五、鬼の頭は取れずの手柄

黒鳥くろとりくん……どうして、ここが?」


 宵路しょうじが扉越しに答えると、相手は明らかに「あ、いるじゃんヨミチ」と声をはずませた。しらを切れば良かったかと後悔したが、先に立たぬものよ。


「大学の事務局で聞いてさ」

「個人情報保護とは?」

「あれからずっと体調悪いらしいから、お見舞いな」


 はあ、と応答ともため息ともつかない声を吐いて、宵路は目を伏せた。そう言えば、ばん雨太郎うたろうと連絡を取って以来、彼女のことをすっかり忘れていた。

 黒鳥りんは二、三度しか会ったことのない相手だ。

 友人でも何でもない。それどころか、地下鉄では少し居心地悪かった。宵路にとって、積極的に忘れたかった、と言う方が正確かもしれない。


「あと、恵生めぐみの母さんにも説明するって約束しただろ。そのへんどうなんだよ」


 痛いところだ。葬儀の後、ゆっくり話したいという彼女の要望を「体調が悪いから」と伸ばし伸ばしにしてしまった。連絡がおろそかになっているのも事実だ。


「進展はほとんどありませんよ」

「おっ、アタシもだ。具合がもう良いなら、いっしょに考えようぜ。思ったより声の調子もシャキッとしてんじゃん」


 ここへ来て、りんを拒む理由がなくなってしまった。女子大生を、男子学生二人のところに上げるとか、そういう点は特に気にしてはいない。


「自分の家が嫌なら、適当な店に移動すっか?」

「いえ、先客がいますが、もうこちらへ上がってください」


 今から外出するには、それ相応の気力を引っ張りださねばならないが、そんなことはゴメンだ。宵路は諦めて、りんを自宅に招いた。


「オマエ、断捨離とか趣味? ミニマムライフしてんなあ」

「そうだろうそうだろう。人の生活空間は、もっと猥雑わいざつであるべきだよ」


 頼まれもしないのにアイスティーを入れ、蕃はタップダンスを刻むような足取りでそれを彼女に差し出した。りんは胡乱な目つきでグラスを受け取る。


「なんだ、籠ノ目家ってのは黒壇こくたん家具の付喪神が棲んでんのか」

「僕は蕃雨太郎、宵路とは高校からの付き合いだ、お嬢さん。この件――と言って通じるだろうね? について、彼から相談を受けている」

「すげえな、テーマパークでショーやってるキャストみてーな男が、キッラキラしたまんま一般家屋で動いてやがる。着てるもんはただのシャツとズボンなのに」


 それに普通に対応して、真向かいに着席するりんもりんだ、と宵路は思う。

 誰かが言うともなく、「まずは情報共有から」と話の方針が決定された。

 宵路側が出せるのは、蕃の仮定。

 あの時、心霊スポットという場が成立し、それが呪いの呼び水となって、四人もの死者を出してしまったのではないか、という仮説だ。

 眼球を舐める話については伏せた。


 話を聞いて、りんはアイスティーに口をつけた。溶けた氷で薄まって、カップの中は色水のようになっていたが、一息に飲み干す。

 彼女はふてぶてしく切り出した。


「最初に言っておきたかったんだけどさ。アタシ、呪われてんだわ」


 たんっとグラスを置いて言い切るりんは、この後問われることを全て予想していたようだ。実際、宵路の「なぜ最初に言わなかったのか」という質問は軽くいなした。


「肝心な話をしようにも、葬儀の時以来、ずーっとアンタと話す暇がなかっただろ」


 それを言われては、うまい返事が出てこない。


「アタシの呪いってのは、進学のためここに引っ越した時から始まったんだ。次から次へと呪われてさ、オマエはいついつまでに死ぬだとか、地獄に堕ちるとか、まぁーロクでもないモンが手を変え品を変え」


 そこでりんは、言葉を切った。


「恵生もヒョウも、アタシの呪いが解けるのを手伝ってくれたよ。もう大したことはなくなって、肝試しの時は、本当に軽い気持ちで呼んだんだろうな。んで、えー、アメタローだっけ。アンタの言うことが当たってるなら」

「ウタロウだよ」


 りんは耐えられなくなったように、タバコを取り出す。「一本いい?」という言葉を、宵路は最初断るつもりだったが、事前の思いと裏腹に承諾してしまう。

 そのタバコは過去と未来、彼女の内と外を繋げるパイプのように思えたから。りんの心を循環させて、ノイズを振り落とし、綺麗な呼吸をするのに必要な気がした。


 ニコチンやタールの有毒性は宵路も知る所だが、タバコが人類有数の嗜好品として地位を打ち立ててきたのは、これが魂に呼吸を与えるものだからなのだと思う。

 それが脳内の錯覚だとしても。この世に脳の錯覚でない確かなものなど、そうそうある訳がないだろう。だから、その一服は本当に必要だったのだ。


 言葉にならない言葉が、紫煙の形を持って立ち上る。この部屋ではあまり見ない景色、普段なら壁紙にヤニ臭さが染みつくのを厭うところだ。

 けれど、今だけなら良いだろう。


「あの四人は、アタシと出会ったから死んだ」


 灰皿に落とした灰よりも、りんの言葉は脆く思えた。蕃が、部屋を満たす紫煙を吹き飛ばすように、大仰なため息をつく。


「お嬢さん! そんな大事な話、最初にしておいてくれないかね」

「初対面からボディブローはキツいだろ。何事も段階はあるもんだぜ。で、肝心なところを切り出す前に、こいつは着拒レベルでアタシと話をしなかったんだ」


 それについては、宵路は全面的に言い訳を持たなかった。とても人と会える健康状態ではなかったのは事実だが、彼女に対しては苦手意識が大きかったのもある。

 その反動が馬鹿馬鹿しい罪悪感だ。仕方がないから会わなかった、ではなく、意識的に避けていた、という事実と顔を合わせた、己の弱さの再確認。


「確認するんだが、お嬢さんの受けた〝呪い〟というのは、直接人を殺すようなものがあるのかね? 見たところ、途切れなくなにがしか背負っているようだが」

「話が早くて助かる、アメタロー」

「ウタロウだよ」


 訂正しつつ、蕃は自分の考えを話した。


「それで、お嬢さんの背負っている呪いってのは、君自身に害を及ぼすものであって、周囲に感染するようなものじゃない。って考えていいかな?」

「……それは。どっちとも言えねえな。現に人が死んでんだ」


 黒鳥りんの呪いについては、もう少し詳しく検分する必要がありそうだ。


「私からも。恵生くんと貴女は付き合いが長いようだけれど、彼女は呪いのことを知っていたんですね?」

「知っていたも何も、そりゃーよくご存じさ。ヒョウといっしょに、あれこれまあ怪異ハンターみたいなことしてさ」


 りんはまとめた髪が崩れるのも構わず、がしがしと頭を掻いた。


「あいつはあの夜、何か面白いことが起こればいいな、程度の思いつきでアタシを呼んだ。で、アタシ自身、そんな大事おおごとにならないだろうって肝試しに行ったんだ。作り話だってのは最初から聞いていたし。アタシは怪異の釣り餌だよ」

「君の言い分を信じるなら」蕃はパン、と両手を打ち鳴らした。芝居がかった仕草だが、彼はよくこういうことをする。「君は呼び水ではあっても、四人を殺した呪いそのものとは、別口だということになるね?」


 結局、あまり進展はないというわけだ。沈黙が訪れた室内、蕃だけがほがらかに「飲み物のおかわりはいるかね?」といそいそとキッチンに立った。

 アイスティーとインスタントコーヒーが出そろった所で、彼がまた明るく声を出す。蕃なりに、まだ何か案があるのだろう。


「君たちが作り上げた〝心霊スポット〟には大したいわくがなかった。肝試しに参加した面々の間で、あの雑木林はそのような場として成立し、また彼女が居たことで、何らか怪異が引き寄せられた。じゃあ、そいつはどこから来たか」

「土地の縁がなけりゃ、血の縁、神さまの縁、因縁因果、いくらでもあらあ。あの時の参加者それぞれに、何かいわくがあった。って考えるのが自然じゃねえの?」


 次から次へと呪いを背負ってきたという張本人は、あっけらかんと言い放った。


「アタシ以外にそういうヤツが、ゴロゴロいてたまるかって話だけど、まあこの場合は、いちまったのが不幸なんだろうさ」


 りんは二本目のタバコに火をつけて、宵路の方を見やる。


「そこはヒョウともども、こっちで調べるとして、だ。ヨミチ」

「私?」

「死んだ四人の線を追っていくのは厳しいだろ。恵生の母さんだって、良い気分はしない。となると、生き残りのアンタとアタシ、それしかない」

「因縁と言われましても、罰当たりな真似をした心当たりは」


 ない、と言いかけて言葉を切った。首吊りの死体を降ろして、その体を好奇心から検分したのは、世間一般では罰当たりと言われるのではなかろうか。

 宵路が言葉に詰まったのを見て、蕃が助け船を出した。


「そういえば宵路、君の生まれ故郷はどうだったかな」

「数年前、土砂災害で廃村になったよ」

「そうだったね。では、その土地で独特の、ちょっとしたことでいい。お祭りや風習風俗、土着信仰はなかったかな」

「故郷を因習村みたいに言わないでほしいね」


 言いつつ、宵路は顎をなでて思案した。何か変わった儀式だの祭りだの民間信仰だのが、そう都合良くあっただろうか?

「見てしまう」子を見鬼と呼んだのは、はたして一般的なことなのかどうか、宵路には判断がつかない。小学校や中学校の時に習った、郷土史の記憶を引きずりだす。


「……集落には鬼頭きとう観音、というものが祀られていた、かな。鬼の頭と書く。絵で見る限り、確かに角が生えた観音像だった。あちこちに祠があったよ」


 それは田んぼのあぜ道や、四つ辻のそこら、あるいは小さな飲食店の前などにあるもので、故郷では見慣れた存在だった。

 しかし観音様と鬼、という組み合わせが変わったものだというのは、集落を出てから「そういうものか」とカルチャーショックを受けたことを覚えている。


「鬼頭さんという名字の人が建てたとか、そんな他愛もないものじゃないかと思うけれど。強いて今思い出せるのは、それぐらいだよ」


 手をつけられないままのアイスコーヒーの氷が、カランと音を立てた。大した情報が出てこない申し訳なさを、それに口をつけて誤魔化す。


「鬼頭……キトウ、ね」


 蕃は自分のスケジュール帳を取り出して、「魌頭」と書き付けた。今時アプリではなく、紙で書くのはこだわりなのだろうか。

 りんがそれを横から覗きこみ、「何だそれ?」と訊ねる。


「思いつきだよ、思いつき。まったく関係ないかもしれないし、そうではないかもしれない。とにかく、色んな可能性を一つ一つ当たっていこう。何、レポートを二、三本書くようなものさ」

「すっげえモチベ下がる表現やめろよ」


 文句を言いつつ、りんは思い出したように「これ、見舞いの品な」と小玉のスイカを取り出した。三人で分ければ、何とか食べきれるかもしれない……。

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