイスティーをにらんでいた。


「タバコ、吸わないんですか」


 せっかくの喫煙席だろう。

 宵路がうながすと、りんは軽く礼を言ってジッポライターを取り出した。やっと呼吸が出来ると言うように、深々と紫煙を吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。


(けれど、あれは何なんだろう)


 紫煙を追うように、宵路は視界の隅を見やった。白くちらつき、たびたび無視してきたもの。りんには黙っていた一つのスピリチュアル。

 それは幼児がクレヨンで描いた、子供のような姿をしていた。色は白く、目と口らしい穴が三つ空いている。二次元のCGをそのまま実写に当てはめたように、存在感はひどくお粗末だ。だから最初は、何かの見間違いかと思った。


 最初に見たのは首吊りで助かった直後。つまり縄が切れて落下した時からだ。息を整え、次に周りの惨状に愕然がくぜんとしていたから、気づくのは遅くなったが。

 救急車で、病院で、警察の聴取で、自宅のアパートで、布団の中で。それは常について回った。何かをささやくでも、触れるでもない。ただそこにいるだけ。


 住んでいるアパートでも、取り立てて異変はなかった。怪しい物音や話し声がするだとか、異臭がするだとか、人影が見えるとか、そういう現象は何も。

 それが分かってからは、宵路はただ無視することに努めた。

 自分には、どうにもできないことだ。心を病んでいるのか、あの肝試しで本当に何かに呪われたのか。だが本質的に、それらは何が違うと言うのだろう?


 りんはタバコを吸い終えると、スマホを開いてどこかへ電話をかけた。宵路のアイスコーヒーがなくなるころ、彼女は「よし」とスマホを閉じる。


「じゃ、一緒に調べてくれねえか、ヨミチ」

「その接続詞はおかしくありませんか」


 これまでの話を聞いた上で、何がよし、で、じゃ、なのか。


「こういうのに詳しいヤツを知ってんだよ」

「いわゆるスピリチュアル系の? 黒鳥くんもそうなんですか?」

「悪いけど、しがない大学生にゃ霊感なんてねえよ。ゼロ感なんだ、アタシ」


 仲良くなれば楽しいかもしれないが、そうでなければ不愉快で無神経な人間だ。その上話が通じないときたなら、なおさら。


「アタシは恵生が勝手に死ぬヤツじゃないって知っている。何度も言うが、他の五人も、アンタだってそのはずだ。雑木林の怪談が作り話でも、他に別のいわくがあるかもしれないだろ。で、うちの知り合いには、そういうのが分かるヤツがいるんだよ」


 六人もの集団自殺に理屈をつけようとすれば、心霊案件を検討するのは分からなくもない。警察でも、ただ六人自ら首をくくった、という事実を積み上げていくだけ。

 だからといって、積極的にそちら側へ踏みこんでいくのを宵路は良しと出来ない。


「〝分かるヤツ〟とは」貴女より話が分かるのか。

「自動書記って知ってるか? 手が勝手に動いてあれこれ書く心霊現象。アイツはそれで色々なことを見つけちまうんだ」

「こっくりさんの仲間ですね」


 恵生との交流から、そういう話は色々と聞かせられている。だからといって、実践したい気持ちはない。だが、この不可解な事件の真実が知りたいかと言われれば。

 視界の片隅が、白くザワザワとちらつく。


「世の中、知らない方が良い真実もありますよ」

「それを知らずに、どうやって区別すんだよ?」


 会計を済ませて店を出ると、いつの間にか雨は止んでいた。りんの強引な理屈を支持するような、まばゆいほどの快晴だ。

 忌々しい。

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