第5話 時間、という壁

しばらくソファでかけていると、高井氏がやってきた。


「田中様、どうもお待たせしました。技術部 部長の高井でございます」


と名刺を出してくださった。「名刺」懐かしいものである。このように顔と顔を合わせたビジネス、もう時代遅れである。私も時代遅れのじいさんなので、氏はわざわざ古い流儀で対応してくれたのだろうか?


「あっ、いや、この度は高井さんがおられたことで、大変心強く思っています。ショウとはもうずいぶん長い付き合いなので、ぜひ元気になってほしいなと思っています」

「先ほど簡単に拝見しましたが、とても丁寧にお使いだったことがよくわかります。私も、この年になって、この機種の修理ということで、気合が入っております。「ショウ」様とお呼びになっていたのですね。ショウ様、弊社の親会社が運営している弊社製品の博物館、そちらに展示されてもおかしくないほどの美品だと思います」


なんだ、この違和感は?私はショウとの穏やかな生活を取り戻したいだけなのだ。だが、高井氏はまるでショウをもののように考えているように感じるのだが。いや、確かに「もの」と言えば「もの」である。しかし、私にとっては「もの」ではなく、「家族」なんだ。


しかし、高井氏にお願いしなければ、ショウを治せないようだ。もちろん高井氏が悪意を持っているようには見えない。このモヤモヤはひとまず横に置いておこう。


「あの、もしよければ、状態評価のために、一緒に確認していただけますか」

「えっ?修理の様子を見せていただけるのですか?」


「はい。どのようなトラブルが起きているかで、当然費用も変わります。もちろん、今は生産していないパーツなどは、代替品を使うか、現状維持で行くか、というところにもかかわりますから、こういう古いものを大切にお使いのお客様には、実際に修理の様子を見ていただくことが多いです。もちろん最近の製品であれば、流れ作業になってしまうのですがね」


言葉の端々に、引っかかるものがあるが、まぁ仕方がない。一番大切なのはショウが治ることだ。高井氏の後に続き、修理ブースの中のこじんまりとした部屋に案内された。


「では、本体を右に倒して、この奥のところに…よいしょっと。このカバーを取ると「診断機」の接続部が出てくるんですよ。診断機を繋げますね。」


うーん、やはりいろいろと考えられて設計されているようだ。そんなところにカバーがあるなんて知らなかった。


「う~ん、各関節のモーター入力と、関節角センサ、関節力センサのずれが大きいですね。でもこれは経年変化で、今回の問題ではないでしょう。人工知能ユニットからの出力が、不自然に運動コントロールユニットに流れ込んでいますね。それに、メインプロセッサユニットと人工知能ユニットの情報のやり取りにも、多数のエラーが記録されています。どうも、このコントロールユニット全体が不調を起こしているようです」


「それって、人間や動物でいうところの「脳」ですか?」


「おっしゃる通りです。科学技術の中でも、生物の構造を手本に、新たな素材や、解決困難だった問題を解決する『バイオミメティックス』という学問分野があるのですが、人工知能の「深層学習」も、もともと脳のニューロンの結合様式が発想のもとになっていて、それもある種、バイオミメティックスの成果、ともいえると思います。旧「Dull」社は、その視点からの製品開発が得意だったんですけどねぇ」


と高井氏は語りながら作業を進めていく。ドキュメンタリー番組で見る、「神の手」と呼ばれる人の手術、それを彷彿とさせるような手さばきである。おそらく、腕の確かな技術者だったんだろうと容易に想像がつく。


「本来なら、メインプロセッサユニット内のメインプロセッサ、人工知能ユニットで用いられているサブプロセッサを交換して、どうなるかを確認したいのですが、どちらもずいぶん昔に製造中止になっていて、もう手に入りません。両方のプロセッサを一時的に停止させ、現行のプロセッサの中でも、これらに近い性能、命令セットを持っているものをこの端子につないで、動作を見てみましょう」


診断機からショウの体に指示が出され、プロセッサが一時的に停止。外付けプロセッサをつけた状態で再起動をかけてみた。目に青い光が戻り、再起動はしているようだ。しかししばらくすると、やはり目の色が不安定にコロコロと変わってしまう。


「プロセッサそのものにも問題はありそうですが、立ち上がるはずのOSそのものもおかしくなっているようですね。内部のワーキングメモリと、データストレージメモリの確認をしましょう。動作確認、ではなく、メモリチェックなので、高速プロセッサと、検査するメモリの内容を避難させるためのワーキングメモリ、データストレージメモリを積んだこのボードを、端子につないで確認しましょう」


今度のボードには、いくつもの集積回路と、入力用なのか、0からFまでが並んだキーボードと、小さな液晶ディスプレイがついている。


高井氏が、新しく取り付けたボードで入力を行なうと、診断機の数値がどんどん動いていく。5分ほどたっただろうか?診断機の画面と、診断プロセッサについている小さな液晶画面を見ながら、高井氏が険しい表情をしている。やがて、氏が先ほどの饒舌とは打って変わって、訥々と話し始めた。


「メモリチェックを行ないましたが、ワーキングメモリは全体の6割、データストレージメモリも5割以上が、機能していない、という結果が出ました。人間でいえば、年齢で脳細胞がどんどん壊れていき、残った脳細胞で何とかやってきたのが、とうとう限界を超え始めたことと、メインプロセッサ、サブプロセッサの動作不良が重なって、動かなくなった、つまり大きな脳卒中を起こして、けいれんを起こした、と考えていただければわかりやすいと思います」


この氏の説明は、とても分かりやすかった。そうか、ショウは「脳卒中」を起こしたのか。そう考えると「ストン」と得心がいった。原因が分かったのだ。ならばその不具合を治してもらえばいい。


「なるほど。高井さんの説明、とても分かりやすかったです。原因もわかって納得できました。あとは「治療」だけですね」


そういうと、高井氏はまた険しい顔をした。


「いや、実はそこが問題なのです」


氏の言葉が続いた。


「先ほども申し上げましたように、このシステムで使われているチップセット、もうすべて『生産終了』となっていて、新しいパーツをご用意できないのです」

「それは分かっています。例えば、ジャンクパーツなどで使えるものを探して、何とかできないでしょうか?」


「なるほど。いや、「パーツ」の問題はもしかしたら、それでクリアできる可能性はあると私も考えます。ただ、一番懸念しているところは、仮に何とか正常に作動する中枢システムが構築できたとしても、「ショウ」様という個性をそのまま引き継いだもの、というものは作成できない、ということなのです」


えっ?どういうことだ。ショウを治療しても、「ショウ」には戻らない?


「高井さん。おっしゃっていることがよく分からないのですが。元通りにしても、「ショウ」という個性が戻らない、ってどういうことですか?」


高井氏にそう伝えると、氏はしばし考えてから、話し始めた。私にわかる言葉を選びながら話をしてくれているのがよくわかる。


「あの、専門的な話も混じるので、分からなければ途中で質問してくださって結構です。いくつかの技術的な問題があるのです。まず一つは、ショウ様の使っていたOS、20年以上前のもので、もう弊社にもそのOSが残っていないのです。ショウ様のメモリに入っているOSを移植しようとしても、先ほど、メモリにもダメージが蓄積している、とお伝えした通りで、メモリに残っているOS自身が不具合を抱えている、ということが一つの問題です。」


「なるほど、そこについては分かりました。例えば、現行のロボットで、現在のOSを使って、ショウの「個性」となる部分だけを再構成する、ということはできないのですか?」


「そう思われるのも当然だと思います。しかし、そこに大きな問題があるのです。田中様は、「人工知能」のことについてはどの程度のことをご存じですか?」


「私が大学生のころ、私の所属していた学科の研究室で、今の深層学習の基礎研究となる「ネオコグニトロン」がつくられたのです。私は別の講座を選択したので、細かいことは分かりませんが、授業で聞いた古い記憶では、「網膜」の構造をヒントに、入力された情報を「中間層」という、神経細胞の結合を模したネットワークを通して出力する。出力が間違っていれば、それぞれの結合の重みを変えていく、というシステムだったかと記憶しています」


「あぁ、深層学習の基本の基本はご理解いただいているようですね。そうすると話が速いです。人工知能ユニットも、「ショウ様」のシステムと現行のシステムでは大きく改良が加えられています。先ほど、「『ニューロン』の結合の重みを変える」とおっしゃっていましたが、その「結合の重み」となる係数は、ご存じのように、それを決定する数式が存在するわけではありません。深層学習システムが『トライアル&エラー』で微調整を繰り返して得られた「結果論」に過ぎないのです。なので、新しいシステムに、それぞれの結合係数を代入する、ということは『意味がない』のです。そういう点で新しいシステムに「ショウ様」の特性を持った人工知能を持たせるのは「不可能」なのです。」



あの時と一緒だ、と思った。今でも愛しい祐子との別れ。ショウとの生活で何とか取り戻した心の平穏、穏やかな生活が突然奪われる。また、かけがえのないものを失わなければならないのか!


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