十二、誰もが陰(かげ)で口を開く

「やあ、宵路しょうじくん。ますます男前になって」

「たった二年ですわなーですよ、校長先生。あまり変わってませんて」


 高山たかやま妙見みょうけん町。四人は日本家屋の客間に通され、いかにも好々爺然とした今永いまなが氏と対面した。宵路が集落に居たころ、小中と通った本庄ほんじょう分校の元校長だ。

 当地は二年前の土砂災害でほし集落が廃村となった後、三十名ほどの元住民が今も居住している。かつての皨を知る住民を、なんとか宵路が思い出して連絡した。


「そんで、大学のレポートだ題材にするから、皨のことを聞きたいって?」


 軽く自己紹介をし、しばし世間話の後、ようやく本題へ入る。


「はい。鬼の頭と書いて、鬼頭きとう観音、というもんを祀ってませんでしたか?」

「ありゃありゃ、観音なんて呼び捨てにしたらだしかねいけないよ。みんな〝おきとうさま〟とそって言ってたの、忘れたんかい」


 おきとうさまとは、図書館の資料には記載されていなかった呼び方だ。そういえば、そんな名前を聞いたことがあるかもしれない……と宵路は思いを巡らせる。


「おきとうさまは、ほん鬼頭きとうわけ鬼頭があってな。どちらも拝殿の中に祀られておるから、お姿は誰も見たことがなかったね。年一回のご開帳かいちょうの時も、像は五色の布に覆われていたから」

「それは残念。じゃあ先生、方相ほうそうはご存じやろか? おきとうさまと関係があるんじゃ、と考えておるんですけれど」


 今永氏はしばらく考えこんだ後、「いいや、聞き覚えないなあ」と首を振った。


「では、お祭りの時にいつも新しいお守りをもらっておったけれど、あれってどういう物やったんでしょ?」

「どうもこうもなあ。一年間、病気や怪我なく無事に過ごせますように……くらいのものじゃなかったかな。毎年、古いのは捨てていたね」


 本鬼頭と分鬼頭は別々の神社として祀られていると言う。図書館でコピーした皨集落の地図に印をつけてもらい、他に細々としたことを聞き、最後の質問へ。


「校長先生。〝見鬼〟って何やろか?」

「さあ、聞いたことないなあ」


 今永氏の答えは何の迷いもなかった。


「見る鬼、と書いて見鬼ですよ。小さいころ、みんな私をそう呼んでいた」

「それだったら、ただのあだ名やないかな?」


 何の変哲もない会話のようだが、今永氏の態度は一転して凍りついている。

 それまでは、昔自分が面倒を見ていた生徒を懐かしむ、恩師とも親戚の老人とも言える温かく親しげな様子が失せて、まるで他人のようだ。

 これ以上の質問は無理と考え、宵路は話を打ち切ることにした。


「宵路くん、うちにあった古いお守りやさ。良かったら参考にしんさい」

「ありがとうございます」


 別れ際。鬼頭観音の邪気払いもりを渡され、宵路は笑顔で頭を下げる。「何か思い出したことがあれば」と宵路は自分のスマホ番号を伝えた。


「では、私たちは『ほくと屋』に泊まっています」

「ああ、妙見に滞在しとる内は、いつでもうちに来んさい」



「ビックリするほど収穫がねえなあ、おい」


 昭和情緒ただよう民宿『ほくと屋』のホール。自販機で買った苺カルピス(さるぼぼ印)で喉を潤しながら、黒鳥くろとりりんは愚痴った。今永氏のことではない。

 今永家を辞した後、一行は妙見町内に居住する元皨集落の住民を巡ったのだが……。アポイントメントがないので普通に断られたり、そもそも相手が高齢過ぎてあまり会話が成り立たなかったり、会話可能でも肝心な部分はまったく聞けないか、聞けても既知の情報だったりで、からっきし進展がなかった。


「たった二年前の、村の信仰を聞き出すのがこんなに難しいなんてな……」


 宵路は肩を落としているが、いわゆる民俗調査や取材というのは専門的な技術がいるものだ。ひるがえって宵路は教育学部、りんは工学部、ヒョウは中学生。

 ようするに素人の集まりであった。とはいえ、専門の学者が調査をした場合、一日二日では、四人とそう変わらない成果しか挙げられなかっただろう。


「いやいや、校長先生と話せただけ立派な収穫だよ」


 と言ってばんはフォローしたが、今日はこれまでと打ち切って、宿へと戻ってきた次第だ。続きは明日の自分たちに期待しよう。

 部屋割りは宵路と蕃雨太郎、りんとヒョウで二部屋取っている。夕食の前に休憩なり温泉なり……と一行が考えを巡らせていると、宿の従業員が声をかけてきた。


「お客さん、籠ノ目さん。今永という方からお電話がありましたよ」

「先生から?」


 電話番号を教えたのに、わざわざ宿の方へ連絡するとはどういうことだろう。首をひねりながら、宵路は自分のスマホから折り返し電話した。

 待ち構えがように今永氏が出る。


『ああ、宵路くんか。いや、教えてもらった電話番号を間違えてメモしてね。年は取りたないなあ。でな、さっき、背の高いお姉さんがいたやろ。見慣れない女物の忘れ物があってな、その人が忘れていったんやないかって』

「わざわざありがとうございます、先生」


 礼を述べて宵路は電話を終え、内容を伝えたが、りんは首をひねる。


「? アタシ、そんな一目で女物と分かる持ち物なんざ、特に……」

「姐さん」


 ヒョウが小声で、後ろからそっと(精いっぱい背伸びして)耳打ちする。


「これ、姐さんとオレだけで話した方がええ。なんか、ある」

「あ、ぁー。そういえば、なんか手鏡がねえかも? パンダのキャラ付きでさ~。お手洗い借りた時に置いてきちまったかな、ははははは」


 白々しくも取り繕い、りんとヒョウは自分たちの部屋へ向かった。宵路経由で教えられた、今永氏の電話番号をタッチする。念のためスピーカーホンも。


「もしもーし、今永先生。さっき忘れ物をした、黒鳥りんです」

『……どうも。妙なことを聞くが、近くに宵路くんはいないかい?』

「いません。アイツが居たらマズいんですか」


 はぁ……、と安心したような、疲れたような嘆息がしばらく流れた。


『訳は後で話す。確認するが、黒鳥さん。私の所にやって来て、皨やおきとうさまのことを聞いた理由を、聞いてもいいかな。誰か、亡くなりょったんやないか?』


 なぜそれが分かるのか。次に何を言うべきか考えていると、今永氏は続けた。


『宵路くんほどやないが、私もかつては見鬼やったんやさ。今も、最近不幸があった人や、魔性が絡んだ気配は分かる。そちらのお嬢さんが霊媒なのも』


 年齢もあって中性的な容貌のヒョウを、一発で少女と看破している。見鬼。籠ノ目宵路も昔そうだったと言うが。


「でも、見鬼って何ですか?」

『不思議のことを鬼と言い、それを見る、いわゆる霊感のことだね。だが、皨ではちびっと意味が違う。見鬼ってのは、邪眼持ちのことだ』


――持ち主が意識しなくても、好意を持っても、悪意を持っても、見たものに呪いをかけて意のままに操る。そして多くの場合は、死に至らしめることが多い。

 そんな危険なものだ、と今永氏は邪眼を説明した。


「籠ノ目宵路が見鬼ってことは、アイツが邪眼持ちで、だから話を聞かれたくなかったってことですか?」

『そうだ。皨は昔から邪眼持ちが多く生まれていた。籠ノ目家は特にそういう家系でね……そのせいで、あの子のご両親は大変なことになった』


 そのまま「ご夫妻は県外で暮らして……」と続く言葉に、嫌な予感がして「ちょ、ちょっと待った!」と遮る。それでもしばらく説明が続き、勝手に籠ノ目家の悲しい歴史が耳へ注ぎこまれ、りんはスマホに怒鳴った。


「なあ、今永先生! アンタ校長だったんだよな? まさか人の家のことペラペラしゃべって、しかもアイツがおかしいからだって初対面のアタシに言うのか?」


 宵路の両親が生きているのか死んでいるのか、りんは知らなかった。もし後者だとして、どう死んだか知りたいとも思わなかった。

 もし聞くならば、本人の口からというのが筋だろう。


『いや……それは……』

「とにかく! アンタらの村には邪視信仰っつーのがあって、鬼頭観音さまの邪気払いお守りってのが、邪視除けだったって理解で良いんだよな?」


 もはや敬語など消え失せていた。蕃は確かなんと言っていたか。


――邪視信仰というのは、邪視を崇めるという意味ではなく、それがあると信じているという意味だ。そのような社会では、邪視による害をこうむっても、それは受けた方が悪いのであって、邪視を持った側は責められることがない。その代わり、専用のお守りなど、邪視に対する防御策がもうけられている。


「そのお守りって、今はどこで手に入るか知らねえか?」

『無理だ! 神主の一族は、土砂崩れで途絶えた。今、集落の跡地には二つの拝殿が放ったらかしにされている。小さな民社みんしゃだったからな……だから、危険なんだ!』

「あー、じゃあもういいっす。こっちで何とかします。お話ありがとうざっしたー」


 有無を言わせず、りんは通話を切った。情報が手に入ったのは良いが、なんとも胸がムカムカする。今永氏のようなタイプは大嫌いだ。


「方相氏に契られてんだか何だか知らねえが、今永のジジイいわく、ヨミチが邪眼持ちで、本人はそれに気づいていねえらしい、と。ねえ……」


 祖母のハツネが倒れた直後、ヒョウはりんに電話を入れて何もかも話していた。


 ハツネが「ご祈祷」と言う名目で宵路を呪詛していたこと、彼が体験した怪奇現象――夜道で視線を感じ、死者とすれ違ったことや、カフェテラスでサンドイッチを放り出したことなどは、呪詛の結果だったと推察できる。


 そうした直接的な手段以外にも、全体的に邪眼を抑え込み続けていたらしいが……「何か」が邪魔したから、かやりしの風に吹かれて呪詛返しを受けてしまった。

 絶対に関わるなと言われたが、ヒョウはそれを振り切ってここにいる。神のお告げはもちろん、元凶を解決せねば、祖母が助からないだろうと思うから。


「邪眼……たぶん、呼び方が変われば方相氏や鬼頭観音になるんやと思う。それが取り憑いとるっちゅうか、巣食っとるっちゅうか、二重人格みたいな状態なんかもしれへん。あれに気づかれないよう、動かなあかん」

「〝見つかったら終わり〟って、邪眼なら、当然だよなあ」


 本人に悪意があるならぶっ飛ばせばまだ済むが、そうではないからややこしい。

 おそらく宵路を直接害しようとすれば、邪眼は/方相氏は/鬼頭観音は激しく抵抗するだろう。それこそ、人が死にかねないほどに。

 仮にも向こうは信仰を集め、神仏として集落で崇められた存在なのだから。


「……ヒョウ。あんま思い詰めて、無茶すんなよ」

「姐さんこそ」


 互いを見つめる女たちの視線は、思いやりと不安、〝この人はいざとなったら、一線を踏み越えてしまうのではないか〟という疑念がたたええられていた。



 スマホの「通話終了」画面を見ながら、今永康一やすいちは深々と息を吐く。

 やはり皨の人間ではない者に、あれの危険性は分からない。確かに少々礼儀知らずの行為ではあるが、今は緊急事態だ。実際に、彼女たちの周りで死者が出たと言うのならなおのこと。自分のようなちっぽけな見鬼と、籠ノ目宵路は違う。


「何をそんなに怯えているんですか?」


 不意に涼やかな声がして、「うわっ」と声を上げた。振り返ると、褐色肌の美青年が康一の背後に立っている。昼間、宵路といっしょに来ていた若者だ。

 垢抜けたきらびやかさは、見間違えようはずもない。いったいいつ、どこから入ってきたのか。だが康一が気になるのは、そんな常識的なことではない。


「私が怯えとるやて?」


 この相手は〝普通〟ではない。康一がが内に秘めたものに気づいている。

 ああ、やはり籠ノ目宵路と会うべきではなかった。一度や二度見鬼が抜けようが、彼は異界を、魔のものを引き寄せる!


 かりかりかり、とか細い音がどこからか聞こえた。安心して下さいよと言いながら、青年は宵路に渡したはずのお守り袋を取り出す。


「これ、ありがとうございました」


 何かを一心不乱に引っ掻くような音。かりかりかり、と。


「けれど、こんなものでも今は邪魔でね」


 がり、とお守り袋が内側から突き上げられる。二つ、三つと指先ほどに袋がふくらみ、あれは中から爪で引っ掻いていたのかと気がついた。

 かりかりかり、がりがりがり、ぶつり。


 ばつん、とお守り袋がぜた瞬間、今永康一は心臓を押さえて倒れた。

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