逆しまの儀式
四、呪いの後先
『生きているか、親友? 僕のようにスマートに過ごしているかね』
『サバイバーズ・ギルティ、知っているだろ。どうあれ生き残った君に罪はない。それより、体調のほうが心配だ。気をつけてくれよ』
『何でも協力するから言ってくれ、親友』
体調不良を理由に、方々との予定をベッドの中からキャンセルしていると、
視界のすみにちらつく影は相変わらずだった。むしろ体調が悪くなればなるほど、その形がくっきり存在感を増している気がする。
食欲がなく、日がな一日横になってばかりだ。このまま一週間ばかり、寝たきり生活でもしようか……その前に、連絡事項を片付けようとした矢先だった。
いつ送ったのかよく覚えていないが、自分は彼にも肝試しの事件から、黒鳥りんやヒョウに出会ったことまで、あれこれと相談していたらしい。
恵生、益子、渡名喜に花菱。ある程度親しい友人たちは、あの事件で皆亡くなってしまった。高校の同級生とはほとんど疎遠になっているが、例外が彼だ。
最後に誰かと話したのは、電車で別れたりんだったか。この所はコンビニにすら行っていない。電話してみると、蕃はすぐに出て、家に来ると言ってくれた。
彼が買ってきた冷やしたぬきそばや、ペットボトルの茶は、宵路が
蕃はまず、宵路の体力回復が先だと判断した。
そんな風に、彼から朝晩食事を差し入れされて二日が経ち、宵路が自己の回復を自覚したのは三日目のことだ。根本はまだ治っていない気がするが、ともあれシャワーを浴びて、物の少ないアパートの部屋を整理することぐらいは出来る。
改めて、宵路は陽気な友人を自宅に招いた。
「寂しいな。君が元気になると、部屋がまた一つ殺風景になる」
夏と言わず一年中、
美しく華やかであることはもはや前提で、後はどう飾ればその魅力が際立つかという
自分がハンサムだと自認し、常にそうであろうと気を遣っている彼にしてはラフだ。やはり、病み上がりの宵路に気を遣っているのだろうか。
「私の部屋が片付くのが、そんなに問題かい」
今は健康だとアピールするように、宵路は冷たい麦茶を出した。どちらが言うともなく、ローテーブルに着席する。パソコン机の周りには、授業のためのテキストなどが積まれているが、他はモデルルームのように片付いていた。
「生活の匂いが消えるだろ。君は目を離すと奇行に走って、思わぬ所で命を投げ出していそうなんだ。部屋の散らかり具合は、そのバロメーターだね」
つい先日、気がつくとスーツを着たままバスタブに入っていた身では反論のしようもない。過去にも埠頭から落ちるだとか、色々やったものだ。
見舞いを受けている間にも「痩せた」「顔色が酷い」とあれこれ言われたが、仕方がないと思う。まごうことなき事実なのだし。
「ともあれシリアスな事態だよ、宵路」
蕃は西欧の血を感じさせる顔を、困ったようにしかめて手を広げた。
「おそらく君の人生で一番。分かるかな。分からないでくれ」
蕃は〝視え〟て〝聴こ〟えて、〝手が届く〟側だ。宵路がかつて見鬼だったことも知っている。積極的に尋ねたことはないが、その筋の知識も豊富だそうだ。
その彼が、やけに迂遠な言い方をしている。
「君にとって、そいつがどんな姿形をしているか、僕には知るよしもない。というか教えてほしくないが……肝心なのは、見てしまえば、見つかるということだ」
宵路は頭の中で、このところ無視し慣れた白いちらつきの姿を思い描いた。幼児がクレヨンでぐちゃぐちゃに描いたような、子供の姿をした何か。
正直、七割がた自分の幻覚だと思っていた。だが残り三割で、そうではないと想定していたことが、一気にそちらへ傾こうとしている。
こちらの考えを読んだように、蕃はうそぶいた。
「それを幻覚だと思っているなら、その方がいい」
「幻覚への治療でどうにかなるのか?」
「ならないさ」
蕃はあり得ないとばかり、切り捨てる。
「それはつまり、呪いの塊だからだ。自動書記ができるという子は、それを発見することが身の破滅だと知っていたから、分からなかったんだろう」
「私が呪われているなら、幻覚なんて言っても処し方なしじゃないか」
見てしまえば、見つかると蕃は言った。幻覚というのはそれに気づいていない振りをしろ、ということだろうが、もう少し事情を話してほしい。
インスタントのコーヒーを入れながら、その旨を遠回しに伝えてみた。
「ウン、例えば、そうだな。そもそもの話、呪いという物は、同じ文化を持つ共同体の中でしか成り立たない、という話は知っているかな」
「相手が〝自分は呪われている〟と認識して、初めて成立するというやつかい」
どこかで聞いたような話だが、ひとまず宵路はうなずく。
「心霊スポットも同じだ。ある空間に幽霊が出現したり、怪奇な出来事と遭遇する、という物語が、由来や体験談の形で流布することで成立する場所。この世で最も多い呪いとは、人が自分で自分にかけるものなのさ。大抵の心霊現象は、それで説明がつく。そして心霊スポットの多くは、土地に由来するいわく因縁の根拠など、どうだっていいんだ。それらとは無関係に、君たちの間で場は成立していた」
実際、心霊スポットと呼ばれる場所がそうであるという根拠は、多くの場合、無責任な噂が出所に過ぎない。実際に惨劇が起きた場所が、のちのち幽霊が出ると噂されるパターンもあるだろうが、すべてのスポットがそうではないだろう。
だが、蕃が言うのは学術上の定義の話だ。
「蕃、いくら何でもごっこ遊びのような心霊スポット作りで、人が六人も首を吊ったりはしない。元からそのつもりで集まっていたなら別だが、これは違う」
「そうさ。君たちは心霊スポットを作ることで、自分たちに呪いをかけた。それは他愛のないものだったが、実際に人を破滅させる呪詛の呼び水になったんだ。情報が足りないから憶測になるが、六人の中に、人を呪う力を持った誰かがいたとかね」
呪詛、呪い
「呪った当人の生死は関係ない、ともあれそれは産み落とされて、今、君に取り憑いている。恐らく、君があの場で呪いの存在に気づいたからだ」
宵路は無言でうなずく。
あの時、首吊りのために結ばれた輪の向こうに、初めて白い影を見た。なぜ自分が死にきらなかったのか分からないが、そいつは今も確かに存在している。
「向こうからすれば、君は仕留めそこねた獲物だ」
「……では、黒鳥くんも危ない?」
「今は君に執着している。体調を崩したのがいい証拠だ」
つまり宵路が死なない限りは、彼女に累が及ぶのはしばらくは先というわけだ。
自分が近いうちに死ぬ、人生が終わるというのは、今一つ実感はない。ただ、その時が来たらゆっくり眠れるのだろう。死は怖ろしいが、怖ろしくない。
だが、その前にやることがある。恵生を始め四人が死んだ真相を解き明かし、せめて黒鳥りんを生き延びさせる。だから、この呪いを解かなくてはならない。
「蕃、私たちで出来る対抗策はあるかい?」
寺社仏閣でお祓いをするだとか、占い師に見てもらうだとか、他の手段もいくつか思い浮かぶ。だが宵路は友人を信用することを優先した。
信頼は常に等価交換ではないが、打たれたら打ち返す、ラリーを続けてこその人間同士というものだ。では、己に向けられたそれにどう応えるべきか。
蕃は両腕を胸の前で組んで、重たげに口を開いた。
「これは異性や親しくない相手には無論、純朴な相手にはとても使えない手だが。簡単な除霊法……一時しのぎがある」
「回りくどいな、人を勝手に穢さないでほしい」
「君の眼球を舐めさせてくれ」
宵路は飲みかけていたコーヒーのコップを置き、床に手をついて体を後ろへと引きずった。上手く出来たとは言えないが、とりあえず彼我の距離が稼げる。
親友を名乗るこの男は、実に性的魅力にあふれており、それが男女見境なく向く物なのか、今もって宵路は測りかねていた。
蕃はなだめるように両手の平を見せる。自分は無害です、というアピール。
「待ってくれ、これは決して僕の趣味嗜好性欲から来るオキュロリンクタス、いわゆる眼球舐め嗜好からくる世迷い言ではないんだ。第一スタイリッシュじゃない」
「単語が出た段階で、語るに落ちているんだよ」
体勢を立て直しながら、宵路は開けた距離をそれ以上詰めようとはしなかった。彼との信頼関係は崩したくはないが、それとこれはまた話が別だ。
「ボスニア・ヘルツェゴビナで〝黄金の舌〟と呼ばれる民間療法を知っているかな。アルコールで洗浄、除菌した舌で、患者の眼球から異物を取り除くというシンプルなものだ。アレルギーやドライアイ、結膜炎や高眼圧症から、白内障などの重篤な病気をも軽減できるそうだが、失明が治ったなんて話まである。その真偽はともかく、僕が君の眼球を舐めるのも理屈としては近いんだ」
「スマホも見ずに、それだけの情報が早口で出るのが余計に気持ち悪い」
ぐうっと唸りを上げて、蕃はがくりとその場にうなだれた。
「……そもそも、眼球を舐めることが、どうして除霊になるんだい」
「あれはおそらく、〝視覚〟を依り代にしている。つまり君の視力をどうにかするしかないが、かといって目を潰すわけにはいかないだろう?」
なるほど、少なくとも彼が語る理屈の上では筋が通っており、きちんと宵路のことを考えた上での提案なのだろう。蕃のことは友人として信頼している。
しかし、眼球を舐められるというのは抵抗感が大きい。
「……すまない、気持ちはありがたいけれど、少し考えさせてほしい」
「OK、また後日。うん、うん」
蕃は引き下がったが、その態度は密かに「脈あり」と考えているのが透けて見えた。めげないものだと思うが、そんなに眼球が舐めたいのかと呆れる。
「まあそれでは、次善策と行こう。まず君がそれに気づいていないよう、徹底して無視すること。分身となる形代を作って、そちらに呪いを引き受けさせること。そして、今回用意しておいたプランBだ」
蕃は鞄から、古めかしいカメラを取り出した。切り替わりの早いことだ。
「次回からはプランA・Bではなくて、プランB・Aで進めてほしい」
「いつもそう運良くいかないさ。常にクールでありたいものだが」
カメラは片手でも扱えそうなサイズだったが、スイッチやレバーを操作して展開すると、見事な蛇腹カメラになっていた。かなり年季の入った品だ。
「使い方を説明しよう。このようにフィルムとストロボをセットして……」
その時、扉のインターフォンが鳴った。ドア越しに快活で張りのある声が、朗々と響く。その声の伸びだけ、凝った空間が伸びほぐされるようだ。
『ちぃーっす、籠ノ目宵路さんの家っすか? 黒鳥りんでーす!』
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