異聞 四
虞(おそれ)ヶ淵
「君が人と共感した時、もっとも嬉しい感情はなんだい? たいていの場合、喜びを分かち合うのが人生の幸せと言えるだろう。だが俺は、恐怖を分かつ時こそ、人間がもっとも互いを解り合い、結びつく瞬間だと思うね! なにしろホラーというジャンルを探求すればするほど、恐怖のツボというのは人それぞれだと痛感するからね。暴力のたぐいは誰もが恐れるところだが、ナニナニ恐怖症というのは共感されがたい。そこで人類最大の未知なるもの、死について俺に聞くとは良い質問だ!」
『人は死んだらどうなると思う?』
高校で一人オカルト研究会をやっていた
眼鏡をかけ直す振りで、気を落ち着ける。
「話しかける相手を間違えたって思っているだろ、君」
「そうでもないよ」
色白の男子生徒は、上記の質問が出る前に、別角度の質問をいくつか発していた。幽霊を信じているのか、霊魂はどういう存在だと思うか、この宇宙の仕組みは、などなど。まさに専門分野だったので、各宗教や文化で語られるあの世、霊魂観などなどを得意げに語ったのだが……いやこれ、自分だけじゃなく相手も同類では?
「フフフ……君も我がオカルト研究会に入らないかい?」
「考えておくよ。僕は
もう入会は決まったようなものだった。それが雨太郎と宵路の出会いだ。
◆
「ここ、お化け屋敷やっているんだ」
校外学習で小さな遊園地を訪れ、余り者同士で行動していた雨太郎は、宵路の一言でギクリとした。もちろん、続く言葉は「行ってみようよ」
雨太郎は両手を振って「まてまてまてまてまて」と大声で通せんぼした。
「こういうのは……良くない!」
「五味弘文の『人はなぜお化け屋敷に並ぶのか』は読んだじゃないか」
ホラー映画やホラー小説を日々鑑賞しているオカルト研究会としては、お化け屋敷だけ例外とするのはおかしい、と宵路は訴える。
「お化け屋敷は、ほら……その……実地だから! 体験型だから! 違うんだ!」
ネットで見つけた『幽霊が見える方法』を実行したり、『一人かくれんぼ』や『こっくりさん』に挑戦してきておいて、苦しい言い訳だった。
「つまり怖いから嫌だと」
んぐ、と喉に何かを詰まらせたような音を出し、雨太郎はしばらくその場で頭を抱え、身もだえする。さぞかし滑稽だったろう独り相撲の後、しぼり出すように一言。
「…………そうだよ」
「じゃあ僕だけで行ってこようかな」
無情にも背を向けて、宣言通り一人でお化け屋敷に向かう宵路を、思わず雨太郎は追いかけた。どうして自分がそんなことをしたのか、ふと首をかしげる。
いわゆる心霊スポットに突撃だとか、お化け屋敷だとか雨太郎は大の苦手だ。でもここにおいては、数少ない友人に置いて行かれることの方が嫌だった。
「宵路、この薄情者! 俺を一人にするなよ!」
笑う彼に追いついて、お化け屋敷に入って。……結局、その後の体験をさんざん後悔することになるのだけれど。一人で取り残されるよりは、ずっと良かったのだ。
◆
オカルト研究会は正式な部活ではないので、部室もない。放課後は図書館の片隅で、二人だらだらとしゃべるのが常だった。
その日は確か、何度となく話題になった「なぜホラーが好きか」だった。
「宵路が読書好きなように、俺は物語が好きだよ。ホラーに限らず、冒険物も恋愛物も。違う世界が自分が生きている現実の隣で、いつも動いている気がした。しかもこっちが読まない限り出てこない。俺が見つけたから、見えるようになったんだ」
雨太郎はつらつらと、自分の原体験を語った。つやつやした図書館の机に、互いの顔と積み上げた本が映っている。
「でも、見ている所をほんの少しズラした時。現実は物語じゃないんだ、と気づいてゾッとした。お約束なんて、現実には筆先ほどの価値もない。自分がいるのは、危険で残虐で、安全なんて保証されない場所なんだって。正常性バイアスが外れた」
危険な状況であっても、大した変化とは取り合わない、他人事の感覚。健常とされる人々は、常に楽観的に生きている。そうでなければ、鬱病まっしぐらだ。
正常性バイアスで誤魔化さないと、世界はあまりに恐ろしい。
「予定調和はない、選択肢は見えないし全ては自由にはならない、最善は分からない。何も予想はできない理不尽が存在する」
空からミサイルが降ってくるかもしれない。
大地震が起きるかもしれない。
歩道に突っこんできたトラックに轢かれるかもしれない。
あるいはもっと、想像できないほど悲惨ななにか。
「未来はおろか、今起きていることだって、俺たちは明確に把握出来ていない、不安は人をおかしくさせる。だから鈍感なバカになっていくしかない」
けれど、と雨太郎は続けた。
「悲観しても、リスクを認識して、対処を考える。それが現実を見るってことだ。だから、ホラーにしようと思った。誰だったかな、立派な作家が、ホラーは死の準備運動だって言っていたから。死を反復することで、死を殺せるって」
ホラーは本物の恐怖ではなく、作られた……いわば蟹に対するカニカマぐらいの差がある。そんなものでも、死への恐怖に備える一助にはなるだろう。
「魔女はみんな、死の練習をしているって聞いたことがあるよ」
机の真向かいで、宵路はおっとりと雨太郎の話に耳を傾けていた。一言一句を耳から、表情はもちろん身振り手振りも目に留めて、じっくり咀嚼している風に。
「ホラーでそれが代用できるなら、こんなに楽しいことはないね。死んだ後のことは分からないけど、死ぬ練習を、いっぱいやっていこう」
宵路は柔らかく微笑む。
不意に、水面の下に、底を見通せない暗さがあると気づいた。
もしかして、コイツは死にたがっているのではないかと、雨太郎は初めて思い――それを本人に告げるまで、一年ほどの時を有した。
◆
「好きだ、宵路。ずっと俺といっしょに居てほしい」
土曜日の午後、雨太郎は自分の部屋で唐突に告白した。そういう雰囲気になったかどうかは自信がないが、ふと「今言おう」と思いついた。
宵路は驚いた風もなく、何でも無いように返す。
「恋人同士として交際したい、ということだね?」
「そうだ。男は守備範囲外か?」
とりあえず明確な拒絶ではない。勢いづいて、雨太郎は改めてめ寄った。二人ベッドに腰かけたまま、宵路に全身を向ける。
一方の彼は、こうした状況が初めてではないようだった。
「僕が交際相手に求める条件は一つだけ、いっしょに死んでくれるか、だよ」
「――そいつは酷いだろ」
なんてことを言うんだ、コイツは! 命を懸けろなんてメンヘラ彼女かよ――でも、雨太郎にとって、宵路はそれに値するほどの存在になっていた。
「条件を満たした時、君か相手のどちらかは死んで、あるいは病院送りになって、恋人らしいことは何一つ出来なくなるんじゃないか? 逆に、条件を満たさない相手と交際していたなら、君はいっしょに死ぬと約束してくれる相手なら、自分の貞操なんてどうでもいいヤツ、ということになる」
「その通りだよ、雨太郎。僕は今まで色んな相手と付き合って、それなりのことをして、でも死ぬのに失敗しては別れるのくり返しだ」
一気にぶちまけると、まるで顔色を変えず宵路はこれまでの来歴を匂わせた。コイツはどれだけ、他人の運命を狂わせてきやがったんだ。
宵路は申し訳なさそうな顔一つ見せず言う。
「幻滅したかな」
「かーなーり。しかし納得はできる、君はそういうヤツだ」
どことなく、籠ノ目宵路にはそういう気配を感じていた。きんと冷たく澄んだ、ガラス細工のような少年。なのに内部には、とぷりと暗い何かが沈みこんでる。
ひんやりと光がこもったような白い肌、端正な目鼻立ち、華奢とさえ言える細い体躯。けれど何より印象に焼きつくのは、寂しげな雰囲気だ。
大事な何かを見失って、虚ろを抱えたまま辛うじて両の足で立っている。不意によろけてしまったら、誰かが傍で支えてやらなくてはならない。
食事をしていても、笑っていても、本を読んでいても、常に壊れてしまいそうな危うさがあり、気がつくと目が離せなくなる。彼には助けが必要だ。
それはやがて自分が、になり、やがて共にどこかへ落ちていきそうになる。
「それを承知で君に交際を申し込む。そして一つだけ条件をつけさせてもらう。俺たちが心中するのは、君が俺となら、いっしょに死んでもいいと思った時だ!」
「いいよ、雨太郎。君といっしょなら、どこへでも」
宵路はきっと、他の誰でもかまわないのだ。それでも今は、自分を選ばせたことに雨太郎は満足していた。我ながら単純なことだ。
ただ趣味の合う友達、というだけなら良かったのだろう。けれどいつしか、ふと彼が消えて二度と戻ってこないような気がして、それが怖くて堪らなくなった。
彼を生の側に引き留めたい。それが駄目なら、共に逝きたい。きっと宵路は、人並みに幸せになれないと思っているから、せめて道連れがほしいのだ。
彼の苦しさを、少しずつ解きほぐして行くのが、まっとうな愛なのだろう。本当は。けれど正しさは、しばしば無力だ。
籠ノ目宵路と蕃雨太郎は親友だ。
彼を失うのが怖いという気持ちを、どうしても生に縛り付けてやる方向へ向かわせることが、雨太郎には出来なかった。
彼の寂しさが、彼岸を見つめる眼差しだと気づいたから。
会いたい誰かが、向こう側にいるのだろう。そして雨太郎は、万が一にも宵路に一人、置いて行かれたりはしたくなかった。
◆
◆
【川に飛びこんだ高校生 頭部を強く打ち死亡】岐阜県
岐阜県
23日午後3時ごろ、奥黒町山間部を流れる
警察や消防などは24日、午前7時ごろから捜索を再開し、およそ1時間半後に六吉川の下流で男子生徒を見つけて町内の病院に搬送しましたが、まもなく死亡が確認されたということです。
死亡した男子生徒といっしょに川へ飛びこんだ生徒は同じ高校の友人で、川遊びに来ていたと証言。警察は川に流された当時の状況や、死因などについてさらに詳しく調べることにしています。
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