十二、誰もが陰(かげ)で口を開く
「やあ、
「たった二年
当地は二年前の土砂災害で
「そんで、大学のレポートだ題材にするから、皨のことを聞きたいって?」
軽く自己紹介をし、しばし世間話の後、ようやく本題へ入る。
「はい。鬼の頭と書いて、
「ありゃありゃ、観音なんて呼び捨てにしたら
おきとうさまとは、図書館の資料には記載されていなかった呼び方だ。そういえば、そんな名前を聞いたことがあるかもしれない……と宵路は思いを巡らせる。
「おきとうさまは、
「それは残念。じゃあ先生、
今永氏はしばらく考えこんだ後、「いいや、聞き覚えないなあ」と首を振った。
「では、お祭りの時にいつも新しいお守りをもらっておったけれど、あれってどういう物やったんでしょ?」
「どうもこうもなあ。一年間、病気や怪我なく無事に過ごせますように……くらいのものじゃなかったかな。毎年、古いのは捨てていたね」
本鬼頭と分鬼頭は別々の神社として祀られていると言う。図書館でコピーした皨集落の地図に印をつけてもらい、他に細々としたことを聞き、最後の質問へ。
「校長先生。〝見鬼〟って何やろか?」
「さあ、聞いたことないなあ」
今永氏の答えは何の迷いもなかった。
「見る鬼、と書いて見鬼ですよ。小さいころ、みんな私をそう呼んでいた」
「それだったら、ただのあだ名やないかな?」
何の変哲もない会話のようだが、今永氏の態度は一転して凍りついている。
それまでは、昔自分が面倒を見ていた生徒を懐かしむ、恩師とも親戚の老人とも言える温かく親しげな様子が失せて、まるで他人のようだ。
これ以上の質問は無理と考え、宵路は話を打ち切ることにした。
「宵路くん、うちにあった古いお守りやさ。良かったら参考にしんさい」
「ありがとうございます」
別れ際。鬼頭観音の邪気払い
「では、私たちは『ほくと屋』に泊まっています」
「ああ、妙見に滞在しとる内は、いつでもうちに来んさい」
◆
「ビックリするほど収穫がねえなあ、おい」
昭和情緒ただよう民宿『ほくと屋』のホール。自販機で買った苺カルピス(さるぼぼ印)で喉を潤しながら、
今永家を辞した後、一行は妙見町内に居住する元皨集落の住民を巡ったのだが……。アポイントメントがないので普通に断られたり、そもそも相手が高齢過ぎてあまり会話が成り立たなかったり、会話可能でも肝心な部分はまったく聞けないか、聞けても既知の情報だったりで、からっきし進展がなかった。
「たった二年前の、村の信仰を聞き出すのがこんなに難しいなんてな……」
宵路は肩を落としているが、いわゆる民俗調査や取材というのは専門的な技術がいるものだ。ひるがえって宵路は教育学部、りんは工学部、ヒョウは中学生。
ようするに素人の集まりであった。とはいえ、専門の学者が調査をした場合、一日二日では、四人とそう変わらない成果しか挙げられなかっただろう。
「いやいや、校長先生と話せただけ立派な収穫だよ」
と言って
部屋割りは宵路と蕃雨太郎、りんとヒョウで二部屋取っている。夕食の前に休憩なり温泉なり……と一行が考えを巡らせていると、宿の従業員が声をかけてきた。
「お客さん、籠ノ目さん。今永という方からお電話がありましたよ」
「先生から?」
電話番号を教えたのに、わざわざ宿の方へ連絡するとはどういうことだろう。首をひねりながら、宵路は自分のスマホから折り返し電話した。
待ち構えがように今永氏が出る。
『ああ、宵路くんか。いや、教えてもらった電話番号を間違えてメモしてね。年は取りたないなあ。でな、さっき、背の高いお姉さんがいたやろ。見慣れない女物の忘れ物があってな、その人が忘れていったんやないかって』
「わざわざありがとうございます、先生」
礼を述べて宵路は電話を終え、内容を伝えたが、りんは首をひねる。
「? アタシ、そんな一目で女物と分かる持ち物なんざ、特に……」
「姐さん」
ヒョウが小声で、後ろからそっと(精いっぱい背伸びして)耳打ちする。
「これ、姐さんとオレだけで話した方がええ。なんか、ある」
「あ、ぁー。そういえば、なんか手鏡がねえかも? パンダのキャラ付きでさ~。お手洗い借りた時に置いてきちまったかな、ははははは」
白々しくも取り繕い、りんとヒョウは自分たちの部屋へ向かった。宵路経由で教えられた、今永氏の電話番号をタッチする。念のためスピーカーホンも。
「もしもーし、今永先生。さっき忘れ物をした、黒鳥りんです」
『……どうも。妙なことを聞くが、近くに宵路くんはいないかい?』
「いません。アイツが居たらマズいんですか」
はぁ……、と安心したような、疲れたような嘆息がしばらく流れた。
『訳は後で話す。確認するが、黒鳥さん。私の所にやって来て、皨やおきとうさまのことを聞いた理由を、聞いてもいいかな。誰か、亡くなりょったんやないか?』
なぜそれが分かるのか。次に何を言うべきか考えていると、今永氏は続けた。
『宵路くんほどやないが、私もかつては見鬼やったんやさ。今も、最近不幸があった人や、魔性が絡んだ気配は分かる。そちらのお嬢さんが霊媒なのも』
年齢もあって中性的な容貌のヒョウを、一発で少女と看破している。見鬼。籠ノ目宵路も昔そうだったと言うが。
「でも、見鬼って何ですか?」
『不思議のことを鬼と言い、それを見る、いわゆる霊感のことだね。だが、皨ではちびっと意味が違う。見鬼ってのは、邪眼持ちのことだ』
――持ち主が意識しなくても、好意を持っても、悪意を持っても、見たものに呪いをかけて意のままに操る。そして多くの場合は、死に至らしめることが多い。
そんな危険なものだ、と今永氏は邪眼を説明した。
「籠ノ目宵路が見鬼ってことは、アイツが邪眼持ちで、だから話を聞かれたくなかったってことですか?」
『そうだ。皨は昔から邪眼持ちが多く生まれていた。籠ノ目家は特にそういう家系でね……そのせいで、あの子のご両親は大変なことになった』
そのまま「ご夫妻は県外で暮らして……」と続く言葉に、嫌な予感がして「ちょ、ちょっと待った!」と遮る。それでもしばらく説明が続き、勝手に籠ノ目家の悲しい歴史が耳へ注ぎこまれ、りんはスマホに怒鳴った。
「なあ、今永先生! アンタ校長だったんだよな? まさか人の家のことペラペラしゃべって、しかもアイツがおかしいからだって初対面のアタシに言うのか?」
宵路の両親が生きているのか死んでいるのか、りんは知らなかった。もし後者だとして、どう死んだか知りたいとも思わなかった。
もし聞くならば、本人の口からというのが筋だろう。
『いや……それは……』
「とにかく! アンタらの村には邪視信仰っつーのがあって、鬼頭観音さまの邪気払いお守りってのが、邪視除けだったって理解で良いんだよな?」
もはや敬語など消え失せていた。蕃は確かなんと言っていたか。
――邪視信仰というのは、邪視を崇めるという意味ではなく、それがあると信じているという意味だ。そのような社会では、邪視による害をこうむっても、それは受けた方が悪いのであって、邪視を持った側は責められることがない。その代わり、専用のお守りなど、邪視に対する防御策がもうけられている。
「そのお守りって、今はどこで手に入るか知らねえか?」
『無理だ! 神主の一族は、土砂崩れで途絶えた。今、集落の跡地には二つの拝殿が放ったらかしにされている。小さな
「あー、じゃあもういいっす。こっちで何とかします。お話ありがとうざっしたー」
有無を言わせず、りんは通話を切った。情報が手に入ったのは良いが、なんとも胸がムカムカする。今永氏のようなタイプは大嫌いだ。
「方相氏に契られてんだか何だか知らねえが、今永のジジイいわく、ヨミチが邪眼持ちで、本人はそれに気づいていねえらしい、と。ねえ……」
祖母のハツネが倒れた直後、ヒョウはりんに電話を入れて何もかも話していた。
ハツネが「ご祈祷」と言う名目で宵路を呪詛していたこと、彼が体験した怪奇現象――夜道で視線を感じ、死者とすれ違ったことや、カフェテラスでサンドイッチを放り出したことなどは、呪詛の結果だったと推察できる。
そうした直接的な手段以外にも、全体的に邪眼を抑え込み続けていたらしいが……「何か」が邪魔したから、
絶対に関わるなと言われたが、ヒョウはそれを振り切ってここにいる。神のお告げはもちろん、元凶を解決せねば、祖母が助からないだろうと思うから。
「邪眼……たぶん、呼び方が変われば方相氏や鬼頭観音になるんやと思う。それが取り憑いとるっちゅうか、巣食っとるっちゅうか、二重人格みたいな状態なんかもしれへん。あれに気づかれないよう、動かなあかん」
「〝見つかったら終わり〟って、邪眼なら、当然だよなあ」
本人に悪意があるならぶっ飛ばせばまだ済むが、そうではないからややこしい。
おそらく宵路を直接害しようとすれば、邪眼は/方相氏は/鬼頭観音は激しく抵抗するだろう。それこそ、人が死にかねないほどに。
仮にも向こうは信仰を集め、神仏として集落で崇められた存在なのだから。
「……ヒョウ。あんま思い詰めて、無茶すんなよ」
「姐さんこそ」
互いを見つめる女たちの視線は、思いやりと不安、〝この人はいざとなったら、一線を踏み越えてしまうのではないか〟という疑念が
◆
スマホの「通話終了」画面を見ながら、今永
やはり皨の人間ではない者に、あれの危険性は分からない。確かに少々礼儀知らずの行為ではあるが、今は緊急事態だ。実際に、彼女たちの周りで死者が出たと言うのならなおのこと。自分のようなちっぽけな見鬼と、籠ノ目宵路は違う。
「何をそんなに怯えているんですか?」
不意に涼やかな声がして、「うわっ」と声を上げた。振り返ると、褐色肌の美青年が康一の背後に立っている。昼間、宵路といっしょに来ていた若者だ。
垢抜けたきらびやかさは、見間違えようはずもない。いったいいつ、どこから入ってきたのか。だが康一が気になるのは、そんな常識的なことではない。
「私が怯えとるやて?」
この相手は〝普通〟ではない。康一がが内に秘めたものに気づいている。
ああ、やはり籠ノ目宵路と会うべきではなかった。一度や二度見鬼が抜けようが、彼は異界を、魔のものを引き寄せる!
かりかりかり、とか細い音がどこからか聞こえた。安心して下さいよと言いながら、青年は宵路に渡したはずのお守り袋を取り出す。
「これ、ありがとうございました」
何かを一心不乱に引っ掻くような音。かりかりかり、と。
「けれど、こんなものでも今は邪魔でね」
がり、とお守り袋が内側から突き上げられる。二つ、三つと指先ほどに袋がふくらみ、あれは中から爪で引っ掻いていたのかと気がついた。
かりかりかり、がりがりがり、ぶつり。
ばつん、とお守り袋が
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