冬に降るつめたい雨(2)
初めての新幹線をなんとか降り、改札口を出て、僕は言葉を失った。
人しかいない。人だらけだ。よそ行きの服を着た男女、スーツ姿のサラリーマン。子供もいる。中学生くらいの女子たちがひと
ベンチに腰掛け、シールの貼られたコンビニおにぎりを見下ろし、これが都会か……と息をつく。さっさとおにぎりを胃に入れてしまって、水で流し込み、その片手間に桃うさぎさんへDMを打った。
『S市に着きました。ステンドグラス前に居ますか?』
返事は案外すぐ来た。心臓が跳ねる。
『今から行くね。十分くらいで着く』
『待ってます』
そのやりとりだけで、僕は無敵になれた。
S駅のステンドグラス前は、人を待つ人でごった返し、三列ほど形成された待ちの列が伸びていて、待ち人と合流した人からぽつぽつと抜けていく。形成されては崩れていく、波のようだと僕は思う。
僕はその波の端っこで、スマホを取り出した。
『彰人くん、出掛けてるの?』
真っ先に、高瀬からメッセージが届いていることに気づく。忘れていた。母親が高瀬家に電話を掛ける可能性。僕は慌てて返信を打った。
『そういうことになってる、その』
続けて『誤魔化しておいてくれる』と打ったところで、高瀬のアイコンがメッセージを吐く。
『お母さんが気を利かせてごまかしてくれたみたいだから、安心してね(手)』
安心した。
『おばさんにありがとうって言っといて』『(スタンプ)』
『このつけは後で回収するぞー』『(スタンプ)』
――そろそろだろうか。
高瀬との軽口もそこそこに、スマホをしまい込んであたりを見渡す。列を作っている人々の顔の中に、未だ見ぬ桃うさぎさんを探して、僕はステンドグラス前にいるあらゆる女の人の顔を見た。
桃うさぎさんは、孤独で。ひとりぼっちで、僕みたいなガキには見えないものを見ていて、遠くて、でも一番近い。桃うさぎさんは僕に似ている。社会からはじき出されて、ひとつ線を引いたこちら側の世界でしか生きられない。
――ちがう。
目を留める誰もが線の向こう側に居て、ああ違う『彼女』じゃない、と直感する。スマホを見下ろす視線の中にも、吊り広告へ向けられる遠い目にも、『彼女』は感じられなかった。
『アッキー?』
スマホが震える。僕はあたりを見渡す。待つ人の上に鮮やかな光を落とすステンドグラス。
『ステンドグラス前にいるね』
『どこにいる?』
焦って誤字をしそうになる。多少ぶっきらぼうになった口調は許してほしい。
『見つけられない』
桃うさぎさんからの返信が来なくなってしまった。嫌われた? まさか。
『ももうさぎさ』
その時、隣の男がスマホをポケットにしまい込んだ。肩がぶつかる。僕は咄嗟に謝った。
「あっ、すみません」
男はちらりとこちらを見た。妙に力のこもった目だった。怒られる可能性が脳裏をよぎるくらいに、男の瞳は「何か」に満ちていた。僕がその光の種類に気づく前に、彼はふいと視線をそらしてしまう。
「あの」
外は雨らしい。僕の街にはあんなに雪が降っていたのに、S市には雨が降る。とりどりの傘を差した人たちがベデストリアンデッキの上を行きかうのをじっと見ていると、ようやくスマホが震えた。
『アッキー』
「チッ」
男は隣で大きな舌打ちをし、手をぐっと顔に近づけてスマホを弄っている。僕のスマホがひっきりなしに震える。
『ごめん、私が悪かったよ。からかってごめん』
『なんていうか』
『調子乗っちゃったね、私』
僕はスマホの画面に……桃うさぎさんとのDMの画面にくぎ付けになってしまう。
『会おうと思ったのが間違いだったのかも』
『アッキーに会いたかったのは本当』
『アッキーとお茶とか、なんか……したかったのも本当』
『でも、全部、間違ってたよ』
『私、いい大人なのに。悪い大人だね』
そうして、再び桃うさぎさんからの連絡は途絶えた。かわりに、男がだらりと腕を垂らして、項垂れた。その拍子に、隣の男のスマホの画面が見えた。
『私たち、他人のままでいられたほうが幸せだったのかな』
大きく割れたスマホの画面には、僕のそれと一字一句違わぬ文言が並んでいる。そして。
――だましてごめんねアッキー
宙を惑う指は、送信ボタンを押すのを躊躇っていた。
すべてを理解したとき、
僕は、――。
声をあげる間も無かった。本当だ。
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