十四、神供はいよいよ整いて
高山市某所のホームセンター。店内には音楽ではなく、行方不明になった高齢者の情報を求める自治体の放送が流れている。
邪眼を絶つならば、
「①ドリルで一.五センチ~一〇センチの間隔に穴をあける。②セリ矢を穴に入れる。③ハンマーでセリ矢を叩いて石を割る……だいぶ面倒くせえな」
ネットで参考になる情報を探し出したりんは、ため息をついた。ドリルだけで二万円は下らないし、像の大きさによっては安物では歯が立たないかもしれない。
ホームセンター特有の大きなショッピングカートを転がしながら、ヒョウが言う。
「石像がどんなもんかは、実際見てからでいいんちゃう。何なら持って帰って、あの校長に道具用意させるとか何かできるかも」
「それもそーだな。んじゃあとは、鉄パイプに、ショベルにー」
支点になるコンクリートブロックと鉄パイプがあれば、テコの原理で重たい石像を動かすことが出来る。どうやって荷台に積むのかという課題もあるが……。
見つくろった工具をレンタカーの荷台に載せ、二人は
すでに時刻は正午に差しかかろうとしていたが、
大阪湾から上陸したその台風は、中型で並程度の勢力と思われていた。実際、上陸して太平洋へ抜けるまでもたらした被害は微々たるものだ。皨集落を除いて。
崖崩れに山崩れ、浸水、
もとより高齢者ばかりの限界集落は、これを機に住民が移住し、廃村。宵路の祖父母もその時に亡くなり、彼は事実上の天涯孤独と考えられる。
(父親に殺されかけて、帰る故郷もなくなって、そのあげくの果てに友だちまで殺しちまったってんなら、そりゃアタシだって生きているのが嫌にならあな)
数年の時を経て、山道は災害の跡形もなく整備されていた。だからハンドルを握るりんの思考は、運転よりもこれまでを
強引な、らしくないやり方で宵路の生い立ちを暴いたことはもう仕方がない。
宵路が本当に邪眼の持ち主で、鬼頭観音がその源ならば、りんは何としても彼を解放してやりたかった。誰かを呪う力は、必ず己自身を呪縛するものだから。
「そういえばこれ、お守りの中身。
「お、知ってる、平家物語に出てくるメチャ強の武士だよな。
ヒョウがふと話しかけてきてくれて、りんは内心ほっとした。宵路が持っていた邪気払い――邪視除けのお守りは、彼が血涙を流して倒れた時に落とした。
それをヒョウが拾って、中身を確認していたらしい。
「
「あ? じゃあ邪眼の鬼頭観音ってのは、方相氏じゃなくて疱瘡神なのか?」
分からない、とヒョウが答えようとした矢先。ぴちゃ、と湿った手が運転席の窓を叩いた。りんは反射的に、そちらを見ようとしてこらえる。
「……ヒョウ」
「うん、あちこちおる」
二人はすでに皨集落内に入っていた。それは行政上の区画というだけで、まだ人家の跡も見えない峠道だが、かつて人だったものはいるらしい。
「バックミラーも気ぃつけてな」
「あいよ」
基本的に霊感のないりんだが、何度も怪異に遭遇し、さまざまな呪いを受けたので、波長が合いやすくなっている傾向がある。
人は単に死んだだけでは、化けて出ない。だが皨集落には、被災による無念の思いのみならず、鬼頭観音という凶悪な神が祀られていた土地だ。
何が起きても不思議ではない。
「どっちがどっちかは分からんけど、見事に鬼門と裏鬼門に祀られとるね」
スマホに打ちこんだ番地を地図アプリと照らし合わせ、ヒョウが言った。お得意の〝神さまのお告げ〟で、鬼頭観音の位置も割り出し済みだ。
ブナやミズナラが並ぶ木立の間から木漏れ日が差し、上から下まで真っ赤な人影が車窓を流れていく。一人、二人、三人、みな手を振っていた。
「姐さん、アクセル」
「おっけー」
ドライビングテクニックにかけては、りんはちょっとした自信がある。風を感じられるバイクの方が好きだが、自動車であっても腕前は変わらない。
山道でありながら時速八〇キロに達する中、窓の外では黒い人影がスタスタと「歩いて」いた。スピード感が狂いそうな光景を二人、無視を貫く。
仮設されっぱなしの橋を通ると、道沿いに大小の廃屋や、土蔵が出現するようになった。災害の爪痕なのかどうか、家屋の断面図がさらされている。
分校がある高台を目印に地図と照らし合わせ、一つ目の社を発見した。鳥居の代わりに、大きな
ピックアップトラックを停めると、車体にびっしりと手形がついていたが、二人とも見なかったことにした。返却の前に、一度洗車はした方が良いかもしれない。
苔むして古ぼけた様子だが、楓の木には『鬼頭堂』と朱で刻まれた木札がくくりつけてあった。まずは礼儀正しく、二礼二拍手一礼。
祠を打ち明けて見ると、五色の細帯に覆われた塊が現れる。
大きさは六〇センチ程度だろうか。りんは試しに祠へ手を入れてみたが、力を込めれば難なく持ち上げることが出来た。一旦地面へ下ろす。
「思ったより小せえな。もう一つの方も、こんぐらいだと助かるんだが」
「……というか、何の気配もせんのやけど」
ヒョウは首をひねりながら、「空っぽ……? 留守?」と、しきりに言葉を探していた。しかし、近くの標識にあった番地と照らし合わせても、ここが鬼頭観音の社であることは間違いないはずだ。ヒョウの神さまからも、お告げは特にない。
「とりあえず、次急ごうぜ。まだ気を抜くのは早え」
今いる鬼頭堂が裏鬼門の位置で、ここから直線距離で六百メートルある。だが直線で進めるのは鳥ぐらいのもので、実際は曲がったりくねったりの道のりだ。
十五分ほどかけてたどり着いた鬼門側の鬼頭堂は、れっきとした神社になっていた。鳥居があり、境内があり、ぺしゃんこに潰れてはいるが拝殿がある。
「……瓦礫の撤去からかよ」
「ちょい待ち、姐さん」
ヒョウはマグライト片手に拝殿だったものへ近づき、しゃがみこんだ。ためつすがめつ暗がりを観察した後、座ったままりんを見上げる。
「この隙間なら、オレが入れる」
「でも探すのは、六〇センチからある石の塊だぜ。持てねえだろ」
「ロープ買ったやろ、結ぶぐらいは出来るから、二人でひっぱろ」
りんは渋い顔になった。ヒョウが引き下がらないことが分かったから。
「さらに建物が崩れて、潰されたらどうする」
「オレは神さまに守られとるから」
「困ったときの神頼みじゃねーか」
りんはしばらく、代案を考えるためタバコに火を点けた。一応境内の外に出て、動物園の熊よろしくウロウロしながら、たっぷり一本を吸い終える。
「……頼むぜ、ヒョウ」
「まかしとき」
そうして二つの鬼頭観音像がそろった。
◆
われは長き間、土に埋まれり。
見つけしは、村を通りがかりし行者なりやな。掘りいだされ、エビス――
それもいきおきの
いまやがてそれも消え、さながら楽になるぞ、宵路よ。
「私にそんな資格があるのか?」
冷たきことをな言ひそ。なれを
――仕方ないよなあ、お前は俺と川に飛びこんで、その後のことを忘れちまったんだから。でも、いいよ。今からでもいっしょに来てくれるだろ?
「蕃……蕃、なのか?」
――俺となら、いっしょに死んでいいって思ってくれたんだろ? 懐かしいよな、
さ、ザクロのごとく。いと哀れなるさまなりき。川流され、無残なるさまをさらしてけるは、げに涙を誘ふかし。
――そのあげく、俺の偽物といっしょにいるだなんて、あんまりじゃないか。失恋にしたって、ちょっと手厳しすぎるぜ。
否、そは
――宵路、宵路、俺といっしょに逝こう。
「許してくれるのか……こんな薄情者を」
――お前と離れたくない。一人で置いていかれる辛さは、骨身にしみて分かっているじゃないか。親父さんだけ首を吊って逝っちまった時に。
おのれになほ
――頼む、俺から逃げないでくれ。お前を離さない、絶対に置いていかないよ。
自分がどこにいるのか、不意に宵路は疑問を覚えた。
まるで夢心地のまま、暗闇に意識だけがぼんやりと漂っている。交互に聞こえる声はとても甘く、このまま意識が溶けてしまうのがたまらなく心地よかった。
それでも己を奮い立たせて五感を研ぎ澄ますと、自分が誰かの腕に収まっていることが分かる。背後から自分に抱きついているのは、雨太郎だとすぐ気づいた。
止めどなくあふれる涙は鉄臭く粘り気があり、また血の涙を流しているらしい。やはり、自分は邪眼持ちだったのか。両親の死も、雨太郎の死も、これがすべての原因だったのではないか。そして大学で四人もの友人を死に追いやった。
せむかたなきことをな考へそ。なれはいま充分になやみし、今よりされど命を楽しむべし。われは
邪眼視害をもちいでき災ひは、人が責めを負ふべきものならず。なれがてづから進みて妖術を使はば別なれど、そは違はむ? ゆえに、罪も咎も責もあらず。
蕃雨太郎は二人居た。一人は、宵路の高校生時代からの友人。もう一人は、……よく分からない。とにかく人ではない何か。
だがその正体に考えを巡らせようとすると、頭がしびれるように鈍く痛んだ。それはつまり、騙され、都合良く操られているということではないのか。
「蕃。君は間違いなく、高校の時にいっしょだった、あの蕃なのか?」
――今さら何を言っているんだよ、親友。やっと俺に気づいたくせに。
彼のことはいま返せば安心せよ。否、いませばらくはこの姿を借りあるべからめど。我らはみな、永劫解き放たる。
なれの眼は元よりわがものなりき。今は半ばまで返させしぞ。それだに取り戻されば、なれどもはせまほしかるべくすべし。
ふとぬくもりが離れて、闇の中に立つ自分に宵路は気がついた。顔を上げると、目の前に二人の蕃雨太郎が立っている。
一人は黒髪と褐色肌の美丈夫。もう一人はボサボサ頭で、眼鏡をかけた、青白いひょろりとした少年。どちらも、宵路がよく知る相手だった。
差し出された二つの手を取り、歩き出す。天も地も分からない暗闇なのに、なぜか自分や他人の姿だけはくっきり見える、奇妙な空間だった。
きっと時間も距離も関係ないのだろう。ふと開けたと思ったら、夏の日差しが差し込む山間の村に宵路は立っていた。
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