一つと五つ目の儀式
七、ひとつより多くて複数より少ない
怪異とは主観的なものだ。今宵、
誰かに見られているという感覚、寒気、死んだはずの人物。それらはすべて宵路自身の体験だけで、手元に残ったのは不自然な笑顔の自撮りだけ。
『なあに、心霊体験なんてそんなものさ。前に話しただろう、呪いや心霊スポットはそれが〝そう〟だと認識され、共有されることで成立するって』
帰宅し、真っ先に
『そうだな、オカルト番組を想像してみてくれ。それらしい物音、それらしいホコリか何かの映り込み、偶然起きた機械のトラブル。そこで出てくるのが、霊能者だ』
心霊番組なんて、いつ見ただろうか。しかしどことなく、大まかなフォーマットは宵路も知っている気がした。
取材班がいわくありげな場所を探索し、 心霊的と思われる現象をひととおり撮影すると、霊能者に解説を求める。
するとその場所にはどんないわくがあるのか、ここにいる霊はどのような因縁を持ち、何のためのいるのか、というストーリーが語られる……。
「……確かに、呪いの成立と同じだ」
『古来、夢には神のお告げが現れるとされ、それを解き明かすことがもてはやされた。夢の吉凶を判断することを夢解きと言ったが、霊能者もそれと似ている。霊も夢も、主観的にしか見えないものだからね。共有するには仲介者が必要だ』
それが心霊番組に登場する霊能者であり、従来の宗教家だ。見えないものを見えるようにする、情報伝達のためのコミュニケーション。
かつて宵路が見鬼と呼ばれていた時、そばに居た子供たちも、オバケを見ることがあった。一時的なことだから、そんなものだろうと気にしていなかったが……。
『キツネを取り憑かせるために、
社会はそのように、さまざまな出来事を「これはこういう物語である」とカテゴライズして逐一処理していく。何も
「霊というものは、人類社会独特のコミュニケーションが生み出した、幻想のようなものかもしれない、と?」
『そうだね。霊感も同じだ、そのような特殊な感覚や力に実態があるか否かは関係がない。テレビ番組の制作陣であるとか、宗教団体だとか、社会の側が「ある」と認めれば、当人の資質がどうであれ、霊感があるという振る舞いが許される』
それでは、幼い宵路を〝見鬼〟と呼んだ集落の人々は、自分に何を語らせたかったのだろう。いや、見えるとか見えたという訴えが、すでに語りだった。
『しかし、だ。昨夜の体験はまた別の分類をすべきだと思うよ』
蕃が話題の方向を変え、宵路は改めて意識を向けた。
『まずバックボーンには、友人が四人も亡くなったというショッキングな出来事が根ざしている。そして白い、君にしか見えない何か。怪異にしろ因縁にしろ、君にはまだ〝何か〟があって、しかもまだ終わっていない。昨夜の件は、その一端だろう』
「私が、あの時」
闇夜に縄がきしむ音。月明かりに照らされ、高い所で揺れる複数の影。文字通り息絶えた肉体の、二度と酸素や血の巡らない静けさ。
「死ななかったから?」
『そうかもしれない。それは君個人の罪悪感に過ぎないのかもしれない。だが主観と客観を橋渡しした共同幻覚ではなく、主観と主観の間にこそ、本物の霊が、怪異が潜んでいるものさ。このことは、改めて
蕃との通話を終え、宵路は力尽きてベッドに身をあずけた。
※
夏休みと言うこともあって、市立中央図書館はにぎわっている。
図書館はその言葉から連想させる、暗めの照明や整然と並んだ書架とは無縁な、モダンで開放的な作りをしていた。
館内には椀を伏せたような、あるいは巨大なクラゲの笠を思わせる構造物が天井に複数設置され、そこから柔らかな光が降り注ぐ。
「確実に何かに憑かれてます、って感じだよな。メンタル不調は自前くせえけど」
その一角――関係者四人が集まった中で、話を聞いた黒鳥りんがコメントした。場所が場所だからか、いつもより声量が控えめだ。相対的にだが。
「宵路は僕が応急処置をした直後だったんだが、なぜこんなことが起きたのやら」
蕃
一方のりんは、ネオンブルーのボウリングシャツに、デニムパンツとこれはロカビリースタイルか。彼女はニヤッと悪ぶった笑みを作った。
「アタシが来たから、それが台無しになったかもしれねえ、って?」
「そうかもしれないね」
蕃は気まずそうにするでもなく、フラットに受け流す。公平にあらゆる要素を検討するぞ、という物怖じしない態度は、なかなかの探偵気取りだ。
「別にそう言われんのは構わねえけど、調査の協力はしろよな。こっちゃヒョウといっしょに資料ひっくり返してんだ」
ヒョウは小さな体を赤×黒のサマーパーカーに包み、黒のボトムにシューズと相変わらず性別不明だった。
「そーやそーや、オレたち一時間前から来とるからな。勝手にやけど」
本日の集まりは、宵路の故郷『
四人は机の一角を占拠して、数冊の郷土資料書とノートを開いていた。
誰も死ぬ動機などないはずの、大学生六人集団自殺事件。
肝試しに選んだ心霊スポットはでっちあげで、土地には何のいわくもなかった。ならば参加者の誰かが、死を引き寄せるような因縁を背負っていた可能性が高い。
生存しているりんと宵路のうち、彼の故郷から手をつけようというわけだ。
皨集落が廃村となったのは宵路が大学に入った後のことなので、書籍やウェブマッピングでは、現在も存在している扱いになっていることが多い。
りんが集めた資料の中に、「皨集落では鬼頭観音を祀っている」というくだりがあったが、ある書籍では「魌頭観音」と書かれていた。見覚えのある字だ。
「……蕃、この」魌頭の字を指さして。「字は、前に君がメモしていなかったか」
「ああ、
「包装紙?」
りんが
「ざっくり言えば、方相氏というのは節分の鬼だよ」蕃が説明を始める。「一説によれば、節分の豆まきは元々は
「へえ、豆をぶつけられる鬼か」
ノートに追儺の字を書き付けながら、蕃はうむとうなずく。
「今はね。追儺の別名を鬼を追い払う、の意で鬼やらいと言う。方相氏は宮中に仕える役職の一つで、かつては天皇の葬儀にも関わった立派な仕事だったんだ。だが、本邦は死の穢れをことのほか嫌うだろう? そのために疎まれて、鬼やらいの立場は毘沙門天などに奪われ、逆に自分が追い立てられる鬼になってしまった」
「鬼にも芸人みたいに、流行りすたりがあるんやな」
ヒョウは気の毒そうにコメントした。
「宮中に受け居られる前は、悪鬼だったという話もある。作家の
「では、こちらの魌頭と方相氏の関係は?」
宵路は再確認のため、ノートの文字を指先で叩いた。
「字義をそのまま解釈すると、『化け物頭』だな。方相氏の姿は四つ目の鬼で、熊の毛皮や赤い衣をつけ、疫病や厄の元になる鬼を追い払う。魌頭は二つ目だが、
自宅で蕃から故郷について訊ねられた時、宵路が鬼頭観音の話をすると彼はすぐメモに魌頭の字を書き付けていた。よくそんな知識が即座に頭から出るものだ。
「君、その時から気づいていたのか」
「思いつきでメモしておいたんだよ。言葉としてはこちらが古いらしくて、魌頭のことを『つまり、今の方相氏のようなものである』と記した文書もあってね。だから魌頭=方相氏と考えていいんだが、宵路の故郷で祀られていた
黙って聞いていたりんが、ノートや魌頭観音が出てくる資料のページを何度か見返した。納得いかなさげに、ためつすがめつ読んでいる。
「なあ、ウメタロー」
「ウタロウだよ」
「その方相氏やら鬼頭だのは、首吊りと何か関係あんのか?」
心霊スポットに仕立て上げられ雑木林で、六人が首を吊った。
生き延びたりんと宵路も、首吊りの縄に頭を通している。なぜかあそこには道具が用意されていて、誰もが何の疑問も持たず木からぶら下がった。
魌頭や方相氏、鬼頭観音が宵路を通して何かの呪いを発したとしたら、それは果たして人を首吊りへ追い込むようなものなのか、否か。
「ないね。まったくない。
バッサリと否定してから、蕃は「方相氏が人を殺す、という話もない」と付け加えた。天皇の葬儀に関わったという話も、直接崩御の原因になったわけでもない。
「じゃあ、兄さんの故郷の観音さまが、特別そういうのと関係あるとかちゃう?」
神道では分霊という考えがあって、分社を作っても本体の神さまと同じ御利益が受けられるよう、魂を分けて遷す。こうして神社にせよ、仏さまにせよ、その土地で起きたことを逸話として取りこみ、個性として成長していくものだ。
ヒョウは、鬼頭観音は方相氏の出自とは別に、その土地で「人に首吊りの呪いをかける」ような因縁を背負ってしまったのではないか? と仮説を立てたのだ。
「
当然の流れとして話題を振られ、宵路はしばらく考えこんだ。
「確か年一回、必ずお参りをしてお守りをもらっていましたね。それを家に飾ったり、肌身離さず持ったりしていたんです。中身が何だったかは特に聞いていませんが、無病息災とか、邪気払い的なものだったような」
「今も持ってたりしねえ?」
「更新していない、古いものなら。今度持ってきます」
それから四人はしばし、黙々と郷土資料の調査を行った。奥飛騨にある皨集落については、かつて民俗学者や地元ゆかりの郷土史家などが調査に訪れたりしたようだ。
そこで採取された民話だったり歴史だったりは、よくまとめられてはいるが、宵路たちが求める怪異や因縁とつながるかも怪しい。
鬼頭観音という存在は気になるが、それが事件の原因と関わりがあるかも不明だ。……そして宵路は、自分が見鬼であった過去を話していない。
「うーん! 進展しないな!」
昼。休憩のためカフェテリアに集合して開口一番、蕃は声を張り上げた。注文したのは野菜カレー。彩り豊かな具材が食欲をそそる。
「黒鳥嬢。改めて、君の呪いについて話してくれないか」
「は? 呪いは呪いだろ」
Bランチ味噌カツ定食に箸を伸ばしながら、りんは怪訝な顔をした。
「姐さん、たぶん説明足りんのとちゃうかな」
Eランチの湯漬けうどんに薬味を放りこみながら、ヒョウは譲歩を促す。
「えー、どんぐれえ?」
「最初から」
「ちぇ」
背が高く、三白眼の目つきも鋭いりんは、その印象を裏切る子供っぽさで口を尖らせた。ヒョウとはよほど親しい仲らしい。おそらく、亡くなった
カツを一切れ、大きく開いた口に放りこみ、ジャクジャクと小気味よい音を立てて咀嚼する。油断すると喉を切りそうなカリカリの揚がり具合だ。
ごくりとジューシーな肉を呑んで、りんは一同を見回した。
「食事中にして面白い話じゃねえと思うけど。ま、人が多くてにぎやかな方が、辛気くさい話にはちょうどいいか。呪いってのはつまり、〝死ね〟ってこったよ」
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